コウモリとネズミと
はっきり言えば通りの名前も番地もよくわからない。地理の情報も無いので適当に歩いている。
もっとも先導しているのは、光に溶けて発光していない光虫が フヨフヨと曲がり角を教える通りに歩いている。
少し外れると人通りが極端に違う。
フンフンと鼻唄を奏でながら数度目の角を曲がると、光虫が速度をあげたのに合わせて走り出す。後ろの気配が騒ぎ出す。
「何処も同じね」
人が多くなれば治安も悪くなる。とは言え、王都で人さらいはおおぴらにNGだ。ここには本物の騎士がいる。にもかかわらず実行に移したのは、余所者の娘が把握される前なら足取りが追えないだろうと安易な判断からだった。
地方に連れて行き 闇市に出せばそれなりに収入がある。途中で本職の買取りがあれば渡してしまうのもいい。
しかし角を曲がった先で 少女の姿は次の角を曲がって見えなくなった。
おいかけっこの開始である。
「……ごめんなさい」
しばらく走った後で、光虫は行き止まりの壁の上を飛び越えていった。その通りにひょいっと飛び越えた先はお庭だった。
その上、飛び降りた目の前には 白いテーブルと椅子が並べられていてお茶をしている年配の紳士が居た。
後ろの壁から聴こえる騒然に眉を動かしたものの、降ってきた少女に目を向ける。
「これはこれは天使が降りて来るとは。一緒にお茶でもいかがですか?」
優雅に礼をする。眩い笑顔に誘われる。
「ええと、でもお邪魔なのでは」
「いえいえ、皆 私の相手はしたがらなくて寂しく一人ですからお相手お願いできますか?」
おもむろにテーブルの上のベルを鳴らす。直ぐに執事と思われる使用人が現れた。
「彼女にお茶を」
「かしこまりました」
執事は素早くお茶の用意をして戻ってきた。
いきなり庭にいた不審な少女に注意は向けても 側にいる主が平然としているのをあえて咎めてもしょうがない。
「塀を飛び越えてごめんなさい」
「ああ、追われて迷い込んだのだろう。あちらは入り組んでいるからな」
執事は客人が塀を越えたと聞き、簡単に飛び越えられる高さではないはずと壁をチラリと見る。
「お茶の後で、庭でも見ていかぬかね? 良ければ邸も見ていくと良い」
その上主がはじめての迷い子を誘っているのを聞き、はじめての認識が違うのかと似た人物をあれこれと思案したものの思い当たる人物はいなかった。
多分、初対面で間違いない。
「ええと、私 ギルドの依頼の面接しにいかないといけないので」
「おや、仕事をさがしているのかい? うちも人手不足でね。仕事ならうちで働かないかい?」
ギルドから回ってくる娘をほとんどは返してしまい、雇ってみたものの長続きしないの繰り返しの結果 面接に来る娘は皆無に近い。
「そう言えば、うちもギルドに依頼していたが、まだ応募は来ないんだよね」
主の機嫌の良い様子に 横やりの引き抜きをしようとしていることにため息が出る。
「駄目。選んだ仕事だから。面接に行くから……道を教えてください」
「フム」
主の視線が動く。
「教えてあげなさい」
主がアッサリと引いた。それも驚きだ。
「住所はどちらですか? もしくは邸宅の名前など」
彼女は懐から出した紙を広げて呟いた。
「ええと、ピクシーローズ邸?のライン……あれ?」
少女の瞳が主を繁々と見つめ小首を傾げる。
「ラインハート」
ピクンと小さく主が反応する。名を呼ばれた衝撃をアッサリと逃がした。
「貴方がラインハート?」
ギルド印の押された紙を差し出す。
「面接お願いできますか」
ギルドを前にしてルークは嫌な予感しかしない。今すぐ逃げ出したい衝動を抑え、鈴なりの女性の視線が痛い道を進んでいた。
