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牢の番人  作者: 真冬日
閑話
25/40

25※王太子視点




「また彼女を見てるのか」


振り向くとそこには従兄弟のエドワードが自分に苦笑を向けていた。


「下働きのあの子がそんなに気になるなら声をかければいいじゃないか」

「…………」

「確かに目の覚めるような美少女だ、心奪われるのも無理ない。恥ずかしがることはないさ」

「美少女……」


窓の下を覗くと一人の少女が懸命に城の隅の雑草を抜いている。

洗い過ぎて色の抜けたみすぼらしい使用人服を身に纏い、頭からすっぽり布を被った冴えない格好だ。

それでも端正な顔立ちと魅惑的な雰囲気で人の目を惹きつけて離さない。

しかし……

複雑な気分で黙り込む僕に、エドワードは不思議そうに首を傾げる。


「どうしたんだ?」

「エドワードは彼女の黒が気にならないの?」


薄暗闇の中で逢瀬を繰り返した彼女はそれは美しかった。

今まで出会ったどの女性とも違い、仕事に一生懸命で心優しく健気。

彼女が唯一の自慢だという脚をくるくると動かし進める掃除はダンスのように優雅で、思わずパーティで彼女と踊ることを想像してしまう。


パーティの始まりを飾る王族だけの舞踏。

他の参加者が見守る中で踊らなければならないあのダンスは、人前に出る機会が多い自分といえど大きなプレッシャーがかかる。

そのパートナーが彼女であったのならどんなにいいか。

僕にとってあの場は苦痛でしかない。

普段より更に叔父上と比較され、彼こそが次代の王に相応しいのにとコソコソ陰言を繰り返される。

婚約者候補の令嬢達も皆叔父上に夢中でこちらなど見ていない。

これが彼女であったのなら、きっと僕とのダンスを純粋に楽しんでくれるだろうな。


僕のサボり場の掃除をする彼女と出会って数回目のあの日。

遠くから流れる王族専用のあのダンスの曲を薄暗い部屋で聴きながらそんなことを考えていると、彼女はこの曲を踊れると言うではないか。

この曲は貴族の娘の憧れであるらしいが、実際に踊ることの出来る者は王族に近しいダンスの機会があるかもしれない極一部の女性だけだ。

平民はその存在すら知らないだろう。

半信半疑で誘ってみれば、彼女はほぼ完璧なステップで僕のリードに付いて来て見せた。

最初はそれに目を丸くしていたが、途中でそのことはどうでも良くなった。


遠くから漏れ聴こえる音楽と薄暗く埃っぽい室内。

ダンスを踊るのに最悪の環境にありながら、楽しくて仕方ない。

二人の呼吸はぴったり。

踊っている最中の彼女は真剣で、とてもダンスを満喫していた。

たまに目が合ってははにかんだ笑顔を向けられて、胸が弾けそうなほど高鳴る。

ああ、僕とこの子はきっとセットなんだ。

運命とかそんな言葉は照れ臭くて言えないが、彼女ほど僕と相性のいい人間は居ないのではないだろうか。

逆に僕ほど彼女と相性のいい人間もきっときっと居ない。


その日から僕は彼女と添い遂げる未来を考え始めた。

彼女は下働きで仮に想いが成就したとしても妾にする以外の道はないのだが、他の女性と夫婦関係を作り彼女を囲うなんて不可能だ。

経済的、立場的には可能であっても、それでは彼女を僕の元に留めておけないと本能で察知出来る。そんな中途半端なことをしようものならきっと他の誰かに奪われるだろう。

彼女はそれほど不思議な魅力を持っている。

第一、僕自身彼女との間にそんな陰りのある関係を築きたくはない。



それではどうすればいいのか。

僕が王位継承しなければいいんだ。

王位は皆の望み通り叔父上が継げばいい。

叔父上は僕が生まれた際に余計な争いを避けるべく王位継承の放棄を宣言しているが、それでも今からだって撤回出来るはずだ。

例えば僕が行方不明になるとかすれば、必然的にそうなる。



