16
「嫌だっ!」
脱獄宣言にアクスは直ぐに拒否を示した。
「我を牢から追い出して捨てるつもりだろう。そんなの嫌だっ! ずっとずっとここに居てフゥディエに撫でて貰う!」
「アクス! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。それに貴方は本当は犬ではないんでしょ? だったら、やっぱり閉じ込められてるこの状況は良くないよ」
「絶対絶対フゥディエと離れぬ! 恋人は離れないものだ!」
子供のように駄々を捏ねるアクス。
「……その恋人っていうのは何?」
「テルーニという人間の文化と似たようなものが魔界にもある。求婚者は己の魔力を相手に捧げ、相手もその魔力に己の魔力を重ねることで契約は完成する」
それのどこがテルーニと似ていて、どこに自分達との関連性があるのかと首を傾げる。
「フゥは無意識なのだろうが、我は嬉しくてたまらなかった。ずっと犬として愛でて貰えればそれだけで満足だと思っていたのに、我慢出来ずに変化を解いてしまった。犬のままではフゥと対等でいられないからな」
そう言ってフゥディエを見つめる彼の目は真剣だった。
「だがフゥディエと離れることになるのならずっとホイホイのままで居るべきであった!」
一瞬、目眩がするほどの眩い光が辺りを支配したかと思えば、人の姿のアクスは消え馴染み深い三頭犬が現れた。
「「「わんっ!!」」」
三頭で一斉に吠えると、地面へと伏せをして此処を動くまいという姿勢を見せた。
顎を地面につけてフゥディエを見つてくるその姿に、アクスが三頭犬であることが証明された。
「アクス…分かって。貴方はここに居てはいけないの」
「「「わんっ!!」」」
「…………」
上目遣いのアクスと暫し見つめ合いを続ける。
これは絶対に譲らない目だ。
残飯の餌を決して口にしなかった時の彼らの頑固さが思い出され、はぁと深く溜息を吐いた。
「分かった、私も一緒に逃げる。それじゃダメかな?」
彼らを逃すこと自体、フゥディエの立場が不味いことになるのは確実だが、一緒に逃亡ともなれば犯行が露呈するかもしれない。
それは孤児院を背負って就職した彼女にとって絶対に避けたかった。
しかしたとえ何を犠牲にしても、彼女はアクスの逃亡を優先させることにした。
それほど彼女にとってアクスは大切な存在である。
孤児院の方はやり手の院長が上手くやってくれることを信じるしかない。
「「「わふっ!!」」」
フゥディエの言葉に三頭は嬉しそうに彼女に飛びつく。
いつものように戯れてくるだろうアクスを受け止めるべく両手を広げ待ち構える。
だが、想像していたもふもふは飛び込んで来なかった。
「フゥディエ、我は嬉しい! 絶対絶対大切にする!」
三頭犬から人型へと戻ったアクスは、やはり全裸のままでフゥディエを抱き締める。
硬い筋肉の感触に慌てつつも、心に誓った。
魔界と人間界を阻む魔の森まで死んでも送り届ける、と。
あまりにもしつこく抱き締め続けるアクスの腕をタップし解放させる。
「決行はいつにしようか。魔力はどのくらいもちそうなの?」
「魔力はまだ余裕がある、慌てずとも大丈夫だ」
「良かった。でも、なるべく早い方が良いよね」
今はこうして放置されているが、いつ国が再びアクスに興味を持ち、兵器に仕立てようと辛い訓練や拷問を強いるやもしれない。
元々そんなことがあればどうにか逃がそうとは考えていたのだ。
それにアクスが獣ではないと分かった今、最も重要なことがある。
「こうしている間にもアクスを心配しているヒトがいるでしょ?」
魔族とやらがどんな者たちなのか見当もつかないが、素直に感情を表すアクスの言動を思えば彼が大切に育てられたことが伺える。
「まぁ我を捜している者は大勢いるだろう」
「……そっか」
分かっていた。
三頭犬だと思っていた時から、本当は家族がいることくらい。