普通こんなにも道に人が居るのかと首を傾げたが、少女と離れてしまった道は同じ感じだったかもと誰になく言い聞かせて進みギルドの扉を潜り固まる。
黄色い奇声にビクッと反応する。
「おや、騎士殿。帰還の報告なら城じゃないのかな」
逃げようとした途端、男の声に飛び上がり 自分のした反応に気がつく。
「補佐官殿、本日は何故にこんなことになっているのですか」
「おや? 何処か変かね? そこのテーブルへどうぞ」
じろじろと容赦のない視線とヒソヒソと囁く声。まんじりともしない嫌な汗をかく。
「……あの」
そんな中央にテーブルなど置いてあっただろうかーーハッキリと思い出せない記憶にため息が出る。
「誰が来るかワクワクしていたが、よもや若手の新人だとは」
「……何方かが私が来るとおっしゃられたのですか」
狸がのらりくらりとかわしていく様を見ながら、何の指導をされているんだろうと首を捻ったところ後ろからキャーという歓声が上がる。
「おや」
登場した美青年は笑顔に手を振り、時折投げキッスやウィンクを披露しルークの側までやって来た。
「これは予想外」
「叔父上、一度にこれをさばけと言うミッションじゃないですよね。というか何方が入れ知恵したんですか」
観客の女性に見せない冷ややかな視線を向け、ルークの耳元に身を屈ませると 一層黄色い声が咲き乱れた。
これで何か言われても 何も聞こえやしない。
実際囁いたのは「大丈夫か?」だった。逃走の打ち合わせではない。
「……それに何人かお断りした見合相手も混ざっているみたいですが」
「それは予定外だ。お前が来ると判っていたら捕獲要員を山と用意したのに」
「ハイハイ、お嬢様たち、お帰りはあちらですよ」
アルはあからさまに女性たちを追い出し、ドアを閉めると鍵までかけてしまう。
「まだ営業時間なのだが」
「……なんですか、この張り紙」
伝言板の一枚を引きちぎりじろりと受付嬢を睨み付け、珍しく女性をビビらせている。
「お前たちが女の子に逃げられているから、免疫をつけようと」
「変な気を回さなくてよろしい。……え? 女の子?」
アルはテーブルまで戻って来ると、どかりと座り不機嫌の表情で相手を睨む。
「我が君がギルドに登録に来た。ここまで連れてきた旅の竜がいたはずだ。が、側にいないとなると撒かれてしまったのだろう」
二人を交互に見ながら、あからさまにため息をつく。
「こちらの少年ならしょうがないかと思ったが、よもや百戦錬磨なお前まで逃げられていたとは 嘆かわしいっ」
「彼女はいつ頃いらしたのでしょうか」
アルはうんざりとした表情で自分達の用件を切り出す。
「二時間位前だ。ところでどちらが発見の騎士?」
「ああ、見つけたのはルークですよ。で、何処を紹介したのですか」
「フム」
やはり二人を交互に観察している。
「彼女を捕獲しなかった理由を聞きたいのですが」
「手荒に扱えるのは 旅の竜だけだ。……唄を聞いたのだろうな?」
「竜と騎士が逃避行して歌姫が街角でお婆さんになると言うとんでもない唄でしたが」
うんざりとしながら、聞いてしまった中身を伝えると彼は吹き出した。
「よもやその通りに逃避行して見てるとかーー」
ミシッとテーブルに亀裂が入り、いいかけた言葉を濁す。
「その唄だと、恋する乙女にはほど遠いいな。実際彼女のギルド票は透明だったが」
「透明?」
「ああ、そうだ。そなたたち ついでに浄化を受けていきなさい」
嫌な顔をした騎士たちをニヤリと見返し
「教会と学校にもよるように」
と、付け加えた。
どれらも定期的に行く事が望ましい。が、行けば用事を頼まれる事が決まっている。
