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「ほらほら、さっさと持って行っておくれ! 片付きゃしない!」
汚れた床を磨くのに思いの外手間取った為に時間が押している。
中年の下働きの女性に怒鳴りつけられたフゥディエは慌てて昨日の食堂の残り物である残飯の入った箱に駆け寄った。
箱の中にはトマト煮やポテトサラダやミートローフ、それに野菜の皮や屑などがグチャグチャに混ざり合っていた。
なるべく原型をとどめ尚且つ傷んでいなさそうな所をスプーンですくい用意していた皿の上に盛る。
「取ったら退いとくれ! 」
「うわ!?」
大きな臀部でフゥディエを吹き飛ばし、残飯の入った箱をよっこらせという掛け声と共に城の外へと運び出す。
城で出た残飯は無償で必要とする業者へと提供されることになっているのだ。
そしてそれはフゥディエの貴重な食糧でもある。
押された拍子に落としそうになった皿を慌てて抱え直し自室へと戻る。
フゥディエとの同室を誰もが嫌がったおかげで与えられている一人部屋。
数歩進めばすぐに壁に行き着くほど狭く、置ける家具はベッドのみという簡素過ぎる室内だが、気持ちを落ち着けられる数少ない場所である。
寝返りを打つたびに大きな音を鳴らすオンボロベッドに腰掛け、今し方手に入れた皿の上の残飯を鼻に近付け臭いを嗅ぐ。
“うん、大丈夫そう”
牢の番人を任された初秋には怪しい臭いを放つ残飯に当たりエライ目に遭ったが、冬の訪れを感じる今は腐敗の心配は必要なさそうだ。
まるでオートミールのようになっている残飯を戸惑いなく口に運ぶフゥディエ。
ある程度発展しているこの国で高給取りと言われている城勤めが残飯を漁るなど普通はあり得ないことである。
一般人とて出されれば馬鹿にしているのかと激怒するような粗末な食事だが、彼女は気にせず毎食腹におさめる。
孤児院で何日も食事が与えられなかった幼い日を思えば、この残飯とてご馳走と言えた。
自分の夕飯を手早く終わらせたフゥディエは、ベッドの下に仕舞ってある籠からパンやドライフルーツ、干し肉等を取り出す。
先程食堂でヴァルに踏まれて駄目にした彼らの餌の代わりだ。
元々これは残飯が一日一食しか配給されないので、どうしても腹が減った時の為に自分で用意している保存食である。
普段はなるべく一食で済まるように節制しているが、牢へ餌を運ぶ以外の時間はほぼ城の周りの草むしりをしており、これがなかなか体力を使う。
天気が良い日などは倒れてしまいそうになることもあるが、倒れた彼女を助けてくれる人間などいないだろう。
体調には細心の注意を払い、倒れる前に何か口に入れるのだ。
また残飯の状態が悪くて食べられない日もこの保存食で飢えをしのぐ。
そして、今回のように彼等の餌が手に入らなかった時もこの保存食が活躍する。
日持ちしないパンを中心に色々とバスケットに詰め込む。
リュックに入れたそれらを背負い部屋を後にした。
いつものようにすれ違う人間からの罵声を聞き流し、一歩一歩ゆっくりと進む。
ようやく半分来たところであろうか。
見知った顔が忙しそうにせかせかとこちらへ向かってくるではないか。
「あら、フゥディエじゃない」
「ミィナ……」
同じ孤児院出身の少女ミィナの姿に立ち止まる。
彼女は一つ年上で、フゥディエ同様下働きとして城で働いている。
基本的に城勤めは身分のしっかりした者しか出来ないのだが、彼女等がいたのは国が運営する政治的なものが絡んだ孤児院である。
そこでは合否は別として、城勤めを希望する孤児院の卒業生は毎年特別枠で面接して貰えるのだ。
「こんなところで何のろのろ歩いてるのよ」
面接をして貰えるからといって採用されるとも限らず、ミィナは実に十年振りの合格者であった。
しかしその後すぐにフゥディエが合格、それも王族の部屋付きとしてだ。彼女のプライドは傷ついた。
脚を傷めたと聞いた時はこれで城から追い出されると喜んだが、未だにしぶとく残るフゥディエが疎ましいようだ。
「仕事の邪魔よ!」
「っ!?」
突き飛ばされて壁に激突し更にバランスを崩し派手に尻餅をつく。
しかし痛みによる呻き声を上げるだけでフゥディエから抗議の言葉は出ない。
