ひげよ、さらば〜児童文学の皮をかぶった何か〜
今回は『ひげよ、さらば』という小説について語らせていただきます。
この作品を初めて読んだのは、小学生の時でした。紹介文には「さまざまな猫たちの織り成す夢と冒険の物語」と書かれています。
しかし、私は敢えて言いましょう……この紹介文は嘘です。読み終えた時、小学生の私は複雑な気分になりました。夢や希望だけでは乗り越えられない何かが、世の中には存在する……それを改めて思い知らされた気がしましたね。
この『ひげよ、さらば』の主人公はヨゴロウザという名の記憶喪失の猫です。ヨゴロウザは記憶を失い、ナナツカマツカという場所をさ迷い歩いていました。
そこにやって来たのが、片目という名の強い野良猫です。片目はヨゴロウザに食べ物と住む場所とを与え、自分の相棒となるように言いました。記憶が無く、生きる術を持たないヨゴロウザは、片目の相棒となったのです。
片目には、夢がありました。このナナツカマツカに住む野良猫たちを一つにまとめ、野良猫たちの王国を作る……いつか来るであろう、アカゲラフセゴに住む野犬たちの襲撃に備えて。ヨゴロウザは、片目の相棒としてナナツカマツカで生きていくことになりましたが……。
この作品のテーマを一言でいうと、猫たちのユートピア建設でしょうか。登場する猫たちは、個性的なものばかりです。人間のように話しながらも、時おり出てくる毛繕いなどの猫特有の描写は面白いですね。
さらにヨゴロウザは、本来なら敵いや餌であるはずの野ネズミのサグリと仲良くなったり(重傷を負い、倒れているところを助けたことがきっかけです)、星から来た猫と名乗るファンタスティックな雰囲気を持つ猫と知り合いになります。少なくとも前半は、「さまざまな猫たちの織り成す夢と冒険の物語」という紹介文に偽り無しでした。
ところが、途中から話がとんでもない方向へと突き進んでいきます。
ヨゴロウザは、アカゲラフセゴに忍び込み、野犬たちの様子を探るという任務につきました。しかし、戻ってきたヨゴロウザは、名無しの猫に襲われ重傷を負わされます。
そこからの展開が、読んでいて唖然となるんですよね……ユートピア建設のために悪戦苦闘するヨゴロウザと片目、そして新しく加わったさがし猫。しかし、独立独歩の気風が強い野良猫たちは、なかなか思うようにはまとまりません。
苦労の末、ようやくまとまりかけてきた猫たち。しかし、アカゲラフセゴに住む野犬の群れは、ナナツカマツカへと侵攻を開始します。やがて、猫たちと野犬との戦争が始まりました――
この作品は、昔NHKで人形劇として放送されたそうです。しかし、キャラと設定を借りただけの、全く別の作品のようですね。
事実、原作は後半になるにつれ重苦しい雰囲気が支配していきます。野ネズミのサグリや星から来た猫のような、ファンタジーの部分を構成していたキャラは突然いなくなります。彼らは、何も語られないまま登場しなくなりました。
代わりに、ユートピアを追い求めながらも……現実の前に打ちのめされ、傷ついていく片目の描写が多くなっていきます。身も心もボロボロになった片目は、最後にある決断を下しました。
それは、とても悲しいものでした。
ネタバレを避けるため、ここから先については敢えて書きませんが……この作品には、今になって読み返して唸ってしまった場面があります。それは、リアルなヤク中の描写ですね。
ほとんどのラノベ作家はもちろん、裏の世界を描くハードボイルド作家もヤク中といえば、薬が効いている時の状態しか描写していないですよね。
実はこの作品には、マタタビのせいでおかしくなる猫が登場するのですが……その描写が、ヤク中そのものなんですよ。しかも薬が切れた時の気持ちが、妙に生々しく描かれているんですよね。
この「薬が切れた時の状態」をきちんと描けてこそ、リアルなヤク中なのですが……などと書いていくと話がズレていくので、ここまでにしておきます。
ちなみに、作者の故・上野瞭先生は一九二八年の生まれです。ヒロポン(覚醒剤の昔の呼び名)は一九五〇年あたりまでは合法だったので、恐らくはリアルなポン中の姿を見てきたのでしょうね。その部分だけでも、一読の価値はあるかと。もう一度書きますが、そこらのラノベ作家やハードボイルド作家よりは、確実にリアルな描写ですので。
子供が相手でも容赦する気の感じられない故・上野瞭先生の書かれた、この作品……大人になって読むと、また違った味わいがあります。
ただ、紹介文のような明るいストーリーではありません。ネタバレになって申し訳ないですが、暗い展開が延々と続いた挙げ句にバッドエンドです。小学生にオススメできる内容ではありません。それでも構わないなら、読んでみてください。あなたの心に、爪跡を残してくれると思います。




