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自サイトに載せている話の改変版ではありますが、原型はあまり留めてはおりません
黒は不吉とされる国で、孤児院出身のフゥディエは城の下働きとして働いている。
「ほらあの子よ……」
「いやだわ本当に不吉な黒髪」
「見ろよ目まで真っ黒だ」
「気味が悪いったらない」
今日もまた届く侮蔑と嫌悪の声。
だが今更気にしたところで仕方がない。
フゥディエの髪と目が黒いのは生まれつきなのだから。
髪の方は普段から極力人の目に晒さぬよう三角巾を頭に被せているが、それでも布の間から覗く黒はよく目立つ。
「ナニあの無様な歩き方」
「あんなに醜い色を持っているのに、そのうえ脚まで悪いなんて正真正銘の欠陥品だ」
「………………」
ずりずり、ずり、ずり————
“ああ、なんて遅いんだろう”
敵意しかないこのような場所、早く通り過ぎてしまいたいのだが、フゥディエの右脚は石のように重く全然言う事を聞いてはくれない。
かつての彼女は誰にも負けないほどに速く走ることが出来たのだが、今はこの体たらく。
追いかけてくるいじめっ子には絶対に追いつかれることはなかったし、嫌がらせで任される眩暈を感じるほどの量の仕事にも全力疾走で対応出来た。
しかし唯一の特技である脚が奪われた今の彼女はなんと無価値であろうか。
まともに歩くことも出来ないフゥディエが城勤めを続けることは不可能な筈だった。
城をクビになれば不吉な“黒”を持つ彼女を雇う場所などない。きっとどこかで野垂れ死んでいたことだろう。
「よたよたと目障りね。どこへ行くのかしら」
「きっと地下に向かっているんだろうよ。おお怖い怖い」
「ああ、何せあいつは例の化物の“牢の番人”だからな」
「プッ、不気味なあの子に醜い化物。なんてお似合いなの」
“牢の番人”
それはフゥディエがこの頃任された配置場所の地下牢を指しての揶揄である。
しかし本人はこの呼び名を案外気に入っていた。
少しカッコいいし、強そうだし、何より彼等の番をするのは悪くない。
歩き始めたばかりの赤ん坊程度の速度で敵意の嵐を抜けると、ようやく地下へと続く階段が現れる。
本格的な冬の訪れはまだ少し先だというのに、下から漂う冷気はかなり冷たい。
真っ白の壁と、姿が写せそうなほどピカピカの床。城の廊下はこの国の現状を表すように豪奢だ。
それとは対照的に地下の壁と階段は埃っぽく塗料も剥げかけ、隅には蜘蛛の巣が張り巡らされている。
昼間だというのに光の全く通らない地下は真っ暗な為、用意していたランタンに火を灯す。
片手にそれを持ちもう片方の手を壁に添え、急な階段を重い右脚を引き摺り這うように一段一段慎重に降りる。
この作業も今のフゥディエには一仕事であったが、この先に待つものを思うと全く苦にはならない。
最後の一段を降りきり、更に奥へと進むと錆び付いた牢がひっそりと存在する。
饐えたカビの臭いが充満するそこは、暗く鬱々とした空気が流れる。
そんな中に荒い息遣いが響き、暗闇に光る八つの目が彼女を射抜く。
「「「グルルルル」」」
「シュルルルル」
この牢“唯一”の住人がフゥディエの来訪を察知し凶悪そうな唸りを上げた。
ランタンの微睡む光が鋭い牙を映し出す。
鋭利なそれに噛み付かれでもすれば、どんな頑丈な生き物もひとたまりもないだろう。
そんな住人は一見すると狼のような容姿をしているが、どうにもディテールがおかしい。
人間の彼女よりも少し大きく、銀色の毛に覆われたしなやかな身体を持つのだ。
このように大きな銀の狼など人間の世界には存在しない。
そして何より最大の特徴は、首から三つに別れた頭と蛇の尾っぽ。
フゥディエが番をする牢の住人とは三頭犬であった。
この世には人間界とは区切られた世界———魔界というものがある。
瘴気の漂う大きな魔の森に遮られたそこに足を踏み入れれば、忽ち呼吸困難に陥り死に至る。
故に誰も実態を確認したことはないが、時たま人間界に魔の森より魔物が彷徨い込むことがあり、その存在が魔界説を肯定していた。
彼らは人間界で生きられる仕組みではないようで、発見された時には既に死体だったり辛うじて生きていてもまるで空気がないように荒い息でもがき苦しみすぐに絶命する。
かつて発見された魔物達は巨大な獣、鳥、虫に似ていたが、多くは身体部位の数や場所が人間界の生物とは異なっており、人間の目から見れば異形のモノに思えて恐怖の対象となっている。
そんな中で初めて生きたまま捕らえられたのが、この牢の住人という訳だ。
何かに利用出来ぬものかと取り敢えず牢へと放り込んだはいいものの、生態が一切不明の凶暴そうな生物を手懐けるなど不可能な話である。
兵器に出来ないと悟るや否や国の興味は一気に削がれた。
折角生け捕ったものを解剖してしまうのはもったいないが、だからと言って良い活用の手段も思いつかずに牢の中で現在放置されている。
