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潮騒

 光り輝くステージの上で、たくさんの馬や馬車が回る。


 アリスが見る画面上には、既にマサムネの姿が映し出されている。ぐるぐると回る馬たちが見せる一瞬一瞬の隙間を縫って、向こうもこちらを見ているのが確認できる。


「撃たないのか?」


 マサムネが言う。


「そっちこそ」


 言うが、わかっている。どうせここから撃ったって馬や馬車に阻まれて当たりっこない。引き金を引くためには、どちらかが動く必要がある。


「なあ……、俺たちって、今、ちょうどこんな感じだよな」

「なに?」

「いろんなものが目の前をちゃかちゃか動き回ってて、そっちのことがよく見えねえ。声も聴こえづらいし、手だって届かない。これじゃあ落ち着いて話もできやしねえ」

「……そうだね」

「なあ、〝潮騒〟って知ってるか?」

「潮騒?」

「俺もさ、話に聞いたぐらいでよく知んねえんだけどさ」

「うん」

「潮騒って映画で、なんか、男女が焚き火を挟んで向かい合ってるんさ」

「うん」

「そしたら二人とも全裸になって、女のほうが『この火を飛び越えてこい!』みたいに言うらしいんだ」

「あっはっは! なにソレ!?」

「うん、よくわかんねえけど、そんなシーンがあんだって」

「へぇ」

「なんか今、急にそのこと思い出した」

「それは何? 私に今それをやれってこと? 裸になって、このメリーゴーランドを飛び越えてこい! って?」


 アリスは笑う。


「いいだろ?」

「いいわけないでしょ! なに真面目なトーンで言ってんの!」

「俺も全裸になるから」

「うるさいよ。いらないから!」

「いいじゃん。どうせ見えないんだし」

「どこの世界に全裸でネトゲやる男女がいんのよ!?」

「……けどよ、もういい加減わかってんだ」


 なおも真面目なトーンで話すマサムネに、アリスはわずかにハッとする。


「もう俺たちに、こんなごちゃごちゃしたものなんて要らないんだ。余計なもん全部飛び越えて、手の届くところに行かなくちゃ」

「……」

「なあ、アリス」

「……なに?」

「俺、お前が言ったとおり、なんにも踏み込んでなかった。いっつもあと一歩のところでなあなあにして逃げてた」

「……」

「中学ん頃、お前といるのが本当に楽しかった。楽しくて、楽しくて、楽しくて……、お前との時間が失われるのがすごく恐かった。友達みたいな関係から入ったのがまずかったんだよな。友達みたいな関係のまま、ずっと先延ばしにしちまったことが。本当はわかってたんだ。自分の気持ちに。だけど、お前の気持ちを知るのが恐くて、ついには先送りにしたまま中学を卒業しちまった。高校に入って、お前との距離が開いて、正直ホッとしてた。もしかしたら、このまましばらく時間を置いて、それである時ひょっと再会したら、その時はなんか、中学の時のごちゃごちゃした気持ちとかなくて、お前と改めて関係が結べるんじゃないかって、そんなバカな期待も抱いてたりしてたのかもしれない」


 マサムネはそこで、一つため息をつく。


「けど、そんなの、所詮都合のいい夢だよな。世の中、そんな甘くはできてねえ。……と言うより、そんなんじゃダメなんだな。お前の言うとおり、踏み込まないと。例えものすごい数の臆するようなことがあっても、その全てを飛び越えなきゃ相手には届かない。その一歩を、まず俺は踏み込まないといけないんだ」

「マサムネ……」


 マサムネの言葉に、思わずアリスの目に涙が滲む。


「あと三戦、全力で戦ってくれよな。俺ももう余計なことはしない。本気でお前を取りに行くからよ」

「うん、わかったよ」

「よし」


 アリスは指で涙を拭う。

 居住まいを正し、マウスとキーボードに掛ける手に力を込めた。


 だが……。


「じゃあ、裸になれ」


 マサムネが言った。


「……ねえ、それは今、必須なの?」

「必須に決まってんだろ!! 今回は潮騒回なんだぞ!?」

「いつそんな回になったのよ!?」

「ああ、もういいから脱げよ。裸になんねえと始まんねーだろ」

「どうしてそうなったのよ!?」


 深夜だというのに、思わず声を荒げてしまう。下手したら両親を起こしてしまうというのに。


 それから少しの間、全裸の要求に抵抗を続けるアリス。

 しかし、頑として要求を取り下げないマサムネに、


「だ……、だったら、そっちだって裸になんなきゃいけないんだからね!」


 と、つい折れてしまう。


「ああ、もちろんだ」


 あっさりとマサムネ。


「と言うか、まあ、こっちは既に全裸なわけだが」

「……は?」

「おい、脱ぐ時は暖房全開にしたほうがいいぞ。超さみい」

「……いや、て言うか、あんたはいつ全裸になったのよ?」

「あん? さっきだが。潮騒の話をしながら」

「中学の頃がどうとか、一歩を踏み込まなきゃとか、そういう話をしながら?」

「ああ。ちょうどそこらへんでパンツを脱いでたな」

「……」


 アリスは激しい眩暈(めまい)に襲われた。

 私の涙を返せ、と思う。


「ほら、早くしないと夜が明けちまう」

「わ、わかったわよ……」


 到底承服しかねる要求なのだが、何故か断れない流れにアリスは渋々ながらにイスから立ち上がる。


 だけど、「なんでこんなことをしなきゃいけないの?」と頭に疑問や怒りが湧き起こるが、その一方ではどこかでこの状況を楽しんでいる自分がいることにアリスは気付く。


「こっち見ないでよ」


 音声のみなのに、何故かそんなことを言ってしまう。


「よし、見ない」


 とマサムネ。


「カメラをオンにしてくれたら、絶対に見ねえ!」


 バカ、とアリスは思う。そこで少し吹き出す。


 暖房の温度を上げて、部屋が充分に温まるのを待ってから服に手を掛ける。


(本当に、何やってんだか……)


