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「坊っちゃんの手を煩わせるわけにはいきません」
片付けを手伝いたいと申し出た少年にフゥディエは慌てる。
「……君、僕とあまり歳かわらないよね? 坊っちゃんは勘弁してよ。僕のことはシェイルって呼んで」
「あ、はい。分かりましたシェイル様。私はフゥディエと申します」
「フゥディエか。よろしくフゥディエ」
「はい! よろしくお願いします!」
きちんと名乗り合うなど初めての経験で少し気恥ずかしく、そして同時にとても嬉しかった。
フゥディエのような存在に何の気負いもなくよろしくと言ってくれる少年シェイルが眩しく見えた。
「ふぅ、大分片付いたね」
「シェイル様のおかげです」
「そうかな。なんだか大して役に立たなかったような気がするよ。フゥディエの三分の一くらいしか動けてなかったし」
「そんなことないです。大助かりでした。ありがとうございます」
シェイルと出会って数日後。
動き回れるスペースが出現し塵や埃もあら方綺麗に取り除かれた部屋で、シェイルに心の底から感謝し丁寧に頭を下げた。
予定よりもずっと早い進行具合に安堵が広がる。
「そんなに畏まらないでよ。掃除なんて初めてだから新鮮で楽しいしさ」
何気ないその言葉に仰天した。
フゥディエの人生の多くの時間を掃除に使っている。
貴族とは自分で服も着ないような人間だという知識はあるが、実際に貴族本人に言葉で聞くとそれは大きなカルチャーショックとしてフゥディエを襲った。
「しかしダンスが踊れるほど広いスペースが出来るなんて驚きだよ」
ぐるりと部屋を見回すシェイル。
丁度その時、部屋の外のどこか遠くから音楽が流れてきた。
「どこかで誰かが楽器を演奏してるようだね」
「どなたでしょうか? 綺麗な音色ですね」
二人で耳をすませていると、更に別の楽器の音が上から重なった。
更に次々と別の楽器の音が重なり一つの音楽として二人の部屋まで届く。
「……凄い。演奏ってこんなに美しいものなんですね」
うっとりと聴き惚れるフゥディエとは対称的にシェイルは難しい顔で考え込んでいる。
暫くして演奏が新たな曲へ移ると何かに気付いたようで「この曲……そうか」と小さく呟いた。
「これは近々城で開かれるパーティの楽団のリハーサルだ」
「リハーサル」
フゥディエはなるほどと頷く。
片付けを言いつけられたのも、パーティ会場から近いこの部屋で使用人達が裏方の作業するのに必要になった為だ。
「そのパーティにはシェイル様もご参加なさるのでしょうか?」
「そうなんだ。あまりあのような派手な催しは好まないのだけど、国王主催のパーティに不参加という訳にはいかないからね」
憂鬱そうなシェイルの様子を意外に思う。
貴族は全員パーティ好きなものだという偏見があった。
「もしもフゥディエがパーティに居たら楽しそうなのにね」
「い、いえ! 私のような者がそのような場に存在してはいけません!」
「あははは、大袈裟だなぁ」
愉快そうに気楽に笑うシェイルだが、フゥディエには想像するだけで背筋の凍る恐ろしいシチュエーションである。
「僕この曲のダンス苦手なんだ」
「分かります、私も少しこの曲は苦手なので」
「ええ!? キミこの曲踊れるの!?」
「はい、少しなら」
それは丁度院長から言い付けられた居残りで覚えさせられた曲だ。
他の子が解散する中で指導されるこの曲のダンスは、少しのズレや間違いも許されなかった。
自分だけが踊るダンスに己の不出来さを実感させられいつの間にか苦手意識が芽生えていた。
「うーん、どういうことだろう」
シェイルは何やら首を捻り考えていたが、暫くするとにっこりとこちらに笑顔を向けてきた。
「まぁよく分からないけど、踊れるならさ、僕の練習に付き合ってよ」
「え?」
「さぁホラ」
笑顔のままフゥディエの手を取ると強引にスペースの真ん中まで引っ張られる。
困惑する彼女を引き寄せ、漏れ聴こえる音楽に合わせステップを踏む。
ようやく意図に気付いたフゥディエもまた躊躇しつつもシェイルに合わせた。
「なんだ上手いじゃないか」
楽しそうに笑うシェイルにドギマギする。
同じ年頃の異性にこのように接近したのは初めてだ。
ダンスは院長に相手役を務めて貰っていたし、孤児院のイジメっ子だって突き飛ばされる際に少し手が肩に触れるくらいでそれ以外でフゥディエに近寄ろうとする異性はいない。
こんなに近くで触れているというのにシェイルは嫌そうな様子が少しも見られず、ただ純粋にダンスを楽しんでいるのがわかる。
フゥディエの気分は高揚した。
嫌われていない、そんな当たり前のことが彼女にとっては堪らなく嬉しい。
クルクル回る景色とシェイルの優しい顔。
夢中で踊っていう内に曲は終わりを迎えた。
離れる温もりが少しだけ寂しく思え、それでいてどこか照れくさく、とにかく不思議な感覚だ。
