9 時の狭間
マリーとブランとローレンの若いときの過去のお話。
魔法使いの家系は無事産まれる子供は少ない。しかしながら産まれれば育つ子が多く、弟が生まれた途端にマリーの嫁入り先の話になった。
今までは婿に来てもらう条件だったのが、一気に数ランク低い相手がお見合いにどうかと言われる。
魔法使いの需要は少ない。騎士家系が優秀だからだ。
意識的な血の婚姻が進み、騎士の多くは魔法使いの血筋が大抵入っていった。
騎士の血筋は肉体的に強靭な事が多く、無事に産まれる子が多くなったこともある。
魔力耐性はより騎士の能力を伸ばした。が、血の薄まりは魔法の弱体化を意味した。
よって、ごく弱い魔法を操る騎士は居たが本当の魔法使いの一族には到底及ばない。
マリーの一族は当初従兄弟や再従兄弟との婚姻を血筋を守るために計画していた。
跡取りとなる長男が生まれたことにより嫁に出される方向になる。
本家に婿入りと、本家の娘を嫁にでは微妙に差がでる。
マリーがまだじゃじゃ馬真っ盛りだったことも影響した。
「旦那様は私より強くて当たり前よね?」
と、母も強かったが父も強い家族を見て育った娘の条件は至って普通だった。
まだ思春期前の女の子に敵う男の子は居なかったのだ。
マリーが本家なら当たり前な魔法を扱えるのにも問題があった。
誰も怒らせたらコンガリローストにされかねない乙女をもらう覚悟がなかった。
もっとも思春期に入り幻の花と言われ出すと対応は違って来る。
その頃にはマリーの方が冷めていた。
魔法使いが活躍するような戦場はほぼなく、驚異になる魔獣も管理体制の騎士が十分対応出来た。
体力な普通な魔法使いより騎士が使い道が多用だった。
騎士の学校なだけに騎士素質がおおい中、魔法使いも多少混ざっている。
一般的な体力を把握させるためにも、グループに一人は普通体力=足手まといが混ざっていた。
わざとである。
騎士道精神を教える、一般人を守りながらの戦闘経験を余り能力はないが裕福層のためにうっかり入学したような子供の性格去勢もできる楽しい実習だ。
同時に出会いを作る見合の場だった。
そのグループは女二人、男四人で魔法使いはマリーだけだった。
男は夫候補で、一緒に生活してときめきをの末に自由恋愛での結婚を斡旋していたのである。
最悪だったのは、マリーの体力を足手まといとして何かと文句を言う連中だった。
つまり騎士としては最悪。弱いのにマリーを見下し、同時にもう一人の女性も足手まといと称した。
うまく恋など生まれやしない。その日、魔獣の群れに遭遇した。単体ならそうたいしたことのない相手が同数以上になったとき、群れの連携がよくわかる。
逃げ出したバカの悲鳴を聞きながら、剣を構える。剣はもう一人の娘の物だったが、動けない状況では動ける方が武器を構えた方が良い。
「マリー、動けるうちに逃げて」
「バカを言わないでよ」
自分たちを囮にして逃げた男が悲鳴をあげていることは、別の群れがいたのだろう。
逃げた代償。
「犬には躾を!」
焔玉が宙に舞う。動物は火を恐れる傾向にはあるものの、魔物になると微妙である。
が、自分の身体に火がつけば狩りをしている場合ではないだろう。
「あちっっ」
焔は別の者に当たった。
「ノーコンだな。要練習」
冷ややかな声。
「その前に、当たるなよ」
獣は綺麗に避けた。当たった連れにマイナスポイントを入れながら、彼は獣に視線を向ける。
「リーダーは利口だね。でも人を襲った獣は躾ても結局人を襲うようになる」
「知ってるわ。だから人が恐ろしいことを教えてあげるわ」
焔が燃え上がる。
「……ノーコン」
