簡単に人を殺す人たち
昔、とある人のこんな言葉を聞きました。
「仮に知らない人間に、殺してやる、と言われても僕は全く怖くない。いざとなればスマホで警官を呼べるし、格闘技もたしなむ」
この発言について、あれこれ言うのはやめます。私などが言う必要もないことですから。ただ、こういう認識の人って、意外と少なくないような気がするんですよね。
という訳で今回は、人殺しについて語ります。なお、私は人を殺したことはありません。また、周囲に人を殺したことのある人間もいません。刑務所にいた人間から聞いた話などを基にした私の考えを書いているだけです。しかし、知っておいた方がいいと思うんですよね……。
皆さんは、殺人犯についてどんなイメージをお持ちでしょうか。某ホラー映画に登場するジェイソンやフレディでしょうか。それともハンニバル・レクター博士でしょうか。
しかし、刑務所に行っていた人に聞いたところ……そのほとんどは、パッと見た感じは普通のおっさんだと言うのです。
「いや、本当に普通のおっさんばかりだったよ。刃物(注・刑務所では作業中以外は刃物は持てないそうです)を持ってニタニタする訳でもないし、キレやすい訳でもない。パッと見は、そこらに居るおっさんと代わりないんだよ」
見た目は普通のおっさん……意外と言えば意外ですが、実のところ人殺しの怖さとは、その点ではないかと思うのです。
突然ですが、皆さんはどんな人間が怖いですか? まあ、怖いと言っても人それぞれで、怖さのツボ(?)は異なることでしょう。
ちなみに私にとって一番怖いのは、やはり失うものの無い人間です。なぜなら……失うものの無い人間は、簡単に人殺しに変わるからです。
その失うものの無い人間ですが、今の世の中、探せばいくらでもいます。例えば、ここに罪を犯して五年ほど刑務所に入った人間がいたとしましょう。名前は太郎くん、年齢は三十歳です。
そんな彼、太郎くんは……もはや今後の人生に、何の希望も持っていません。親や兄弟や親戚からは既に絶縁され、友人と呼べるような存在は裏社会の人間だけ。
しかも仕事を探そうにも、ネットで自分の名前を検索すれば、かつて犯した罪の記事に行き当たります。こんな人間を好き好んで雇う企業など、どこにもありません。つまり、前科は彼の人生に永遠に付いて回る訳ですね。
こんな状況の太郎くんには、守るべきものなど何もありません。失うものもありません。
そんな太郎くんが、町を歩いていて肩がぶつかりました。見ると、相手は傲慢そうな青年です。太郎くんを軽蔑の眼差しで見つめ、何事もなかったかのように立ち去ろうとします。
太郎くんは激怒しました。仕事もなく、家族もなく、将来の希望もない彼にとって、現在の気分こそが全てです。その気分を害させるような存在は、許すことが出来ません。
「てめえ、ぶつかっといて一言も無しかよ! 殺すぞゴルァ!」
そう凄んだ太郎くんに、青年は軽蔑したような眼差しを向けながらスマホを取り出しました。
「あんた、いま殺すって言ったね。それ脅迫だよ。今から警察に電話するから」
勝ち誇った表情で言い放つ青年。太郎くんは完全にブチギレます。
「てめえ! スカしてんじゃねえぞゴラァ!」
言いながら、太郎くんは青年に殴りかかって行きました。しかし、青年はそれを軽くいなし、太郎くんをぶっ飛ばします。
「僕は格闘技もたしなむんだよ」
青年の、その訳の分からない言葉を聞いた瞬間、太郎くんの心を殺意が支配します。どうせ、このままシャバにいたってろくな未来はない。刑務所に居たところで、大した違いは無いのだ。ここで我慢したところで、得することなど何もない。
ならば、こいつを殺す。そうすれば、今のムカついた気分は晴れる。しかも、人ひとり殺したくらいでは死刑にならないことも知っている。
次の瞬間、太郎くんは道端に落ちていた石を掴み、猛然と襲いかかります。青年の後頭部に、石を叩きつけました――
この太郎くんの一連の行動、あなたはどう思いますか。バカ、の一言で切り捨てるでしょうか。
どう思うかは、あなたの自由です。しかし、こういった人間は現実に存在しています。はっきり言いますが、こうした失うものの無い人間は……何とか流武術の黒帯、なんてものを持ち、声高に武勇伝を語る人間よりずっと怖いです。
なぜなら、彼らは刑務所に行くことなど何とも思っていません。しかも、彼らの人生は既にドン底です。未来など、絶望的な状況しかイメージ出来ません。
そんな彼らは、タイミングさえ合えば平気で人を殺します。むしゃくしゃしている時に肩がぶつかり、言い合いになった挙げ句に人を殺す……こんな人間、少なからず存在しています。我々のすぐそばで、なに食わぬ顔で生活しているのです。
『カイジ』のEカードをご存知でしょうか。王様と市民と奴隷の三つのカードがあり、何も持たざる奴隷だけが王様のカードに勝てる、というルールでした。ここに挙げた太郎くんは、まさに奴隷に当たります。ただ怖いのは、太郎くんは市民だろうが王様だろうが殺しますが。
さらに、こうした人たちに絡まれ、怪我でもさせてしまったら……今度は、こちらが過剰防衛で裁かれる可能性があります。それならまだいいですが、最悪のケースとして、太郎くんを反撃で殺してしまったとしたら……その場合、次はあなたが太郎くんへと変わります。
最後になりますが、昔の武術家や武道家の強さについて語る時「古の達人の○○は、何人も人を殺している」などと言う人がいます(まるで目の前で見たかのように)。
その人の真意は他にあるのかもしれません。ただ私は、人を殺せる=強いという考えは間違っている、と断言します。
簡単に人を殺せる太郎くんのような人間を、私は怖いとは思います。しかし、強いとは思いません。むしろ強い弱いで言うなら、太郎くんは弱いでしょう。尊敬に値するような人間ではありません。
まして、法治国家である日本に住み、世界でもトップレベルの平和と安全を享受していながら、人殺しの技術こそが至高のものであるとする価値観には……正直、首を傾げざるを得ませんね。
そんなに人殺しが素晴らしいのなら、戦場なり紛争地帯なりスラム街なり、そういった人殺しが罪になりにくい場所に行き、思う存分に素手で人を殺してみればよいのではないでしょうか。少なくとも、太郎くんのような立場に身を落とす覚悟も無いのに、人殺しの技術について語るのは間違っている、と私は思いますね。