でも彼らは牢の中でたった一匹寂しくしていた。
何もないところで比べるものもなく、訪れるのはフゥディエだけ。
まるで、嫌われ者の彼女の為に存在しているようではないか。
彼らとの日々は彼女のカラカラに渇いた心に潤いを与えてくれた。
楽しくて、幸せで、だからアクスの都合など考えないようにした。
しかしアクスはフゥディエとは違う。
こうして会話することで改めてそれを思い知らされた。
フゥディエの“仲間”だなんて、とんだ思い上がりもいいところだ。
本当はずっとここに居て、ずっと自分の“仲間”でいて欲しいと泣いて縋りたい。
ただ、いくら化物と呼ばれる彼女でも、そこまで卑しくはなりたくないと踏み止まる。
今だって真っ直ぐとは言い難い心根だが、それを完全に腐らせることだけはしたくない。
最期まで、心は人間でありたいのだ。
「私も、なるべく早く逃走の計画を練ることにするから。アクスも心の準備をしててね」
「分かった」
極力孤児院に迷惑をかけぬような計画を組まなければならない。
他にも逃亡の資金や物資など問題は山積みだ。
そしてまずはアクスの足に付いている鎖をどうにかしなくてはならないだろう。
いや、それより先に服を調達すべきだろうと、全裸で胡座をかく彼を見て苦笑する。
「その格好じゃ寒いでしょ。何か服も探すから」
「いや、もう暫くはホイホイに変化しておくから問題ない。あやつの毛皮は温かいからな」
「そっか」
慣れない男性の身体をあまり直視出来ずにいたが、ふと手首に巻かれたブレスレットの存在が目に映った。
「それつけてくれたんだ……でも、なんで色が変わったんだろ。しかも黒なんて……」
「我はフゥディエと同じ色のこれが気に入った。きっと大切にする、ありがとう」
綺麗な顔に満面の笑みを浮かべるアクスに照れを感じ頬が熱くなる。
(良かった嫌がられないで。アクスは優しいな、黒なんて持ちたくないでしょうに)
目を細めて黒いストーンを撫でる彼を見つめていると、ハッと凄いことに思い至った。
(もしかしたら……私は…………)
フゥディエは勇気を振り絞り彼に尋ねる。
「あの、あのねアクス」
「ん?」
「その、魔界には、黒い色の魔族もいるのかな?」
もしや自分もアクスと同じ魔族ではなかろうか、そんな希望がフゥディエの中で膨れ上がる。
魔法が使えたことなど一度もないが、そもそも人間が使う魔法は魔族のモノとは全くの別物なのかもしれない。
人間と魔族と魔法の関係などフゥディエが知ろうはずもない。
しかし彼女は自身が人間としてはあまりにも異質だということは理解している。
普通の人間にはツノや尻尾や背骨の突起物など生えないものだ。
自分が人間でないのなら魔族の可能性だって大いにある。
アクスの“仲間”だという可能性があるのだ。
フゥディエは期待と緊張で胸が張り裂けそうになりながら、彼の返答を待った。
彼は少し首を傾げ考えながら、口を開いた。
「我は今まで黒を持つ魔族に出会ったことはない。そのように美しい色を纏った者などフゥディエ以外居らぬ」
「そう……」
優しく微笑みながら伝えられた言葉に落胆を隠すのが精一杯であった。
「魔族ってみんな、アクスみたいに見た目は人間と一緒なの?」
「うむ、そうだな。魔力以外は人間とそう変わらぬ」
(嗚呼、やっぱり私、魔族でもなかった……)
膝から崩れ落ちそうだった。
生まれてからずっとフゥディエを蝕んでいた、自分という存在の謎は解き明かされなかった。
自分の正体が分からぬことは酸素の薄い場所で暮らし続けることのように苦しい。
常に息苦しく、それでも酸素の薄いそこに段々と慣れてくる。
濃い酸素を美味しそうに吸う人々を上から眺め、慣れた筈の環境に時折無性に苦しさを思い出す日々。
それから解放されるかもという一瞬の希望は彼女を強く打ちのめした。
(あーあ……アクスの“仲間”でいたかったなぁ)