そんな大それたことがこの僕に出来るのかと自問すれば、ハッキリとした答えは出ない。

彼女をダシにして現実逃避をしていることも勿論分かっている。

自分に敷かれたレールの道のりがあまりに険しく進むのが怖いんだ。

しかし同時にそれらから外れることを最も恐れている。

臆病な僕はどちらに進む勇気も持てず、不安ばかりを募らせて。

でも彼女さえ居てくれれば僕は頑張れる。

そして彼女の側にあり続けることの出来る道は、レールを外れる方だ。


そんな結論を出すと、僕は叔父上に相談に向かった。

下働きの少女に恋したこと。

その子と添い遂げたいこと。

だから叔父上に王位を継承してもらいたいこと。

優秀な叔父上のことだから、きっと何か今後のアドバイスを与えてくれると思った。

しかし叔父上の答えは僕の望むものではなかった。


「私は王にはならない。次代の王はシェイル、そなただ」


無言で話を聞き終えると、静かにそう言った叔父上。


「しかしっ」

「黒目黒髪の下働きの話を聞いたことはあるか?」


反論しようとする僕に遮るように関係のない話を切り出された。


「……侍女達が噂しているのは聞いたことがありますが」


話題を逸らされたことが不満で不機嫌な声になる。

そんな僕の返しに叔父上はうむ、と一つ頷いた。


「アレは本当に醜い化物……人の心を惑わす化物だ」

「それが何か?」


苛々する僕に、叔父上は目を細めて美しく微笑む。

普段からあまり感情を見せない叔父上だが、何故かその笑顔はとても暖かく、そして物を言わせぬ迫力があった。


「シェイル、私の可愛い甥よ。他の有象無象とは違いお前を失うわけにはいかないのだ。一時の感情に惑わされてはならぬ」


王家の人間として当然のことを忠告された。

しかし僕には到底受け入れられない。

彼女への気持ちが一時のものだとはどうしても思えない。


「私はとうの昔にこの国を見捨てた人間。王となる資格はない」

「何を仰います! 叔父上ほど国に忠義を尽くす方は居ません!」


騎士団長として数多の功績を残してきた叔父上の台詞とは思えずすかさず反論する。


「私は目的の為ならば平気でこの国を危険に晒すことを良しとするエゴの塊のような男だ。間違ってもお前はそうなってくれるな」


どこか憂いを含んだ苦笑と共に大きな手で頭を撫でられる。


「しかしっ」

「話は終わりだ。私は急用が出来た」

「急用?」

「少し、自由を与え過ぎたようだ……」


何事かを呟いたが声が小さくよく聞き取れなかった。

聞き返す暇もなく颯爽と部屋を出て行く叔父上の横顔は先程とは打って変わり、背筋が凍るような冷たさだった。





その日も僕はまた彼女に会いに行った。

そしてそこで彼女の正体を知ってしまう。

世にも悍ましい黒目黒髪。

突然乱入した叔父上により陽の光に照らされた彼女を見て、驚愕し恐れ、そして裏切られた思いでいっぱいになった。

気付けば突き飛ばそうとして、自分が転んでいた。


「化物!? ……く、来るなっ!」


動揺から口に出るのは彼女への負の言葉。

傷付き哀しげな黒い瞳は今でも脳裏にこびりつき離れない。

僕はあれほど想っていた彼女を手酷く拒絶してしまった。




*****


「シェイルは頭カチコチだなぁ。そんなんじゃあ、将来苦労するぜ」


呆れを含んだ言葉に何も言い返すことは出来ない。


「髪や瞳が黒だろうとあの子は魅力的さ」

「……」


未だにウジウジと悩む僕にとうとう溜息を吐き出したエドワード。


「俺がアスルート国に短期で留学してたの覚えてるか?」

「うん」


数年前の出来事だ、当然覚えている。

アスルート国とはエドワードの父親の出身国だ。

エドワードの父親は外交に訪れた叔母上と恋に落ちたのだが他国の姫が輿入れしてくる程の身分でもなく、また国の規模からしても我が国にとって有益な婚姻ではなかった。