ギルド票の色合いは、持ち主の心の反映した色だと言われる。
負の感情に囚われれば、黒く染まり出すと言われているが 実際そうなることは少ない。定期的に浄化を受け心の安定を維持できるからだ。
教会に行くのは信仰ではなく、只の雑用要員として使われてこいというのと、学校に行くのは騎士見習いに講師としてこれも後輩育成の奉仕活動である。
教会には 報酬が出せないが人手の必要な依頼が集まっている事が多い。
どれも基本若い騎士なら片手間でやれて当たり前。中間管理職の老年の騎士なら若手を割り振れば良いだけだ。
「……彼女は何処に」
しっしと犬でも追い払うしぐさに、アルは小さく舌打ちをしてルークの腕をつかみ歩き出す。
「あ、見合いはしませんよ。私もルークも」
外への扉の鍵を開け、出る瞬間に言い放つ。そのまま外に出る。
外には乙女の鈴なりの視線。
アルはそのままルークの腕を掴んだまま黙々と歩いた。
角を曲がって姿が見えなくなるとキャーと、大合唱がおきたが無視を決め込み「浄化と教会と学校」とブツブツ呟いた。
「やあ、ローレン。何だか久しぶりだねぇ」
舘の主は、大袈裟に訪ねてきた暇潰しにギルドに出入りしている男を歓迎していた。
「先に確認しよう。彼女はどこから現れた?」
「フフフ。お前がかけた結界をものともせず飛び越えて来たぞ」
クックッと、たのしげにわらう。
「まあ今までにも数人飛び越えて来た娘を雇って来たから、初めてではないが。その娘たちは立派に学校に行き、しかるべき家に養女として送り出したから 相変わらず人手不足だけどねぇ」
人がいつかぬと嘆いていた執事は一瞬息を止める。
「まさか塀から入れとか言ってないよね?」
「言ったらゲートは閉じるだろうに。ところで、ゴキブリに終われたゴロツキが逃げてきたのだが あれはどういう原理なのかと」
「ああ そう言えば何か追われて飛び越えて来たなぁ。拐おうとしたのだろう」
昼間、騎士の二人が逃げたあと いつまでも彷徨く娘の集団に悩み 何か追い払う口実をと、思案していたところに現れたのは 黒光りゴキちゃんの集団。
勿論 乙女はあっという間にいなくなり、泣き付いて来たゴロツキが悉く罪の告白をして助けを求めてきた。
「真っ昼間から人拐いか」
「お前、意外と鈍いのか。家に帰ってないのか」
「……帰れたら帰っているわっ」
はぁと、ため息が出る。
「家の誰も見ていないのに、私には見える。どうしたら良いのだ」
「あきらめろ。私にも見えている」
「ん?」
相手が天井を指差しているのに気がつき、視線をあげると そこにはたわわに実った黒い物体が蠢いていた。
「何時からあんなもの飼っているんだ? 老後のたしなみか?」
「バカ言うな。お前こそ、それらはきっちり持ち帰れよ」
次に足下を指差され 視線を向ければそこには小さな光る目。
ビクンと、飛び上がる。
「あんなもの つれてきてはいないわっ」
「騒ぐな。騒ぐと料理の皿に並ぶぞ」
「は?」
天井にいた一匹がパタパタ飛び立ち窓から出ていく。
「放し飼いなのか。良くしつけてあるな」
「彼女にドレスを着せた。ご不満だったらしく、あれらが見張りについて来た」
クスッと笑う。
「そのあとが見もので、奴らトイレを其処らでやらかしてーー、ククック」
笑いは何の発作かというほど続き、涙目になっている。
「他の侍女が逃げ出して、彼女が連れてこられた。ちらっと見たとたん何が汚したのかわかったんだろう。そもそも目の前でやらかしたのがいたからな」
どんどんとテーブルを叩きながら爆笑を続ける。
