お姉ちゃんの結婚
あたしは男を信じない。
だから、駅で彼が待っていた時、きゃあきゃあ言う周りの声援を無視して、通り過ぎようとした。
「あの、水平さん」
って、名字呼ぶな、他校のくせに。でもヘッドフォンから聞こえてない振りして通り過ぎた。だから、反対方向の列車って知っていたけど、逃げるみたいに乗り込んだんだ。次の駅で降りて、違う沿線から大回りして帰るのがどれほど面倒くさかったか。そして、どれほどその間ドキドキしてたかなんて、世界中の誰一人知らないだろう。
そうお姉ちゃん以外は。
毎週日曜、私は手紙を書く。今日はルクセンブルグ、先月はモスクワだった。ずーっと年上で、仕事が忙しいママの代わりだった大好きだったお姉ちゃんは、海外の雑貨やインテリアを扱う会社のバイヤーになって、家に帰ってくることはない。そうもう5、6年にはなるんじゃないかな。
結婚。
テレビでその単語が出てくる度に、私はチャンネルをかえるかビーズのクッションを投げることにしている。口に出すのも嫌だ。もう20時。気分を変えてご飯にしよう。冷凍庫から市販のパスタを出してレンジにかける。麺もシコシコして美味しいし、すごく便利だ。
でも、昔、みんなが揃って、椅子が足りなくて納屋から丸椅子を持って来て、お姉ちゃんが大鍋二つ分茹でたスパゲティで、山盛り作ってくれたカルボナーラ美味しかったなぁ。ガリガリ、こしょうを削って振りかけてくれて、ぶ厚いパンチェッタがゴロゴロ。
野菜はねーのかよ、っていうあの男の声がよぎった気がして、せっかくの思い出が汚れた。あぁ、写真をはさみで切れるように思い出も自分で切り貼りできたらいいのに。
わが家は女系家族だった。パパは純粋な人だった、って涙を浮かべながら言うのが一昨年旅立ったばあちゃんの口癖で、それを聞くたびママは、身体が弱いけど心はまっすぐで優しい人だった、って付け加えていた。だから大学生だったお姉ちゃんが、彼氏って初めてつれてきたあの男が、粗野というよりも逞しい男性的な奇跡に見えたのかもしれない。
お姉ちゃんは、ミスキャンパスに4年間輝いた程の美女だった。成績だってバツグン。性格も明るくて優しくて、怒ると怖いけど、私の憧れだった。でも、だからか男の人が言い寄ってきてもはねつけていたのに、初めて連れてきたサークルで出会ったというその人は、男くさい以外は、容姿も学歴も性格も、どれもそこそこいう感じだった。
クリスマスの日、私にお菓子の詰まったサンタの靴を持ってきたその男が、自分家でも集まりあるんで、と帰った時、
「及第点ね」
とママが言った。ばあちゃんも、同意。「ショーコは?」ってお姉ちゃんが聞いたから、私は答えた。
「ノーコメント」
すると、みんな大爆笑。小学生が上手いこと言うね、とママがからかうので、真剣なコメントだったのにと私は頬を膨らませた。お姉ちゃんがすかさず頬をつついて、ブッと風船のように私の頬がしぼむ。それでおなら?とまた大爆笑。違うのにーと、また私が膨れておねえちゃんがつついて、その繰り返しでいつまでも笑ってた。
でも、今ではクリスマスに人が集うことはない。ママは、出世したらしく、単身赴任で違う地方に行ってしまったし。毎週金曜日、20時にかかる電話が唯一の手段。
「ショーコ、大丈夫?学校はどうなの?」
毎回、その言葉で始まる。「大丈夫だよ。いつもと同じ」私が答えるのも同じ。毎日、誰かが悩んだり、喧嘩したりそんなことでギャーギャーうるさかったわが家が、とんと静かになってしまうなんて。
キモイ奴に会った。でもスルーした。大丈夫だよ。と書いたのは、きっと大丈夫なの?って電話かけて来てほしかったから。でもお姉ちゃんは、いつものように2か月後に違う街からハガキを寄こす。自分が会った人、街の様子そんなことを書いて、最後に、ショーコに会いたいな、って必ず付け加える。
なら会いに来ればいいじゃない。こっちの店舗にも寄ってるはずなのに。同じ地球の上にいるのに、スカイプだってテレビ電話だってあるのに、お姉ちゃんは家とは繋ごうとはしない。
どうして?
