11
片付けの期限である一週間の最後の日。
あれからもシェイルは毎日欠かさずフゥディエを手伝いにやってきた。
そのお陰もあり綺麗に片付いた部屋の中で最終日はすることもなく、彼女には珍しく仕事をサボりシェイルの横に座り他愛ない会話を楽しむことにした。
「それでね、その湖は水の透き通ったすっごく綺麗な場所なんだ。しかもあまり人の来ない穴場でね———」
すっかり心許したシェイルは色々なことを楽しげに語る。
烏滸がましいと思いながらも、フゥディエは友人が出来たようで嬉しかった。
同年代の者と親しく会話することにとても幸福を感じる。
シェイルを慰める為に彼の笑顔を持ち出したが、それは確かにフゥディエを幸せにしていた。
出来ることならば今後もずっと彼の笑顔を見つめ続けたいと思うが、身分が違い過ぎてその願いが叶うことがないのは理解している。
寂しさを感じながらも、良い思い出の記憶とすべく彼との会話を楽しんだ。
「そうそう、侍女達が噂してるのを盗み聞きしたんだけどさ」
「シェイル様も盗み聞きなんてなさるのですね」
思わずくすっと笑うとシェイルは飄々と肩を竦める。
「だって彼女達はいつだって囀ってるだろ? ペチャクチャ仕事もせずにさ」
皮肉な言い方に侍女への不満が見え苦笑する。
「実はその彼女達が面白い話をしてたんだ。あのね、城に化物の下女がいるらしいよ」
「っ…………!」
神妙そうに語られるシェイルの言葉に楽しい気持ちは消し飛びピシリと凍りつく。
嫌な予感が滲むように全身に広がり、ドクドクと心臓が五月蝿く音を立てフゥディエを追い込んだ。
「なんでもその下女は黒目黒髪のそれは醜悪な姿をしているんだって」
やっぱりっ……!
シェイルのいう化物が自分のことであることを確信したフゥディエは状況を瞬時に理解し、そして高い崖から突き落とされた心地がした。
始めからおかしいと思っていたのだ。
シェイルはフゥディエの容姿に何の反応もなかった。
それに違和感を感じながらも嬉しく思っていたが、そう都合の良いことはない。
ただこの場所が薄暗かった為にフゥディエの黒が分からなかっただけなのだ。
確かに言われてみれば頭には埃避けに三角巾を被せていたし、瞳だってこう薄暗くては濃い茶色にだって思えるだろう。
その事実に気付いてしまったフゥディエは絶望し、そして迷った。
「その下女は容姿だけじゃなくて、性格も歪んでて横暴で仕事も全然しないんだって。周りは皆迷惑してるらしいよ。なんでそんなの雇われてるんだろ」
自身のそんな噂は知っている。
フゥディエを排除しようと面と向かって罵倒する者もいるくらいだ。
それに対して全く堪えなかったといえば嘘になるが、それでも赤の他人に何を言われようが大したダメージはない。
しかし相手がシェイルともなれば、一言一言が鋭利で彼女の胸に深く突き刺さる。
「黒目黒髪なんて不気味過ぎるね。僕なら絶対一緒に働きたくなんてないな。下女なら僕が目にすることはないだろうけど、ちょっと怖いような気がするなぁ。フゥディエは会ったことあるかい?」
思わず情けなく崩れそうになる表情を無理に笑顔に作り変える。
そのひどく硬い笑みをシェイルへと向け、カラカラに渇いた喉からどうにか言葉を捻り出す。
「私も、会ったことはないです……」
「それはよかった。もし会った時は気を付けてね。何をされるか分からないし」
「はい……」
ああ、言ってしまった。
フゥディエは己の吐いた嘘に酷く気分が悪くなった。
本来ならばきちんとシェイルに真実を伝え、騙しているつもりはなかったと謝るのが筋である。
しかし城勤めになって初めて出来た親しい存在に嫌われることをフゥディエは恐れた。
これでは本当に彼を騙したことになるのに、それでも自分の欲望を優先してしまった。
