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一週間かけ無事に国を抜けた。
基本的に人目を避ける為に山道を行ったが、走るアクスの背に揺られての逃亡はフゥディエが当初考えていたものよりもずっとスピーディで順調だった。
途中で何回かそこそこの大きさの街に寄り、城で集めておいた薬草や途中でアクスが狩った獲物を食糧、貨幣、マントと交換したりした。
極力容姿を見られぬようにフードを深く被り素早く行動したが、初めて立ち寄った街では興味を抑えきれずにアクスはキョロキョロしていた。
フゥディエと同じようにフードを被るアクスは、目をキラキラさせて子供のように頭を忙しなく動かすものだから時折すれ違う娘達がフードから覗くアクスの美貌に驚き息を呑む。
その人数が増えるにつれて焦りを感じ、堪らずアクスの手を取り早歩きになってしまう。
今まで狭い牢に閉じ込められていたのだから、外の世界はさぞ興味深いのだろう。
本当はもっとゆっくり街を探索させてあげたかったがここで多数の人間の印象に残るのは良くない。
申し訳なく思いつつ大人しく手を引かれているアクスの様子を伺うと、意外とご機嫌そうだった。
先程まで街並みに夢中だったのに、フゥディエと繋がった手を眺めてはニコニコと本当に嬉しそうに笑っている。
それ以降、街で人型になる時はいつも手を繋ぐのが当たり前になってしまった。
街に着くと当然のように差し出される手に、男性と手を繋いだ経験なんてないフゥディエは戸惑ったが「どうしたのだ? 早く早く」と手を繋ぐのが嬉しくて仕方ないといった感じの純粋な笑顔で強請られれば繋がないわけにはいかなかった。
幸い街中で魔物の逃走とそれを手助けした重罪人の噂は聴こえて来ない。
アクスの移動スピードに噂が追いついていないのか、それともそれ程民衆の騒ぎにはなっていないだけなのか。
大した罪になっていない、ということはないはずだ。
牢からの逃亡だけならまだしも、王弟ヴァルの片腕まで奪ったのだから。
よりにもよってヴァルにアクスの正体が露呈してしまったことはかなりの痛手だ。
だから一刻も早く国を出る必要があった。
それに魔界を囲む魔の森はこの大陸の北部一面に歪な形で広がっており、王都からは真っ直ぐ北へ進むより隣国を通って北東に向かった方が魔の森は近い。
隣国は数年前の敗戦でフゥディエの国の属国となっているものの、追っ手の脅威はそれでも弱まるはずだ。
そうして急ぎ隣国へ入ったのだが、ここで少し予定が狂ってしまった。
本来ならば野宿で数日過ごしそのまま魔の森に強行軍のつもりであったが、隣国へ入った直後大荒れの天気に足止めを食らう。
立っているのもやっとの風と打ち付けるような大粒の雨の中、雨風をしのぐ場所を森の中で探すこともままならず、たまたま近くにあった山間部の小さな町に立ち寄ることとなった。
幸い一件だけだが宿屋らしきものを見つけ、雨に打たれて濡れ鼠の二人はそこへと駆け込んだ。
「いらっしゃい、あれあれお客さん達。ずぶ濡れじゃないか。ちょっと待っとくれ今拭くものを持って来るから」
人の良さそうな恰幅の良い中年女性が奥からタオルを持ってきて差し出してくれる。
「ありがとうございます」
感謝しながら受け取ったタオルでまずはブルブルと頭を振って飛沫を落としていたアクスを拭くことにする。
人型が正体だというのに三頭犬の名残を感じさせるアクスに対し思わず吹き出しながら彼にタオルを当てる。
アクスは世話を焼かれるのが嬉しいのか、満面の笑みで身を屈ませて大人しくされるがままだ。
「なんだい兄ちゃん、随分男前なのは分かるけど濡れた彼女に自分の世話をさせるってのはあんまりじゃないかい?」
お節介なタチらしい女性が眉を寄せてアクスに注意する。
フゥディエにとってアクスのイメージは牢で震えるか弱い三頭犬であり、どこまでも庇護の対象なので女性の言葉に面食らう。