考え出すと眠れない。私は、牛乳を温めて、一杯だけココアを入れると、温まったマグカップを両手で包んだ。昔は、誰かがとなりで寝てて、寒ければくっつけば良かったのに・・・・。
次の朝も、どこか肌寒くて、長そでを着て行った。駅で一緒になった子たちに、ねー、あれって彼氏?あの制服って付属の人でしょ?とかいろいろ言われたけど、さぁ?ってとぼけた振りして地下鉄の階段を降りて行った。昇る人と下る人。きれいに分かれるのでなく、ところどころぶつかり合いながら、お互いの目的地へ進んでいく。肩がぶつかるたび、自分がロボットになってるみたいな気がするのはどうしてだろう?
イマブツカッタノデスヨ。アヤマリモ、エシャクスラセズ、ナカッタコトニシテイクノデスカ?
途中で、リュックサックのチャックにつけたキャラクターが人ごみに引っ張られていく。足が滑る。
あぁ、落ちていくんだ。この人波の群れに。受け止めてくれるだろうか。どこかの祭りのように。
なんて、スローモーションで考えてた時、
「危ない、咲子!!」
と言う声が響いて、リュックサックごと後ろに引かれた。前にいたおじさんが振り向き、周りの人達も止まる。私の周りが一瞬空いたと思ったら、見る間に人垣が出来る。
「ボーっとしてんなよ。危ないだろ」
あたたかな、胸に抱えられて、私は囲んでる人たちをゆっくりと見渡した。パシッと、頬を軽くはたかれ、振り向いて顔を見る。
「何なんでしょう」
「何が」
「この状況」
「・・・、ま、とりあえず」
そう言って私の頭に手をやると、軽く押す。
ペコリ。まるでマリオネットのようにしゃがみこんだ私がお辞儀する。
「お騒がせしてすみません。ご心配ありがとうございました」
そう言うと、リュックサックを下ろさせ自分が前に抱えて、後ろに私を背負い、階段を降りていく。ホッとしたように、周りの波も元に戻っていく。青春ね、という声が聞こえたが、気にしない。でもカーッと耳たぶがあつくなる。
「違います!」
と、小声で、その誰かに言った。
「は?」
「あんたにじゃないから。空気に向かってだけど、一応、否定しとかないとね」
「お前さ、もっと下界に下りてきた方がいいよ。天女にでもなりたい訳?」
「あんたには言われたくない」
「おばさん忙しんだろ。また新聞出てたぞ。すげぇな、国背負ってるもんな」
「あたしより、あんたの方が詳しいんじゃない」
「ねーちゃんは?今どこの国で仕入れしてんの?」
ピキッ。その瞬間、ドンッと肩甲骨のあいだのくぼみをげんこつで押した。グオッ、と吹いた奴が腕の力を緩めた途端、ベンチの前で私はむりやり降りる。そのまま走ってホームの端に行こうとしたが、待てよ、と肩を掴まれた。グッ。このバカ力。そんなとこだけは兄弟似てるんだから。
「お前が言うな。誰のおかげで、ねえちゃんが行っちゃったと思ってんだ?」
「小さい兄ちゃんのせいだってのは、俺も恥ずかしい位分かってる。ほんと申し訳ないと」
「だったら、もう金輪際わが家に関わらないで。あたしの名すら呼ばないで、そうやって」
「あのバカ、結婚するんだ」
「ようやく?筋肉命のあの女と?」
「・・・あぁ。それで・・」
「それを報告にきた訳?わざわざ?結納の次の日、手切れ金持ってあんたの親が来たとき、わが家の総意を、伝えたでしょう。もう、関わらないでって」
「だから、決めたんだ」
「そう。わざわざさよなら言いに来てくれたってこと。相変わらず、律儀な奴ね。さっき助けてもらったし、三兄弟のうち、あんただけは恨まないでいてあげる。じゃ、さよなら」
一気にまくしたてると、格好つけて手を振るしぐさをした。真剣な顔をした奴は、指先をギュッと握る。
「なに?ET?」
「俺は諦めない。好きだ、咲子。だから俺の人生をお前に捧げる」
「はあ?」
「好きだ、顔合わせの食事会であった時からずっとずっと。いつか、ゆっくり好きになってもらえたらって思ってた。でもどうにもならない。親にも大きい兄ちゃんにも反対された。おばさんにもねーちゃんにも嫌がられるだろう。でも、俺はお前にいつもどっかにいてほしいんだ」
「よっ、青春小僧!!」
と向こうで不良系の若者たちがニヤニヤ笑ってた。次の電車を待つ人たちの、暇つぶしになっているのか。私たちの学校の人たちもいるじゃないか。ギャー―!!!!!ハッと気付く。
「朝から、なにバカ言ってんの。遅刻するよ」
そう言って、ブレザーの裾を引っ張ると、いつかみたいにぎゅっと握り返して引っ張って行く。走る私たち。どうにか間に合って、ギュウギュウ詰めの車両に乗り込む。別に私の場所を作ってくれるでもなく、お互い人垣に流され離れ離れ。でも、どこかチラチラ目が合ったりして。なんか、いろいろなことがどうでも良くなって、私は笑っていた。もちろん声は出さないけどね。
降りる時、
「咲子、気をつけて行けよ」
って、後ろから声がかかる。周りの注目の的だろう。ここでスルーすれば、なおさら冷たい視線を浴びるんだろうな。いい気味。
そう思ったはずなのに。
「わたしも好き!、バカ純三」
そう言って振り返って、手を振ってしまった。自分でもびっくり。私の深層心理ってこれ?過ぎ去る電車の中の皆さまの注目の的こそ、私、ではないか。あーあ。ミイラ取りがミイラってこれ?
