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それからの日々は目の回るような忙しさだった。
逃亡の資金集めの為、日常に加え陽が完全に堕ちきってから城の裏手にある小さな森へと潜っている。
そこで毎晩薬草やキノコの採集を行うのだ。
孤児院に居た頃によく手伝いとして山の恵みを採集し街に売りに行っていたので、どれが高値で売れるのかは熟知している。
潜っているのは一応城が管理している森だが、殆ど手付かずで貴重なモノが案外簡単に手に入る。
まさに宝の山なのだが、それらは全て城の所有物にあたり立派な窃盗である。
見つかれば騒ぎとなり脱走の計画も崩れるので、見つからぬよう行動は慎重に。
誰もが寝静まった真夜中でなければならない。
コツコツと貯めたそれらはもう結構な額になるはずだ。
金に換えるのは逃亡中に行うしかない。
なんて言ったって逃亡決行日はもう明日に迫っている。
明日はテルーニ本番である。
テルーニは家族や恋人と過ごしたり、街でも催し物が開催されて前日である今日から城にいる人数はいつもよりグッと少なくなり逃亡には持ってこいだ。
城の下働きを取り仕切る侍女にはもう昼間に辞表を提出しており、明日には城を出ると伝えてある。
何故わざわざそのようなことをしたかと言えば孤児院を思ってのことだ。
苦しい言い訳にはなるだろうが、辞表を提出することによりただ単純に仕事を辞めただけで三頭犬の逃走とフゥディエは無関係であると言い張ることが出来るやもしれない。
どんなに黒に近くともあくまでも灰色であることが重要なのだ。
犯罪者を出した孤児院だと認められてしまえば就職先は無くなるかもしれないが、噂程度で済めばあとは院長がきっとどうにかしてくれるだろう。
「じゃあアクス、日の出にまた来るね」
「ちょっと待ってくれ」
逃走用の服を渡しそれを着た彼を確認するとすぐに去ろうとするフゥディエを慌てて止めるアクス。
彼の服は購入する時間もお金も足りなかった為に干してあった洗濯物の中から拝借した。
大きな彼に合う服は見当たらず若干袖が短いのが申し訳ない。
これから行う大犯罪を前に、最早小さな犯行に戸惑いを感じないフゥディエは自分がワルになったような気がした。
ちなみに彼の脚に嵌められていた頑丈な鎖は彼が簡単に素手で外してしまったので、あとは逃げるだけとなった。
「これを、持っていてくれ」
「え? これ?」
渡されたのは前日フゥディエが与えたブレスレットだ。
「きな臭い気配がする。城に何やら入り込んだかもしれん」
「きな臭い気配?」
「ああ、正体は掴めないが面倒なことが起こりそうだ。日の出には立ち去る予定だ、問題ないとは思うが念の為だ」
御守りというやつだろうか。
真剣な表情のアクスに気圧され大人しくブレスレットを受け取り牢を後にした。
これから少し仮眠を取ってからあと少し裏の森に採集に出る予定だ。
少しでも金を工面すべく最後の最後まで粘らなければならない。
自分の部屋へと戻る途中、廊下の曲がり角でスッと現れた人物とぶつかり転んでしまった。
「すまない、大丈夫か?」
「い、いえ。こちらこそ申し訳ありません」
ローブのフードをすっぽりと被った男がこちらを見下ろし手を差し出していた。
その出で立ちはフゥディエが街へ出るときのファッションと同じだ。
まさに不審者極まりないのだが、やたらといい声をしている。
差し出された手も一切の労働を知らないようなきめ細やかで美しいものだ。
顔はほぼ見えないのに、奮い立つような色香を感じるのは何故だろうか。
「おいおい平気かお嬢ちゃん?」
「え、あ、はい」
謎の男に思わず目を奪われていると、その隣からひょっこりともう一人男が現れ声を掛けてきた。
同じように不審者ファッションな上に随分と大柄だが、こちらの男は明るく溌剌とした声で不審な雰囲気が一切ない。
「こんな遅くにお嬢ちゃん一人でうろうろしてんのか?」
こんな遅くというが今はまだ夕飯時である。
