第十話 自己紹介
少女は二つにティーカップに紅茶を注ぐと、流の座っているソファの前にあるテーブルにそれらを置き、流の向かいにあるソファに腰をおろした。
「まだ痛いんだけど……」
額をさすりながら呟く流。
そこには大きなバンソーコーが張ってあった。
でこピンの力が強すぎて皮膚が剥がれたのだろう。
「覗こうとするからだ」
そう言いながら少女はティーカップを手にとり口につけた。
「普通自分の家で可愛い女の子が風呂に入っていたら……」
「?どうした?」
途中で話を止めた流を怪訝に思ったのか、少女が流の顔を覗き込む。
流も少女のことをじっと見つめている。
しばらくして流がゆっくりと口を開いた。
「良く考えたら……俺たちってまだお互い名前も知らないんだな」
「……そう言えばそうだったな」
流の言葉に少女は納得したように頷く。
「じゃあ、まず俺からな」
そう言ってテーブルに乗り出す流。
「俺の名前は川瀬流。この家の住人。趣味はナンパ。好きなものは可愛い女の子」
一息にそう言うと、流は満足げな表情で再びソファに腰をおろした。
少女は呆れた顔で流を見ている。
「何か……えらく不名誉な自己紹介だな」
そう呟きながらも少女は姿勢を正した。
「私の名前はヨウ。理由あってここに居候させてもらうことになった。以上だ」
「待て待て待て!!」
話を終わらせようとした少女を思わず流が呼び止める。
「なんだ?」
「『なんだ?』じゃない!!突っ込み所が満載だろうがっ!もうちょっと詳しく自己紹介しろっ!」
「うるさい奴だな……じゃあ、例えば何だ?何が聞きたい?」
「えっと……そ、そうだ。まず苗字。苗字は何だ?」
一瞬、ヨウの目が泳ぐ。
そして
「水名」
ヨウはそう告げていた。
「家は?」
「アメリカ」
「歳は?」
「な……17才」
「なんでアメリカからここまで来た?」
「旅」
「どうやってアメリカからここまで来た?」
「歩き」
「………」
もしやと思って出した問いに少女は思い切り引っかかっていた。
もちろんアメリカからここまで歩きで来られる筈がない。
普通ならば『飛行機』や『船』と答えるだろう。
つまり少女はアメリカからここまでの道を知らない。
しかも相当な世間知らずだ。
少し辺りを見回してみると『水菜の美味しい料理法』という本も見つかった。
「お前、今の答えの中にいくつ嘘がある?」
「………やはり分かるか?」
一瞬と惑ってからおずおずとすまなそうに答えるヨウ。
「ああ、全部嘘だって分かるよ」
呆れたようにため息をつきながら流は呟いた。
何か隠し事でもあるのかヨウは俯いている。
「………まあいいだろう。個人的な事については何も訊かない。そんなには気にしてないしな。家に居候したいならすればいいさ」
しばらく考えたあと、流がそんな事を言い出した。
「え……?いいのか?素性の知れない奴だぞ?そんな奴を家に置いておいて心配じゃないのか?」
「心配も何もお前女だしな……」
「……は?」
思いがけない理由にヨウが目を丸くする。
「いや、可愛い女の子が家に居て嫌な気分になることなんてあるわけ無いだろ?」
「……何だかその言葉を聞いて身の危険を感じたんだが」
「可愛いって言ってやってるんだから素直に喜べ」
「いや、風呂覗こうとした奴に言われてもな……」
呆れた表情でヨウが流の顔を見る。
「まあ、何にしてもこのように対応してくれるのは助かる。ありがとう」
表情を一変させて素直に頭を下げるヨウ。
「そう畏まるな。お前も今日からこの家の住人なんだ。同居人同士仲良くやっていこうぜ」
そう言いながら流は立ち上がると、ヨウの隣に腰掛けた。
そして華奢なその肩に腕をまわす。
「それじゃあ、挨拶といくか」
目を閉じ、ゆっくりと唇を近づける流。
しかし途中で口ではない何かに触れる。
目を開けると目の前にはおそらく限界と思われるところまで引き絞られた中指。
つまり、でこピンの構えをしたヨウの手が流の額に当てられていた。
「………」
「これからよろしくな、流」
笑顔でそう言ってヨウは空いているほうの手を差し出した。
「あ……ああ、よろしく」
そう言って震える手で流はその手を握った。