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かくれんぼ  作者: 直井 倖之進
14/23

第二章 『深夜の廃病院でかくれんぼ』⑦

「さあ、行こう。一階の玄関から外に出るんだ」

「うん。分かった」

 ドアへと向かうサンゴの後ろをついてくるリンゴ。

 そこに、例の声が聞こえてきた。

「あの小娘、鍵の場所を入れかえていたな。下手な小細工をしおって。それならば、全ての部屋を開けてやるまでだ」

「ド、ドクター・マーダー」

 リンゴの肩がびくりと跳ねた。

「知ってるの?」

 ささやくようにサンゴがたずねる。

 彼女は、

「うん。タケル君に教えてもらったの」

 と答えた。

 「そういえば、三人はどこに行ってしまったんだろう。動物達のいるあの教室にでも移動したんだろうか」そんなことをサンゴが思っているうちに、再び男の声が廊下に響いた。

「三〇二号室にもいなかったか。だが、残りの部屋はあと少しだ。震えながら待っていろ。次は、三〇三だ」

 「どうしよう……」そんな不安に満ちた顔をリンゴが向けてくる。

 それもそのはず、病院には“()”や“()”を連想させるため、四号室や九号室がない。三〇三号室の次は、この部屋、三〇五号室だったのである。

 しかし、それでもサンゴは冷静だった。「大丈夫だよ」とリンゴに微笑みかけると、彼は、自ら鍵を開けドアを開いた。

 ほぼ同時に、すぐ左手となる三〇三号室から男が出てくる。

 「今だ!」サンゴは自分の右の手の平をリンゴへと突き出した。

 そこには、油性のマジックで書かれた“先に行け!”の文字があった。

 小さくうなずくと、リンゴは部屋を飛び出した。そのまま、男に背を向けて廊下を走る。

「いたか、小娘!」

 リンゴの姿を目に留め、男が追いかけてきた。

 三〇五号室の前を通り抜けようとする男。

 次の瞬間、その足をねらってサンゴが飛びついた。

 不意のタックルを受けた男は、床へと(よこ)(だお)しになった。

 体の小さなサンゴも(はじ)き飛ばされ、その場に転がる。

「サンゴ君!」

 リンゴの短い叫び声が、暗い廊下に響いた。

「リンゴ、逃げて!」

 何とかそう返事をし、サンゴが先に起き上がる。

 続けて、男もその場に立ち上がった。

「もうひとりいたとは驚いた。だが、このドクター・マーダーから逃げられると思うなよ」

 男がサンゴを見下ろす。

 大きく首をふってサンゴは言った。

「違う! 貴方は、ドクター・マーダーじゃない!」

 その言葉に、ぴくりと男は反応した。

「ほう、ドクター・マーダーでなければ、何だというんだ?」

 サンゴは答えた。

「貴方は、又田才蔵。天才外科医の又田才蔵さんです」

「同じことだろう。ドクター・マーダーが又田で、又田がドクター・マーダー。そして、その両方が私だ」

「違うんです。忘れているかも知れないけど、貴方はドクター・マーダーなんかじゃない。殺人医者ではないんです」

「分からん。お前は、……君は、何を言っているんだ。分からん」

 激しく思い悩む様子で、又田は両手で頭を抱えた。

「今から三十五年前、天才外科医という評判が全国に広がり始めたころ、貴方は突然行方不明になります。その五年後、この“又田病院”が誕生し、殺人事件が起きた。唯一の生き残りである看護師の話では、患者さんと職員を殺害したのは又田さんだ、と」

「そのとおりだ。何も間違ったところなどない」

 又田がサンゴをねめつける。

 それにひるむことなく、サンゴはたずねた。

「それならば、又田さん。貴方は、他人の臓器を自分に移植することはできますか?」

「なぁに、そんなことは造作もない。(げん)に私は、三十年前の殺人の際、患者の心臓を自分に移植したのだからな」

「なるほど。ですが、もしそれが本当ならば、胸に手術の(あと)があるはずです。見せていただけますか?」

「いいだろう」

 そう返事をすると、又田は着ている白衣とシャツを脱ぎ捨てた。

 だが、そこには(ほう)(ごう)された(しゅ)(じゅつ)(こん)などはなかった。それどころか、胸は無残にも縦一直線に切り開かれ、(ろっ)(こつ)の先にあるはずの心臓部分は、(くう)(どう)になっていた。

