ベストを尽くしても……
先日、『ミスト』という映画を観ました(これで三回目ですが)。スティーブン・キング原作のパニック・ホラー映画ですが、ラストは一言で評するなら「とても苦い」です。このストーリーを小説にして、なろうで発表したら……恐らくは、いや確実にランキング上位には行けないでしょうね。
この『ミスト』のストーリーを簡単に紹介しますと、アメリカのとある田舎町が舞台となります。主人公たちは平和に暮らしていましたが……ある日いきなり、軍の実験により町は不思議な霧に包まれてしまいました。
さらに、霧の中から奇怪な姿の怪物たちが現れ、平和だった町は地獄と化します。主人公と町の主だった人々はスーパーマーケットの中に籠城する羽目になりますが、悪化していく状況の中で彼らの取った行動は? という内容です。
軽いネタバレになりますが、この映画は後半になるにしたがい、絶望的な状況になっていきます。主人公たちが籠城したスーパーマーケットは、繰り返し怪物の襲撃を受けます。さらには狂信的な教祖のような存在が誕生してしまい、大半の人間はその教祖の指示に従う操り人形のごとき存在と化し……もはや、手の打ちようが無い状況です。
そんな中、主人公たちは車に乗り脱出を試みるのですが……まあ、この先はあえて語りません。ただ、彼らには皮肉な運命が待っている、とだけ書いておきます。もっとも、勘のいい人ならラストの展開は何となく察しが付くとは思いますが。個人的には「衝撃のラスト十五分!」というキャッチコピーは、少し大げさでは無いかな……という気はします。もっとも、この映画自体は、私は嫌いではないですが。
この作品に限らず、バッドエンドのアニメや映画というのも少なからず存在しています。大抵の場合、主人公たちは出来る限りのことをして状況を好転させようとしますが、最終的には力及ばず……という形でラストを迎えます。
某ゲームの某キャラが「最良の方法が最善の結果を生むとは限らない」と言っておりましたが、人生というのは本当にままならぬものなんですよね。だからこそ、人はフィクションにハッピーエンドを求めるのかもしれませんが。
また、福本伸行先生は自身の作品中にて「麻雀は人生に似ている」というセリフをキャラに言わせています。この麻雀というゲームは、本当に特殊でして……プロと言えど、時には素人に負けることがあります。格闘技なら、プロが素人に負けるなどという事態は有り得ませんが(よほどの体格差が無い限り)、麻雀ではそれが起きてしまうのです。
麻雀のプロは素人と違い、色んな局面で最善もしくは最善に近い手を打つことが出来ますが……それが必ずしも、勝利に結びつくとは限りません。余談ですが、かつてギャンブラーだった故・阿佐田哲也先生は「麻雀のプロ一人と三人の素人が卓を囲んだら、勝つのは三人の素人の誰かだろう」と言っていたそうです。
先日のことですが、なろうにて震災に関するエッセイを幾つか発見しました。深くは読んでいませんが、人によって様々な意見があるようですね。
私自身は東日本大震災の時、都内にいました。当日は電車がストップし、タクシーも捕まらず、結果的に歩いて帰ることとなりました。さらに、コンビニでもしばらくは物が足りなくなってましたね。とまあ、この程度の被害です。いや、被害と呼べるほどのものでもないですが。
そんな私ですから、災害について偉そうに語る資格などありません。ただ、一つだけ言わせていただくと……私は、今の生活に無理のない程度には災害に備えています。しかし同時に、災害に対し人間は無力だ、とも思っています。
はっきり言うなら、人間の運命というのは時として本当に残酷な仕打ちをします。どこから見ても最善の策であるはずなのに、最善の結果をもたらすとは限りません。
ことに自然災害のような人知を超えたものが相手の場合、一人の人間の考える最善の策など軽く捻り潰すような事態が起きます。まあ、こんなことはいちいち言うまでも無いですが。
そうなった場合「これをしておけば百パーセント安心」などというセオリーは存在しません。したがって、災害における備えや対処法が人によって意見が異なるのも、また仕方ないことかと思います。人によって向き不向きもあるでしょうし。
さらに言うと、無責任かつ不謹慎な発言になりますが、どんなに気をつけていようが「死ぬ時は死ぬ」という、諦めにも近い意識を持っておくのも必要かもしれません。
人生というのは、本当に残酷な部分があります。人生において、運の占める割合というのは決して小さくはありません。時には、ほんの僅かな差が生死を分けることもあります。だからといって、最善の方法を模索する努力を軽視していい、という訳ではありませんが。
そう考えると、我々が今こうして生きている……それだけでも、運がいいと言えるのかもしれませんね。
 




