23
フゥディエの部屋へと急ぐ中、段々と騒がしく人が行き交うようになってきた。
みんな侵入者の対応に追われているか緊急事態に逃げ回っているようだ。
その為、どんなに二人で城を歩き回ろうと誰も気にも止めない。
部屋へ着くと溜めていた薬草や僅かな金と荷物を手に取り外を目指す。
流石に抱きかかえての移動は混乱の中でも目立ってしまうだろうと自分で歩くと主張したフゥディエの手を取るアクス。
この脚になってしまってから歩行訓練以外で誰かに介助されたことのないフゥディエは逆に覚束ない。
しかしフゥディエを気遣い急いでいるにも関わらずイライラした様子もなく同じ歩調で進み、真剣な顔でフゥディエを支えるアクスに胸の奥がムズムズとした不思議な心地がした。
そうしているうちに裏門が見えて来た。
とうとう外へ出るのだ。
そう考えると気持ちが逸り、支えてくれているアクスの手を強く握ってしまう。
「最初に寄りたいところがあるんだけど、大丈夫?」
「もちろん、我はフゥディエと共に居られるならばどこへでも行く」
「ありがとう、実は私の生まれ育った孤児院に挨拶に行こうと思ってるの」
「フゥディエが過ごした場所は我も興味があるぞ」
嬉しそうなアクスにつられ思わず笑みがこぼれる。
孤児院には逃亡により迷惑をかけてしまうかもしれない。
院長に一言どうしても謝罪したかったのだが、それだけではなくアクスを紹介したいという気持ちもあった。
逃亡生活とはいえ、これからアクスを魔界へ帰すまでの日々に胸は高鳴る。
誰かに必要とされ、誰かを必要とし、互いに支え合う。
アクスに出会う前では考えられない幸せな時間が始まろうとしている。
(ああ、でも幸せ過ぎて少し怖いな)
そんなことを思ったのがいけなかったのか。
あと一歩で外という時だった。
「何を…しているのだ」
呻くような低い声が二人の一歩を止めた。
恐る恐る振り向くと鬼のような形相でこちらを睨み付けるヴァルが。
一瞬で体温が急激に下がり身体全体に震えが走る。
「ヴァル様……」
名前を呟いてみたものの直視するのも恐ろしく、あまりの恐怖にアクスの腕へとしがみつき俯向く。
それによりヴァルの表情がより一層恐ろしいものへと変化する。
「それが新しい男というわけか」
「っ……」
「フゥディエどうした? 知り合いか?」
ヴァルの登場により明らかに変わった様子を心配したアクスは震えるフゥディエの頬に手を添える。
「私の所有物を一体どこへ持ち去るというのだ、卑しい間男め」
ヴァルの言葉にピクリと反応したアクス。
ゆっくりとフゥディエからヴァルの方へと視線を移し、互いの視線がぶつかり合い火花が散る。
「その化物は私のモノ。返して貰おう」
「化物だと?」
「これは滑稽。やはりこの女の醜い正体は知らぬらしい。どのようにこの男を誑かしたんだ、なぁフゥディエ?」
ガタガタと小刻みに震えていたフゥディエは、声をかけられ更に震えが酷くなる。
そんな様子にアクスの眉間に深い皺が刻まれる。
「フゥディエ、怖がることない。我がついている」
「アクス……」
震える手を優しく包むアクスを見上げる。
濁った赤い瞳が恐怖を和らげ、大きな安心感を抱かせる。
手を取り見つめ合うフゥディエとアクス。
どこからどう見てもお似合いな恋人同士に見える。
当然ヴァルはそんな二人が盛大に気に入らない。
「折角飛んで行かぬように風切羽を切っておいたというのに、お前のような盗人がいては意味を成さぬな」
「風切羽……もしやフゥの脚は、お前が?」
息をのむアクスにヴァルは心底意地の悪い笑みを浮かべる。
「私のモノに何をしようが私の勝手だ」
「っ、よくもっ!」
「アクス駄目っ!」
激昂しヴァルへと向かっていこうとするアクスの腕にしがみつき慌てて止める。
ヴァルは腰に立派な剣を帯刀している。
勝てる見込みはかなり少ない。
「……なぜそのような男の手など握るのだ。どうやら脚だけでは足りぬらしい。私以外の者に触れる汚らわしい手など捨ててしまった方がいい。そうだ、今すぐその手も処分しよう」
ヴァルは腰の剣をゆっくり鞘から抜いた。
鋭く光る刃に、脚を斬られた記憶が脳内でフラッシュバックされ恐れ戦く。
「さぁ手を差し出せ。安心しろ、胴だけとなっても面倒は見る。食事も排出も全てお前の手の代わりに私が細かく一から十まで世話をしてやろう。貴様は一生私のベッドの上に置かれているだけでいいのだ。もうなんの苦労もする必要はない、どうだ嬉しかろう」
一生続く生き地獄を与えようと言うのか。
うっとりとした表情でペラペラと口を動かす様は完全に狂っているように見える。
想像するだけで死にたくなるような内容を、瞬きもせずにフゥディエ一点を見つめながら語るヴァル。
狂気を宿す瞳に吐き気を催す。
「どうやらお前だけはその存在を許してはいけないようだ」
隣でアクスが呟いた。
「フゥディエを苦しめる者は我が滅する」
「面白い。やってみろ」
隣のアクスは今まで見たこともないほどの怒りを赤い瞳に浮かべている。
アクスを見てフゥディエはただ震えていただけの自分の情けなさに気付いた。