 別に見えないのだから、脱ごうが脱ぐまいが一緒だ。相手にはわかりはしない。

 それに、向こうが本当に脱いでいるのかも怪しい。これは単にこちらを動揺させて戦いを有利にする罠かもしれないのだ。


「でも……」


 思わず声に出す。


 上着を脱いで、ズボンも脱いで、アリスは裸になっていく。


 そんな疑問は、アリスの中で薄っぺらい取るに足らないもの。

 何故だか確信を持って、マサムネは画面の向こうで裸になっていて、真に先ほどの言葉どおり真正面から向かってこようとしている。

 そう思える。


 それに対し、自分は……。


(きちんと応えたい)


 その気持ちになっている。


 全裸になって、「このメリーゴーランドを飛び越えてこい!」と言って、同じく全裸で向かってくるマサムネを迎え撃つ。

 傍から見ればなんとも間抜けな画になるが、今はこうすることがとても大切なことだと思えてならない。


 それに、アリスにはこうすることにもう一つ意味があった。


 下着を取り去り全裸となったアリスは、一度姿見に全身を写す。

 照明は点けていない。パソコンのモニターが発する光で、ぼんやりとその姿が浮かび上がる。


 この姿を見て、マサムネはどう思うだろう?


 カメラをオンにすることは絶対にできない。


 アリスは指で自分の身体をなぞる。一つ一つ、今の自分を確かめるように触れさせていく。


 マサムネの顔を見れば、きっと泣いてしまう。

 今の私を見られたら、泣き出してしまう。


 だから、それだけはできない。


 そんなことになったら、もう耐え切る自信がない。


 せっかく固めた決意が泡と消えてしまう。


 ……けど、せめて今は全てを明かしたい。


 せっかくくれたこの機会。


 見えずとも、だからと隠すことなく、裸になってこの一戦を戦いたい──




「準備できたよ」


 アリスはマイクにそっと声を掛ける。


 正真正銘、一糸纏わぬ姿でヘッドセットを着け、パソコンに向かっている。全開の暖房のおかげで寒くはないが、なんとも心細い。部屋には誰もいないのに羞恥心で肌がひくひくする。


「オッケー」


 マサムネは一呼吸遅れて返事をする。既に深夜の三時過ぎ。アリスが服を脱ぐのに時間を掛けたから、眠くなっていたのかもしれない。


 見られる心配はないのに、マサムネの声が聴こえたことで心臓が一層大きく脈を打ち出す。恥ずかしくて、昂揚して、期待して、全身がうずうずする。何かヘンなプレイに誘い込まれたみたいで、おかしな興奮がアリスを包み込んでいる。


「全部脱いだんだな?」


 マサムネが聞いてくる。


「脱いだよ。お望みどおり、全部ね」


 ドキドキしているのを隠すため、やや怒っている風を装ってアリスが返す。


「俺も全部脱いでる」

「うるさいよ。わかってるから」

「よし、じゃあ、せーので同時にカメラをオン、だ!」

「さっさと始めるよ。いい?」


 言葉をかぶせ気味に放つ。


「おい、武器を変えてもいいんだぜ?」

「結構。私の獲物は決まってるから」

「上等」


 マサムネが息をこぼす。


「じゃあ、いつでもいいぞ」

「……本当に言わなくちゃいけないの?」

「当たり前だろ! ここまできて何を恥ずかしがることがある!?」

「……」


 いろいろと疑問は残るが、アリスは言葉を呑み込む。


「わかった。……じゃあ、いくよ?」


 決心し、居住まいを正す。


「おう」


 確かにここまできたら何も一緒だ。今は全てマサムネに預けてみよう。


 いろいろな種類の緊張に全身が震える。


 一つ息を吸って、アリスは画面に集中する。


「このメリーゴーランドを飛び越えてこい!!」


 叫んだ。


「おっしゃあああ!!」


 マサムネが応え、飛び出した。




 ──ライフルを一発撃つたび、マサムネの頭を一つ撃ち抜くたび、アリスは自分の中で冷えて固まっていくものを感じていた。


 乾いた銃声。

 重たい反動。

 一撃の下に倒れ伏すマサムネ。


 ここまでの七戦、その感触を一つ一つ確かめながら戦ってきた。


 これは儀式だ。


 私がこれからも私であるため。

 私から一番弱い部分を取り除くための。


 この夜を越えた時──


 それは私が一体の人形になる時だ。


 心を殺し、可愛がられても、乱暴されても、放置されても、捨てられても、何も感じない。ただ始めに作られた時のまま、にこにこと笑顔が維持されている、そんな人形に……。


 逃げることはできない。決して。


 だからこそ、この儀式は完成させなければならない。マサムネにただの一度も負けてはいけない。


 冷静に。冷徹に。冷血に。


 あと三つ、マサムネの頭を撃ち抜く。



 そうしなければ、私は……

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