プスプスと燻る焼けた木々。獣が服従のポーズで足元の転がる。
獣の腹をわしわし撫で、識別タグを首に着けていく。
「……犬にタグつけ。クリアっと、ええと、次のミッションは蜘蛛の生体調査? 蜘蛛」
嫌な顔を見せる。
「ハイハイ。その前に、脱落者が半数になった場合即座に帰還。これに該当ですね」
焦げた頭で規約を読み上げる乱入者に乙女の二人が視線を送る。
「ところで、あなたたちは何方で?」
「見習い騎士よ。試験の護衛と同時に採点係。彼らが来た時点でミッション終了」
「他の四人は追試だねぇ、まあ帰り道で単位取れれば良いほうかねぇ」
縮れた髪をポリポリと掻きながら、チェックを進める。
「ローレン、俺達も採点されていること忘れるなよ」
それがローレンとブランとの出会いの場だった。
そして窮地に落ちいた時の心理学ーー二段構えのハニートラップだった。
もっともそれに引っ掛からなかったときは、もう数組用意されていた。
しかし、逃げ出したバカを集めた帰り道は今までの訓練等とは違い大変な追試になった。
「くそやろう」
「ま、マリー、そんなの聞こえたら採点に響くわ」
「そうですねぇ、聞こえてます」
ローレンが微笑む。
「マリーは昔はもっとはっちゃけてましたので、減点しにくいですねぇ」
「あら、知り合い?」
「一緒に火遊びをしてーー」
「ちょっと! もう少し言い方を考えなさいよ」
「馬の尻尾を焦がして、子守りをしていた兄が代わりに怒られてーー」
バチーン。
「マリー、そこはグーでみぞおちにが正しい」
ブランが鹿を担ぎながら戻ってきた。
一緒に連れていった四人はヘロヘロでどうにか戻って来たという感じだ。
「何故に経過も聞かずにーー」
「女にぶたれるようなことしたのだろう」
どさりと鹿を放り投げる。
「ローレン、薪は」
ローレンは大慌てで茂みに飛び込んでいった。
「……減点」
ブランはため息混じりに言う。
「お前たち、鹿をーー」
「私がするわ」
マリーがさっさと捌いて行くのを、ブランは目を細める。
「捌くのは上手いんだな」
足払いが来る。ブランは器用にかわし笑う。
「料理も旨いわよ!」
「そうか?」
「そうよ!」
「私は食べに行かないからな」
ローレンが薪を抱えて戻ってきた。
「あら、焼かれたいみたいね」
ローレンがわははと逃げていく。
「次はグーで殴るわ」
決意を口にすると、ブランが大袈裟にため息をついていた。
知っていたのは、ブランもローレンも見合いをことごとく断っていること。
彼らが見習いからそろそろ旅の竜になりそうなぐらいだけだった。
「ブラン。あなた、食べれれば何でも良いとか思っているでしょう」
味音痴目ーーと心のなかで悪態をつく。
何だかんだと学生と見習いとの違いを垣間見れた追試は楽しかった。
マリーは自重していた焔をバシバシ使い、躊躇もなく獲物を解体し、見習いを殴り飛ばした武勇伝を脱落者が愚痴ったお陰で その後の出会いの自己紹介だけで逃げ出す輩が増産された。
お陰で強制出会いのミッションは少なくなり、卒業後は見習いになった。
見習いの仕事は基本は雑用になる。が、マリーはそこでも弾け何度か焔の災害を振り撒いた。
おかげでマリーへの見合いは頭を悩ます事例のひとつだった。
もっとも本人だけは全く知らなかった。
見ただけでわかる。そう言われた我が君探しーー。
竜王国は基本王と呼ばれるのは、竜王の生まれ変わりの我が君だけだった。
いつの頃からか、我が君の子供の記録もなくなっていることに気がついた。
我が君は城に来て結婚しなかったのだろうか?
子供を残さなかったのだろうか?