しかしアクスの方は彼女の言葉にしばし思案し、そしてタオルをフゥディエから奪った。
「フゥディエ我が拭くぞ」
嬉々としてフゥディエを拭き始めたアクス。
その慣れない手つきにフゥディエは焦った。
「わっ、ちょ、アクス!」
張り切り過ぎたアクスはフゥディエの深く被っていたフードを取り去ってしまい、露わになった黒髪。
女性が息をのむ音が響き、フゥディエは血の気が一気に引いた。
懸命にフゥディエをゴシゴシと拭いているアクスをそのままに、女性に必死に懇願した。
「あの、私達、旅の途中にこの豪雨に合って…今夜はどうしてもここに泊めて頂きたいんです」
「フゥディエ?」
フゥディエの動揺した声に気付き、気遣うようにその顔を覗き込むアクス。
「ご不快でしたら私は泊まりません。せめてこの子だけでも。明日の早朝に、誰にも見つからないよう迎えに来ますから」
自分は一晩くらいならば森の木にしがみついて雨風が過ぎるのを待っても死にはしないだろう。
たがアクスにそのような思いはさせられない。
ましてや自分の黒の所為でアクスが寒く苦しい思いをするなど我慢ならなかった。
「フゥディエどこか行くのか? 我も一緒に行くぞ」
「ダメだよアクスはここに泊めさせて貰うの」
この逃亡中、すっかり気分は母親だった。
森の中では巨大な熊も一発で仕留めてしまう頼もしい三頭犬だが、それでも中身はかなり幼いように思う。
人型は立派な成人なのだがその瞳は子供のようにいつも煌めいている。
自分が故郷に帰してやらねばという使命感と共に、純粋に慕う気持ちを隠しもしない様子は母性本能を刺激した。
「私は明日の朝迎えに来るからね、いい子で寝るんだよ」
「ちょいと待ちなよ。私がこの雨の中であんたみたいな子を外へ放り出すような極悪人に見えるってのかい?」
フゥディエに置いていかれそうだと分かったアクスが青ざめ抗議を口にしようとするが、その前に宿屋の女性が苦言を呈した。
「え? でも…私みたいなのが出入りしてたらお店はご迷惑じゃ…」
「それはあんたの目と髪の色のことを言ってんのかい? そりゃあまり良い色とは言えないが、それだけで大事なお客様さんを泊めないなんて言いやしないよ」
女性のきっぱりとした物言いにしばし唖然とするフゥディエ。
そんな彼女を、女性は我が子にするようにぽんぽんと頭を撫でた。
「よっぽど目と髪の色で苦労したんだね。なに、気にしなさんな。私の目の届く範囲にはそんなくだらないことに拘る人間は居やしないよ」
女性の大らかな笑顔を前にフゥディエの心は大きく締めつけられた。
フゥディエの動揺を嗅ぎ取ったアクスは心配そうにそわそわと彼女を色々な角度から眺める。
「お袋、修理終わったぞ。たくっ、なんで嵐の前にやっとかねーんだよ。お陰でビショビショ…おっと、お客か」
ビュオッという暴風の音と共に青年が一人扉から入ってきた。
フゥディエとアクスに目をやる青年から隠れるようにフードを被り直す。
「納屋の戸が壊れてることは随分前から言ってたよ。それなのにあんたも父ちゃんも全然聞きゃしなかったんだ自業自得だよ」
「あれそうだっけか? まぁいいじゃん、直したんだし。それよかお客だろ、さっさと接客しろよ」
女性と青年は親子なのだろう、目元と口元がよく似ており二人とも素朴な顔つきだ。
「そうだった、じゃあ部屋に案内するよ」
「あ、はいお願いします」
女性の案内に続くべく歩き始めたが、彼女の息子らしき存在がなんだか気になり青年へとチラリと視線をやる。
青年の方もびしょ濡れのカッパを脱ぎながらこちらを気にしていたようで、バッチリと目が合ってしまった。
青年が大きく目を見開き固まってしまったのを見て慌てて目を逸らしたが、彼の持っていたカッパがビシャリと床に落ちる音を聞き、温かだった心が再び震えた。
一方、アクスはフゥディエの後ろを大人しくついて行くが、彼女の美貌に直に当てられ顔を真っ赤にして停止した青年に密かにグルルと小さく唸ったのだった。




