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シミと観覧車

「次は観覧車だな」


 ゲームに向き戻り、マサムネが言う。


「そうだよ。観覧車ではどんな風に戦う?」

「どんな風? 決めていいのか? そんなこと」

「だって、メリーゴーランドじゃ決めたじゃない」

「まあ、あれは……」

「何でもいいよ。王者として、マサムネの挑戦を受けてあげるっ」

「王者って。まだ勝敗は決まってねえぞ」

「暫定だよ。実力から言って、私が順当でしょ?」

「すぐに引き摺り下ろしてやる」

「ねっ、どうする?」

「そうだな……」


 求められ、マサムネは考える──



 あと二戦、俺はどうすればアリスに勝つことができるだろう?


 モニターから視線を外し、ぼんやりと天井を見上げる。

 天井に付いた、一点のシミ。焦点は自然とそこで合う。

 いつから付いているのか、どうして付いたのかわからないシミ。


 そう言えば、いつだったかアリスと二人でこのシミを見たことがあった。


 中学の頃、自分たちは幾度となくお互いの部屋を訪れている。一緒に宿題をやるため、ゲームで遊ぶため、風邪を引いた時の見舞いなどでだ。


 その中で初めてアリスがそれに気付いた時、二人でこのシミを眺めた。


 その時に、一体どんな言葉を交わしたか。「ごらん、まるで夜空に浮かぶ一等星のようだろ?」とは言わなかったと思う。たぶん、「あ、シミ」「ああ」「なんであんな所に付いてるの?」「さあ……。それが、いつどうやって付いたかわかんねーんだ」「ふうん」ぐらいの簡素なものだっただろう。


 よくわからない、「だから何だ?」と言われてしまえばそれまでの話。


 だけど、このシミを見てこのことを思い出したのは、これが初めてだ。



「……マサムネ?」


 アリスの(いぶか)る声がする。


「どうしたの? 急に寝落ち?」

「なあ、アリス……」

「あ、起きてた。どうしたの?」

「一緒にゴンドラ乗るか?」

「へっ?」


 アリスが間の抜けた声を上げる。


「それが今回の戦い方? 正気?」

「いや、まあ、勝機を見越してってわけじゃないんだが」

「え? ……あ、いや、その『しょうき』じゃなくて……」

「まあいいじゃねえか。ちょっと乗ってみようぜ」

「……まあ、いいけど」


 アリスが承知したのに頷いて、マサムネは早速キャラクターを走らせる。


「じゃあ、乗り場で」

「あ、うん。わかった」




「撃っていい?」


 乗り場に着くと、そこには既にアリスが立っていた。ライフルを構えて、銃口をぴたりとこちらに向けている。


「撃っちゃダメ。ほれ、あの赤いゴンドラに乗ろう」

「ったく……。どういう意図があるんだか」


 マサムネがゴンドラに向かっていくと、アリスも渋々とそれに付いてくる。


 待ちの行列もなく、遊園地のスタッフもいない。ゴンドラにドアはなく、プレイヤーが好きに乗ることができる。

 ゴンドラの前でマサムネが立ち止まると、アリスがそのまま先に中に入る。マサムネはその後に続く。


 天井は低く、ジャンプはできない。走り回るスペースも当然なく、ゴンドラの用途は主にスナイパーがここから園内の標的を狙うこと。気分で乗ってもいいが、安易に乗ると逃げ場がなく逆に敵に狙い撃ちされてしまう。それゆえ、好きで乗るのでなければ、通常はあまり使用されることはない。


 狭いゴンドラに二人、並んで座っている。その中でも、アリスは銃口をぴたりと向けている。


「まあ落ち着けよ」

「ヘンなことしたら、頭ぶち抜くからね」

「ヘンなことって……」


 ゲームで何をどうしたら変なことができるのか。逆に教えて欲しい。


 少し間を置くと、アリスは諦めたように正面を向く。それでもライフルを構えたままなのは、単にこのゲームに構えを解く操作がないだけ。けれども、一応は状況に乗ることにしてくれたようだ。


