涙雨
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……夢を見ていた気がする。
なんてことない、日常の夢を。
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目を開けると、見慣れた天井が目に入った。自分の部屋が出来ると聞いた時、お母さんと話し合って決めた星の柄だ。蓄光塗料だから、寝る時になると蛍光グリーンにぼんやりと光る。はじめのころはそれにはしゃいで、昼間にも関わらずカーテンをぴっちり閉めて、友達に自慢したっけ。
反動をつけてベッドから起き上がり、ピンク色のカーテンを引く。今日は、くもりのようだった。
床のひやりとした感触で、少しだけ目が覚めた。春とはいえ、朝夕はまだ冷え込むようだ。心なしか、空気が重たい気がする。
朝食のトーストを頬張りながら見たテレビでは、午後から強い雨が降ると言っていた。濡れると嫌だなぁ。雨合羽を持っていかないと。
ぼんやりとそんなことを考えながら、のんびりと支度をし、いつもの時間に家を出る。もちろん、私のあとに家を出るお母さんに「行ってきます」と声をかけてから。
返事は無かった。
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……夢を見ていた気がする。
なんてことない、幸せな夢を。
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ゆっくりと目を開けると、真っ白なシーツが目に入った。いつの間にかうたた寝してしまっていたようだ。
ピッ、ピッ、と規則正しく緑色の光が点滅している。ああそういえば、あの子の部屋の天井も、夜あんなふうに光るんだったかしら。
よいしょ、と声をかけてベッド脇の椅子から立ち上がり、日に焼けたクリーム色のカーテンを引く。日が長くなったとはいえ、そろそろ暗くなってきている。今日も、雨のようだった。
大きなあくびを一つして、あの子の手をとる。血の気のない白い手はひやりとつめたかった。梅雨時期で雨続きというのもあるけれど、もう少しあたたかくなってもいいんじゃないかしら。
──雨。そう、雨だ。
雨を嫌いになったのは、今年の四月。あの子が、事故にあってからだ。
その日は土砂降りで、あの子は雨合羽を着て自転車で下校途中だった。……いくら悔やんでも悔やみきれない。どうしてあの日、私はあの子を送って行かなかったのだろう。午後から強い雨が降ると知っていたのに。どうしてあの日、いつものように「行ってらっしゃい、気をつけてね」と言ってやらなかったのだろう。忙しかったとはいえ、それぐらいは言えただろうに。
どうしてあの日、と何度思ったか分からない。言い訳はいくらだって出来るだろう。でもそれらは所詮、言い訳にしかすぎない。
どうしたらあの子は事故にあわなかったか、と何度考えただろうか。ああしていれば、こうしていれば、と。でもいくら考えたところで、過去には戻れない。
あの子はまだ目を覚まさない。体の傷もとっくに癒えて、いつ目覚めてもおかしくないはずなのに。
伸びた前髪を耳の方へはらってやりながら、我が子に話しかける。
本当に、大きくなってもお寝坊さんなのは相変わらずね。ほら、こんな点滴もうごりごりでしょう?起きたらあなたの大好きなお菓子をいくらでも焼いてあげるわ。そうそう、あなたの好きな作家さんの新刊が発売されたんですって。次来る時に買ってくるわね。
だから、と。そうつむいだ唇が、それ以上言葉を発することはなかった。
白い部屋にひびくのは、無機質な機械音とすすり泣き。
──雨はまだ、やみそうにない。
◉
灰色の世界。迫る赤い車。雨のおと。
体に衝撃が走って、目の前に、車の色とはちがう赤がひろがる。痛みは感じない。だってこれは──夢だから。
瞼がどんどん重くなる。周りの人たちのこえが、だんだん、とおくなっていく……。
目を覚ますたび全て忘れて。車にはねられるたび全て思い出して。何度目かもわからない、同じことを繰り返すだけの夢を、私は見続けている。
ああ、まただ。
──また、はじめから。
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