見目が愛くるしいミィナは孤児院ではアイドルのように扱われていたが、その孤児院出身ということで彼女も多かれ少なかれ辛い目に合っているはずだ。
一方孤児院でも不要物として扱われていたフゥディエでストレスを発散させるのは当然のことであった。
次の攻撃が来ないかと恐る恐るミィナを見上げた途端、視界が闇に覆われる。
———バサッ
「わっ!?」
「それ、捨てといてよね」
なんだなんだと闇の中で暫くもがき、ようやくそこから抜け出す。
今まで視界を覆っていた手の中の物を見ると、それは大きな布であった。
“どこかで見た柄……”
厚手で随分と立派なその布に何やら既視感を覚えて首を傾げる。
「私はあんたと違って東棟の掃除で忙しいのよ」
“ああそっか”
東棟というキーワードで思い出した。
これは東棟の廊下の窓のカーテンだ。
東棟は地位の高い貴族達が頻繁に立ち入る棟である。
どうやらミィナはそこの清掃を任されていることが誇らしいようで、自慢気な様子でこちらを見下ろす。
ただヴァルの寝室はその棟の更に先に存在するので、当時のフゥディエもよく通った場所であり反応に困った。
「どうせ化物の餌やりと草取り以外やってないんだから暇でしょ? ごみ捨て場に持って行きなさい」
「え? このカーテン捨てるの?」
少し古びているが立派な代物である。
何故捨てる必要があるのかと手の中のカーテンをまじまじと見つめた。
「破けてるんだから当たり前でしょ?」
言われてみれば端が微かに裂けているものの、まだまだ廃棄処分するほどではない。
「繕えば元に戻るよ」
「お城のカーテンでそんなみすぼらしい真似出来るわけないじゃない! それとも私にこれを分からないほど精巧に縫えっていうわけ? 冗談じゃないわよ、私はあんたと違って忙しいんだから!」
一方的にまくし立てると大股でずしずしと音を鳴らしながら去ってしまったミィナ。
置いていかれたフゥディエは手元のカーテンを眺め、あまりのもったいなさに戸惑う。
「そうだ、捨てるのなら貰ってもいいよね。うん、いいはず」
ブツブツと自問自答した後、元気に立ち上がる。
彼等の顔を思い浮かべ、緩みそうな頬を抑え、早急にもと来た道を急いで進んだ。
「遅くなってゴメン」
「わふっ! わふっわふっ!」
いつもより遅いフゥディエの訪れを三頭犬は蛇の尾っぽを振り歓迎する。
「ちょっと待って、これこれ」
「わふっ?」
今にも飛びつこうとする三頭犬を制止して抱えていた物を見せる。
「毛布だよ。今度からこれを敷いて寝てね」
鼻をふんふんと動かし差し出された古くて薄い毛布の匂いを興味深そうに嗅ぐ。
「私のお古でゴメンね。一応日干しはしてるから」
あまりに一生懸命嗅ぐものだからなんだか恥ずかしくなり、小さく言い訳のような言葉を紡ぐ。
「これから寒くなるしね」
この国の冬はなかなか厳しい。
いくら暖かそうな銀の毛皮を持っていようとも、冷たい石の牢の地面は堪えるだろう。
部屋で迎える朝の寒さを感じる度に牢の住人が頭を過っていたので、今回厚手のカーテンを手に入れたのはとても幸運といえる。
これでフゥディエが持つ唯一の防寒具を彼らに与えたとしても、自分が凍死する心配はなくなった。
あれを身体に巻いて寝れば毛布ほどでなくともある程度寒さは凌げるだろう。
「ホラホラいつまでも嗅いでないでご飯にしよ。お腹空いたでしょ」
ひたすら夢中で毛布を嗅ぎ続ける彼等に苦笑しつつ食料を取り出す。
「今日はあんまり良いご飯じゃないんだ。食べてくれるかな?」
申し訳なく思いながら保存食を並べる。
フゥディエが牢の番を任された当初、餌として用意された残飯を彼等は頑として食べなかった。
このままでは死んでしまうかもしれないと焦ったフゥディエが試しに自分に配給されている食堂の食事を持っていくと、それはもう美味しそうに平らげてくれた。
それ以来、彼等の餌と自分の食事を取り替えているのだ。
凶暴そうな見た目に反して意外と繊細な彼等は果たして保存食を口にしてくれるのか。
そんな心配をよそに真ん中の頭は嬉しそうにパンや干し肉にかぶりつく。
左右の頭は余程毛布が気に入ったのか未だに顔を離そうとせず、真ん中と引っ張り合いになりもどかしそうにする姿が愛らしく目を細めた。