酒乱の結婚観
これは私が若い頃、知人を介して出会った人から聞いた話です。
その人・ヘイホンさん(もちろん仮名です)はメガネを掛けていて、小柄で物静かな雰囲気の外見です。話してみても穏やかで、外見から受ける印象通りの人でした。
ところがです。この人は刑務所を出ていました。それも傷害です。そもそもヘイホンさんは、私の知人と同じ刑務所に行っていたそうでして……実際に会ってみて、あまりのギャップに驚きましたね。
このヘイホンさんですが……かなりヘビーというか何というか、とにかく尋常ではない人生を歩んでいるんですよね。
ヘイホンさんは都内の某区に生まれました。ところが、まず父親が普通ではなかったそうです。
父親は普段はとても優しいのですが、酒を飲むと人格が豹変し、家族に暴力を振るったそうです。母親、兄、ヘイホンさん……皆、しょっちゅう殴られていました。
やがて母親は家を飛び出し離婚、父親と兄そしてヘイホンさんの三人家族になったそうです。
ところが、父親の暴力は止まりませんでした。相も変わらず、普段は優しいのですが……酒を飲むと人格が変わり、凄まじい形相で殴る蹴るの暴行を加えていたとか。
やがて、父親は若い女性と再婚しました。しかし、後妻に対しても暴力を振るったそうです。
数年後、後妻もまた離婚し、家を飛び出しました。しかも、後を追うようにヘイホンさんの兄も家を出ていきました。
その後、二人は一緒に暮らし始めたそうです……。
「二人はだいぶ前から、そういう関係になってたらしいんだ。薄々、気づいてはいたけどね」
ヘイホンさんが口元を歪めながら語っていたのを、私は今も覚えています。
その後、ヘイホンさんも高校を卒業すると同時に家を出ました。父親の酒乱に付き合いきれなくなったのです。
ヘイホンさんは、住み込みで働き始めました。優しく温厚な性格で真面目なヘイホンさんは、仕事先でも気に入られたそうです。
しかし……やがてヘイホンさんは、恐ろしい事実に気付きました。
自分も父親と同じ、酒乱だということに。
ヘイホンさんは、酒が入ると暴力的になる人だったのです。もともと喧嘩などしたこともない人でしたが(本人談)……酒が入ると理性のタガが吹っ飛び、プロレスラーのようなデカくてゴツい男にも喧嘩を売ってしまうのだそうです。
やがてヘイホンさんは一人で飲みに行くようになり、たびたび問題を起こすようになりました。酒を飲んでは人と揉め、殴りあいも珍しくなかったそうです。もっとも、大抵の場合「酒の席でのことだから」「あいつは酒乱だから」という一言で、周囲が済ませていたそうです。
以前、他のエッセイでも書きましたが……「酒の席でのことだから」という理由で周囲が大目に見てしまう、これは本当に問題だと思いますね。酒乱というのも、確実に病気です(程度の差はありますが)。ところが「あいつは酒乱だから」と、半ば笑い話で済ませてしまう部分があります。少なくとも、昭和の時代はそうだったようですね。
もっとも今は、一般の人の中にもアルコール依存症を病気であると認識するような風潮が広まってきたような気がします。ただ本当に、「酒の席のことだから」「あいつは酒乱だから」と笑い話で済ませるのは悪しき風習であったと思いますね。
話を戻します。ヘイホンさんは、やがて警察に逮捕されます。度重なる喧嘩沙汰により、刑務所に行くこととなりました。それが、二十年近く前(私とヘイホンさんが会った当時から数えて)の話です。
刑務所の中でヘイホンさんは、己の人生を冷静に振り返り……自分が父親の病気をそっくりそのまま受け継いでいることに対し、運命の皮肉を感じたそうです。ちなみに、その父親は刑務所にいるヘイホンさんに何度も手紙をよこしたり、面会に訪れたとか。
やがて出所した後、ヘイホンさんは酒をやめました。真面目に働き、十年ほど経ったそうです。
ある日、そのあたりの事情を何も知らない人から、ヘイホンさんは酒の席に誘われました。もちろんヘイホンさんは断りましたが、顔を出すだけでいいから、と何度も言われて仕方なく参加したそうです。
ここから先の展開は、誰もが予想できるでしょう。ヘイホンさんは飲みの席に参加し、初めはソフトドリンクを飲んでいました。しかし「俺の酒が飲めねえのか」と絡まれ、仕方なく飲んだそうです。
もっともヘイホンさんの中では、十年もの間まったく飲まなかったのだから、今さら少しばかり飲んでも問題ないだろう、という思いもあったようです。
ところが飲んでしばらくした後、ヘイホンさんはまたしても暴れ出しました。ビール瓶で人をブン殴り重傷を負わせ、刑務所に行ったそうです。
そして出所後、今度は一滴も飲んでいないとのことでした。
このヘイホンさんのいった言葉で、今も忘れられないものがあります。
「自分が普通じゃない、もしくは普通の環境で育ってこなかった……という自覚のある人間は、結婚についてよく考えるべきだ。そういう人間が家庭を持ったら、確実に苦労することになる。普通じゃない育ち方をした人間は、確実に普通じゃない家庭を築くことになるんだ。普通じゃない家庭に育った子供は、確実に普通じゃない大人に育つ。この悪循環を繰り返すことになるんだ。そうした負のスパイラルから逃れるのは、非常に難しい。僕のような人間が家庭を持ったら、家族は確実に不幸になる……だから、僕は結婚しない」
恐ろしい話だな、と思いますね。生きていれば、七十を過ぎているはずのヘイホンさん……今はどうしているのか、少し気になります。