そして、その“牢の番人”などと呼ばれるフゥディエは実質彼の餌係のようなものである。
「おはよう、今日は一段と寒いね」
朝の挨拶を投げると牢の住人の三つの頭と尾っぽの蛇は、投げかけていた視線を一斉に強める。
「「「グルルルル!」」」
「シュルルルル!」
————ガシャンッ
頭達はするどい牙を見せつけるように大きく口を開け鉄格子に噛み付いた。
尾っぽは鉄格子の隙間から此方へとシュルシュルと身体を伸ばす。
今にも襲いかかろうとする住人であるが、頭も尾っぽも頑丈な牢に阻まれ此方へ届くことはない。
「はいはい、ちょっと待ってね」
あまりの興奮状態に、慌てて鍵を開けて牢の中へと入る。すると待ってましたと言わんばかりにこちらへ向かってきた。
「「「ガウッガヴッ」」」
「シュララララ」
阻むものが無くなった彼等はフゥディエへと凄い勢いで飛びついた。
あまりの勢いに地面に尻餅をつく彼女に覆いかぶさる牢の住人。
今にもフゥディエの肉を食い千切ってしまいそうな背筋が凍る光景であるが、彼女を襲ったのは鋭い牙ではなく湿った舌であった。
「あはははは、ちょ、くすぐったい」
「「「クゥンクゥン」」」
「シュルルル」
右の頭は左頬を、左の頭は右頬を、真ん中の頭は首を舐めまくる。
尾っぽはクルクルと脚に巻きつき忙しなく動き回っている。
「ずっとそうしていても朝ご飯食べられないよ。今日はなんとデザートも付いてるんだから!」
いつまでも続く熱烈歓迎を止めようと叫ぶ。
すると興奮状態だった彼等はピタリと止まり、六つの目をキラキラ輝かせお座りを披露する。
蛇の尾っぽの方はブンブンと左右に激しく揺れているのだが、目は回らないのだろうかといつも心配になるフゥディエ。
そんな彼らに笑みを向け、背負っていた鞄から皿を取り出し冷たい石の地面に置く。
その上に大きなパンサンド三切れを乗せた。
「さぁ召し上がれ」
真ん中の子はかぶりつくが左右の子等は再び頬を舐め始める。
尾っぽは嬉しげにビッタンビッタンと地面に頭を打ち付けている。大丈夫だろうかとますます心配になる。
「いつも思うけど、あなた達は食べないの?」
「「わふっわふっ」」
左右の頭をそれぞれ撫でながら質問すると、何やら返事が返ってくるが理解は出来ない。
まぁ身体は一つなのでどの頭で食べようが変わらないのだろう。
そのうち真ん中の頭は食べ終わったようで、皿を名残惜しげに舐め回す。
「もう食べ終わったの? そうだよね、足りないよね」
慰めるように優しく撫でると、今度は舐める対象を皿からフゥディエの顔に移す真ん中。
左右も負けるかとばかりに参戦するものだから、顔が溶けたのではないかと錯覚するほど涎まみれになってしまった。
「ほら甘いもの好物でしょ」
彼らを無理に引き離し顔を拭いた後、とっておきのパウンドケーキを取り出す。
一人用のワンカットだけのそれは中に胡桃が練りこんであるとても美味しそうな代物だ。
食堂でデザートが出ること自体が多くない上に、城の嫌われ者であるフゥディエのところへ回ってくることはあまりない。
いつもならば一品減らされないだけでも御の字なのだが、甘いものまで付いているとなると今日は彼女にとって夢のような日だ。
恐らく食堂が非常に混んでいたので、彼女への嫌がらせを忘れてしまったのだろう。
甘いものが好物である彼等の喰いつきもいつもより凄まじく地面に涎の池が出来そうだ。
尾っぽも残像が見えるほど高速で揺れている。
「ガウッガヴッ」
皿に乗せた瞬間、ケーキはあっという間に無くなってしまった。
「美味しかった? 良かったね」
「わふっ」
満足そうな彼等の身体を丁寧に撫でさする。
指にさらさらと流れる銀の毛が心地良い。
彼等もフゥディエの手が気持ち良いようで子犬のようにキュンキュンと甘えた声を出す。
その様子にフゥディエの表情は切なげに陰る。
「量、少なくてごめんね。もっとお腹いっぱい食べたいよね。それに………」
—————ジャラリ
彼等の後ろ足に繋がる鎖が冷たく音を奏でた。
こんなにも慕ってくれているが、所詮フゥディエもこの子達を捕らえる一味だ。
「ごめんね……」
牢の鍵は持っているが、この足枷の鍵は持っていない。
無邪気な彼達を逃がしてあげることはフゥディエには不可能。
いいや違う。彼女は逃す気がない。
彼等は漸く見つけた唯一の仲間なのだから。
利用価値の分からない異形の彼等を城の人間は畏れ忌み嫌った。
不気味なフゥディエにお似合いの仕事だと嘲笑う人々。
そんな中、彼女の心は歓喜で打ち震えていた。
ずっと探していた仲間が見つかったと。
災いを齎すとされている黒を纏う異物。
三つの頭と蛇の尾を持つ異物。
同じ嫌われ者同士———そんな卑しい考えがフゥディエを歓ばせる。
“私は髪や目の色だけじゃなくて、心の中まで真っ黒なんだろうな。この子達はこんなにも純粋なのに”
「ごめんね」
今日もフゥディエはただ謝ることしかしない。