「僕達息ピッタリじゃなかった!? こんなにダンスが楽しかったのは初めてだよ」
ダンスを終えるとシェイルはすぐに興奮気味に喋り始めた。
「私も楽しかったです! 」
フゥディエもまた興奮冷めぬままコクコクと頷く。
「苦手だと仰っていましたがシェイル様だってお上手でしたよ」
「……まぁダンス自体は問題ないんだ」
シェイルの笑顔が唐突に曇った。
「この曲を踊る時は決まって叔父上もいらっしゃってね。この曲で僕らの一族がそれぞれ決められたパートナーと最初にダンスを披露するっていう決まりがあるんだ」
複雑な表情を見せるシェイルにフゥディエは控えめな声で問う。
「叔父上様と上手くいっていらっしゃらないのですか?」
「いいや。叔父上は立派な方で僕にもとても良くして下さるよ。でもね、叔父上は立派過ぎて未熟な僕の存在なんて消し去ってしまうんだ」
どうやらシェイルは叔父にコンプレックスがあるらしい。
「ダンスの時だって誰も僕なんて見ていない。僕のパートナーの筈の女性でさえ叔父上にばかり目を向けている始末でね。表立って言うことはないけど皆が噂してるのは知ってる。何故後継者が叔父上でなく僕なのか、と」
「後継者ですか……」
シェイルの悩みはあまりにフゥディエの世界とは掛け離れており、なんとフォローして良いのやら一向に思いつかない。
「僕なんて治療魔法が少し使えるだけで、なんでも完璧な叔父上とは比較出来ないほどの凡人なんだよ」
「魔法!? シェイル様は魔法がお使いになれるのですか!?」
この世界には魔法が存在する。
魔界なるものがあるのだから魔法があろうが不思議ではないが、それを使える人間というのはごく僅かだ。
魔力とは生まれついて持っているものであり、魔力保有者はそれだけで一目置かれる。
ただ周囲の評価に対して見合った実力があるかは別だ。
大抵の魔力保有者の出来ることと言えばビックリ人間レベルの小さなことだけだ。
「簡単な擦り傷を治せる程度だよ」
「それでも凄いです!」
どんなにくだらないことだろうと自分には出来ないことをやってのける人間というのはやはり興味深い。
目を輝かせるフゥディエだがシェイルの顔は曇ったままだ。
それに対して彼女は空気を読めずはしゃいだ己を叱責し表情を引き締めた。
「シェイル様、私には友がおりません」
「は?」
その唐突な言葉にシェイルはポカンとする。
「親も居らず兄弟も血の繋がった親戚もおりません」
「そ、そうなんだ」
「はい、そうなんです。それに年季の入った嫌われ者で生粋のいじめられっ子でして」
「ええっと……」
飄々とした様子で飛び出す言葉に今度はシェイルの方がなんとフォローを入れていいやら思い悩む。
そんな彼にフゥディエはイタズラが成功した子供のようにニヤッと笑ってみせた。
「オマケに魔法も使えません。どうです? 不幸っぷりなら私だって負けませんよ」
「あはは、なにそれ」
胸を張るフゥディエに思わず吹き出す。
あまりに下手くそな慰めだったが、それが逆にシェイルの淀んだ気分を洗い流した。
いつもの彼の笑顔にフゥディエはホッと安堵する。
「でも、私は誰よりもすばしっこいんです。良く動く自慢の脚を持っています」
フゥディエが今度は張った胸に拳を置くと、シェイルは穏やかに頷いた。
「うん、知ってる。その自慢の脚で踊るダンスはとても上手だったよ」
「それ以外に自慢できることなんて一つもないけど、脚だけは誰にも負けません。脚のお陰で私は私として胸を張って生きていけてます」
「それは、羨ましいね。僕にはそんなの……」
再び下を向きそうになるシェイルに対し慌てて言葉を紡ぐ。
「シェイル様にだって自慢出来ること、あるじゃないですか」
「でも治療魔法は極々弱いもので……」
「私はシェイル様より素敵な笑顔のお方を知りません」
「?」
唐突に飛んだ話に首を傾げるシェイルに向かいゆったりと微笑む。
「私のような者に笑顔で声をかけ、笑顔で埃っぽくて薄暗い場所の掃除をお手伝い下さる。私の汚れた手を取り笑顔で踊って下さる。そんな奇特で優しい貴人はきっとシェイル様だけです。シェイル様のお優しい笑顔は私を何度も幸せにして下さいました」
「…………」
「魔法は私のような者にとっては凄いことだと思うのですがシェイル様が誇れないというのなら、そうなのでしょう。シェイル様の魔法を目にしたことのない私には分かりかねることです」
「うん……」
「でも、シェイル様の笑顔の素敵さなら私も知っています。きっとその笑顔ならば叔父上様どころか誰にだって負けません。ご自身ではお気づきでないかもしれませんが、これってもの凄い武器です。シェイル様の笑顔ならば天下を取れるやもしれませんよ?」
「なにそれ……ぷっ、あははははは! ないからっ、絶対ないよっ」
どこか呆れを含んだ呟きの後、思わず我慢出来ないという様子で腹を抱えて笑い始めたシェイル。
フゥディエはそれを嬉しそうに見つめ続けた。