 ゴンドラの空気が幾分軽くなる。


「一周どれぐらいだ?」


 マサムネが聞くと、


「確か、十五分じゃなかったかな」


 アリスが答える。


「けっこう長いんだな。ゲームの中なのに」

「まあ、降りたければいつでも飛び降りちゃえばいいし、頂上行きたかったら鉄柱を登っていけばいいし」

「そうだけどさ」

「で、なに? 二人でこうして、それからどうするの?」

「ん……。まあ、とりあえず一周してみようや」

「下に着いたと同時にドンパチ開始?」

「ひとまず戦闘のことは頭から外さないか? どうしてそう好戦的なんだよ」

「だって、そういうゲームだし」

「そうだけどよ」

「わかった。じゃあ、とりあえず一周。ゆっくりしようじゃない」

「そうそう」

「眠たくならなきゃいいけど」

「そこは頑張れ」


 マサムネが言うと、アリスが小さくため息をつく。


 会話が途切れ、ゴンドラには静かな時間が流れる。

 ゆっくりと上昇していくゴンドラ。マサムネはあちこちに視点を動かして、その様子を眺める。


 少しずつ遠くなっていくメリーゴーランド。

 段々と同じ目線の高さになっていくジェットコースター。

 空を見上げれば、貼り付けたような星空の少し手前に月のオブジェクトが置かれて光を放っている。

 それは視界を動かすことでわずかに見せる角度を変え、どちらかと言うとゲームらしく御伽噺(おとぎばなし)の中にあるような非現実的に見えるものとなっている。

 月だけを見ててもしばらくは飽きないだろう。まったくよくできている。

 一点、景色がなく遊園地のエリア外はただ真っ暗なだけなのが残念なところだが、それでも充分に遊園地にいる気分になることができる。


「マサムネ、乗るの初めて?」


 アリスが話し掛けてきた。


「ああ。思えば一度も乗ったことなかったな。──そっちは?」

「私はあるよ。ここから敵を狙撃するのが、このマップの一つの醍醐味だもん」

「そうみたいだな。俺も撃たれるほうなら何度か経験ある」


 マサムネが言うと、アリスがくすくすと笑う。


「実際のに乗ったのはどうだっけ」


 マサムネが言う。


「あるじゃん。まさか、忘れたの?」

「もちろん覚えてるよ。て言うか、ついこの間じゃんか」

「この間……って言っても、もう一年と九ヶ月前だけど」

「中学卒業後の春休みな。クラスの連中何人かで行ったな」

「あんまり印象残ってないけど」

「まあ、そうだな。流れで行っただけだからな」

「でも、観覧車は覚えてるよ。なんたって、マサムネと二人で乗ったからね」

「うん、まあ……」

「どうしてだろね? 何で二人で乗ったのかな?」

「そりゃあ、お前……。みんな気ぃ遣ってくれたんだろうさ」

「そうだったね。みんな、勘違いしてたんだ」

「そうだな……。今思えば、俺が勘違いにしちまったんだな」

「ちょっと期待してたんだよ?」

「ああ、わかってた」

「なのに、ずっとヘンな話ばっか。覚えてる?」

「思い出したくもない」

「まあでも、きっとよかったんだよね。あのまま、何もなくて」

「……」

「高校別々だったし。今考えると、くっ付かないでよかった気がする」

「高校入って、そっちは彼氏できたしな」


 マサムネが言うと、アリスは自嘲的な笑いをこぼす。そこで言葉が途切れ、場は沈黙する。


 ゴンドラは九時の位置を過ぎて、十二時に向かってゆっくりと昇っていこうとしている。あくまでゲームの中の観覧車だから、本物のように周りを広く見渡せるほど大きいわけではない。頂上まで行っても、せいぜいがジェットコースターの一・五倍ほどの高さ。地上からでも、命中精度の高い銃なら当てられなくもない高さだ。


 だからだろうか?

