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牢の番人  作者: 真冬日
逃亡中
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翌朝、雨はすっかり上がっていた。

カーテンから漏れる日差しが眩しくて手近にあった一頭の顎の下に潜り込んでそれを回避していたが、微睡みから段々と覚醒してくる。


「……また、伸びてる」


いつものように角と尻尾、それと背中を確認して気落ちする。

そろそろ本当に隠せそうにない。

涎を垂らしピスピスと鼻を鳴らす三頭犬の幸せそうな寝姿を眺め胸の憂鬱を薄めていく。

今考えても仕方のないことだ。

優先すべきはアクスを故郷の魔界へ帰してあげることなのだから。

しかしそれは同時にアクスとの別れを意味する。

そして、その時は確実に近づいて来ている。

再び気落ちしそうになる思考を振り払い、舌を出して涎に塗れる三頭犬に目を向ける。

どうやら蛇の尾は起きているらしくシューシューと高い音で鳴きながら鎌首を擡げる。


「おはようアクス。といってもまだ殆ど寝てるけど」


蛇の尾がチロチロと挨拶代わりに手の甲を舐める。他の頭はまだ起きないが、そうのんびりもしていられない。

いつものように一頭ずつ起こすべく弱点である耳の付け根へと手を差し入れた。






「おはようございます」

「おはよう随分と早いね」


人型になるのを嫌がったアクスをなんとか説得し身支度を整え下へ降りると、宿屋の女将が忙しそうに働いていた。


「まだ他のお客さん誰もいないから好きなとこへ座っとくれ」


この宿は食堂も併設しており、宿泊客は朝食が付いているのだと昨日説明を受けたので人目につくリスク覚悟で来てみたのだ。

昨夜は手持ちの食料で間に合わせたが、流石に野宿が続くとちゃんとした料理が恋しくなる。


女将の言う通りロビーのすぐ隣の食堂はがらんとしていた。

それを狙って食事可能な時間ピッタリになるように早起きしたのだ。

しばらく待っていると女将と昨日の青年が朝食プレートを運んできた。

青年は恐怖からか腕が震えており随分と食器がガチャガチャと音を奏でていた。

目の前まで来た青年にお礼の会釈をすると料理はテーブルの少し上で落とされ一際大きな音を響かせる。

そのまま凄い速さで去って行った青年の態度に母親は激怒。

遠くの方で特大の拳骨に悶絶する彼の姿が目に入り苦笑いが浮かぶ。


気を取り直し向かい合う朝食は少しハードなパンとスクランブルエッグにベーコン、それから野菜がゴロゴロ入ったスープ。

男性客にはもしかすると物足りないかもしれないが、フゥディエにはとてもボリュームのある食事だ。

素朴で優しい味がする料理を味わって食べた。

何よりアクスが美味しそうに平らげていくのが嬉しかった。

温かいスープを食べさせてあげられることはフゥディエの念願だ。

牢の中での食事はどれも冷めており、スープなどの汁物は運べない。それに心をいつも痛めていたから。


朝食を食べ終わるとすぐに荷物をまとめて宿を後にすることにした。

料金は前払いなのでそのまま行ってしまう者も居るようだが、フゥディエは女将に一言挨拶がしたかった。


「お世話になりました」


運良く捕まえられた女将に深々と頭を下げる。


「朝ごはんとっても美味しかったです。特にスープが野菜いっぱいで…」

「ああ、アレは知り合いが野菜を剥きすぎちまってね。いつもはもっとお上品なスープなんだよ」


茶目っ気のある笑顔にこちらも自然と笑みが漏れる。


「この町に寄ることがあればまた来ておくれな」


女将の言葉に何度も頷き宿を出発した。


「あ、あの!」


宿が視界から小さくなり始めた頃、背後から声をかけられた。

同時にいつものように繋いでいたアクスの手の力が強くなった。

振り向くとそこには宿屋の青年が何故か薪を抱えたまま息を切らせている。


「お、俺、また貴女にお会い出来るの、た、楽しみにしてます! だから、その、あの、また来て下さい、待ってます!」


ほぼ接点はなかった筈の青年の言葉に目を丸くする。

ただ彼の挙動が不審だったのは嫌悪されていたからではないのだと分かり、自然に頬が緩む。


「はい是非」


青年の抱えていた薪が落ちる。

今までも彼のように怯えや嫌悪と似た反応をされることは多々あった。

それを気味悪がられているからだと勝手に気落ちし、刺激せぬようにと避けていたのは間違いだったのかもしれない。

世の中の人間全てが自分に悪意があると思い込んでいたのは、きっと愚かで自意識過剰なことだったのだ。

まるで視界が晴れ渡る気分だ。


「行こっかアクス」

「うむ」


宿屋の青年のおかげで明るい心持ちで、アクスとの別れの旅に再出発することが出来たのだった。


「ランディあんたこんなところでサボって薪割りはどうしたんだい! まさか全部ダンさんに押し付けたなんて言いやしないよね?」

「いや待ってお袋! 別に押し付けたわけじゃ」

「問答無用!!」


背後で何やら青年の断末魔が聴こえる。