「世襲ではないから、子は王を継げないのだよ」
父は質問にそう言われた。
我が君の子供。だが我が君の親族が城で優遇はされない。
我らは能力次第で出世していく。
もっとも親の財産は子は継げるが、役職は継げない。
その為、騎士職達は学校を作り騎士の能力維持に力を入れた。
無能な者が過大な地位には着かないようにした。それは過去の呪われた歴史があったからだ。
見つかった我が君には、みっちり勉強をさせ助長しないようプログラムが出来上がっている。
それを騎士にも当てはめただけだが、運営はうまくいっていると思う。
それに我が君の生まれは色々だという。
普通の村人、農民だったり商人だったり。中には結構な地主の時もあったとか。
しかし詳しい記録は残されていない。
「何故赤ん坊をチェックしないのですか」
産婆にでもついて回れば、良いはずだ。
「……城に親族は住めないからね。赤子を引き離したいと思うかい」
つまり我が君と認定されると、親から離されると言うことだ。
幸せな場所から離されるそれが我が君の為になるのだろうか? 謎だ。
もっとも、貧しい家の子には城の方が幸せになれそうだ。
以外と貧しい地域はある。
その辺りを中心に旅しようーーと ブランは計画する。
その一方でローレンはマリーがあちこちで炎を吹いた報告に頭を悩めていた。
「ローレン、マリーにまだ名乗りをあげてなかったのか」
「そんなことしたら消し炭にされちゃうよ」
マリー以外にはしれわたっている婚約。ローレンに苦情が舞い込むのは、他の誰にも噛みつけないからだ。
マリーの実家にもローレンの実家にも言えば山ほど焚き付けられる。焚き付けの前にきっちり薪を山盛りにされてである。
なので、苦情は「あんたの婚約者がどうの」とローレンに来るのだった。
「……そんなことか」
ブランは年相応に子供っぽい弟に心の中ではエールを唱えながら
「それは大変だ。マリーを連れて謝罪にいくから詳しい状況を教えてくれと、大袈裟に言えば良い」
「マリーをその後どうやって捕まえるのさ」
「うん? マリーはしょっちゅう家にいるだろう。お前はあまりいないが」
「は?」
「マリーは母上に料理を教わりに良く来ているぞ? ……あ、いや。お前に内緒にしたのは上達して驚かそうとしてたんじゃ」
真実にローレンが狼狽えていると、バタバタと廊下を走って来る音がして バーンと扉が開け放たれる。
「今日は兎のシチューよ! あら、ローレン。居たの? ご飯食べるわよね?」
どう見てもおまけ扱いされたようなローレンは、ちょっと水洗いの悪いサラダの虫とにらめっこをした。
「マリー、虫が」
「あら、そう?」
ゴーーー。熱風に撫でられローレンは前髪がチリチリしたのに息を呑む。
「……マリー、テーブルの上で野菜に火を通すんじゃない。家が燃えるだろう」
「大丈夫よ。ブランが水魔法使えるようになったじゃない」
「兄上、使えるようになったのですか」
「え、ああ。必要に迫られてーー」
マリーの火の消火には必要になる魔法である。
「私の氷をまいても、水になるからなんとかなるわ」
「いや、そもそも燃やさないでください」
父も母もマリーが焔を出してもピクリとも反応しなかった。まるで何時もの風景らしい事にローレンは目眩を覚える。
「さあ火が通ったわよ」
「マリー、芋虫は苦手なんだけど」
「あら、好き嫌いはダメよ」
ウネウネ。ボールには立派な芋虫がうごめいていた。
サラダの虫がどうでも良いと思える。
「マリー、蚕を食卓に置くのはーー」