しかし弟である父上や叔父上の力添えにより、エドワードの父親はこの国で爵位を与えられて叔母上と添い遂げたのである。

この婚姻はかなり異例なことなのだが、未だ仲のいい二人はこの国では評判のおしどり夫婦として温かく見守られている。


「アスルート国ではさ、黒はそこまで嫌われてないんだよ」

「え?」


黒が忌諱色であることはこの世界の常識だ。

それが何故なのか一体誰が広めたのかは分からないが、忌み嫌われた色だからこそ人間は黒を持って生まれないとされていた。

しかしフゥディエは黒を二つも持っている。

誰もが嫌う存在のはずなのに、アスルートでは嫌われていないなんて、そんなことあるのか?


「アスルートの地に度々異世界から勇者様がやって来られるのは知っているだろ?」

「ああ、授業で習った」


アスルートは領土が年々魔の森に侵食されており、それと同時になぜかアスルートにのみ異世界から勇者が降り立つ。


「確か最後に勇者が現れたのは20年前だったっけ?」

「そう、まだ若い青年だったそうだ」


異世界の勇者は瘴気を浄化する力を持っており、彼らには瘴気の侵食を防げる役を担って貰う。


「当時の勇者様はとにかくアスルート国民から大人気でさ。なんでも見目もかなり良かったらしい」


勇者として祭り上げられたその青年は、瘴気の侵食を防ぐべく魔の森へと足を踏み入れ残念ながら二度と帰っては来なかった。

しかし不思議とそれからアスルート国への瘴気の侵食は止んだとか。


「その勇者様ってのが、実は黒目黒髪なんだと」

「!?」

「でもその姿を見た国民は彼を受け入れた。そりゃ黒は縁起の悪い色だけど、それでも瘴気の侵食を防いでくれた勇者様には感謝してんだよ。街では密かに黒い魔除けの御守りとかが売ってたりするんだぜ? 外聞が悪いもんだから他国には広まってはいない事実だけどな」


それはそうだ。

きっとそんな情報、悪い冗談として受け流すだろう。

僕だって彼女を見るまで黒目黒髪の人間の存在なんて信じられなかったのだから。


「あの子もアスルートに産まれてればなぁ、全然違う人生を歩めていただろうに」


同情がたっぷり含まれたエドワードの言葉にギクリとする。彼女は黒を除けば完璧な美貌の持ち主だ。


「確かに彼女以上に綺麗な人は絶対に居ないな」


僕の言葉に少し面食らったエドワードだがすぐに笑顔に変わる。


「なんだ素直になれるんじゃないか。だったらホラ挨拶の一つでもして来いよ」


陽気に勧めるエドワードに力なく首を横に振る。


「ダメなんだ。とても酷い仕打ちを僕は彼女にしたんだ」

「なんだ既に顔見知りだったのか…で、その仕打ちってのは?」

「彼女の脚の怪我の原因は僕だ」


今も後悔と懺悔の気持ちでいっぱいの記憶の一部をエドワードに語って聞かせる。


「へ、へぇ。まさかあのヴァル様がそんなことをなさるとはなぁ」

「叔父上が彼女を傷付けたのは全て僕の為……僕が彼女から脚を奪ったも同然だ」


あんなに楽しそうに動いていた彼女の脚を奪ってしまった。

彼女が胸を張って自慢だと言っていた脚は僕のせいで、僕の為に……。


「だったら尚のことこんな所で物欲しそうに見ているだけじゃダメだろう。誠心誠意心を込めて謝罪して来いよ」


確かにそれが人としての道理だ。

相手が下働きだとかは関係のないことだと分かっている。

しかし———


「……怖いんだ。彼女に近付くのが」

「そんな情けないこと言ってる場合か? 後悔してるんだろ彼女の脚のこと。だったら……」

「彼女の色を知った時、騙されたと酷い憤りを感じた。彼女の黒があまりに美しくて人間離れしてたから、あの時僕は本当に彼女を化物だと信じ込んだんだ。これはヒトを惑わせる悪い化物だ、だから立場を忘れるほど夢中になっていたんだと思ったよ」


