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回想話に入ります
フゥディエと王太子との出会いは、まだ彼女がヴァルの部屋の清掃を任されていた頃のこと。
職場で上手い人間関係を築けないでいるフゥディエは、相変わらず嫌がらせのような仕事ばかり押し付けられている。
その日もヴァルの部屋の清掃が完了すると、すぐに侍女の先輩がやって来て次の仕事を言いつけた。
「ゴホッ、凄い埃……」
任されたのは長いこと使われていない小ホールの清掃だ。
思わず独り言を呟いてしまう程室内は凄まじく汚く、普段から物置として使っているようだ。
本が乱雑に積まれ椅子やテーブルの配置もメチャクチャ。
よく分からないオブジェやツボに布の掛かった額縁のようなものも沢山。
広い部屋に足場もないほど物が放置されている。
そのどれもが雪のように埃が被っていた。
これを一人でピカピカになるまで綺麗にしろと言うのだ。
ただ救いなのは片付けの期限が一週間あることだ。
小ホールでも一週間あればどうにかなるだろうと気合を入れたフゥディエは仕事を開始した。
まずは散らばったものを一箇所に集め床を掃こうと計画を立てる。
重いものばかりだが気合でどんどん運んでいく。
「うわっ!」
おかしな形をした趣味の悪い壺を抱えて運ぶ途中、何かに躓き転ぶ。
「いっつぅぅ……」
間違っても割ることのないよう腕で壺をひしと囲み受身も取らずに転がり、頭を激しく打ち付け悶絶する。
部屋の中は薄暗く、躓くのもこれで三度目だ。
それというのも部屋の中の物を日光に直接当てては傷んでしまうと、窓とカーテンを閉め切ったままで掃除するようにと先輩侍女から命令が下されていたのだ。
このように乱雑に放置されている物が貴重なわけもなく、多少日光に当てようが問題ないように感じる。
これも嫌がらせなのだろうが、下っ端のフゥディエが文句を言う資格はなく、言われたことにはただ従うのみである。
閉め切った部屋の中で動き回るので埃も舞放題。
ぼんやりシルエットが確認出来る程度のランタンの灯りの中での掃除は困難を極めた。
それでもなんとか終わらせようと懸命に働く。
どうにか物に躓かなくなってくるほど足の踏み場が出来上がってきた時である。
————ガチャリ
突然入口の扉が開く音が響いた。
そちらに背を向けていたフゥディエが慌てて振り向くと、誰かが部屋へと入ってきた気配がする。
「ここなら誰も居ないよね……」
聞こえてきた声に思わず息を潜めてしまった。
「あれ? なんかいつもと物の配置が違うような?」
不思議そうな声と共に部屋の中を歩き回る音がする。
「誰だろ勝手にここに入ったの」
どんどん飛び出す独り言に肝が冷える。
男性にしては少し高い声の主は恐らく変声期が終わる前の少年であろうことが伺える。
どうやらフゥディエが物の配置を替えてしまったことがお気に召さないらしく、声色に不満が混じっている。
「あの……」
「うわぁ!」
恐々声をかけると少年は大げさなほど驚いた。
「な、な、なに、誰?」
「私はここの清掃を任された下働きの者です。驚かせてしまったようで申し訳ありません」
辛うじて輪郭が分かる程度の暗さの中で頭を下げる。
「……こんな暗い中で掃除?」
「はい、部屋の物を日光に当てるのは良くないという指示を受けております」
「ふーん、よく分からないけどそういうものなのか」
フゥディエにだってその理屈が正当なものなのかは知らないが、取り敢えず薄暗い中でも分かるように大きく頷く。
「あーあ、折角いい隠れ場所を見つけたと思ったんだけどなぁ」
「隠れ場所ですか?」
「そうだよ。たまに此処に隠れて勉強の時間をサボってたんだ」
恐らく少年はフゥディエよりは年下のようだが、シルエットを見る限り身長は同じくらいだしそう歳が離れているとも思えない。
しかし言動がどうにも幼い。
何より勉強の時間をサボるという発想に驚かされる。
勉強とは嫌々するものではなく自身のスキルアップの為の投資だと認識している。
