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「この辺りだと思うのですが」
とにかく一度アクスと合流しようということになったが、なにぶん盗賊に気絶させられて移動したので正確な場所が定かではない。
「なぁ、そのアクスという魔族を魔の森に送り返した後はどうするつもりなんだ?」
「とくに考えてないですが、野生に帰ろうかなぁとか思ってます」
戯けてそんなことを言ったが殆ど本気だ。
フゥディエの今の姿では人間達に混じって暮らして行くなど到底出来ない。
残る道は山でサバイバルを続けることくらいだ。
それに魔の森の近くに住めば偶にアクスが会いに来てくれるかもしれない。
それを楽しみにその日その日を生き抜くというのも悪くない。
「それはつまりノープランって認識で間違いないか?」
「まぁそうともいいます……」
痛いところを突かれてウッと喉を詰まらす。
誤魔化すように足を早めるフゥディエとは対照的にダンはその場に立ち止まった。
「だったら……」
「え?」
掛けられた声に振り返り、ようやくダンを置いてしまっていたと気付く。
木々が風に騒ぐ中、少し離れた所で佇むダンは真剣な目をしていた。
「だったら俺と来ないか?」
「っ!? 」
「騎士も辞めちまって稼ぎが良いわけじゃねぇ。都会で贅沢させてやることも出来ねぇ。だが、フゥ一人を養うくらいの甲斐性はある。今度こそ俺にお前を守らせてくれ」
突然の申し出に息を呑むフゥディエ。
そんな夢みたいな話、これは現実なのかと頬を抓りたい衝動に駆られる。
ダンと一緒の生活。
昔みたいに剣の稽古をつけて貰ったり、料理や洗濯をしたりして彼の帰りを待ってみたり。
春には一緒に野苺を摘んでジャムにしたり、夏は川遊びに行ったり。
秋には紅葉の中でピクニックをして、冬は編み物をプレゼントしてみたい。
どれもこれもフゥディエの夢だ。
家族が存在していたらと幼い頃からそんな妄想をいつも繰り広げていた。
「……ダンさん、私は追われる身です。それは出来ません」
しかし所詮夢でしかない。
脚はうまく動かないのに剣の稽古など出来るはずがない。
妻を気取ってダンに養わせるなどあり得ない。
彼は今、第二の人生を築いている最中。
自国で死んだことになっていても他国では自由に生きていける。
だというのに知り合いだからと人前に出る事の出来ない化物の逃亡者を背負わせるなど出来ようはずがない。
好きな人なら尚のこと、ダンの負担にだけは死んでもなりたくなかった。
「フゥの考えてることは大体分かるが、俺も譲る気はねぇぞ。これはお前の為というより俺のエゴだ」
ダンのライトブラウンの瞳が戸惑うフゥディエを真っ直ぐに射抜き、その力強さにダンの意思の硬さがひしひしと伝わる。
「何故そこまで……」
思わずついて出た言葉に、ダンが意を決したように口を開く。
瞬間、二人の間に強い風が通り過ぎた。
「俺はフゥディエのことが————」
「フゥディエ!」
ダンの言葉を遮るように名前を呼ばれる。
声の方を振り向くと、アクスがこちらへ掛けてくるのが見えた。
「アクス!」
手を振ろうとしたが、駆けてくるアクスの背後に二人の人影が見えて思わず固まる。
話を遮られたダンだがそれを気にした素振りを見せず、様子がおかしいフゥディエに心配そうに近づく。
「どうかしたか? あの男がアクスという奴だろ?」
「はいそうです。でも、アクスの後ろの二人は知らない人です」
「……俺の背後にいろ」
この姿を知らない人間に見られるのは非常に不味いが、既に見知らぬ二人の視界の範囲に入ってしまっているのは確実だ。
庇うように一歩前に出たダンの広い背中の後ろに入る。
一瞬アクスは足を止め、そして先程より速いスピードでこちらにやって来た。
謎の二人はそのままゆっくり後ろを歩いてくる。
「フゥディエその者は誰だ?」
「アクスあの人達は誰?」
言葉が被ってしまった二人。
シンと静まりなんとも言い難い空気が漂うが、最初にアクスが答えた。
「あの者らは魔界からの迎えだ。残念ながら冒険は終わりにしなくてはならないようだ」
「……迎え? もしかして城で暴れてた人達?」
思わず眉間に皺が寄る。
アクス自身も彼らに良い感情がないようだったし、本当にアクスを託して大丈夫なのだろうかとこちらへ向かってくる二人組を胡乱な目で見る。
「おお、人間なんかからよくそこまで精気を吸い出せたな」
「少しは飢えも凌げたようで安心した」
何やら親しげに話しかけて来た二人組。
そこでようやく彼らの存在を既に知っていることに気付いた。
「……以前城の廊下でお会いした方々ですよね」