「で、彼女はやらかしたのをモップで追い回し捕まえて火炙りにしていた」
「小動物虐待か」
「ん? 毛が焦げていたが、また汚したらオーブンで焼くわよ と、言いつけて掃除をして その後はあいつらは窓から近くの川でしてきているらしい」
「ふ、コウモリ使いか」
「そこの足元のお前たち、お前たちもフンをそこいらにしたら鍋で煮込まれるかもしれんな」
ビクッと反応したのは足元のネズミたちだ。
「よもやオーブンで焼かれたのが居たのか」
「いや、庭でこんがり焼かれたのはいた。それがおやつに皿の上に出されて……」
おぞましいものでも見たように眉間にシワがよる。
「騙して城に連れ出すのは難しいな」
軽いノックのあと「失礼します」と入室してきた彼女のワゴンの中身に固まった。
「おつまみにどうぞ」
皿にこんがりと焼かれたのは種類の違う肉を切り分けて盛り付ける。
「取れ立てですよ」
にっこりと、微笑む。何故だろう。凍りつく。
「旦那様、飲みすぎはいけませんよ。ああ、庭で蛇捕まえて見たのでどうぞ」
ポンと置いた瓶には、どぐろを巻いてうねうねしている蛇が入っていた。
余りの静けさに執事が心配して覗きに来るまで、彼らは凍りついていた。
柔らかい陽射しのなか、子供たちの視線はすごいドレスで掃除をしている見慣れない娘に向いていた。
普段気難しい番犬と数分にらみあった後、素晴らしい曲芸を披露した。
「お座り、お手、おかわり、伏せ」
シャキンと犬が彼女の言う通りに動く。
それよりも、犬がそんな芸をするとは思っていなかった。
「かわいいわね」
むぐっと首筋に抱きつく。尻尾がブンブン振っているのを見たのもはじめてだった。
「待て」
木の枝をポーンと投げると 再度わしわしと犬の首筋をなぜる。
「行け」
命令と共に犬が飛び出したが、直ぐに「待て」と呟く。
ピタリと止まった犬。
「行け」
声と共に走り出す。目当ての枝をくわえると、一目散に彼女の元に戻っていく。
「ほう。あのように使魔を自由自在に使役できるようにーー」
一緒にそれを観察してしまった教師は、子供たちに向き合う。
「先生! 他人の使魔をああやって使役できるのは普通なのですか?」
「あはは、普通は無理ですが 学校の授業用の犬ですから」
「犬じゃないわよ。狼よ」
彼女の声が響く。
「それに使役契約はされていないわ。この子、主が見つかるまで学校にいていいと約束しているのよ」
「お前! 何で触れるんだよ! 生意気だぞ」
あんぐりと見ていた一団より若干大きい体格の子供が別方向から叫ぶ。
犬が少女の横で低く唸り、それを見た先生と呼ばれた男性は焦った。
「あら? どうぞ、触って」
小首を傾げて よいっしょっと犬を転がし腹を上に向ける。
固まったままの犬の腹を 容赦なくなぜまわしている。
わーと周りを囲んだのは小さい子供たちで、後ろから見ていた教師はハラハラと穏やかではない。
もみくちゃにされながら、犬が固まったままでいる。
たらたらと変な汗を教師はかいていた。
「何をしているかと思えば、犬と遊んでたのか」
「お帰りなさいませ。旦那様」
素早く立ち上がり、お辞儀をする。
「ああ、耐性付けしていたのか。小さいうちに触っておくと、多少は耐性が付くからね」
「授業は終了ですか? 旦那様」
上品なお嬢様のドレスをひるがえし、側へ駆け寄る。
「旦那様はやめなさい。昨夜も今朝もそういったであろう」
「雇用主様を旦那様と呼ぶのは一般的に当たり前な事だと思いますが」
彼女が離れた事で犬は子供の集団から距離を取る。
「ザワザワするので、是非に名前の方で……」
「あなた?」
周りの大人達が固まる。
「うーん。違うわね。パパかしら」
