長い一日/It's gonna be a long day
日本 国際奇蹟学院
□乃伊弥能
『……い』
あり得ない。偶然だ。
『……せい』
仮に被害者の共通項が必然であるとするならば、何のために彼らを誘拐した?誘拐したところで意味がない。
『……んせい!』
理事長はアリスと関係があると言っていたが……まさか、まさかまさかまさか!……いや落ち着け、僕。それこそありえない。それにそうと決まった訳ではない。後でしっかり資料を精査しなくては。
また悪い癖が出てしまった。あの爺、元上司程ではないが中々……
「……生、乃伊先生!!!」
「は、はい!」
思索の潜行に一区切りが付いた自我は、外界の刺激に反応して現実に急浮上する。
覚醒にも似た明晰が頭脳に行き渡り、現状を急速で再認識する。目の前には楕円の弧を描いた、段差に沿って並べられた座席が視界を埋め尽くしていた。
そうか、今僕は講堂にいるんだ。
そうだった。やっと現状を完全に再認識できた。
確かこれから始業式に向けて軽くリハーサルするんだった。とは言っても、軽く立ち位置や流れを確認する程度のものだけど。
「どうしたんですか、ぼうっとして。リハーサル、終わりましたよ」
右横に振り向けば、そこには黒髪を七三に丁寧に分けた好青年がいた。
もう終わってたのか!指示通り動いていたらいいのだけど。
リハーサル時の自分について聞くのが怖かったので、代わりに取り繕う事にした。
「ははは、どうやら疲れたみたいです」
「それはそうでしょう。はるばるトルコから休みなしで直接飛んできたとお聞きしましたよ。それはお疲れにもなるでしょう」
随分と耳聡い。
「どうです?小憩がわりに散策なんて如何ですか。来たばかりで右も左も分からないでしょう、案内しますよ」
「それはありがたい。よろしくお願いします、えーっと……」
「そういえば自己紹介がまだでしたね。成瀬と申します。以後お見知り置きを」
僕達は今、校舎が集中している地区から少し離れたカフェで一息ついている。
先程まで成瀬に学園内を連れまわされて感じた事は、面倒臭い。この一言に尽きる。
地上はまだいい。各校舎と多くの研究施設を往来する葉巻型の乗物が走っていて、シンプルで便利だ。しかしこの学園を立体的に見てみると、それは建物をひっくるめた一つの巨大迷宮と化している。
渡り廊下で連結された校舎及び研究施設。渡り廊下から枝分かれする渡り廊下。時には曲がりくねり、どこまでも広がっていくかのような入り組んだ地下通路。
明らかに増築に次ぐ増築の産物だ。急激に『幻想狩り』の人口が増えた時期があったとはいえ、もっと計画的に設計できないのだろうか。これでは校舎間で教室移動する時迷子になりそうなものだけど。
まあそんなことはどうだっていいか。どうせそのうち慣れる。
黒蜜きな粉抹茶ラテを一口。うん、いける。
「そんなことより」
「ん?なんへふか」
成瀬はパスタを口にくわえたまま返事してきた。
ミートソースか、いいチョイスだ。でも啜るのはやめろ。それから口の中のもの呑み込んでから話せ。一々人の食事作法について言及するのも野暮だからわざわざ口には出さないけど。
しかし、どうしても気になって仕方ない事があった。
「なんで情報室がここにいるんだ?話が違うぞ」
「チッ、最初っから知ってたのかよ」
成瀬は忌々しげにそう吐き捨てると、紙ナフキンで乱暴に口を拭い、思いっきりソファに身体を預けた。先程の好青年とは一転、とてもふてぶてしい。同一人物とは思えない程だ。
「確かに俺は情報室の者だが、別にアンタと敵対したいワケじゃねーよ」
それに俺の場合、元って頭に付くけどな、と青年は言った。
そこには既に先程までの好青年の姿はなく、一人の歴戦のエージェントが目の前にいた。
「そもそもあれは事故だ。それで決着ついたじゃねーかよ」
「理解している。だけどそれはそれ、これはこれ。アリスが無事だったのは結果論で、事故を引き起こしたのは君たちの出歯亀癖が原因という事実は消えない。僕はまだ許した訳じゃない。一歩間違えればアリスはアリスじゃなくなってたところだからな」
