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「この怪我は、その、私がとあるお方を騙した代償のようなもので……」
「とあるお方?」
相変わらず真剣な目のダンを前に脚の怪我の経緯を語るのは勇気が必要だ。
王太子から黒を意図的に隠し騙してヴァルに罰を与えられたのだと知られたくはない。
しかしいつだって真っ直ぐなダンに偽ることはもっとしたくない。
正直に全てを告げると、ヴァルの名を出した辺りからダンの眉間のシワが徐々に深くなる。
「王弟ヴァル、か……」
深く考え込んだダンは、しばらくすると何かを決意するようにフゥディエを見つめた。
「実はな、隣国との戦中に俺もヴァルに殺されかけた」
「えっ!?」
「背後からいきなりバッサリだ。敵と間違えたとかじゃねぇ。あの目は……俺への殺意に満ちていた。憎くて憎くて堪らないって目だった」
その戦以前にはヴァルとの接点といえば見習い期間が少し被っていたくらいで大した思い出はないと語るダン。
やはりあの男は異常だ。
その狂気が自分だけでなくダンにまで向けられていたのだと知り、あんなに恐ろしかったヴァルに怒りを感じた。
「あの殺意の意味がずっと謎だったんだがな……」
そこで言葉を切って口を噤んだダン。
「……もしかして、私が関係しますか? 私がダンさんを慕ったから」
ヴァルの執着が自分に向いていることや、院長のことを考えるともしやという疑念が浮かびフゥディエの胸は騒つく。
「ちげぇよ。考え過ぎだ」
不安げなフゥディエに向かい優しい笑みを浮かべ頭を撫でた。
「まぁ王族が命を狙ってるってのに一介の騎士でしかない俺には対抗手段がなくてよ。幸い俺には親兄弟は居なかったし、死んだことにしてこんな所に隠れ棲んでたってわけだ。心配かけて悪かったな」
「……でもダンさんが生きていてくれて本当によかった」
「おう、斬られた時にはもう駄目かと思ったがな。フゥのくれたブレスレットのお陰で命拾いしたんだ。ありがとよ」
なんのことかと首を傾げるフゥディエに、無事を願い祈りを込めたテルーニの贈り物のブレスレットから魔力のようなものが発動し流れる血を止め傷口の治療が始まったのだとダンは説明する。
そんな凄い仕掛けなどをした覚えはなく面食らうフゥディエだが、間違いなくブレスレットの影響だと言う。
「ただアレは途中で奴に……いや、失くしちまってよ。折角くれたのに悪い」
「ううん、いいんです。私のブレスレットがそんな役に立ったなんて信じられないけど、それが本当ならこんなに嬉しいことはないから」
その後ダンが尋ねたのは婚約者であった女性のことだった。
元々街で評判のお菓子屋さんの看板娘だったので顔は広く知られており、フゥディエもだからこそ彼女のその後を知っているのだ。
しかし現在は人気のパン屋を切り盛りする三人の子持ちの人妻だと言ってしまっていいものなのだろうか。
ダンがショックを受けはしないかと複雑な心境で教えると、意外にも彼は満面の笑みを浮かべた。
「それは良かった。ずっと気掛かりだったんだよ」
「あの、大丈夫ですか?」
「ん? ああ、無神経かもしれねぇが寧ろ安心した。実は戦の前に彼女との婚約は白紙に戻して貰っていたんだ」
「え!? なぜですか……?」
彼女はとても朗らかで明るく遠目から見ても素敵な女性なのに。
「婚約自体知人の勧めを断れなくてなし崩しで受けたもんでな。出陣前に自分が死ぬかもしれないって考えた時に、彼女とは別人のことを考えてた。こんな不誠実で、生きて帰れるかも分からない男に縛り付けとくのは失礼だろ。それでも待っていたいと言ってくれた彼女のことが気になっていたが、元気そうだと聞けて心が晴れた」
ダンには他に想い人が居たのか。