分別のある大人達が変な汗をかきながら パパと呼ばれた男をみやり視線に気がついた男は我に返り ふるふると首も手も振る。
「あら? だって若い娘を着飾って囲むことを パパっておっしゃるのでは?」
「やめて下さい。私の品性が地に落ちてしまいます」
「だってラインハートって呼ぶと貴方引っくり返るし……あ」
引っくり返りはしなかったが、膝から崩れ落ちた。
プルプルしている。
「もう足腰弱いのですから、大丈夫ですか。ラインハート様?」
横にしゃがんで 何処か面白そうに観察する。
「やはり杖でも用意しましょうか。ラインハート様?」
「姫。連呼はやめて下さい」
「姫ではありません。ラインハート様」
はぁ、と深いため息が出る。
「やはり旦那様が妥当な所ですわ。でないと信用も地に落ちそうですし」
名前を呼ばれて感極まる状態は、はた目に変態である。
子供の集団に追われて、校庭を走り回っている犬は迷惑そうにしている。
「お父様でも良いかしら」
地面にめり込んだ相手を見ながら、名前より破壊力のある単語にチェックを付ける。
「お父様、何時までも土遊びしていないで帰りましょ。お腹が空きましたわ」
「我がーー、フィル。お願いですから爆弾投下を楽しまないで下さい」
「旦那様と呼ばれるのを嫌がったのはお父様ですわ。早く帰りましょ」
天使の微笑みを浮かべ悪魔の言葉を呟く。
「コウモリを何匹か捕まえて、スープにしましょうか。……あら、お父様。大丈夫ですか?」
大人全てが青くなってる中、少女はパタパタ飛んでいる数匹のコウモリを見上げていた。
馬車が通りを進む。途中、馬に乗った騎手とすれ違ったがお互い気にも止めなかった。
「この子、美味しそう」
馬車の天井に生っていたコウモリをむんずと捕まえて、微笑む。
捕まったコウモリも、横に座った男も嫌過ぎる汗をかいている。
枕ぐらい大きさの胴体をわしわしすると、コウモリは悟ったようにおとなしい。
「……もう少し育つと、角とか尻尾が生えるのだけど」
嫌すぎる進化を聞いて、男は食べた方がいいのかという選択に悩む。
「逃がしてやりなさい」
少し残念そうにコウモリを放すと、のたのたしながら天井に戻っていく。
「あら」
小窓から、もふもふした尻尾が垂れているのに気がつき付いてきたものに苦笑いをする。
「ついてきちゃったわ。ダメよ。バイオレット」
尻尾がピクピクしている。
「喜んでいる見たいですね」
「……犬鍋って美味しいのかしら」
不穏な本気の呟きを聞き、少女以外が凍りつく。
「やめて下さい。ウサギでも鳥でも魚でも、獲ってきてくれますよ」
「あら、それならこの子でも獲ってこれるわよ」
再度むんずと捕まったコウモリはコクコクと頷いている。
「だってもう少しで繋がり出来そうだったのよ。焦らしてないであの子のところにいきなさい」
クーンという一声のあと、尻尾は見えなくなった。
「焦らしてたのですか。あの狼は」
「連れていったら、ドラゴンに食べられてしまうもの。ダメよ」
「は? ドラゴン?」
「そうなの。あんなに小さいと一飲みで食べられちゃうわ。せめて小山ぐらいないと」
小山ぐらいある狼をつれ歩く姿を想像して、眉をひそめる。
「お腹の足しにもならないわ」
誰のお腹と、聞き返したいのをグッと我慢しながら彼女を逃がした旅の竜に悪態を付いていた。
舘についてから、恐る恐る馬車の屋根を見上げて何もいないのにほっとする。
お鍋で煮込まれている神獣と目を合わせたくない。
「お父様、何の確認をしていらしゃるの」
土遊びをしだした男は慣れぬ衝撃に辟易していた。