「へいへい、そりゃすいませんね。俺達はそういうやり方しか知らないんでね」
「別に貴方たちのやり方に難癖つけたい訳じゃない。役職に忠実で大変結構。僕が言いたいのは貴方たちはアリスにあれ以降干渉してないか。僕はそれを知りたい」
成瀬は居住まいを正し、こちらを見据えた。ひねくれた目つきだが、目の奥にはとても真っ直ぐな光が宿っていた。
「……知ってるとは思いますがね、俺たち情報室はその性質からまんまフクロウなんて呼ばれる。ありとあらゆる場所で目を凝らし、情報という情報をかき集め、精査し蓄積させ的確な資料をエージェントに与える。そのためにはなんだってする。契りを交えた同胞の血を啜る破目になろうとも。『全てはより大いなる善のために』ってね」
彼は再び水を含ませてからその先を続ける。
「だからアンタとの約束を守れている、なんてお世辞でも言えねえ。少なくとも俺はアンタの妹さんに干渉しないよう注意して振舞っているつもりだ。同胞はどうか知らんがな。少なくとも危害は加えてないから手心ってヤツを加えたって罰当たんねーだろ」
それに、俺たちと事構えたいワケじゃねーでしょうが、と彼は付け加えた。
気に食わない男だ。
本当なら情報室の連中は一人残らずぶちのめしてやりたいところだが、個人の確執で同士討ちで仲間を減らすなんて下らないし、彼の言う通りわざわざ相手にする気もない。
何故なら彼の言う通り、情報室は主に情報、特に『幻想』にまつわる情報の収集と管理を役割とした部署だ。簡単に言えば『幻想狩り』のスパイ&ハッカー集団だ。きな臭い『幻想』の臭いを嗅ぎつけたら、彼らはどんな場所であっても情報を抜き取りそれを僕の上司等に流す、いわば僕がいた組織の耳目の役割を果たす重要な部署になる。仮にそれを潰してしまうと、手足に当たる実働部隊は動くべき時に動けなくなってしまう……というのが建前。
本音を言うと、やり合う事になったらとても面倒だからだ。
情報室というのは普段は仲間同士で顔を合わせる様子すら稀な癖に、一人倒すと巣を突かれたハチのように執拗で鬱陶しく攻めてくる。酷い時には、本当に仲間の死すら利用してしまうから余計に性質が悪い。
「……僕は貴方含めた情報室が嫌いだ」
「そいつは奇遇だな。俺もアンタ含めた死に損ないの気狂い共が嫌いだ」
僕達はしばらく睨み合ったが、最終的に想いがこもった握手を交わす事にした。
「よろしくお願いします。成瀬先生」
「ええこちらこそ、乃伊先生」
■日本 国際奇蹟学院 とある教室
「なあ、聞いたか」
「何を」
「新しく入ってくる先生のハナシだよ」
教室は騒がしいのは恒例であったが、今日は新学年ということもあり、いつにも増して騒々しかった。そのため、そのやりとりが少女の耳に入ったのは偶然だった。
世間一般の学校ではどうかは知らないが、新しい教師が来るという事は、ここでは割とセンセーショナルなトピックなので、雑談の話題として振るには定番だったりする。旬が短いという点を除けば、と但し書きが付くが。
故に本来なら少女にとっては右の耳から左の耳へ通り過ぎてしまう程度にはどうでもいいものだ。
「それがどうしたんだ?」
「それがよ、どうも何かの実働部隊の元隊長らしいんだぜ」
話を聞いていた少女は途端に興味を失くしたようだ。窓の外の景色を見て時間を潰す事に決めたらしい。
どこかの部隊の重要人物が第一線を退いて、IAGやその他の『幻想狩り』が通う教育機関で教師として、自らの経験を活かした教育を施すというのは良くある話である。学院生活を7年も経験した少女が興味を示さなくなるのも無理はない。
しかし、話を聞いていた少年はそうでもないらしい。話の続きが気になるといった様子だ。「元隊長?」と彼は話を促す。
なんとなく見覚えのない顔だと思ったけれど編入生(新入り)か、通りで。少女はそう当たりを付けた。
「ああ、それもただの部隊長じゃないらしい。何でも20才で隊長に成り上がった新進気鋭の天才サマらしいぜ」
「へえ、すごいのか?それって」
「オマエ、『幻想狩り』のクセにそのスゴさ分かんねえの?」