エドワードの言葉を遮るように語る僕に彼がどんな顔をしているのか知るのが怖くて俯く。

それでも僕の口は止まることなくボソボソと早口でよく動いた。


「そして僕は彼女の脚が動かないのを見て思ったんだ。嬉しい、と。僕が原因で傷付いた脚にとてつもない幸福を感じてしまった。これは罰だ、彼女は僕に所有されるべき化物なんだ」


エドワードに打ち明けるのは酷く勇気がいる。

だがどんどん膨らむこの想いを一人で抱えるのはもう限界だった。

目を伏せ、懺悔するようにエドワードに吐き出す。


「あんな脚になった化物なんてどうせ一人じゃ生きていけないし。閉じ込めて僕以外の人間の目が触れない場所で一生飼ってやるって想像すると堪らなくてさ。そうだよ

、これは僕をおかしくさせた当然の報いなんだ」


そんなことを考えていた当時の邪悪な感情が未だに胸をグルグルと巡る。

しかし視界に映る懸命に城の隅で草を抜く彼女に、それが段々と静かになっていく。


「いつか捕まえてやろうと仕事を再開させた彼女をこうやって窓の外から毎日様子見してた。そしたらさ、僕と同じような憎悪を孕んだ城の者が次から次に彼女に嫌がらせをしていくんだよ」


毎日飽きず同じ時間に積み上げた雑草を脚で蹴ってバラバラにしていく若い騎士の男。

自分の仕事であろう汚れた洗濯物を押し付けていくとうの立ち始めた使用人の女。

背後から生ゴミを投げつけてくる厨房の中年男。

老若男女問わず、誰もが嬉々として虐げる。

そんな数々の嫌がらせにもめげず、彼女は淡々と仕事をこなしていく。


「それを見て気付かされたよ、彼女を虐げ固執する姿のあまりの醜さに」


愚かな者達だ。

恐ろしいほどの美しさを持つ彼女に魅了され、そうとは気付かず彼女の黒の瞳に写ろうと躍起になる無様な彼ら。


「自分もその一人に過ぎないと気付いた時には愕然としたよ。それも自分のその愚かしい心根にではなく、彼女を罵倒したことでその他大勢に成り下がってしまった事実にだよ」

「それは………」

「彼女を見るとおかしくなる。心が闇に支配されてしまう。だから怖いんだ、彼女に近づくのが。彼女に取るに足らない人間だと判断されはしないかと気が気じゃないんだよ」


エドワードの困惑しきった表情にやはり自分が異常な思考に走っていることを実感する。だが、それでも僕は彼女を求めずにはいられないんだ。




それから数日後、彼女と話をすることが出来た。

しかし恐れていた通り彼女は僕をただの王太子として扱い、あの時のことなどなかったかのように他人行儀だ。

全てはあんな愚かなことを言ってしまった自分の自業自得。


もしもあの時罵るのではなく叔父上から彼女を庇っていれば、全然違う未来が待っていたのだろうか。

だが過去はもう変えられない。

それに今でも僕は彼女を化け物と思っているし、王太子だというのにそれに心を奪われてしまった愚かな人間だ。

化け物でもなんでもいい。

彼女の特別になりたい。

嫌われるという手段は駄目だった。

それではその他大勢に埋もれてしまう。


もしも……そうもしも彼女が凄いと言ってくれたこの治療魔法で彼女の脚を治してしまえば、また前のように僕の前で笑ってくれるだろうか。

僕の今の力では擦り傷を治すのがやっとで、それがどんなに無謀なことなのかは良く分かっている。

それでも彼女の特別になる為ならばなんだって出来る気がする。

少しだけ、希望が見えてきた。



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