「おう、よく覚えていたな偉いぞ」
体格の大きい方の男が感心したように頷く。
「見知った連中なのかフゥ?」
フゥディエの警戒が伝わったのか固い声で問うダンに頷く。
「城を出る少し前にたまたま出会した人達です」
「人間? 携帯食か何かのつもりか?」
「え?」
やたらと美しい顔立ちの方の男が話に割って入り、ダンを見て不思議そうに首を傾げながら訳のわからないことを言う。
「人間など持ち歩かずとも魔界に帰れば精気は好きなだけあるのだぞ。人間は魔界に耐えられない。それは置いていきなさい」
幼子を叱るようにメッと言われる。
訳が分からないし、なんだか美しさのあまり冷たそうだと思っていた男のイメージとかけ離れたそれに余計混乱する。
「わはは、普段真面目くさったリーオスも幼い姪には甘いんだな。締まりのない顔しちゃって」
「うるさいぞカイン」
男は照れているらしく、もう片方の男を睨みつけているが微かに染まった頬は魅惑的な空気を撒き散らす。
思わず怯みそうになる己を叱咤しそんな二人を警戒の篭った目で見つめ続ける。
それにようやく気付いた二人は改まってこちらへ向き直った。
「俺の名はカイン。第二騎士団副長でアクス坊っちゃまの護衛だ」
「おいカイン。きちんと王子とお呼びしろ。だから第二騎士団はアクス王子に嫌われるのだ」
「嫌われてるのはお前が口煩いからだ」
男達が口喧嘩を始めたが、フゥディエはそれより何よりアクスが王子であったことの衝撃が強かった。
言われてみれば初めて変身を解いた時に“魔界を統べる一族の者”とか言っていた気もするが、あの時は焦っていてよく頭で考えないうちに記憶が流れてしまっていた。
「……アクス王子」
「フゥディエにはアクスと呼んで欲しい」
なんとなく衝撃のフレーズを口にすれば、すぐさまアクスの哀願するような声が返ってきた。
哀しげな目で見つめられて思わず大丈夫だと頭を撫でようと手が出そうになるが、それでもこの二人の手前控える。
引っ込められたフゥディエの手にアクスは余計に哀しそうな顔をした。
「話が途中だったな。私の名前はリーオス=リリト。第二騎士団団長を務めるリリト家の嫡男だ。よろしく頼む」
「あ、私はフゥディエと申します。よろしくお願いします」
丁寧な挨拶に反射的に頭を下げる。
下げたまま暫くすると、その頭に重みが乗っかり後頭部を撫で始めた。
「ふむ、幼いのに挨拶の出来るいい子だな。それでこそリリト家の子だ」
「やめろリーオス!」
怒ったアクスが叫ぶがリーオスは意に介さずに撫で続ける。
「ようやく見つかった我が姪を撫でることの何がいけないのです。最早父と私だけかと思っていたリリト家に、このように可愛らしい娘が加わった喜びを噛み締めているのですから邪魔しないで頂きたい」
「……姪? あんたフゥの親類なのか?」
フゥディエよりも早くリーオスの言葉に反応したのはダンだった。
「人間風情が私に喋りかけるな。私の姪に馴れ馴れしくするな」
柔らかだった雰囲気が散布し、その美貌に見合った冷気を纏いダンに吐き捨てるリーオス。
その豹変ぶりに思わずダンの腕に掴まるフゥディエだが、それにリーオスは目を吊り上げ、そして胸元から白いハンカチを取り出した。
「人間に触れるのは良くない。ばっちいだろう。さぁおててを拭き拭きするから汚い人間はポイしなさい」
ハンカチを手に迫るリーオス。
所々使われる幼児言葉がまた異様で恐ろしい。
ダンと二人ジリジリと後ろに下がり、いざとなればダンの前に飛び出そうと構える。
「おい怖ぇえよリーオス。やめてやれ」
悪鬼の表情でハンカチ片手に近づくリーオスの頭をカインが叩く。
「この子は人間の中で育ったんだ。人間と交流があって当然だろ」
叩かれた場所を痛そうに押さえるリーオス。
不満そうにしながらもハンカチをしまうのを見て安堵する。
どちらかというと不躾だと思っていたカインからのフォローをありがたく感じた。
「あの、先程から人間の中で育ったとか、姪だとかよく分からないことが多いのですが、私が何者なのかあなた方はご存知なのですね」
姪だと言うわりにリーオスにはツノも羽も尻尾もない。
しかし自分でも知らない自分の正体を彼らが知っているという。
ダンを害しそうな雰囲気は気になるが、それでも長年の悩みと疑問を教えて欲しい。
嘘でもいいから誰かの口から語られるのをずっと待っていた。
誰でもいいから自分の正体はコレなのだと認証して貰いたい。
「そなたは我が姪。古来の一族、淫魔リリト家の一員だ」
「淫魔……」
「魔界へ帰ろうフゥディエよ」
差し出されたリーオスの手に、ダンとフゥディエは二人で息を飲んだ。




