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城下へ出るとどちらへ向かって良いかわからず立ち止まった三頭犬。
右の頭は右へ、左の頭は左へ、真ん中の頭はそのまま直進しようと首が三方向に伸びている。
「アクスこのままずっと西へ向かって、孤児院はそっちだから」
「「「わふっ」」」
———キャアアアアア
———ウワァァァアア
三頭が同時に吠えるとあちこちから悲鳴が湧いた。
逃亡に必死で周りを見る余裕のなかったフゥディエは、そこで初めて深夜の城下街にそこそこの数の人間がいることに気付いた。
どうやら城での異変に街の人間は野次馬をしに外へ出て来ていたらしい。
いつもより三倍増で巨大な三頭犬を見て怯える人間と、それに気付かず城で起こっている事態に夢中になっている人間。
このままでは街は恐怖のパニックに陥ってしまう。
今でも若干陥っているが、このままでは街の人間が三頭犬に対処しようと動き出すまでそう時間はかからないだろう。
そうなる前に早くここから立ち去らなければならない。
「一旦あの道を曲がって。あっちは確か人家はないから」
「「「わふっ」」」
なるべく人目を避けるべく走り始める。
ふと喧騒の中に知人の姿が目に入った。
(ショーン……)
慌てた様子で城の方向に走っている。
何かを必死な様子で叫んでいたが、距離が離れ過ぎて聞き取れない。
もしかしたら城で働くミィナを心配しているのかもしれない。
別れたと言ってはいたが二人は同じ場所で生まれ育った者同士。絆も深いはずだ。
結局その絆の中にフゥディエが入ることは出来なかったが、それでも彼らに思い入れがないとは言えない。
(さよなら)
ショーンが視界から消える間際、フゥディエは胸の中で小さく別れの言葉を呟いた。
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通常は何時間もかかる孤児院への道のりもアクスの背に乗れば一瞬で辿り着いてしまった。
孤児院の建物が見えるとそこでアクスから降りる。
「あれが私が育った孤児院だよ」
「おお、あそこか」
「アクス、服、服」
変化を解いたアクスに慌てて予備に用意していた服を手渡す。
「それとコレありがとう。お守りとして役に立った」
テルーニの贈り物として贈ったブレスレットを返した。
これのお陰でフゥディエは正気に返れたのだ。
「ああ、我もこれがあったから直ぐにフゥディエの元へ駆けつけられた」
「どういうこと?」
「これには追跡の呪を込めた。それを込めたものは大体どこにあるのか感じ取ることが出来る」
「へぇ」
便利な機能に関心する。
「アクスは凄いね。三頭犬に変身する時もサイズまで変えちゃうんだもん」
「我が一族の者ならば誰でも出来るぞ」
と言いつつも胸を張るアクスに笑みが零れる。
「しかしあれは大き過ぎたやもしれん。勢い余ってあの男の腕を丸呑みしてしまった。あんな不味いモノを喰うつもりはなかったのだがな」
呑気にそんなことを言うアクスに先程の光景が思い出され背筋が冷える。
やはりヴァルは腕を失ったようだ。
それについて同情する気はなかったが、自分を追いかけて来なければあんな事態になることもなかったと思えば寝覚めは悪い。
「追手さえ居なければあそこで仕留められたのだが……すまぬな」
申し訳なさそうなアクスに悪い顔色のままブンブン首を横に振る。
「そういえば、その追手って誰なの?」
「魔界の魔族だ。城で暴れていたのも奴らだ。派手にやって我を誘き出そうという魂胆だろう。まぁ少し前の我ならば引っかかって一緒に暴れ回っていただろうが、今はフゥディエがいるんだ。そんな子供っぽいことはせん」
「あの騒ぎを起こしたヒトが追手……」
爆発音も凄かったし、城の一部は吹っ飛んでいた。
そんな者に追われているとなると相当危険なのではなかろうか。
青くなるフゥディエにアクスは何気なく言う。
「我を魔界に連れ帰ろうと迎えに来たようだ」
「え!? じゃあ逃げちゃ駄目なんじゃないの?」
魔界に戻る為に逃亡したというのに、迎えに来た者からも逃げては本末顛倒というものだ。
「我はあれらは好かん。我が共に魔界へ向かいたいのはフゥディエだけだ」
好きとか嫌いとか言っている場合ではない気がすると脱力するフゥディエ。
しかし迎えの者とアクスの関係が分からない以上、口出しすることはしないことにした。
街の喧騒が嘘のようにひっそりとしている孤児院の建物の裏手に回り、院長室の窓をトントンと叩く。
しばらくすると寝巻き姿の院長が不審そうに窓から顔を出した。
「院長、夜分遅くに申し訳ありません。フゥディエです」
フゥディエの突然の訪問に珍しく驚きを顔に表していたが、すぐにいつもの固い表情に戻りそこで待つようにと命じられる。
しばらくすると、ガウンを羽織った院長が現れた。