その人の現在を可能ならば教えてあげたいと思うのだが、一方でダンの口からその人物について語られるのを聞くのは怖い。
結局その“別人”のことを尋ねられず、相槌を打つだけしか出来なかった。
「ところでこんな辺鄙な所で何してんだ? 」
当然の疑問を投げかけたダンに、この時になってようやくアクスのことを思い出した。
盗賊達に連れ去られてどのくらいの時間が経ったのだろうか。
きっと心配してくれている筈だ。
焦り始めたフゥディエに向かい、ダンはどこか言いにくそうに頭を掻いて口を開く。
「あのよ、その、なんか連れの男がいるんだろ?」
「そう、そうだったの! どうしよう忘れてたっ……あれ? ダンさんなんで知ってるの?」
「お前が宿泊してた宿屋は俺の知り合いなんだ」
なんと驚くことに昨夜その宿屋にダンも泊まっていたという話だ。
そこの息子に珍しい黒目黒髪の女の話を聞き、更に出発した方角の情報に慌てて追って来てくれたとか。
地元の人もここまで山奥には入らないようで、宿屋の息子もまさか山賊のアジトがあるとは知らなかったようだ。
ダンはわりと前からアジトを突き止めていたが、山賊の数が多く潰すのは骨が折れると後回しにしていたと何故か謝ってきた。
「命を取るような悪さをしている場面を見たことはなかったから見逃していたが、こんなことならさっさと潰しておくべきだった」
悔しそうにしているダンにどこまで責任感が強いのだと苦笑する。
「黒目黒髪と聞いてまさかとは思ったが、本当にフゥディエだったとは驚いた」
「はい、私もこんなところでダンさんに会えるなんて夢のようです」
「それでその、ランディ……宿屋の息子が、恋人を連れていたって言っててな」
「それはアクスのことですね。是非ダンさんにも紹介させて下さい」
「そ、そうか、紹介……そうか」
ダンにしては珍しく覇気がない。
それを不思議に思いながらもアクスについて知ってもらおうと笑顔を浮かべる。
「アクスはとても素直でいい子なんです。それに健気で、それでいて少し繊細で臆病で甘えん坊なところもとっても可愛くて……」
完全に親馬鹿モードに入りつつあるフゥディエは勢いよく語る。
ダンはどこか切なそうに目を細め楽しげな彼女を見つめた。
「それで二人で旅行か何か? だがこの近くに観光地なんかないだろ?」
ようやくフゥディエの口が止まったところで切り出す。
楽しそうだったフゥディエの顔はみるみると曇っていった。
牢番の仕事とアクスの正体、それに一向に突っ込まれないフゥディエの変化のこと、そしてヴァルの奇行のことを順を追って説明していく。ダンならば手放しで信用出来る。
「今まで良く頑張ったな」
フゥディエの話を黙って聞き終えたダンは静かにそういうと、彼女を己の胸に引き寄せ力強く抱きしめた。
「ダ、ダンさん?」
広くて分厚くて温かい胸の中にドギマギする。
「フゥディエがこんなに頑張ってる時にコソコソと隠れることしかし出来なかったなんてな。お前は頑張りすぎるのがたまにキズだ。それを分かってたってのに側に居て助けてやれなかった自分が情けない」
「そんなことない。ダンさんが生きていてくれただけで私は幸せです」
もう二度と会えないと思っていたダンに抱き締められているその事だけでフゥディエは天に昇るほど幸福だ。
「色々怖かっただろ? お前は強いな。偉かったな」
幼い子供を褒めるように優しい声が耳をくすぐり、歓喜に胸が震える。
真っ赤に染まる頬と騒がしい心音をごまかすようにダンの胸に顔を埋める。
そんなフゥディエをダンはこの上なく蕩けるような甘い目で見つめていた。
誰にも庇護されることなく孤独に育ったフゥディエには、ダンの包み込むような優しさは強烈過ぎる。
赤子が母親を慕うように、父親の庇護に安心感を覚えるように。
そんな絶対的な好意はこの再会で益々膨れ上がるのであった。