親子仲が良くて羨ましい。

もう一度振り返ろうとしたが、アクスが少し強めに手を引くのでそちらに気を取られる。

アクスはどこか不機嫌な様子で前を見つめて歩き続けた。








町を出るとすぐに山へと入る。

元々山間部にある町だったので山に囲まれているのだ。


「綺麗な山だね」


本格的な冬を前に動物達に蓄えを気前良く与えようと山は見事に色付いている。


「うむ、なかなか美味い山だ」


そこかしこに落ちている堅果を拾い集めてはボリボリ貪り食う。

普通の人間はアクが強く殻も硬いため、長時間茹でて殻を剥いて更に茹でてアクを取り除いてからやっと食す実をそこらの動物のように食べる姿は結構衝撃的だ。


いつものような三頭犬には変化せず、ずっと人型で山を散策しながら進むアクス。

それについてフゥディエは焦れる気持ちはあるものの何か言うことはしない。

逃亡の間殆ど三頭犬姿で走り通していたのだから負担が大きかったのだろう。


その証拠に長閑に堅果を食べながらもどこか注意散漫でいつもより落ち着きがない。

辺りを気にしているように感じるが追っ手が近くにいるのかと尋ねても否定する。

そもそも追っ手が近付いているのならばこんな所でのんびりはしていないだろう。


「あそこに小川がある。ちょっと水を汲んでくるよ」


緩やかな斜面の下にある綺麗な小川を見つけたので、水筒として使用している革袋を持ってアクスに声をかける。

冷たい水を飲めば少しは気が晴れるのではないだろうか。


「うむ、我はあの木の側に居るので何かあれば声をあげてくれ」


堅果の沢山落ちている木へといそいそと向かったアクスを見守り、自分も小川へ向かう。

苦手な斜面に少し手間取りながらもどうにか辿り着いたそこは、水が透き通ったとても美しい川だ。

冷たい水はこの時季堪えるものがあるが、陽の光に反射してキラキラと輝く水面に惹かれて手をそっと入れる。

キンと痛みにも似た冷たさだが、頭が冴える。

思い切って顔まで洗ったところで、今日はどこかボンヤリしているアクスにも顔を洗うように提案しようかと彼の方を仰ぎ見る。

だが見た目よりも案外急だったらしい斜面に隠れてアクスは見えなかった。


————ガサッ


アクスの居る方向とは反対の草むらから音が鳴った。

なんだろう、音の小ささからして小動物だろうか。小動物なら自分でも捕まえられないかな。

逃亡中いつも獲物を取ってくるのはアクスで、フゥディエは全く役に立っていない。

役に立てるのは精々町に立ち寄った際の売買のやり取りくらいだ。

自分がアクスを逃亡者の道へと引っ張ってきたのだから、少しくらいは役立たなければと焦りに似た気持ちが湧き上がる。


せめて一食くらい自分の力で用意してみたい。

突如降ってきたチャンスを逃すものかと音のする方へと息を潜めて近付く。


しかしそれがいけなかった。

音は少しずつ少しずつ移動していく。

自分の存在がバレたのかと思ったが一定間隔で移動しているのでどうやらそうではないらしい。

そっとそっと慎重に音を追い掛け、気付くと大分茂みの深いところまで来ていた。

音が止まる。

しめしめと追い詰めた気になり背の高い草をかき分けると、そこにあったものと視線が合う。


「よう嬢ちゃん。可愛いウサギさんじゃなくて悪いな」


音の正体は見知らぬ男だった。

厳つくどこか薄汚い姿は一目見ただけで荒くれ者だと分かる。

姿を見せぬよう身を低くしてフゥディエをこんな所まで誘導してきたようだ。

自分を見上げる男の視線にゾッとした。

ドロリと熱く纏わり付くようなそれは、ヴァルが自分を見つめる物とよく似ている。

それは獲物に狙いを定めるものだ。


「っ!? うぐっ!!? 」


声を上げようとしたがそれは叶わなかった。

突然背後から口元を布のようなもので押さえられた。しかもその布はツンと鼻につく強烈な匂いを放っている。


「おっと騒ぐなよ」

「連れの奴らに気づかれちゃ不味いからよ」


後ろから羽交い締めにされて身動き出来ず確認出来ないが、どうやら複数の男がいるらしい。


「あの銀髪の兄ちゃんだけなら殺っちまおうかと思ったが」

「ああ、あと二人もいるとなると厄介だからな」


あと二人…?

男達のよく分からない会話が背後で交わされる。


「それにここは町が近すぎる。またあの野郎が邪魔しに来る可能性もデカい」

「チッ、あの忌々しい野郎か。あいつ馬鹿みてぇに強いからなぁ。ちくしょう、いつかぶっ殺してやる」


男達の会話を聞きながら、気分は最低最悪だった。

押し付けられている布は酷い悪臭だし、胸は吐き気でムカムカするし、頭はグルグルと回る。


「お、やっと効き始めたようだぞ」

「効果遅ぇなコレ」

「安物だから仕方ねぇさ」

「お楽しみの時間が待ってる、早く持って帰ろうぜ」


限界だ。

意識が遠くなるのを感じるが、どうにもならない。

迫り来る闇に絶望を抱きながら意識を手放したのだった。


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