「フゥディエ、一体どうしたと言うのですか?」
「はい、実は今日はお詫びとお別れを言いに来ました」
無表情の院長を前に緊張感しつつ一呼吸おいて話を始める。
「実は私、犯罪を犯しました。きっとこの孤児院にもご迷惑をかけると思います。本当に申し訳ありません」
「なっ!?」
突然の告白に愕然とする院長に、頭を深々と下げる。
「私はこのまま逃げることにしました……彼と一緒に」
「……彼?」
少し離れた場所で見守っていたアクスがフゥディエの隣へと並ぶ。
「なっ、なっ……」
暗がりで今まで気付かなかったアクスの存在に驚いたらしい院長は、並ぶ二人の顔を何度も見比べ口をパクパクとさせ激しい動揺をみせた。
「フ、フゥディエ! 貴女はっ貴女という娘はっ!」
————バシン
激昂した院長はフゥディエの頬を力一杯叩いた。
「フゥディエ! 貴様っ」
「いいのアクス! 叩かれて当然だもの」
院長に怒りを見せるアクスを慌てて止める。
頬は痛むが、それくらいの覚悟はできていた。
「ごめんなさい院長。恩を仇で返すような真似をしている自覚はあります」
「私はっ私は貴女を今まで実の娘のように思ってきました!」
「……院長」
院長は激昂しているが不謹慎にもフゥディエはその台詞に感動した。
「それが男と逃げるなどと、ふしだらなっ! そのようなはしたない娘に育てた覚えはありませんっ!」
「あの、アクスは大切なヒトで、院長にもご紹介を……」
「騙されているだけですっ! さぁ城へ帰りますよっ!」
「わ!? あの……」
院長はフゥディエの腕を取り強引に引き始めた。
「今ならヴァル様もお許し下さる筈です」
「…………え?」
院長の口から飛び出した名前に一瞬思考が停止する。
「あのように一途にヴァル様に愛されているというのに何が不満だというのですかっ!」
「い、院長? なにを?」
「貴女はヴァル様の唯一の妃となるのです。その為に乳母の私が貴女の元へと遣わされたの。貴女は…貴女はね、女性としての悦び全てをヴァル様にお教えして頂けるよう、何も知らない赤子のような純真無垢に育て上げた私の完璧な作品なのよっ!」
「いやっ!」
院長の手を振りほどく。
心臓はバクバクと嫌な音を立て、冷や汗が噴き出る。
まばたき一つせずにフゥディエを無表情で追い詰める院長の口はまだ止まらない。
「王弟殿下と下働きの少女の婚姻。この国で永遠に語り継がれる恋物語となる予定だったのにっ! それなのに貴女ときたらよりにもよって王太子殿下と密会などして、ついにはどこの馬の骨とも知れぬ男と駆け落ちですって!? 貴女が脚を失ったのは天罰ですっ、恥を知りなさいっ!」
「やめて、聞きたくないっ! 聞きたくないです院長っ!」
「ヴァル様は貴女に王族の公務をさせるつもりも外に出すつもりもないと仰っていました。しかし私はそのように甘やかすのは反対でした。最低限の妃教育は施していますが、まだまだ厳しく扱くべきなのです」
「やめてったらっ!」
「フゥディエ!」
これ以上聞いているのが苦しく耳を塞いで蹲るフゥディエを心配しアクスはその背を摩る。
そんな二人を院長は冷めた目で見つめた。
「ええ、ええ! 私は貴女の淫らな本質に気付いていましたとも。どんなに純真無垢になるよう細心の注意を払っていても貴女はすぐに男を誑かそうとするわ。だから行動範囲を狭める為に貴女の資金を回収していたのだけどもそれも無意味でしたね。どこからだって男を誘い込んでしまう。貴女は皆が言う通り間違いなく化物よ」
「っ……」
今まで信じて慕っていた院長の言葉は容赦なくフゥディエの心を抉った。
自覚なく涙が次々と頬を濡らす。
「しかしそれでも貴女はヴァル様が一途に求める娘に変わりないのです。私が今一度その性根を叩き直してあげます。さぁ城へ戻りますよ」
「黙れっ! フゥディエを泣かせるなっ!」
ショックだった。
院長がヴァルの回し者だったという事実にではなく、彼女も結局フゥディエのことなど欠片も思ってはいなかったことが。
親と慕った者のその真実に打ちのめされる。
とうとうこれで本当にフゥディエにはアクスしか居なくなった。
「……院長、城には、戻りません」
「そのようなこと許しませんよ」
「私は、アクスと行きます。今までお世話になりました。貴女の目的が何であれ、ここまで育てて頂けたことに対する感謝の気持ちは変わりません。さようなら」
院長を睨みつけ今にも嚙みつきそうなアクスを見上げ笑いかける。
「行こうアクス。貴方を家まで送らなくちゃ」
涙いっぱいのままの笑顔はあまりに情けなかったのだろう。
アクスは無言でフゥディエをふわりと抱きしめ、腕の中に閉じ込めた。
「待ちなさいフゥディエっ! そんな勝手なこと許しませんよっ!」
背後で院長の怒声が響くが、アクスはそれから守るようにフゥディエを抱きしめたまま走り始めたのだった。
次回は別視点を入れようと思います