胃が持たないと思っていたが、先に体が持ちそうにない。
早いところ謀略を巡らして、彼女を城に連れていこうと誓って起き上がりコウモリと目が合う。
「いや、今日の料理はあれを煮込むのかと見ていたのだが」
とっとと逃げろと、念をおくりながら振り返り彼女の腕の中にいる猫と目が合う。
「それは何かな」
「猫シチューにどうかしら?」
しばし睨みあっていると、猫を探しに来た子供に無事引き取られていった。
そして料理長から泣きが入り、食材を勝手に追加しないようにと約束させられていた。
それを一番安堵したのは舘の主のラインハートであった。
「遅い」
学校の門を潜ると、二人を待ち構えていたローレンは苦々しくため息をついた。
「教会で山ほど仕事を押し付けられたのですが」
アルは何故あんなに溜まっているのか首を傾げたい。
「手分けして当たれば、間に合っただろうが」
「その場合、ルークがここに来ていましたが」
「相変わらずくじに弱いのか」
嘆かわしいと大袈裟な身ぶりが入る。
「遅いと、言うのは?」
「半刻前にお帰りになった。ラインハート殿の次の授業は三日後だ」
犬が一人の子供を追いかけ回しているのを生温かく見やる。
「あれは何の特訓で?」
「捕まえれたら、強制鎖が構築されて 人の主を持てる」
「あれは無理だろう。主従関係にはほど遠い」
逃げ回る子供。それを嬉々として追いかける狼。
「まあ、躾が出来るか微妙ですねぇ」
「叔父上、変な物使役しているのですね」
足元にショリショリと芝を食べている育ったネズミを観察しアルは冷ややかに言う。
「えらく育ってますが」
「……気のせいだ。そんなものはいない。絶対いない」
「謀略を巡らすと進化しますよ」
うっと固まるのを見、アルは小さく笑う。
「ルーク。三日後だ。三日後叔父上のネズミに角が生える」
「何の話を……」
ルークは小脇に捕まえた犬を抱えながら戻ってきた。
「これが言うには、我が君に鍋にされそうになったと。で、誰かと契約して食べられないようになってから会いに行くと張り切ってますが」
「やめておけ。アホに使えてどうする」
「こら、優秀な見習いをアホとかいうでない」
「あれが優秀?」
追いかけられていた子供は物陰に隠れて睨んでいる。
「優秀とはルークみたいなのに付ける単語では?」
見ているとルークは犬にくっついていた聖霊をつつき犬から放している。
「ダメですよ。追いかけ回すのは逆効果だと理解できたでしょう? 毎日一歩ずつ距離を縮めてから撫でて貰わないと……理解できましたか?」
犬は神妙に聞いている。流石は優秀なーー。
「ルーク、これについた聖霊も剥がせたりするか?」
ローレンは足元のネズミを指差しそっと聞いた。
チラッと見たあと、ひょいッとネズミを抱き上げ猫でも撫でる様に撫でると ポロポロと聖霊が外れて空に溶けて行く。
ほっとローレンが安堵の表情をした。
「聖霊は個体を大きくするのを生き甲斐にしているのですね。お腹を空かせた娘の胃袋を満足させるには妥当な大きさですね」
「違うな。彼女は腹ペコ竜にご飯をとおっしゃった。もっと大きくなるだろう。馬ぐらいとか」
アルは自分の推理に砂を吐きたい気分だった。自身を付け狙う蛙がほどなく馬ぐらいに育った姿を想像した。きっとその頃には背中に羽根でもついている。
「さて三日後か。それまでに謀略を巡らすのか?」
「まあここで話すと姫には筒抜けだが」
ネズミの横には同じぐらいの大きさの蛙がいつの間にかいた。
チラッとそれを見てローレンは筒抜けにならない場所などあるのだろうかと首を傾げる。
ルークは蛙もひょいッと捕まえ背中を撫で、直ぐに放した。