あっさりとバカップル成立。しかし、ママを納得させるまでにそれから10年かかるとは・・・。知ってたらこんな苦労背負わなかったのに。先のことは分からないから、後で頭抱える失敗ってできちゃうんだな。
そう、まさか姉ちゃんが、わが社のバイトさんだけど、旦那になる人って随分年下の彼氏をつれて、お盆にいきなり帰省してきたことよりびっくりだよ。泡を吹きそうになったママを見て、私も仰天。その場は、潤三がお遣い物のところてんを持ってあらわれて、一悶着あった最中のピンポーンだったからね。
ほんと、我が家が久しぶりに大混乱。怒号と号泣の中で、そのイケメンは静かに言ったよ。
「彼女は私には勿体ない女性です。今でも俺なんかでいいんだろうかって思います。会議なんかでたまにお見かけする度、キラキラしてて、眩しくて。恋愛対象なんてとんでもなかった。ただ、このきれいな方が、自分の力を発揮できるように、いろんな人に守られて生きていけますように、って願ってました。これからも変わりません。ただ、私が傍にいるだけです」
途端、ドーッとママが泣き出した。思わず駆け寄るお姉ちゃんと私。何なの、あんたたち、ってワァワァわめく。
「愛とか希望とか、ささやかで信じるだけでも良かったのに。それすら根こそぎ奪って行っちゃう非道な現実なのに・・・。それでも、ちゃーんと見つけて来てくれちゃって。私の娘たちのくせに」
なんとなく感動物語で締め様としている雰囲気がどうしてか癪にさわって、きゅうりを切ってるお姉ちゃんとか、とうもろこしを茹でようとしてるにやけたイケメンに、さらにイライラして私は思わず口走っていた。
「でも、あたしは信じない」
場が静まるのでもなく、何が?と聞いてくれるでもなく皆さま華麗にスルー。こうなるとどうしてか意固地になる。固まりそうなゼリーをグチャグチャにしたくなるのと同じ。わたしはどこかぶっ壊れてるのかもしれない。壊す前に壊してしまえ。どうせまた一人になるのだから。これは欺瞞。そう、どこかで思ってる。
「こんなことずっと続く訳ないじゃない」
「その通り」
と、ひとっ走りラムネを買ってきた潤三が、冷蔵庫の陰からニョキッと出てくると、冷えた瓶の蓋を素早く開けて渡す。思わず、一気飲み。
「俺がこのうちに婿に入っても、何でもかんでも上手くいかないだろうしな。な?お義母さん?」
「気安く呼ばないで。許してないのに」
「だってさ」
潤三君は、グイグイくるね。そりゃぁ、反面教師見て育ってますからね。頼もしい弟になりそうだなぁ。・・・呑気に団らんをやる連中に、出した牙も磨くだけで終わってしまった。脱力。
家族ってめんどうくさい。結婚ってうさんくさい。でも、ここにいる私はなんでか心がシュワシュワしてるのだ。炭酸のせいだけじゃないよね?
どう思う、お姉ちゃん?
そう隣で聞くと、
「まだ信じなくていい。もう少しだけ子供でいなさい」
って真剣な目をしたお姉ちゃんが、団扇で扇ぎながら、優しく頭をなでた。
読んで下さりありがとうございます。潤三は三兄弟の三男で、すぐ上がお姉ちゃんの婚約者だったのです。いざこざがあったのですが、時間が経ちそれを越えて、パートナーを見つけたのでした。咲子の方はまだまだですけどね。