「フゥディエどうかした? なんだか急に元気なくなったね、もしかして体調悪い?」
今もこうしてフゥディエを心配してくれる優しいシェイルに罪悪感で胸が痛む。
ギリギリと容赦なく締め付けてくる胸を無視して酷い笑みを更に強める。
「いいえ、絶好調ですよ?」
「そうかい? それならいいんだけど」
フゥディエの異変にいまいち納得のいかなそうな表情だが、それでも一応は頷く彼に安堵する。
良かった、バレていない。
醜い黒のことも、そしてフゥディエが自己中な卑怯者であることも。
今日が終わればもう会う機会などゼロなのだ。
自身に嫌悪を感じながらもどうしてもこの出会いを綺麗なままで終わらせたいという欲望が先立った。
「……あのさ、ここの掃除って今日までだよね?」
一瞬沈黙が流れた後、意を決したように会話を再開したシェイル。
チラチラと忙しなく視線を彼女の方へやったり外したりと、かなり挙動不審だが今のフゥディエに余裕など一欠片も残っておらずその異変には気付かない。
「それでさ、今後もまたこうして会う時間が欲しい。フゥディエに見せたい物や行ってみたい場所も沢山あるんだ」
キラキラとはにかむ笑顔に言葉が詰まって返答出来ない。
二人で行ってみたい場所? そんなの無理に決まっている。
陽の光に晒される自分を想像して更に恐ろしくなり思わず身震いする。
シェイルには絶対に知られたくない。
「出来ません」
「え……」
「シェイル様とは今日限りで、もうお会いすることは出来ません」
フゥディエの拒絶にシェイルの笑顔が固まる。
それを確認してから深々と頭を下げた。
「折角のご好意を申し訳ございません」
貴族であるシェイルに対しあまりにも不敬な言い草だということは重々承知しているが、それでもこんな言葉しか出てこなかった。
「あ、いや、その! 全然気にしないで! いきなりそんなこと言われても困るよね……」
下がったままの後頭部に向かい慌てた声がかけられる。
その声には動揺と落胆が読み取れ再び心臓が痛んだ。
「……僕と会ってたりしたら恋人に怒られちゃうのかな?」
「恋人などおりません」
そうだと言えば今後会えない理由になるのだが、これ以上シェイルに嘘を重ねたくはない。
「じゃあ、もしかして僕と居るの本当は退屈だった? 迷惑だった?」
しゅんと悲しげに問われた質問に大袈裟なほど首を横に大きく振る。
「とんでもないっ! シェイル様と一緒に居られてどんなに楽しかったことかっ!」
フゥディエの勢いに驚いたのか目を瞬かせたシェイルは、ポツリと呟いた。
「だったら、なんで?」
そこには怒りや苛立ちといった負の感情が全くない。
真っ直ぐな瞳で純粋に疑問をぶつけられたフゥディエは狼狽える。
「それは……」
「僕もフゥディエと一緒に過ごすこの時がとても楽しくて堪らない。早く君の所へ行きたいとか、今頃君は何をしているんだろうとか、離れていても気付いたらそんな事ばかり考えてる。こんな気持ち初めてだ」
流れるように紡がれる言葉に圧倒され余計に戸惑うフゥディエに歩み寄り、シェイルはその肩をぐっと掴んだ。
真剣そのものな顔で彼女を見据える。
「これで終わりにしたくない。僕はフゥディエのことが————」
—————バンッ
シェイルの話を聞き入っていたフゥディエは突然の大きな音に身体を跳ねさせた。
「そこまでだっ!!」
扉が開くと同時に響く怒声。
一体何が起こっているのか分からぬ内にバタバタと複数の人間が踏み込む足音が聞こえる。
状況を把握できずそのままの体勢で固まる二人を囲む侵入者達。
そして、一人の男が代表するように二人の前に進み出た。
「お、叔父上?」
呟くシェイルの横でフゥディエは目を見開く。
突然の侵入者はフゥディエが部屋の掃除を担当する王弟殿下、その人であった。