「……あれ、俺が捕まえておくからつついて聖霊外せるか?」
見上げた木の枝の上に、大きく育った蛇が様子をうかがっている。
「毒持ちだ。噛まれたら死ぬぞ」
「なぬ! 毒持ちはこんな子供の側に置いておけぬぞ」
学校の敷地内。しかも住宅地。自然が多いとはいえ育った毒蛇は放置できない。
「そこの蛙とネズミのでも食べさせれば人を襲ったりしない」
「う」
「く」
アルとローレンが同時に呻く。
「次に姫に会ったら、食物連鎖の事をきっちりお教えしないと壊れるぞ」
「王都は魔境の巣窟とかやめてくれ」
「王宮は伏魔殿なのは普通だろ」
「騎士のいる王宮が伏魔殿? どんな世界だ」
かなり嫌な世界だ。
「さしずめ騎士の親玉の白は魔王の片腕か」
「だから何故、魔王軍団なのですか」
アルとローレンが妙な悪の軍団を作り出すのをルークは吠える。
「ん? 白は魔王よりも魔王らしく謀略を巡らすぞ」
ローレンはルークを観察し、目を細めた。
「では参考にして、謀略を計画しましょう」
アルはルークより年上な分、旅した時間も長く世間の洗礼も良く知っていた。
そして旅をやめた騎士の巣窟も理解していた。
その白と呼ばれる男も間近で見てきた。
色とは正反対の謀略を巧みに巡らせ生き残った、それだけである。
「尊敬する白を手本にして、生け捕るには餌ですかねぇ」
絶対尊敬していない口調でローレンがフムとルークを見る。
「叔父上、純粋なルークを腹黒に引き込まないでください」
「おや、まだ純粋なのかね。君は十にはもうーー」
ネズミが鳴いた。ビクッとローレンは飛び上がる。
「神の見使いが、謀略をやめろとおっしゃってますがいかがいたしますか」
「嫌な見使いだ」
「いえ、謀略は本人に任せてもいいみたいです。さっきのは警告ですね」
「ん?」
ローレンはアルの視線の先に気が付き、向きを変える。
学校の門を潜って、入ってくる騎士。
「おや、今日だったのか」
「お前たち、何を騒いでいる。アル、戻ってきてるなら家に寄りなさい」
馬を引いた割りと正式な騎士っぽい装いの男は、アルに声をかけローレンを見る。
「ギルドの監査に行ってたのではなかったのか?」
「私は何処でも監査するぞ」
「……騎士の査定はそなたの仕事ではないだろう。旅の騎士に干渉は許されぬ」
「わはは。可愛い甥っ子を付け狙ってるだけだ。我が娘の何処が気に入らんと言うのだ。アル」
「何時から娘が三百人も出来たのですか?」
「ギルドの騒動はそなたたちの企みか」
ジロリと見られると、ローレンはひきつった。
「白! ほら授業だろ。とっとと行け」
「ん? ローレン。何の謀略を巡らしているんだ?」
「なななっ 何でもない」
挙動不審すぎる相手とアルを交互に見てから、静かな少年を見る。
「ルークだったな。君も王都に戻ったときは家に顔ぐらい出しなさい」
「白、二人共にミッション中だ。だから二人共実家に寄るわけには行かない」
「ミッション?」
「旅をやめた竜には来ないミッションだ」
旅の竜にとやかく言えない。旅をやめた竜には。
そして旅の竜の只一つのミッションは決まっている。
「そうか。悪かった」
ゆっくりと歩いていく後ろ姿を見送り、アルは小さく舌打ちする。
「これで城の騎士はそれとなく捜索に加わる」
ローレンはうんうんと頷き微笑む。
「これは告げ口じゃないぞ。私は姫が来た等言ってない」
「そうですね。凄い謀略ですね」
アルは冷ややかにローレンを見る。
「まあ、これで帰らなくても良いみたいですし戦略を練りましょう」
チラリとルークの様子を伺い、アルは再度舌打ちした。
ローレン
ラインハート
バイオレット 狼