12
「叔父上? 何故叔父上がこちらへ?」
困惑するシェイルを冷たい目で見下ろすヴァル。
囲む人間達も厳しい空気を放ち二人の動向に注視しているのが分かる。
「シェイル、その女からすぐに離れろ」
「なにを……?」
未だフゥディエの肩を掴んでいたシェイルの腕を険しい表情で睨みつけるヴァルに困惑は広がる。
「その女にお前は騙されている」
生きていく中でフゥディエは数多くの負の感情に晒されてきた。
しかしこの時以上に憎しみの籠った目を向けられたことは未だかつてない。
それこそ焼き切れてしまうかと思うほどヴァルの目には激情が灯っている。
そこには仄かな憧れを抱いていた素敵な王族の姿はなかった。
何故王弟殿下が此処に?
叔父上とは一体?
この人達は誰?
何故そんなに怒っているの?
あらゆる疑問が渦のようにフゥディエの頭を巡る。
唯一の救いはシェイルもまたフゥディエと共に混乱しているということだ。
困り果て二人で視線を合わせた時である。
「その醜悪な正体を現せ、化物!」
そんなヴァルの怒声で、周りの人間が一斉に部屋のカーテンを開け放った。
一気に差し込む強い光を全身に浴びる。
あまりの日光の強さに、フゥディエは薄暗さに慣れた目を思わず閉じる。
瞼越しに弱まる光で目を慣らし恐る恐る瞼を上げると、そこには目を見開き固まったシェイルがいた。
「ぅ、うわぁっ!?」
————ドンッ
掴まれていた肩を強引に突き放されよろける。
しかし押されたフゥディエ以上に押したシェイルは身をよろけさせ、後方へと尻もちをつく形でドサリと崩れた。
「……っ」
「シェイル様っ!」
尻もちをついた際にどこか捻ったらしく、痛々しく眉を顰めた彼に慌てて近付こうとした。
しかしその瞬間、シェイルはハッとフゥディエを見た。
「ひっ! 化物!? ……く、来るなっ!」
弱々しい声と怯えきった目で尻もちをついたまま後ずさる。
今の今までとても友好的だったシェイルは、フゥディエにとって聞き慣れた言葉で激しい拒絶を示した。
そこでようやく今この状況において自分の黒が爛々と日光の元に照らされていることに気づいた。
「……ず、ずっと騙していたの?」
「っ……」
酷い顔色で見上げてくるシェイルの瞳の中に怒りが感じ取れる。
バレた……バレてしまった…………。
醜い黒も、それを隠そうとした卑しい心も陽の光の元にハッキリと映し出され、奈落へと堕ちた心地だ。
「……申し訳ありません」
「…………」
小さく謝罪するだけで精一杯で、他にどうすれば良いのか全く思い浮かばない。
ただただ自分の犯した罪の前に震える。
「大丈夫かシェイル?」
「足首を捻ったようです……」
気遣う声をかけるヴァルにシェイルは赤く腫れた足首を差した。
自分のせいで怪我までさせた事実にフゥディエの震えは大きくなるばかりだ。
「今すぐ医者に診せた方がいい」
ヴァルは周囲の人間に指示を出し、シェイルは両脇を二人がかりで持ち上げられる。
そうして左右を支えられながら退出すべく扉へ向かう。
途中でフゥディエの方へと何か言いたげな悲しそうな目を向けたが、ヴァルに急かされ何も告げることなくこの場を去った。
自分のことはきっと忌まわしい記憶としてシェイルの中に残るのだろうと思うと、フゥディエは泣きたくなった。
立ち尽くすフゥディエを残し、周囲の人間に解散を命じ、ヴァルはシェイルへと同行せずたった一人この場に残る。
そうして二人だけの緊迫した空気の中でフゥディエと対峙するように向かい合った。
「さて、とんでもない事を仕出かしたことは分かっているか?」
重々しい声で問いかけるヴァル。
まるで親の仇のように睨みつけている。
「はい」
どうにか短い返事を返すことは出来たが、喉は緊張でカラカラに乾ききっている。
「はい、だと?」
フゥディエの返事を不愉快そうに眉を上げて聞き返される。
「いいや、お前は何も分かってなどいない。ウロチョロウロチョロと目障りな」
「え?」
「何故だっ!お前はいつもそうなのだ!」
「…………!?」
ヴァルの激昂した様子に圧倒され、叫ぶ内容も頭に入らぬままただひたすら恐怖を感じた。
一度しか会ったことはないが、それでもその一度で忘れられなくなる程とても魅力的で穏やかな紳士だったヴァルの唐突な変貌。
「化物ならば化物らしく大人しくしていれば良いものをっ、今度という今度は我慢ならぬっ! 」
「ヒッ……」
叫びながら鬼の形相で迫まるヴァルに思わず悲鳴を上げてしまった。
「わっ!?」
恐怖に震える間もなく身体を強く突き飛ばされ、先程のシェイルのように地面に尻もちをつく。
「この脚が悪いのだ、この脚でお前は化物のくせに何処にでも行こうとするから……嗚呼、忌々しい忌々しい忌々しい」
強打した尻の痛みに気を取られている内に目の前にヴァルが迫っていた。
ガタガタ震えながら見上げると、ヴァルは光の灯らない目で瞬きさえせずフゥディエを一心に見つめ何やらブツブツ呟いている。
オマケに手には鞘から抜いた刀が鋭く光っている。
常軌を逸したその様子にフゥディエは死を覚悟した。
だが、刀が狙ったのは彼女の心臓ではなかった。
「っ、アァアアア゛アァアアア゛!」
今まで体験したことのないような鋭い痛みが走ったのは右足首だった。
熱い熱い熱い熱い! 右脚が熱い!