「ど、どうして……」

 自分の体に目をやり、又田が言葉を詰まらせる。

 サンゴは言った。

「又田さん。自分に移植手術ができる医師は、事件から三十年がすぎた現在でもいません。いくら天才外科医と(うた)われた貴方でも、それは不可能だったんです」

「しかし、当時の者達は、私が心臓移植をした、人を殺したと……」

「それは、又田さんが本物の天才外科医だったからでしょう。天才は、人知を()えたことでも平然と()()げる。そう思われていたからこそ、誰もそこに疑念を抱かなかった。でも、そのせいで事件は迷宮入りしてしまったんです」

「ならば、犯人は誰なんだ? 患者や職員を殺した犯人はいったい」

「それは、殺人事件の唯一の生き残りである看護師です」

「生き残った、看護師。……美和子のことか」

 そう又田がつぶやく。

「何か、思い出しましたか?」

「あぁ。君のおかげで、全てを思い出したよ。いや、思い出したというより、無理に忘れようとしていたのかも知れない。美和子の起こした、あの事件のことを」

 又田は、過去を見やるように遠い目をした。その顔からは、これまでのような刺々しさはなくなっている。

 彼は、おもむろに語り始めた。

「今から三十五年前、大学病院の助教授だった私には、将来を約束した女がいた。それが美和子だ。美和子は、(てん)(しん)(らん)(まん)(ほが)らかという言葉とは()(えん)の女で、どこか心に暗い影を持っていた。ある時、彼女は私にこう言った。“私は全てに疲れました。どうか私に楽な死を与えてください。才蔵さんのお力なら、それが可能なはずでしょう”と。当然、私は断った。医者というものは、人に死ではなく生を与える存在でなければならないからだ。そこで、私は美和子を連れ、人里離れた山奥でひっそりと生活することにした」

「それが、又田さんの失踪理由」

「そうだ。私と二人だけの暮らしの中で、彼女は、少しずつ笑顔を取り戻していった。私は、それが何よりうれしかった。どんな大手術を成功させるよりも、愛する女が見せる一瞬の微笑みに喜びを感じたのだ。そうして、やがて数か月の時が経ったころ、美和子は言った。“私がここまで回復できたのは、才蔵さんのおかげです。今度は、私がご恩返しをする番。私は、才蔵さんの手伝いをする看護師になりたいのです”と。もちろん、私は二つ返事でこれを認め、美和子は看護学校に通い始めた。そして、彼女が看護師の資格を手に入れたのち、この場所にこの病院を建てたのだ。しかし、それは失敗だった。まさか、美和子があんな事件を起こしてしまうとは」

 深く重い息をはくと、又田は両手で顔を(おお)った。

 そこに、サンゴがたずねる。

「又田さん。どうして、美和子さんは殺人を?」

 暫し考えを(めぐ)らせてから、彼は小さく首をふった。

「それは、私にも分からない。確かに美和子は、私にとって最愛の女性だった。だが、殺人の動機となると、とんと見当がつかないのだ。又田に切れぬ臓器はなく、治せぬ病もない。そう言われた私が、一番身近な者の心の病に気づいてさえやれなかったとは。私は、医師失格だ」

「そんなことはありません。貴方は、これまでにたくさんの人の命を救ってきました。天才外科医であることに変わりはないんです」

 そうサンゴが否定する。

 又田は小さく笑った。

「ありがとう。君は、優しい子だな。できれば、名前を教えてはくれないか?」

「サンゴです。青井サンゴ」

「そうか、青井サンゴ君か。私の好きな南国を思わせるよい名だ」

 又田は、サンゴの名を嚙み締めるようにうなずき、そして、たずねた。

「時にサンゴ君。現在、美和子はどうしているだろうか?」

「僕には分かりません。事件は既に時効を迎えていますから。ただ、時効になったからといって、今、何の罪の意識も感じずに日々の生活を送っているとするならば、僕は、美和子さんを許せません」

