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廊下に座り込み惚けていたが、暫くすると重い身体を引きずるように立ち上がった。
四角い原型を留めていない箱を持ち上げ、買った時同様大事に胸に抱えた。
「行かなきゃ……」
感情の込もらない声でポツリと呟くと、当初の目的通り牢へと向かう。
「わんっ! わんっ! わふっわふっ!」
フゥディエの訪問を今か今かと待ちわびていた三頭犬はいつものように蛇の尻尾を激しく振って歓迎する。
「遅くなってゴメンね」
無理やり笑顔を作ると彼らの頭を平等に撫でる。
三頭と一匹でいっぺんに掌に頭を押し付けてくるので忙しい。
「今日はね、本当はお土産をね、持って来れるはずだったんだ」
普段通りの調子で喋ろうとするのだが、何故か喉が詰まり声が出にくい。
「でもね、途中で、うっかり落としちゃって……ホラ、こんなにグシャグシャ……あは、ははは…………」
三頭犬の前に箱を差し出すと、ポロリと涙が溢れた。
不良品な右脚を支えるのが辛くなりズルズルと牢の床へ崩れ落ちる。
一滴涙が溢れると、次から次へと止まらなくなる。
突然泣き始めたフゥディエを前に三頭犬は固まる。
「「「くぅーん」」」
三頭犬は情けない鳴き声をあげながら泣く彼女の周りを落ち着かない様子でグルグルと回り始めた。
暫くあたふたと回り続け、そして恐る恐る彼女にふかふかの銀毛をすりっと押し付ける。
「っ、ふっ、あ、あなた達に、美味しい、モノ、食べさせて、あげたかっ、た……」
「キュゥン…キュゥン」
咽び泣くフゥディエの頬に流れる涙を左右の二頭が懸命に舐め取る。
真ん中の頭は子犬のように甘えた声でフゥディエの胸に擦り寄った。
尻尾の蛇も身体を懸命に伸ばし彼女の足首に巻き付く。
誰かにこんなに全身を使って慰められたのは初めての経験だ。
というよりも他者にここまで弱い自分を見せたこと自体初めてであり、たとえ三頭犬の前だとしても幼い子供のように無様に泣くつもりなどなかったのだが。
しかしどうにも慕ってくれる彼らを前に気が緩みヴァルへの恐怖やら憤りやらが溢れてしまった。
随分と彼らに甘えている自分に気づかされる。
「ふ、あは、く、くすぐったいよ」
いつもよりぎこちない舌の動きが妙にくすぐったく笑いが漏れる。
そんなフゥディエの様子に蛇の尻尾と舌の動きが激しくなった。
「あはは、心配かけてごめんね。ありがとう」
ようやく落ち着いたフゥディエは頬の唾液をハンカチで拭うと手に持った箱をじっと見つめる。
「……でも本当、なんでこんなの持って来ちゃったんだろう」
ショックの為に冷静でなかったとはいえ、彼らに慰めて貰う気満々だった己の行動を振り返り落ち込む。
彼女の持ったペシャンコの箱に興味を示した彼らは三頭が鼻を寄せ合ってふんふんと匂いを嗅いでいる。
「中身もちょっと出てるし、とてもあなた達には食べさせられないよ」
箱から少しはみ出している茶色いケーキ。
直接靴の底が触れたわけでもないので、持って帰って自分で食べよう。
————すんすんすんすん
興味深そうに鼻を鳴らす三頭犬に気付いた。
「え、気になる? でもこれ、潰れちゃってるよ? しかも実は他の人が踏み潰しちゃったものだよ?」
「「「わんわん!」」」
食べる食べるとフゥディエに詰め寄る三頭に思わず頬が緩んだ。
城から用意された残飯の餌は決して口を付けなかったが、どうやら同じグチャグチャでもケーキなら食べてくれるらしい。
「これね、テルーニの贈り物で“がとんしょこら”っていうケーキなんだって。とっても甘いんだって」
箱を広げると真ん中の頭が勢いよくケーキを食べ始めた。
「わふっわふっわふっ」
どうやら気に入ったらしく蛇の尻尾も盛大に揺れる。
余程美味しかったのかケーキはあっという間になくなり、名残惜しげに箱を舐めまわしている。
「ぷっ、あははは、口の回り茶色いよ」
口の回りの銀毛を茶色に染める真ん中の頭の口元を笑いながら拭う。
「美味しかった?」
「わんっ!」
「良かった……あなた達なら私のテルーニの贈り物を喜んでくれるって思ったから、勇気出して買ったんだ」
「「「わふ?」」」