「えー、繭にして糸紡いで、布にしないと。うっかり猫に荒らされたり、蒸し部屋になったりでもう後がないのよ」
「ああ、御守りを作るんでしたっけ」
ブランは静かに乙女たちのブームを口にする。
「だからって持ち歩いて、食卓に置くのは」
「……ああ、それも内緒だっけ」
ブランは澄ましたまま本来サプライズであげる物だったと思い出す。
蚕から育て上げ、身に付けるものに加工して渡す。乙女のブームはマリーにはハードルが高い。
一応、糸にできれば染めてカラフルに編んで紐見たいのでも大丈夫だ。
「そう言えば、男バージョンでもあったな。ロック鳥の尾羽と黄金蜘蛛の糸と宝石と……自分で加工するからデザインやら鍛冶スキルを試される」
マリーの装飾品に目を向ける。可愛い髪飾りやピアスや腕輪に指輪。
「……男バージョン? 鍛冶スキルって。やだ、一杯もらっちゃったわ」
「ローレンから何もらったんだ?」
「僕はあげてないよ」
焦ったローレンにブランは出遅れているというよりは無頓着な弟に視線を移す。
「そう言えば来月誕生日だろう。少し早いが」
ブランがきれいにラッピングした小箱を取り出しマリーに渡す。
「もしかしてその頃居ないの?」
バリバリと包装を外し中からブローチを取り出す。
銀細工の台座に蒼い石がはめられていた。
「黄金蜘蛛の糸で魔方陣の加工してあるのね。きれい」
「うげ」
横でその細工を目にしたローレンは、あれ以上の加工を求められた事に不覚にも声を漏らした。
「旅に出る」
ブランの返事にマリーは左胸にブローチを止めた。
「そう、これありがとう」
プイッとそっぽを向き、蚕のボールをつかむ。
「じゃあこれあげるわ。どうにも出発前に出来上がりそうないから」
ウネウネと芋虫がうごめく。
「蚕育てながら旅をしろと? そこは帰ってきたら渡しても良いだろうし、十分練習できるだろう?」
「……う、わかったわ」
マリーは当分蚕と一緒らしい。それだけは判明した。
ローレンはすっかり忘れていたマリーの誕生日にむけて山ほど宿題を出された。
材料集めに加工技術。しかも頼りな兄は旅に出る。
大ピンチである。ブランが旅に出たあとマリーが蚕の世話で若干大人しく過ごしたのが救いだった。
ローレンは色々なコネを使い材料集めを頑張った。
もっとも時間があれば狩りにいけば手に入る。
土を掘れば、宝石は手に入る。
鉱石は流石に分布地域で頑張らねば出てこないが、小さいアクセサリー用の宝石は庭でも取れた。
それが騎士の素質だった。
取れる宝石は能力次第だ。もっとも換金はできるが大量に持ち込んだところで相場が下がると新入りが困ることになるわけで、それだけで生活を安定などできない。
「俺のはピンクだな。頑張ればもう少し赤いか」
小粒だ。ブランの蒼い石の大きさが粘っても無理だと思う。
ローレンはため息を穴に埋めていく。
「……そんな所に畑でも作るの?」
マリーがブラブラ足を揺らしながらバルコニーの椅子で寛いでいる。
テーブルには蚕の籠。
「花畑かなぁ。畑は郊外に作った方が」
「私の石は翠よ。貸して」
ピョンと庭に降りてきたマリーはローレンのシャベルでザクザク掘る。
コロコロと翠の石が出てくる。
マリーの石のサイズは色々と使えそうな大きさだった。
「魔境で掘ると大きいの沢山出るわよ」
狩りに行った時にでも掘って見ようかと、ローレンは思う。
「ローレン、山で掘ってこようとか思っているでしょ」
ギクリと強張る。
「バカね。三年前のブランと張り合えばいいのよ? 今のブランは貴方の三年先を行ってるのだから三年後にこれぐらい作れるようになればいいのよ」