しょうがねえなあ、そう漏らしつつも話題を振った少年が編入生に懇切丁寧に説明しようとした時、「その話、私にも詳しく聞かせてもらえないかしら」と少年たちの横から声がした。
「いいよいいよぉカワイイ娘だったr……ってゲェッ!?」
□乃伊弥能
始業式は恙なく終わった。
式が終わった後の雑事を済ませ、僕は自分が担当するクラスの教室のドアの前に立っていた。
何気なしに腕時計を見る。針はまだ11時を指していた。
半日も経っていないのに、随分と経った気がする。
僕は苦笑した。
深呼吸。心を切り替え、教室のドアを開いた。
開いた瞬間、視線という視線がこちらに集中するのを感じた。
教壇に立ち、生徒たちを一瞥してから僕は適当なチョークを手に取り、自分の名を書く。書き終えてから振り返った。先程から妙に静かすぎる気がするけど、まあ最近の子たちはこんなものなのかもしれない。
「始業式でもしましたが、改めて自己紹介を。これから君たちの担任となる乃伊弥能です。担当する科目は幻獣学、奇蹟学です。実技演習にも同伴する事があります。教師として精一杯努力しますのでよろしくお願いします」
ぱちぱちとまばらに拍手が上がった。
「ええと、これでいいのかな。じゃあ、次は君たちが自己紹介してくれるかな。君たちの事を把握しておきたいからね。出席番号順でいくよ」
「別に順番通りに自己紹介しなくてもいいのではないでしょうか」
前から3列目の窓際の少女が異議を出してきた。
腰あたりまで伸びた濡羽色の黒髪が陽に照らされ、艶やかに輝いていた。大和撫子を体現した細面に付いた、切れ長の目から覗く黒真珠の瞳はまるでブラックホールのように僕の視線を吸い寄せる。彼女の凛とした佇まいには誰も近づけさせぬ、静謐な気迫を漂わせていた。
「自主的にやっていく形でいいのではないでしょうか」
まあ、そういう形でもいいか。
「じゃあ一番手は君ということでいいかな」
「はい」
彼女はすっと立ち上がると――
「フッ!」
机を投げてきた。僕はそれを掴み取った。
「貰った」
受け止めた机から刃物が伸び、こちらの喉元を薄皮1枚裂けた所で止まった。刃が当たっている場所から生温い感触がにじみ出すのを感じた。
「なんで躱さないの」
「僕が君の機嫌を損ねたと思ったから。まさか首を狙われるとは思わなかったけどね」
「……別に先生のせいで機嫌が悪いわけじゃないです。ただ試したかっただけ」
刃はまるで最初からそこにいなかったように霧散した。
「物は大切に扱えと言われなかったか」
「先生、私と勝負してください」
人の話を聞きやしない。最近の若い子は理解できない思考の持ち主が多い。怖いね。
「勝負……ね、コイントスでいいかな」
「馬鹿にしているんですか?」
それは僕の台詞だ。どうしろっていうんだ。
「あー、先生は学園出身じゃなかったなそういえば」
声のする方へ顔を向ければそこには、金髪のそばかす顔がいた。
「ここでは勝負って言ったら、決闘しかないんだぜ。あ、オレ、チェーザレ・ヴァレンティーニ!で、そこにいる戦闘狂が白城佑梨」
イタリア校からの留学生でみんなからチェーくんって呼ばれてるんだ。ヨロシクな、先生!などと宣っていたが、クラスの反応からしてどうも違うようだ。特に女子からは辛辣な返しが多い。
「だれもそんな風に呼んでねぇよ変態」
「エロガキは黙ってろ」
まあ、今はそんな事は些細な問題だ。
「決闘は……」
「分かってる。日本では禁止にされているんでしょ」
でも、と彼は続ける。
「ここだけは別。特例で許されているんだ」
それに命のやり取りをするワケじゃない。実戦形式に近いスポーツ格闘技とでも思えばいいと思うよ、とも彼は付け加えた。
――成程。
改めて少女、白城君の顔を見た。彼女の黒真珠の瞳は闘志に燃えていた。
そういえばクソジジイも言ってたな、学園は実力主義な側面が強いと。教師間だけの話だと思っていたが、こんなところでも顕著だったとはね。
でも……彼女の場合少しそれと違うような……。
まあいい。理由はどうあれ、要は仕合だな?滾るじゃないか。
「いいだろう。今すぐやろうじゃないか」
どうやら僕の一日はそう簡単に終わらないみたいだ。