「はい、本日の業務を終了して部屋へ戻るところです。ぶつかってしまい大変申し訳ありませんでした」
冬なので陽が落ちるのも早くこの廊下が薄暗い為か、フゥディエの黒目黒髪に気付いていないようで、男二人は彼女を心配してくれている。
気遣わしげな二人にペコリと頭をさげる。
「そのように幼いのに働いているのか」
「凄いな、こりゃあお利口なお嬢ちゃんだ」
息を呑む二人に少し大袈裟すぎやしないかと訝しむ。
フゥディエは確かに若く小柄だが成人である14はとうに過ぎているのだ。
チラリと見上げると無駄に色気の多い方の男がローブのフードを少し上げこちらを覗いていた。
その顔は魂が抜かれるかと思うほど美しく整っていた。
すべての顔のパーツのバランスが完璧で、女性的ではないのだが男臭さの全く感じない完成された美貌の人だ。
フゥディエは男の顔を見て暫し固まる。
その美貌に見惚れたというのもあるのだが、それだけでなく何か分からない違和感が彼女の胸を支配した。
この感覚は一体なんだろうか。
戸惑うフゥディエを、男の方も無言で見つめる。
あまりにこちらをじっと見つめるので黒色がバレてしまったのかと不安が湧くが、男は無言のままフゥディエの頭を撫で始めた。
「え? あの」
「おい、いくら幼いとはいえいきなり女の子にそれはダメだって」
困っているフゥディエを庇うようにもう一人の男がその奇行を止めに入る。
「一体どうしたんだお前らしくもない」
「分からない……だが無性に撫でたくなった」
「なんだそりゃ」
訳が分からないとため息を吐くもう一人の男は、もう一度フゥディエを見て「ゴメンな」と謝る。
フゥディエも未だ戸惑いに抜け出せぬままだが、固い笑顔で首を横に振った。
この男達———特に美貌の男のことは何故だかとても気にかかるが、今は時間がない。
間違いなく人生で一番大切な時間が迫って来ている。
そろそろ部屋へ帰ろうかと考え男達に顔を向けると、もう片方の男も何やらこちらをジッと見つめているのに気付いた。
その不可解な行動に狼狽えていると、そのうち男はハッと息を呑んだ。
「この子よく見たら……まさかお前?」
「そんなわけあるか」
「だよなぁ……だったらお前の親父さんか?」
「いや、あの人は極度の純血主義だ。それはないだろう」
「ということは、まさか」
「ああ、ノーマに間違いない」
「っ、ノーマ! 確かにそれならこの容姿も頷ける」
男達はフゥディエに分からない内容の話を深刻な様子で語っていた。
「どうするよ? 連れてくか?」
「いや、今は時間がない。後日改めるしかないだろう」
「あーそうだよなぁ、しかし気になるなぁ」
自分のことを語っていることは分かるのだが、事情が全く掴めずに彼らの話に耳を傾けるしか出来ない。
相談を終えた二人が同時にこちらに顔を向けた。
その真剣な様子に緊張が走る。
「という訳で、お嬢ちゃん名前を聞いてもいいか?」
「えっと、フゥディエです」
「いくつだ?」
「……もう16です」
「まだ16!? おい、一緒に連れて行こう、心配過ぎるだろコレ」
「いやダメだ余計に危ない」
「そりゃそうだけどよ」
男達の用件が掴めず、去って良いものかも分からない。
そもそもこの男達は何者なのだろうか。
「フゥディエ」
「は、はい!」
美貌の男に名前を呼ばれビシッと固まる。
「私が必ず迎えに来る。それまでいい子で待っていなさい」
「……はい?」
意味がよく分からず首を傾げた瞬間だった。
目の前の男達がパッと姿を消したのだ。
何度か瞬きをして、目の前の空間を見直すがやはり誰も居ない。
「えええ!?」
思わず一人で大声を上げる。
今の今まで、そこに存在していた男達が忽然と消えたのだ。
あまりに奇想天外な出来事に自分の頭がおかしくなったのかと眩暈がする。
どこをどう探しても誰も居ない。
まさか幻覚でも見ていたのだろうか。
そう言えば最近はあまり寝ていなかったので、もしや疲れているのかもしれない。
そんなことを混乱する頭で考えたフゥディエは、ふらふらする足取りで少し睡眠を取るべく今度こそ自分の部屋へと戻ったのだった。