「そんなこと誰も言わないよ」
皆、口を揃えて言う。
君のお兄さんは素晴らしいと。
何でもできる。失敗する事などない。何でも完璧。
「マリーだって兄さんの方が好きだろ」
両親の関心は何時も兄。何もかも敵わない兄の存在。
「バカね。優秀なお兄様のところじゃなくてどうして弟に見合い話が行ってるのか考えたことないの?」
マリーは陽炎を背景にして微笑む。
「ブランは火が恐いのよ。焔使いの魔女の夫には向かないと判定されている」
「は?」
ローレンは首を捻る。焔を怖がったような反応などしたことはないはずだった。
「そんなわけないよ。そもそもマリーの焔は全部避けてたじゃないか」
「貴方が当たっても大したこともない火にブランは全力でかわすのよ。かわしてたのじゃ私を止められないわ。だから私の旦那候補にはなれないの」
暴れる魔女を止めれるだけの能力を示さねば認められない。と言うか、将来の夫婦喧嘩で妻より強い事が前提のお見合いってどうなのか。ローレンは少し胃痛を覚える。
「ブランは火傷が有るでしょ。その時の火の恐怖があるのだと聞いているけど、火傷有るの?」
「背中に……でも赤ちゃんの事だったって父も腕に火傷したらしいし」
「ふうん。火事にでもなったの?」
「家は焼けてないと思うけど」
「そうねぇ」
家は焦げた跡など残って居ない。まあ建て直したり、修繕で新品にリフォーム可能だ。
「まあ、トラウマがあっても気にしないけど。親なんて子供が例え神でも何で出来ないんだって言うのよ」
「普通はそうだろうけど」
ローレンは無関心な親を思う。あの何でも完璧な兄にすら無関心だ。
「それぞれだよ。きっと」
「騎士と魔女の考え方の違いなのかしら? この前、弟がやっと種火をつけれるようになって両親はお祭り騒ぎよ。馬鹿みたい。私は三つで出来たわ」
「マリー」
何でも頑張っているマリーは弟よりできても、年上で出来て当たり前だ。
「私にはもう魔法の事より行儀作法の事しか言わないわ。ねぇローレン。花畑作りなんてやめて私に稽古を付けてよ。ムカつくのよ。女だから体力なくて当たり前とか、腕力とか剣の腕前とか魔法使いだから下手でもいいとか嫌なの」
逃げ遅れたローレンは結局マリーと稽古に励み、最終的に焔を前にした。
「ま、マリー、熱いと蚕が死んじゃうよっ」
「あら? じゃあこっちね」
ドカドカ拳大の氷のつぶてが降ってくる。
「ヒィ、マリー、虫って寒いのもダメなんじゃ」
ピクッとバルコニーを振り返る。
「む。しょうがないわね。じゃあ次はスキル練習しましょう。鬼ごっこよ」
前半は気配を消す隠れん坊もどきの後で、おいかけっこになる。
学校でよくやった遊びだ。
「フフ、じゃあ二分後にスタートよ」
マリーの姿を見送り、ローレンはホッとため息を付いた。
「見習いになっても鬼ごっこって。ま、いっか」
焔で撫でられたり、氷の塊の雨を避けるよりはましだ。
ローレンはとりあえず家の回りを一周してから、建物の中へ入った。
ほどなく窓からマリーの声がする。庭で騒いでいるみたいだった。
窓から覗いてみると、鳥相手に棒を振り回している。
「食べちゃダメーー」
どうやら蚕を捕食しに鳥が集まってきたらしい。
上から狙い撃ちで雷を落とす。プスプスと鳥が庭に落ち、マリーは肩でいきをしていた。
「雷……わかったわ。私、次は雷を習得するわ」
「いや、あの、兄上には回復を覚えるとか言ってませんでしたか?」
バルコニーに降りて来るとマリーが不穏な事を言っている。
「……ヒール」
マリーがチラッとローレンを見て、蚕に手をかざして呪文を唱える。
