35
フゥディエは途方に暮れていた。
床に転がる男達はどうやら皆気絶しているらしい。
果たしてこれはどういうことだ。
確かに助かったは助かったが、この惨状を自身が引き起こしたように感じてならない。
つい先ほどまで自分は彼らに手も足も出なかったはずなのに。
あの恐ろしい思考とこの状況は関係しているのだろうか。
目の前の不可思議な現象に恐怖を抱き無意識に一歩後退る。
足元に転がっていた酒の空き瓶が転がり、場違いな高音を奏でた。
それに目をやり、全身雷に打たれたかのような衝撃を受ける。
空き瓶に今の自分の姿が写っていたのだ。
急いで手を頭にやれば、今朝確かめたのとは比べ物にならないほど長い角の感触。
熱いものに触れたかのように慌てて手を離したが、その反動で背中の翼が広がりバサリと羽音が響く。
それにまた驚き身体を跳ねさせると、今度は足に何かが巻き付いたような感触がする。
恐る恐るそこへ目をやると、怯えたように太ももに長い尾が巻きついていた。
目眩にくらりとする。
部屋の片隅に置かれた埃の被った姿見まで覚束ない足取りで向かう。
薄汚れたそこにぼんやり写るのは、いつの間にか盗賊達に服を剥ぎ取られ下着姿で呆然と情けない顔で佇む自分。
頭には大きくカーブする黒光りした角。
背中には蝙蝠のような黒く薄い羽。
尻の上にはウネウネと動く黒く細長い尻尾。
どれもこれも黒々しくて不気味で異様だ。
その姿はまさに化け物そのもの。
とうとう恐れていた日がやって来てしまったらしい。
あまりに突然過ぎて、思考が追いつかない。
元々あまり力の入らない左脚から崩れ去り、その場に蹲る。
どうすればいいというのだ。
旅はまだ続く。
その間に一度も人里に近寄らず人間と遭遇しないなんて果たして可能なのだろうか。
……なによりアクスは自分のこの姿をどう思うのだろうか。
いやアクスならきっとどんな姿のフゥディエも受け入れるだろう。
しかしだからと言ってこのままアクスの側にいても足手まといでしかない。
アクスが無事魔の森の向こう側に帰るのを見届けずに終わることになるかもしれないことが何よりもフゥディエを絶望へと追い詰める。
涙が床にパタパタと落ちる。
何故今なのだ。
己の不甲斐なさが悔しくて仕方なかった。
激しい感情の中に身を置くのに必死で、フゥディエは周りに気を向けることが出来ずこの盗賊のアジトに近づく足音に気付かない。
気づいたのは足音の主が部屋の扉を開けた時だった。
「これは……」
男の声だ。
部屋の状況に驚いているがフゥディエも突然人が現れた驚きは大きい。
盗賊の仲間か。
だったら事態は最悪だが今更隠れるには遅過ぎる。
顔を上げる勇気が湧かず蹲ったまま、背後に感じる男の気配にかつてないほど肝を冷やしていた。
「っ!? ……羽? 人、か?」
どうやらフゥディエの存在にさっそく気付いてしまったらしい。
まぁ羽など生やしているのだから気付かない方がおかしいのだが。
人に見られてしまった、もうおしまいだ。
「おい、大丈夫か? 何があった? 言葉は喋れるか?」
意外にも男は恐怖に震えるフゥディエに上着か何かを掛けてくれる。
羽が邪魔で殆ど意味はなかったが、不思議と掛けてくれたものは温かく感じる。
声もとても気遣わしげでどこか懐かしさを抱いた。
「とりあえず此処を出るぞ。のびてる盗賊どもがいつ目を覚ますか分からないからな」
口ぶりからして男は盗賊の仲間では無いらしい。
まさかこの姿のフゥディエに対してこんなまともな態度を取ってくれるとは思わずに面食らう。
「は、はい」
勇気を出して顔を上げ、立ち上がる。
羽を背中にペッタリとくっつけるように畳み、掛けてもらった服を引き寄せ身に纏う。
男が出口に向かう音が聞こえ慌ててついて行こうとするが、動揺の為かいつも以上に左脚が言うことを聞かない。