喜ぶフゥディエに彼らは三頭並んで同じ方向に首を傾げる。
こういう仕草をよくするので本当に言葉が通じていると錯覚することがある。
あまりに可愛い仕草にときめいて、顎の下をこちょこちょする。
すると三頭共にうっとりと目を細めそれぞれフゥディエの膝に顎を置き寛ぎ始めた。
「テルーニっていうのはね、この国の風習で今の時期に大切な異性に贈り物をするの」
フゥディエの膝でトロンと夢現つで寛いでいた彼らだが一斉にハッと頭を持ち上げた。
「ほら、私にとってあなた達以上に大切な男の子はいないし、どうしても何か贈りたかったんだ」
「「「きゅぅぅん」」」
照れつつもそう告げると、三頭は再び膝に向かう。
今度は高い声で鳴きながらグリグリと額を押し付けて膝に顔を埋めた。
まるで恥ずかしがっているようで愛らしい。
「大成功で安心しちゃった」
「「「くぅん……」」」
三頭は膝に埋めたままでまだ顔を上げそうにない。
そんな彼らのふわりふわりと優しく撫でる。
フゥディエは先程のヴァルなどすっかり頭の隅に追いやり随分と幸せな気分に浸った。
「ふふ、ちょっと自慢してもいい? 実は私ね、ずっと昔に初恋の人にテルーニの贈り物をしたことがあるんだよ」
過酷だった過去の中にあるにも関わらず、唯一ピカピカに光る初恋の思い出が、彼らの側で幸せを感じると度々蘇る。
彼らにフゥディエの言葉が理解出来るのかは分からないが、六つの耳はピクリと動いた。
「しかもその初恋の人はちゃんと私からの贈り物を受け取ってくれたんだから。どう、凄いでしょ?」
フゥディエの初恋の人は幼い頃、孤児院に毎年一度だけ慰問に来てくれる騎士団の中にいた。
大きくて豪快で、明るい笑顔の輝く素敵な男性だった。
今の院長が就任する前からの行事で、虐待されていた頃に出会った彼。
不気味な黒を持つフゥディエを避けることなく、彼女の自慢の脚を褒め才能があるといって剣術の稽古まで付けてくれた。
それも月に一度、休暇の日を割いて城から遠い孤児院にこっそり剣を教えてくれていたのだ。
上達したとガシガシ乱暴に頭を撫でる彼にフゥディエの心は甘酸っぱい想いで満たされた。
相手はあまりにも大人で、あまりにも素敵で、あまりにも眩しくて、あまりにも遠くて。
彼には街に幼馴染の婚約者がいると、まだ鼻水を垂らしているような少年だったショーンから怒鳴りつけるように教えられても、恋心は少しも治らなかった。
勿論この恋が実るとは全く思っていなかったし、チビで黒い自分が相手にされないのは分かっていた。
それでも彼にテルーニの贈り物をしたのは、とある大きな切っ掛けがある。
彼と出会って四年後、隣国との戦争が始まったのだ。
騎士団に所属する彼も当然戦争に参加する。
丁度テルーニの時期だったこともあり、森で拾い集めた木の実や綺麗な石で作った魔除けのブレスレットを彼に贈った。
———どうか、無事でいて。怪我をしないで帰って来て。
そう言って大泣きするフゥディエを彼は困ったように抱き締めてくれた。
———ありがとう。大切にする。
手作りの不恰好なブレスレットを付けていつもの太陽のような笑顔で去っていった彼は、二度とフゥディエの元へ顔を出すことはなかった。
戦争自体には勝利したが、彼は凱旋する騎士団の中にはどこにも居らずそのうち死亡宣告がなされたのだった。
色々と辛い事の多いフゥディエであるが、あの時の出来事は人生で一番辛かった気がする。
唯一の救いは婚約者だと聞かされていた女性が、今は三児の母となって評判のパン屋を夫婦で営んでいることだ。
値段もそこそこするので貧乏なフゥディエは店に入った事はないが、窓から覗く幸せそうな女性の笑顔に安心した。
これがフゥディエの初恋にして唯一の恋の全てだ。
実ったわけでも想いを告げたわけでもないが、一番大切な記憶である。
友人が居た試しのないフゥディエは、こんな恋の話を誰かに語ったことはなかった。
それを自慢出来る相手がいる幸せににんまりと頬を緩め、太腿に顔を埋めたままピクリとも動かなくなった彼らの頭を撫で続けた。
ファンタジーとして三頭犬にチョコを食べさせましたが、普通の犬にチョコは毒になります。ご注意を。