ウネウネ。目がバッテンだった瀕死の蚕が動き出す。
「もう習得してたんだ」
「晩御飯は鳥ね」
ローレンが打ち落とした鳥を広い集めたマリーはニッコリと微笑んだ。
「わかったわ。蚕を食べに鳥が来るのね。今度これで罠狩りできるか実験よ」
どうやら蚕は身の安全は遠のいたらしかった。
ウネウネ。助けを求められても困るのです。
ローレンは雷の的の練習にされるのを回避出来ぬだろう現実に目眩を覚えた。
歌が風にのって聴こえた。南領の海岸線。波間に聴こえるメロディにブランは眉を細める。
岩場から聴こえる清んだ声に、ローレライが居るのだろうかと多少緊張する。
岩場にみえる人影。マリーよりも幼く見えた。小柄で細い手足。
見比べれば、マリーの方が美人だと言われるだろう普通の容姿。
しかし何処か目を引く。
見たら判る。
ああ、良く解る。
目が放せない。
「……こんにちは、騎士様」
少女は固まった騎士に声をかけた。
「ようこそ、サウスポートビレッジへ」
「ようこそ」
反対側から少年の声に振り返ると、子供がもう一人いた。
「お嬢様、騎士様をご招待しましょう。ちょうどお茶の刻限ですし」
「そうね。是非よっていってください。騎士様」
誘われる。花畑に誘われる蝶のように。
案内された家は、一番大きい屋敷だった。少女をお嬢様と呼び使用人たちが大切に扱っている。
小さい漁村。ボロい舟。
それでも少女は微笑む。
「今日は運がいいわ。騎士様、あの向こうに島が見えるでしょ? あそこに私の旦那様がいらっしゃるの」
旦那様?
「次の満月にお嫁にいくの」
少女は輿入れが直ぐだと楽しげに笑う。
幸せなのだろうか。向こうの島も大してこの村より栄えた居ないだろうと思いつつ盗み見た少女はキラキラと瞳を輝かし遠くの島を見ている。
ここでもし連れ出せば、少女は結婚など許されなくなるだろう。
漁村の夫など認められない。
少女の幸せと、自分達の騎士の幸せ。
連れ帰った所で、あっという間に遠くの存在になる我が君。
城の騎士達に阻まれて、側になど居れないだろう。
「そう、幸せになるの?」
少女は微笑み、ポッと頬を染めた。
恋しい男や故郷から離され、二度と戻れないと知りつつ連れ去る。
それは彼女を飢えから救い、寒さから遠ざけ、そして自由を奪う。
結局ブランはその地を一人で離れた。
我が君を探して歩いている旅の竜には気の毒だが、幸せな少女を連れ去る事は出来なかった。
季節は巡り、満月はあれから数度あった。
漁村はのどかだ。以前通り変わらぬ。
荷物運びをしている人々に目をやり、そこに見覚えのある子供がいた。
てっきりお嬢様と一緒に付いていく小姓かと思って居たが、身の回りの側使えなら女性がついていったのだろかと思案する。
「……あんた、今更何しに」
少年はきつい目で騎士を睨み付けた。
「お嬢様からの伝言はないよ。あの島に行ってどんなところか見てくればいい」
怒っている。
「向こうの島の方が貧しいのか?」
「……見れば解るよ」
「何を口止めされているんだ?」
それ以上、少年は黙りを決め込みブランは仕方なく落ちていた棒切れを拾う。
砂にガリガリと線を書きあげる。
線がぽうっと蒼い光を放ち、影を見せる。
光は直ぐにおさまりそこには大きな姿があった。
ギャラリーが騒いでいる。少年は見上げたまま固まった。
「では見てくるとしよう」
呼び出されたワイバーンは羽を広げ、低く唸る。
「あの島まで往復で、後で腹一杯食わせてやる」
グシャーーグルグル
嘶き。