このままではアクスは確実にヴァルに殺されてしまう。
大切なヒトを亡くすのはもうこりごりだ。
そんな想いで逃亡を決意したのにアクスに守って貰っては意味がないではないか。
「アクス」
握っていた腕を引っ張りアクスを引き止める。
不思議と恐怖は綺麗さっぱり消えていた。
アクスの存在がフゥディエを強くしてくれる。マイナスになりがちな思考だって良い方向へ導いてくれる。
「私に任せて」
感謝の気持ちを込め笑いかけると、アクスは目を見開き固まった。
握っていた手を離し、リュックに括り付けてあった木剣を取る。
この剣は初恋の人から貰った形見の品だ。
「ヴァル、様。私がお相手致します」
教わった通りに敵に向かい真っ直ぐに構える。
初恋の人はフゥディエの剣の才能を見込み稽古を付けてくれていた。
もう随分昔のことだが、それでも身体は型を覚えている。
「ほぅ自ら腕を差し出すとは感心」
木剣を構え突き出す腕に目を細めて笑うヴァル。
しかしそれは酷く禍々しく歪んでいた。
ヴァルは腐ってもこの国の騎士団長。
彼に立ちはだかるということは自殺行為であることに間違いないが、それでもフゥディエだって初恋の人に剣の腕を仕込まれたのだ。
そこらのか弱い少女とは違うと自負している。
アクスの逃亡の時間を稼ぐことくらい出来る筈だ。
「テルーニの贈り物は指輪と迷ったが、ネッスレスにして正解だったようだ。指輪は腕が無くては付けられないからなぁ」
そう言って取り出したのは部屋に置いてきたネッスレスだった。
ヴァルの瞳と同じブルーに輝く宝石を目にしてフゥディエに若干の怯みが生じる。
「外すことは許さぬと言ったはずだ。すぐに終わらせて付け直してやる」
ネックレスごと剣を握り直したヴァルに腹を括る。もう後には引けない。
「アクス…今のうちに」
ヴァルに隙が出来るとすればフゥディエへと剣を振るう瞬間しか思い付かない。
彼女とて痛いのは嫌いだし物凄く怖い。
ただそれがアクスを守る為ならば足はきちんとヴァルの元へ向かう。
「フゥディエのアホっ!」
「うわっ!?」
怒鳴り声が響いたかと思えば突然後ろに引かれた。
急いで振り返ればアクスが背後から抱き締めているではないか。
「離してアクス! このままじゃ二人ともやられるんだよ!」
ジタバタと腕の中で暴れるが余計に拘束の力が強まる。
「我は人間なんぞに負けぬ。この男も我を見逃す程甘くはない、そうだろ?」
「ああ、その通りだ。薄汚い手で私のモノに触れた罪は万死に値する」
睨み合う二人の間に緊迫した空気が流れる。
「それは同感。フゥディエの脚を奪ったお前の罪を我は決して許さぬ」
今度はアクスがフゥディエを庇うように一歩前に出た。
ビリビリと肌に突き刺さるような殺気を伴う両者。
微かに空気が揺れたと思った時には二人はもう動き出していた。
(無理だよ! アクスは素手なのにっ!)
血の気が引き青くなるフゥディエを他所に、ヴァルの剣が速すぎるスピードでアクスに迫る。
もう駄目だと目を固く瞑った時だった。
アクスの身体がカッと光を放った。
—————グゥオオオオオオオ
地面が揺れるほどの咆哮と共に現れたのは良く見知った三頭犬。
しかしフゥディエの知る三頭犬とはサイズが違った。いつもの身体よりも三倍はありそうなほど巨大だ。
ヴァルは突如変身したアクスに一瞬の怯みを見せたが、それでもすぐに体勢を立て直す。
果敢にもそのままの勢いで真っ直ぐ三頭犬へと向かった。
—————ドォォォォン
牙と刀が交わろうとした時、激しい爆発音が響いた。
なんと城の一部が吹っ飛んでいるではないか。
ヴァルはごく一瞬、そちらに気を取られた。
「っ、ぐぁあああっ!」
爆発音の方へ向いていたフゥディエの視線を二人へと戻すと、ヴァルが肩から血を吹き出し膝を地面に付けていた。肩の付け根から先がない。
アクスの方は口元の銀毛を血で真っ赤に染めつつも、爆発音の方を凝視していた。
「アクスっ!」
ヴァルを警戒しながらもアクスの元へと駆け寄る。
どうやらヴァルの血を浴びただけで怪我はないようだ。
「ガウッガヴッ」
「えっ? うわっ!」
安堵するフゥディエに何事かを訴えたアクスは蛇の尾を彼女に巻きつけ、自らの背に乗せた。
突然の事に目を白黒させて驚きながらも、アクスに何か意図があることを察して大人しくいつもよりも更に広い銀の背にしがみつく。
間髪入れずに走り始めたアクスの上で腕を失ったヴァルに目をやる。
「待、て…………」
普段では考えられないほど小さな声で吐き出した言葉。
それに構うことなくフゥディエは遠くなる。
失った腕に止まらぬ血。このままでは死んでしまう。
しかしそんなことはヴァルの頭にはない。
フゥディエが遠ざかる、それだけがただただ重要だ。
「フゥディエェェェェ!!!!!」
魂を削るようなヴァルの叫び声。
とても瀕死の人間の出せる音ではない。
目にも止まらぬスピードで城を脱出するフゥディエの耳にも届いた。
怒りに満ちそしてあまりにも悲痛的なその声に、フゥディエは身震いを一つしたのだった。