無様にのたうち回りながら大量の血が噴き出るのを感じる。
血は止まることを知らず次から次へとフゥディエから抜けて行く。
「アアア゛アア、あし、がぁぁ」
叫ぶ喉も潰れて呻き声は酷く掠れる。
それでも痛みとショックに声は出続ける。
「クハッ! これでもうお前はどこにも行けぬ、嗚呼、愉快! 実に愉快だ。愉快で堪らないっ!」
痛みにのたうち回りながらも、フゥディエはヴァルの恍惚とした声を拾った。
内容までは頭に入らないまでも、逃げなければと思った。
殺されるからだとか、そんな理由ではなくこの異常者からただただ逃げなければいけない気がした。
「化物でも血は赤く美しいのだなぁ……なぁお前の血はどんな味だろうか、実に美味そうだ」
「ゥァァ、アア」
呻きながら、ヴァルから離れるべく満身創痍で一歩手を前に付く。
「ああ、そうだ。片方では不足。脚など両方必要ない。なぁそうだろフゥディエ?」
早く早くと心は急くのに、大きなショックを受けた身体は全く動こうとしない。
カチャリと刃独特の音が聞こえ、更なる絶望を覚悟した時である。
「殿下っ! 今の悲鳴はっ!」
ドタドタと響く足音も今のフゥディエには負担であったが、どうにか第二の危機を乗り越えたことはヴァルの小さな舌打ちでわかった。
「こ、これは?」
「騒ぐな、問題ない。王太子を欺き誑かした黒き化物を処罰しただけだ」
「しかし……」
「王太子に怪我まで負わせたのだ。王太子の怪我の箇所と同じ右脚を失うのは当然の処罰である。しかし尋問の結果スパイでない事は判明したので、命までは取らなかった」
「な、なるほど。では治療は如何しますか」
「捨て置け」
フゥディエの意識はここで途絶える。
このまま放置されてはそれこそ出血多量で死んでしまうだろうが、それでもこれ以上ヴァルにいたぶられるよりはマシだと思った。
死に逃げたくなるほど、ヴァルは不気味で恐ろしかった。
次に目を覚ました時、フゥディエは自室だった。
目の前には医者らしき者が彼女の顔を覗き込み何やら言っていたが、高熱でぼんやりして聞き取れない。
そのうち重たい瞼は再び闇に閉ざされた。
ベッドから起き上がれるようになったのはそれから一月後のことだった。
不思議なことにその間フゥディエは数人の侍女から交代で世話をされた。
何か問うても彼女らは一言も喋ることなく人形のように無表情で淡々と作業をこなす。
しかもそれは洗練された完璧なものだった。
あのまま放置されなかった事にも驚いたが、この手厚い看病は罪人にするものではない。
首を何度も傾げたが世話をしてくれる肝心の侍女達が何の反応も返してくれないものだから、謎の解きようがない。
その内完璧すぎる看病のお陰でフゥディエはどうにかベッドから出られたのだが、唯一の自慢だった脚はすっかり役に立たなくなっていた。
右脚は常に鈍痛を発し、立ち上がるのもやっとである。
侍女達に付き添われ歩行訓練までして貰ったが、転んでばかりでどうにもまともに歩けそうな気配がしない。
定期的に訪れてくれていた医者から、もう二度と元には戻らないだろうと診断を受け、これからどのように生きていけばいいのか見当もつかずに途方に暮れた。
しかし何故かフゥディエが城をクビになることはなかった。
流石に以前こなしていた仕事を任せられることはなかったが、城周辺の草むしりを命じられた。
見栄えが悪いからと杖を付くことを禁じられていたフゥディエにとって、地面に這い蹲って出来る草むしりは案外悪いものではない。
大変な重労働であったが、積み上がった雑草を見れば少しやり甲斐も感じる。
しかし少し前向きになりかけた彼女への中傷は増す。
あんな役立たずは追い出すべきだという声も強い。
そうなってしまえば、フゥディエは今度こそ正真正銘野垂れ死ぬ。
健脚だけが取り柄であったのに、それを失った今一体自分に何が出来るのか。
何日も何日も考えたが、出た答えは“何もない”だ。
草むしりとて他の元気な者がこなした方がずっと早いだろう。
慣れていた筈の誹謗中傷は鋭さを持ってフゥディエを怯えさせる。
仕事を再開させてから侍女達や医者はパタリと来なくなった。
いつ治療費や世話代の請求が来るかと怯えたがそれも来なかった。
まだ慣れない脚で草むしりを終えたのは深夜。
入浴しようと誰もいない浴場で頭を洗っていた時だ。
指に硬い何かが触れた。
そこは数日前から疼きを感じていた箇所だったので、何か吹出物の一種かと思った。
しかし更にその数日後、背中や腰と尻の間にも同じ疼きを感じて、そしてその場所からも突起物を発見する。
そしてそれは確実に伸びていた。
背中の異物がなんなのかはいまいち分からないが、頭と尻の方はツノと尻尾そのものではないか。
唯一の自慢を失ったばかりか己が化物であることをじわじわと感じさせられるフゥディエ。
まさに泣きっ面に蜂。
その絶望は言い知れないものだ。
こうしてフゥディエという役立たずで醜い黒の化物は完成したのである。