 きっぱりとサンゴがそう答える。

 又田は、悲しそうな表情を浮かべ、その瞳を閉じた。

「私も、同感だ」

 暗い廊下に、無言の時間が数秒すぎる。

 やがてゆっくりと目を開け、又田は言った。

「サンゴ君。最後に、私に教えてはくれないだろうか?」

「何を?」

「何故、私は、君と会話ができているのか?」

「そ、それは……」

 サンゴは言葉に詰まった。

 これほどまでに答えづらい質問は、今まで経験したことがなかった。

 だが、誰かが告げてやらねばならないことでもあるのも事実だ。

 サンゴは、重い口を開いた。

「それは、又田さんが(ゆう)(れい)だからです」

「やはり、そうか」

 既に察してはいたのだろう。さほど驚くことなく又田はそれを受け入れた。

「はい。今から三十年前、貴方は、この病院で美和子さんによって殺害されました。しかし、どうしてもそれを信じることができなかった。結果、貴方は幽霊としてここに留まることになってしまったんです」

「なるほど。それで、君は、私がこの世のものでないことにいつ気がついた?」

「初めてその姿を見た時です。又田さんは、どう見ても四十代半ば。そこに、僕は違和感を覚えました。もし、貴方が生きているのならば、三十年前の事件当時の年齢は、十代半ばだったということになってしまうんです」

「ドクター・マーダー、又田才蔵は十代の少年。確かに、ありえないな」

 又田は小さく笑った。

「はい。ですから、僕は、又田さんは亡くなったままの姿でここにいるのではないかと思ったんです」

「年を取らないから幽霊、か。本来ならば私も、この廃病院と同じく三十年の時を刻み、現在、七十五になっていなければならなかったのか……」

 周囲をゆっくりと見回し、又田は続けた。

「それにしても、私が既に死んでいたとは。これまでたくさんの患者の死を間近で見てきたが、自分の死を受け入れるというのは、別の意味でのつらさがあるな」

 少しずつ、(かすみ)がかかるように彼の体がおぼろげになっていく。死を自覚したことにより、(れい)(たい)が天に()されようとしているのだろう。

「ま、又田さん」

 消えていくその姿に、サンゴが彼の名を呼ぶ。

 それに微笑んで見せ、又田は言った。

「大丈夫、心配はない。私は、行くべき場所に向かうだけなのだから。それより、サンゴ君。三十年前に死んでいる私には、少年である君との接点はなかったはずだ。それなのに、幽霊でいたからこそ君と出会えた。医学では説明できない不可解な現象だが、私は幽霊となった自分に感謝する。そして、私がドクター・マーダーでないことを思い出させてくれた君の勇気に、最上の感謝を」

「僕に、勇気?」

「そうだ。サンゴ君、君は勇気ある少年だ。これからも、その心にある強さを大切にして生きて行くんだ。私の(たましい)を救ってくれて、ありがとう」

 その言葉を最後に、又田は消えた。

「……又田さん」

 もう一度サンゴが呼びかけてみるが、返事はなかった。

 天才外科医、又田才蔵に勇気を認められたサンゴ。だが、その表情に、笑顔は見られなかった。

「サンゴ君」

 そっと後方から名を呼ばれ、サンゴがふり返る。

 そこには、心配そうに彼を見つめるリンゴの姿があった。

「終わったよ。リンゴ、行こう」

 そう告げて、サンゴが廊下を歩き出す。

 階段を下りて一階、正面玄関へ。そのまま二人は、先にある暗闇へと、ためらうことなく足を踏み出したのだった。

 ご訪問、ありがとうございました。

 これにて、第二章終了です。

 次回更新は、8月29日(火)を予定しています。

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