だから幸運にも勉強させて貰えるのならば貪欲に学ぶのが普通だと思っていた。
考え方の違いといい、城で勉強をしている事といい、この少年が貴族であることは間違いなさそうだ。
貴族の子供が城に集まり勉強会を開いているなどとは聞いたことがないのだが、嫌われ者のフゥディエが耳にする情報というのは極端に少ない。
恐らく孤児院で教鞭を取る院長を子供達が囲んでいたように、偉い学者様から貴族の子供達が学ぶ場所が城のどこかにあるのだろう。
「私が此処にいてはお邪魔でしょうか」
「あ、別に掃除をするなってことじゃないんだ。僕の方こそ仕事の邪魔してるね。気にせず続けてよ」
少年の言葉に安堵し部屋の片付けを再開させる。
取り掛かって暫く経つが、終わる見通しが立たないほどの散らかりようである。
一週間で終わるかどうか怪しくなってきた。不穏な予感を振り払うようにとにかく身体を動かすフゥディエ。
「ぷっ、あははは」
突如響いた楽しそうな笑い声。
掃除に集中していたフゥディエは、はっとして声に振り返る。
そこにはてっきり退出したと思っていた先程の少年が、壁際に寄せていた椅子に座りこちらを見て笑っていた。
「ゴメンまた邪魔したね。君があまりにも忙しそうに脚を動かしていたから、つい可笑しくって」
そう言ってもう一度笑う少年。
確かにフゥディエのように駆け足で忙しなく掃除をする人間など城にはいない。
城で働く者は皆優雅な動きが基本である。
勿論フゥディエも人目のある場所ではそれを心掛けているが、てっきり一人だと思っていた場所で山積みの仕事が目の前にあって優雅になど動いていられない。
彼女の忙しない動きは確かに少年の言うとおり可笑しいかもしれない。
「無作法をお見せして申し訳ございません」
「いや違うんだ。君の動きがダンスみたいに見えてね。ただ掃除してるだけなのに、凄く面白いからさ」
優雅さとは無縁な動きをダンスに例える少年。
馬鹿にしているわけでも嘲笑しているわけでもなく、ただ純粋にフゥディエに笑いかける彼に驚く。
「きっと本物のダンスも上手なんだろうね」
「いいえ、残念ながら」
「あはは、そうなの?」
ダンスならば孤児院で院長に習ったが腕前はといえば、それはそれは悲惨だった。
余程酷いダンスをしていたのか、厳しい顔をした院長により居残りを言い渡され他の子供達より余計に練習させられた。
庶民にダンスなど必要ないのではないかと幼いながらに疑問であったが、今思えばあれは運動の一種だったのだろう。
院長はどこまでも教養の高い不思議な人物である。
「でも君と踊ったら絶対楽しいだろうなぁ」
なんだかナンパな台詞だが、少年は純粋にそう思っているのだと感じられる。
「だってこんなに楽しそうに動く人見たことないもん」
「っ……」
思わず返す言葉が見つからずに声が詰まった。
今まで様々な人が忙しそうなフゥディエを見て笑った。
いい気味だと嘲笑う彼等は分かっていない。
フゥディエは働くのを苦痛と思ったことはないのだ。
寝る間もなかったりご飯を抜かれたり鞭打たれながらの労働は当然辛かったが、ある程度睡眠が取れてきちんと食事にありつけていれば多少怒鳴られたって楽しく仕事は出来る。
何せフゥディエは動くことが唯一にして最大の特技だ。
かけっこだったら誰にも負けない。
嫌がらせで投げてくる孤児院の子供の石だって簡単に避けてしまうほどの俊敏性。
この脚ならば騎士にだってなれると幼い頃は夢見ていたくらいだ。
残念ながらこの国に女性騎士はまだ存在せず諦める他なかったが、代わりに城勤めで大いに特技を発揮した。
雑巾掛けに荷物運び、洗濯に水汲み。
休む間も無く次々に言いつけられる仕事を、フゥディエは誰よりも素早くこなせる。
健脚をフルに活かせる仕事が楽しかったのだ。
「はい、動くのが大好きなんです! どんな雑用もドンと来いです!」
誇らしげに胸を張るフゥディエに少年は一瞬面食らい、そして大きな笑い声を上げる。
彼女はよく笑う人だと首を傾げながら見守った。