 時間を掛ける割には高さが変わらないため、昇っていくのが一層遅く感じる。


「あ、もしかして」


 すると、アリスがまた声を発して沈黙を破る。


「これって、あの時のリベンジ?」


 そう尋ねる。

 マサムネは少し考えて、「いや」と否定する。


「今の話が出るまで、前のことは忘れてた」


 言葉を切って、何度か自分の気持ちを確認する。


「けど、まあ、そういうことになるんだろうな」

「えっ、ウソ。やめてよ」


 アリスが驚いた声を発する。


「待ってろ。もうちょっとで頂上に到達する」

「到達したら、何?」

「お前に告白する」

「冗談でしょ? こんな所で? こんな状況で?」

「こんな所で、こんな状況だからさ」

「待って。せめて、私に勝ってからにして」

「お前には勝つ。あと二戦で、絶対に」

「そんなの、何の確証も……」

「ダメか?」

「ダメに決まってる。そんなことしたら、ここから飛び降りるから!」

「けど、これが最後なんだ」


 その言葉を強く言うと、ヘッドセットからアリスが閉口する気配が伝わる。


「だろ?」


 アリスは答えない。その無言が、マサムネを頷かせる。


 そうこうしている間に、ゴンドラは頂上へと達した。


 比類するものが何もない世界。水平方向はただの暗闇。上を見れば星と月が貼り付けられているだけ。意識すればその気にもなれるが、しなければやはり何もない、ただのゲームの中の世界。


 そして今自分たちは、銃を下ろすこともできない不出来な人形で……。


「俺、お前のことが好きだ」


 マイクに囁くように、マサムネは口にした。


「中学の三年間、一緒に過ごしている間、ずっとお前のことが好きだった。高校に入ってからも、今も、ずっと」


 アリスは無言。もしかしたら、避けてヘッドセットを外しているかもしれない。

 それでもマサムネは言葉を続ける。


「こんなの今更で悪いと思ってる。本当はあの時、あのゴンドラの中で言えばよかったんだ。……でも、あの時は、どうしても言えなかった。さっきも言ったが、恐くて……。告白して、もしダメってことになったら、なんだかそれまで積み重ねたアリスとの時間が全部おかしなことになる気がして、……言えなかった」


 気が付くと、いつの間にかマサムネは視線を落として自分の手を見ていた。


 顔を上げ、モニターを覗く。


 狭いゴンドラ。

 作り物の世界。


 マサムネの隣にいる、ゲームキャラクターのアリス。


「……けど、わかったんだ。言わなかった結果のほうがずっとおかしなことになるって」


 マサムネは一つため息をつく。


「あの時言わなかったことで、ずっと後悔していた。三年間の思い出がおかしな形で俺の中に残り続けた。どうにかあの時をやり直したくて、それで俺は他の何にも本腰を入れることができなくなっていたんだ。だから、言わせて欲しい」


 息を整えて、マサムネは声を新たにする。


「アリス、俺はお前のことが好きだ」


 言葉は始め、深い枯れ井戸に投げ込まれたように、ネットの世界に響いた。


 静かな夜。暖かい部屋の中。外は健やかな眠りに満ち、長い時間をマサムネに与える。


 マサムネは待った。自分が今すべきことは、これ以外にない。

 この言葉が完全に闇に呑まれるか、あるいは……。


 ゆっくりと降下を始めるゴンドラ。二人の時間を妨げる者はどこにもいない。

 モニターを見て、そこに映る世界を見て、ただ静かに待つ。


「……そうだよ」


 ぽつりと反響があったのは、ゴンドラが三時の位置に差し掛かった頃だった。


 反響はその一つで途切れる。


 しかし、そのたった一つの「そうだよ」を聴いて、マサムネは確信に至った。


 音も衝撃もなく、心に波紋が広がった。


「アリス……、お前、そいつに何された?」


 言葉は強く吐き出されていた。まったく考える隙もなくそれは出ていた。


 次の瞬間、アリスがびくりとした。インターネット回線で世界を隔てられていても、それははっきりと伝わった。


 アリスはしかし、マサムネの言葉自体に驚いたのではなかった。アリスは自分が漏らしてしまったことに驚いたのだ。


 そしてそれは、さらにマサムネの心を痛めた。


 確信がさらに深まったのが自覚された。


「言え。そいつと何があった?」


 口調は一層強くなっていた。もう抑えることはできない。


 マサムネは返事を待った。だが、今度はいつまで待っても反響が生まれることはなかった。


「アリス!」


 堪らず叫ぶ。しかし、それでも返事はない。

 言葉は闇に呑まれたまま。どこにもたどり着かない。


 ゴンドラが静かに六時の位置まで進む。


 その瞬間、重たい銃声が一つ鳴り響いた。


 それが答えだった。

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