第二章 『深夜の廃病院でかくれんぼ』①
第二章 『深夜の廃病院でかくれんぼ』
夏の夜。焼けつくような真昼の太陽とは対照的に、やんわりとした月明かりが地面を照らす。遠く三十八万キロメートルの彼方から、遮るものなく地面を照らす。
しかし、突如そこに淡い影が落ちると、時を同じくして、月光は人形を映し始めた。
人形は少しずつ色味を帯びていき、やがて、それはサンゴの姿となって地上に現れた。
「……ここ、どこ?」
室内から屋外、昼から夜という急な場面転換についていけず、サンゴはほうけたように周囲を見回した。
正面には、車も通れるほどの広さのアスファルトの通路が、緩やかな右カーブを描く上り坂となって先へと続き、行き着くであろう場所には、三階建ての建物。屋上には大きな看板がかかっていた。
ふり返ってみても同じアスファルトの通路だ。こちらは、正門へと向かって真っ直ぐに延びていた。
結局、差し当たって目につくものといえば建物の看板だけ。サンゴはそれを声に出して読んだ。
「えーと。何とか……た、びょういん」
おしい。正確には“又田病院”、“まただびょういん”である。
“田”は一年生、“病院”は三年生で習ったため知っているのだが、“又”は中学生になってから登場する漢字。小学四年生のサンゴにはまだ読めなかったのである。
まぁ、それでも、ここが病院の敷地内だと分かったのだから小学校に通っている甲斐はあったというもの。彼は、これからについての算段を始めた。
先ず、既に夜も更けてしまったこの時刻では、何をおいても家に帰らねばならない。そのためには、ここから家までの道のりを誰かにたずねる必要があり、人のいそうな場所まで移動しなければならない。そうしなければならないのだが……。
では、移動するとして、いったいどちらに向かうべきなのか。病院に行くのか。それとも、正門より外に出て、民家なり交番なりを探すのか。
サンゴは、双方の距離を目測してみた。
病院までは上り坂で約百メートル、正門までは十メートルほどだ。圧倒的に正門のほうが近い。民家か交番を探すことに決めると、彼は、さっそく正門へとその歩を進め始めた。
ところが、
「あれ?」
正門から一歩を踏み出そうとしたところで、サンゴはその足を引っこめた。
門を境に、こちら側と向こう側で明らかに様子が違ったのである。
様子の違いは、正確には明るさの違いにあった。こちら側は地面を月明かりが照らしているのに対し、向こう側にはそれがない。真っ暗闇だったのである。
まるで、この世とあの世とを隔てる見えない壁があるみたいだ。そうサンゴは感じた。
つまりは、こちら側にいれば“生”で、向こう側に行けば“死”、である。
「行く先で何があろうとも決して逃げるな。逃げ出せば即刻この場へと戻され、それは、同時に死刑を意味することになる」サンゴの脳裏に、そんなレオの言葉がよみがえる。
ひょっとして、この病院の敷地から出た時点で、逃げ出したとみなされるのだろうか?
ふと浮かんだ推測を確かめようと、サンゴは、右手を正門の向こうにそっと差し出してみた。
答えは、すぐに結果となって表れた。彼の手首から先が、闇に溶けこむように消えてしまったのである。
恐らく、消えた手首の行き先は、動物達のいるあの教室だ。
サンゴが右手を引き戻すと、消えていた手首も元に戻った。
「……おや?」
手の平が何となく黒くなっているように感じ、彼がそれを見つめる。
そこには、油性のマジックで大きく“先に行け!”と記されていた。
「これは、レオ君からのメッセージだ」何の根拠もないのだが、サンゴはそう思った。同時に、急に心が温かくなっていくのを感じる。
“先に行け!”というのは、きっと“あそこに行け”という意味だろう。
正門に背を向けると、サンゴは、坂の上にある“又田病院”に目をやった。
そして、決意を固めるように右手を一度ぎゅっと握り締めると、彼は、アスファルトの通路を歩き出したのだった。
ご訪問、ありがとうございました。
次回更新は、8月11日(金)を予定しています。