「牛でも鹿でも……、ん? 魚がいい? 俺が釣るより自分でとった方が早いだろ? 魚はいいけど幻の人魚とか言い出すなよ。前にお前、ペガサスとかいってきただろう。ペガサスは保護区だからダメじゃん」
カラカラシャーー
「自分で捕まえる? 一杯いる? 狩るのを止めるなって? 何で止めるかもしれないって……」
少年とワイバーンがにらみ会う。
「こらこら、食っていいのはタコとイカだ。クラーケンとかダイオウイカだ」
ブンブンと首を振るワイバーン。
「鮮度が命だ。取れたては旨いぞ」
多分。
「……後は鯨とか旨いぞ?」
ワイバーンは渋々了解したのか、頭を下げる。
騎士が乗り込むと、ワイバーンは羽ばたき飛び上がった。
「ワイバーン」
少年が呟いたが羽音で騎士には聴こえなかった。
水面ギリギリをワイバーンが飛んでいく。水面にはワイバーンの影が写り込み時折しぶきが上がる。
「気持ちいいな。食事の事がなければ、お前を何時も詠んでいたい」
毎日牛やら鹿やら数等必要とする。結構あり得ない食費である。
「魔境方面なら困らないが、街道だとお前の食事に困るからなぁ」
ぶつぶつ呟く。そして人に見られるともれなく大騒ぎ。
こんなに可愛いのに困った事だ。
「ん?」
水面がキラキラと蠢く。瞬間、水面に白い柱が伸びた。
「!」
絡み付く触手。
「あはは! お前のご飯が来たぞ」
水中に引きずり込もうとする触手に、ワイバーンはカン高い声を発する。
「え、ヘイヘイ。切り刻むけど、これダイオウイカか?」
ひょいひょいと飛び移りながら剣を振るう。
絡み付く触手を切り取ると、ワイバーンは水面を走り飛び上がる。
「愛してるぞ、リー、……え? 女に言えって、お前を庭で飼っていいと言う女がいたら何時でも言ってるよ」
急上昇したワイバーンの背から、ひょいっと飛び降りる。
「お前を撫でれる女がいたらペガサスでも人魚でも何でも食わせてやるさ。居ればなぁ」
剣を構える。
ザパーンと、白い巨体が水面に飛び上がってくる。
そこに剣を突き立てる。
水飛沫にまっぷたつになった物体が浮かび上がる。
「ほら、いっぱい食べろ」
背から離れた直後から、羽を閉じて同じように自由落下していたワイバーンの巨体はそのまま水面にダイブする。
ザバーン。
浮かんできたワイバーンの脚に赤い何かが絡まっていた。
「お前、とっても狩りが上手いんだな」
白い触手の上に立ち上がり、ローレンは苦笑いをした。
赤い悪魔vs黒い真珠
第二ラウンドはワイバーンが嬉々と食いちぎった。
「そうか。上手いか。よかったな」
ザバーン。
舞い上がる水飛沫。
水浴びをしているように、楽しげに捕食していく。
「本当にお前にキスできる物好きがいたら脚にすがって求婚するよ。嫌がっても手に入れる」
言いながら、普通の乙女がこれに触ろうとしたら睨まれて終わりだろうとも思う。
水面に漂っていると、下からワイバーンの首が自分を持ち上げる。
食事は終わったらしい。
水面を走り浮上、空へと飛び上がる。
「しかしあんなのがいて、ここの漁場は生活できていたのか?」
前回、特に困っていると言うような相談はされなかった。
もっとも正式に依頼するとなると、依頼出来る余裕がこの小さい村にあるかどうか謎である。
海は管轄外とも言える。
しばらく飛ぶと島が近付く。が、違和感しかない。
その島は小さく、集落が見えなかった。
廃屋が多少見てとれる。
それだけだった。
「あの子は何処に輿入れしたんだ」
戻った陸にいたのは、少年だけだった。
「みんなあいつらがいて逃げ出せなかった」
「あいつら?」
「白いのと赤いの」
「ああ、さっきワイバーンが食べた奴か」
逃げる?
