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「くしゅん」
自分のくしゃみで目を覚ます。
やはり拝借したカーテンだけでは肌寒く、昨夜は東棟の物より大分薄い使い古された自分の部屋のカーテンと、それに手持ちの外套も巻きつけて眠った。
カーテンのない窓から覗く空はまだ薄暗い。
カーテンと外套の間から吐いた息は白く思わず身震いする。
しかし石の上で寒さによりプルプルと震え心細く鳴いている三頭犬の様子が頭に浮かんでいた日々に比べれば、心痛めることがなくなり晴れやかである。
まだ残る眠気を堪え、自分の頭をスリスリ摩り、背中の肩甲骨辺りに寝転んだまま手を回す。最後に尾骶骨に寝巻きの上から手を置く。
ここ最近、目覚めて朝一番の日課になりつつあるこの動作は何かの体操ではない。
「はぁ………やっぱりちょっと伸びてる気がする……」
ツノと尻尾、それから背中の突起物の進行具合を確かめているのだ。
彼等に出会う少し前だったろうか。
頭部の天辺と背中、それと腰の下が、ムズムズと痛いような痒いような疼きを起こすことがままあった。
我慢出来ないほどではないので気にしていなかったが、入浴中のある時に疼く箇所からナニか突起していることに気付いた。
頭と背中にはそれぞれ二つ、腰の下には一つ、何かが生えている。
一体何の病気だろうかと蒼ざめたが、あまり金のないフゥディエはそのうち治ることを願い放置を決めた。
ところが治るどころかどんどん成長していくナニか。
頭の左右のソレはまるでツノのように尖っており、背中の左右の肩甲骨辺りの突起物もやはり尖ってきている。
一番深刻なのは、腰と臀部の間辺りから生えたナニかだ。
既に掌ほどの長さに成長しており、先端は三角で付け根は紐のように細長い。
これはどこからどう見ても尻尾だ。
どうやら自分の意思で動かせるようで、尻の上に力を入れるとゆらゆらと尻尾が揺れる感覚が伴う。
三箇所ともに黒光りしており、どこか不気味さを醸し出していた。
これではまるで御伽噺の悪魔のようではないか。
皆がフゥディエを『化物』と呼ぶ理由がやっと分かった。間違いなく、彼女は化物だったのだ。
人間ではないナニか。
気味の悪いナニか。
醜いナニか。
独りぼっちのナニか。
絶望が彼女を支配する。
これから先これらが成長を止めないのならば、フゥディエの行く先は破滅しかない。
尾っぽと背中はまだしも、頭の角は目立つ。今は髪に隠れて目立たないが、きっとそのうちバレてしまう。
本物の『化物』であることが。
しかもそれらとある事件により健脚を失ったばかりの時だった。
あとほんの少し、ほんの一押しで二度と現実へ戻って来れそうにないほど精神的に限界に達してしまいそうになっていた。
それを救ってくれたのが、牢の中の住民である。
フゥディエは一目見た時から彼等に運命を感じた。
得体の知れない嫌われ者————自分と同じではないかと、仄暗い歓喜に打ち震える。
嗚呼良かった、独りぼっちじゃなかった。
初めて出来た『仲間』の為ならば、どんなことでもしたい。
牢に囚われた彼等には尽くしても尽くしたりないと思っている。
フゥディエを救ってくれた『仲間』の存在を彼女は心の支え、生きる糧にした。
進行具合の確認を終えると固まって動かない朝の右脚をゆっくりマッサージする
それから身支度を整え顔を洗いそのまま食堂まで向かった。
今日は一応非番に当たるが、彼等に食事を運ぶ者はフゥディエの他はいない。
いつものようにやっとこさ牢へ辿り着くと、普段なら今か今かと蛇の尾っぽを振り待ち構えている三頭犬が珍しくまだ寝ていた。
毛布に三頭が顔を寄せ集めてスピスピ立てている幸せそうな寝息に和みながら、極力物音を立てぬように牢の門を開けて中に入る。
唯一蛇の尾っぽだけは目覚めているようで此方にシュルシュルと身体を伸ばす。
「おはよう」
蛇の頭を撫でようと手を伸ばすと、嬉しそうに掌を二つに割れた舌先で舐められる。
擽ったさにくぐもった笑いを漏らし、唇に反対の手の人差し指を当てる。
「みんなまだ寝てるから静かにね」
了承とばかりにもう一舐めされる。
指で蛇の頭を一頻り撫でると、朝食を頭の近くに置く。
「じゃあ、またあとでね」
チロチロと舌で挨拶する蛇に手を振ると、三頭を起こすことなく来た道を引き返す。
昨日消費してしまった食料を買い足したり、その他諸々の用事を済ませに街へ下りる予定があるのだ。
部屋に戻り、昨夜掛け布団代わりにしていた外套を手に外へ出掛ける。
城から出ると手に持ったその外套を着込んだ。
地味な色合いな上に随分と流行遅れのデザインのそれは、とても若い娘の好むものではない。
それどころか老婆だって、もっとマトモなモノはないのかと苦言を呈しそうなほどダサい。
しかもところどころほつれが目立つし、何度も雨風にあたり、その度に洗っているので色落ちも酷い。
しかしフゥディエはこの外套を気に入っている。
何故ならば大きなフードが付いているからだ。
それを被れば黒髪を隠してくれる。
目も半分以上隠れてしまうので不審者のように見えるが、それでも黒髪黒目を晒して街を練り歩くより楽なのである。
城下街は活気があり様々な人が行き交うが、皆フゥディエの黒を見ると決まって侮蔑の視線を投げて来る。
それよりも怪しげなローブ姿に向ける視線の方が幾分柔らかい。
そんな不審人物の格好でまず向かったのは馬車の乗り合い所だ。
食料は重いので帰りに買うとして、最初はここから馬車で二時間ばかり離れた孤児院へと向かうことにした。
そこはフゥディエが赤ん坊の頃から居た場所である。
そして、フゥディエという存在の異常さと価値の低さを思い知らされた場所でもあった。
幼いフゥディエはまともにご飯に有り付ける日も少なく、明らかに子供にこなせる量ではない雑用をいつも押し付けられていた。
何かにつけて折檻されては、ひもじさと暴力の恐怖に震えていた記憶ばかりが残っている。
一緒に暮らす孤児達も大人に倣いフゥディエを蔑んだ。
当時の孤児院は国営であるにもかかわらず、苦しい経済状況にあった。
それというのも責任者らが多額の使い込みをしていた為だ。
その被害者は孤児院の子供達であり、侘しい生活を強いられていた。
それが周囲に洩れぬよう、大人達はその子供達より更に過酷な状況の立場の者を作ることにした。
自分達はその者よりずっと恵まれている。
この生活は幸せなのだとその者の悲惨さを間近で見せられ納得するよう誘導された。
そんな理由から死なない程度に徹底的に虐げられたのが、フゥディエである。
忌み嫌われる黒を纏う彼女にはピッタリな役回りだった。
幸い横領は発覚し、責任者が交代してからは飢えに苦しむことも折檻に怯えることもなくなった。
しかし一度植え付けられた蔑みの心は子供達の中から消えることはなく、フゥディエには心許せる友も居ない寂しい幼少期となった。