物凄く遅い歩みに情けなさが込み上げ思わず俯く。
そんなフゥディエを男が待ってくれているのが分かり余計に焦るが、焦れば焦るだけ脚は空回りしてもたつく。
「その怪我は盗賊に?」
「いえ、古傷なんです。申し訳ありません。遅いですよね」
「いや……」
何か言いかけたが、そのままツカツカとフゥディエの側まで歩み寄ってきた。
「悪い、俺じゃああんたも怖いかもしれねぇが我慢してくれ」
「え? うわぁ!?」
突然ふわりと身体が浮いた。
男はフゥディエを抱え込むと、そのまま素早く盗賊のアジトを出る。
男の腕の中で揺れながらフゥディエは温かい温もりにまたしても懐かしさを抱く。
これは、この感覚は……。
何かを期待するように俯いていた顔を上げ、男を仰ぎ見る。
「ダン……さん……」
心の底で望んでいた可能性がそこにあった。
男は死んだはずのダンにソックリだった。
地肌が見えそうなほど短く刈り込んでいた髪は多少伸び無精髭も気になるが、それでも他人の空似で済ませられないほど似ている。
「ウソ……そんな、だって、ダンさんは……」
ダンもフゥディエの言葉に驚き弾かれたように腕の中の彼女の顔を覗き込んだ。
「フゥディエ? 本当にフゥディエだったのか? 」
名前を呼ばれたフゥディエは、自分を抱き上げるこの男が本物のダンであることを確信した。
「はいフゥディエです。フゥディエですダンさん」
「そうか……すっかり大きくなって見違えた……」
掠れた声で呟いたダンは一瞬泣きそうな顔をしたと思えば、くしゃくしゃの満面の笑みを浮かべ大きな手で迷いなくフゥディエの頭を乱暴に撫でた。
大好きだったその不器用で温かい手に、懐かしさと喜びが込み上げ胸を苦しく締め付ける。
溜まったそれを吐き出そうと目に段々と涙の膜が張る。
「ダンさん、生きてた……」
「ああ、その様子じゃ心配かけたみたいだな」
「うん、そう。心配した。悲しかった。ダンさん、生きてる……良かったぁぁぁぁ」
とうとう我慢出来ずに胸の中の全てを吐き出し子供のように大声で泣き叫んだ。
ダンは焦っているようだったが、それを気にする余裕などなくダンの太い首にひしと抱きつき思う存分泣き続けた。
降って湧いた奇跡にフゥディエが落ち着くにはまだまだ時間がかかるようだ。
最初は狼狽えていたダンだが、しばらくするとフゥディエの背中を優しく叩き彼女が泣き止むまでずっと温かく抱擁を続けた。
「もう大丈夫か?」
「はい、お恥ずかしながらようやく落ち着きました」
目も鼻も真っ赤で喉は掠れている。
一体全体どれほど泣いていたのか分からないがこの酷い状態からして明らかに泣きすぎだ。
初恋の人にみっともない姿を見られて恥ずかしさで穴があったら入りたかった。
「じゃあ、少し聞いてもいいか?」
「……はい」
とうとう来た。
この姿の原因を聞かれるのだろう。
かつて気にかけていた子供がこんな醜い姿の化け物に成り下がっているのだ。
当然気になるに決まっている。
しかしダンはそんなフゥディエを抱き締め昔と変わらず頭を撫でてくれた。
きちんと原因不明なことを伝え嫌わないで欲しいと願おう。
ダンなら大丈夫だ。
フゥディエは緊張に喉の渇きを感じながらダンの言葉を待った。
「その脚の怪我はどうしたんだ? 古傷って言ってたよな。何があった?」
一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。
真剣な目で、ポカンとするフゥディエからの答えを待つダン。
ゆっくりとダンの質問を脳内で咀嚼する。
なんで? なんでこんなに異様な姿の私を前に一番最初にそれを聞くの?
なんでそんな悲しそうな顔をしているの?
彼の質問が頭に全て行き渡った時、フゥディエの胸の内にはとある感情がぎゅうぎゅうに詰められていた。
—————ああ、やっぱりダンさんが大好きだなぁ