陸の街道を行けば、隣町に行ける。救援を頼めたのではと思う。
「あの子は、あっちの森に捨てられた子だった。僕たちは捨て子を拾って育てる。贄にするために」
「は?」
「あいつら、船を襲ってここに閉じ込めるんだ。でも殆どは陸の道で逃げていく。逃げられないのは拾い子や海から離れられない僕らだけ。拾い子は逃げ出せるぐらい大きくなったら逃げられる前に贄にするんだ。あいつらある程度大きくないと食べないし」
ワイバーンは羽を広げ、乾かしている。
「前に陸の人間にひどい目に合ったんだ。それに拾い子を贄にしてるとか問題だろうし、でも僕たちは間違えたんだね。あんたに助けを求めていたら、あの子は救われたのに」
チャポン。
波の合間に人の頭が見え隠れしている。
「人魚」
少年はザブザブと水の中に入って行った。
一斉に人影が潜る。尾が水面を弾く。
呆気にとられているうちに、影が見えなくなった。
後ろでワイバーンが「食って良い?」と騒いだがブランはしばらく動けないままそこにいた。
ぼんやりしているとワイバーンが食事を調達してきた。獲物は猪だった。
バリバリ食べているのをボーと観察する。
「リー、もう夜か」
日が落ちていく夕日はあっという間に沈み、辺りは闇に閉ざされている。
「私は間違えたんだね」
連れて行っていたら、あの子は生きて居ただろう。
良く話を聞いていれば、白いのも赤いのもあの日に退治できていたはずだ。
「……彼女は我が君だったのか?」
わからない。
でも、目が離せない相手だったのは確かだった。
迷ったのも事実だった。
我が君だったら、どうあがいても無視等出来なかった筈だ。
しかし、実際無視できた。
「我が君で無くても、連れて帰れば良かったのだ」
目が離せなくなった娘を、諦めた自分。
その結果が、今。
愛しい娘は、贄となった。
それが現実。
「星が降ってくるか」
一目惚れした自覚がないまま、諦めた自分。
「ははは。幸せになっていたのを見てどうしようと言うのだ」
実際は、最悪な現実だった。が、幸せになっていた場合はどうしただろう。
答えがでないまま、ワイバーンの背に乗り移動した。
人が驚くから、街のそばへ行かぬようにしていたワイバーンは好きに飛んで嬉々と勇姿を曝す。
気にもせずに、好きに飛ばせた。
「……お前、俺の家を知っていたんだっけ」
数日後、気がつけば自宅の庭に降り立っていた。
「ただいま」
玄関のドアを開けると、騒がしい声が聞こえる。
「ダメだよ。マリー」
「五月蝿いわよ。あら、ブランお帰りなさい」
マリーは、ロープを握りしめている。
「ねぇ聞いた? ワイバーンがこっちの方角に来てるんですって。見つけたらこれで捕まえて庭で飼っても良いわよね」
「マリー、ダメだよ、見習いは、待機だって」
ローレンは、相変わらずマリーに振り回されている。
「五月蝿いわよ」
嬉々として飛び出していくのを見送り、簀巻きにされたローレンを見る。
「お前たち、何のプレイをしていたんだ?」
「縄抜けの練習。ってほどいてください」
ほどいていると、窓にマリーの吹っ飛ぶ姿が映る。
「……ええと、マリーは、何しにデカケタンダッケ」
「だから、はぐれワイバーンがこっちに飛んできているとかで……兄さん」
窓にはワイバーンのハッスルした姿がしっかり見えた。
「なるほど」
家にすでにいた。ワイバーンをロープ一本で捕まえて庭で飼うと騒ぐ娘が。
ワイバーンの首に飛び付き「捕まえたわ!」と、振り回されながら喜んでいるお転婆が。
しかし、彼女は、弟の婚約者だった。