表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

魔法使い

作者: 中川京人

 ぼくは子どものころ、魔法使いだった。

 嘘じゃない。

 ぼくは自分の指の間に、何千何億もの数字を出すことができた。

 隣の町の書道教室に通っていた小学四年生のとき、電車の中で、習字道具を股に挟んで、出入り口のドアに凭れていた。吊革にはまだ手が届かなかったから。

 自由になった両手は、いろんなことを試してみた。

 ガラスに指で字を書いた。自分の息の標しを消すことで、文字を得ることができた。

 銀色に光る握り棒をしばらくつかんでから放してみると、惰性のように握り跡が残った。手のひらが息をしていたことを悟った。自分の中の知らないものを実感していた。

 それからぼくは右手の親指と人差し指を使って、英語の「C」の文字の反対の形を作って、そのまま思案していた。両指の先端の間を、ちょうど一センチだけ空けてみる。それから、ゆっくり縮めてゆく。五ミリ、三ミリ、……一ミリ。

 学校で分数を習った。

 十分の一。百分の一。千分の一。

 ──うん、十分の一ミリメートルね。中屋くん、どのくらいの長さかわかる?

 教習の先生が白い喉を見せて微笑む。そうねだいたいね、髪の毛の太さくらいでしょ。

 分母が大きくなるほど、数値自身は小さくなる。だから極小極微の数なら、分母は猛烈に大きい値を取る。何万にも、何億にも、何兆にも。覚えたての単位を並べてみる。そのひとつひとつが、全部違う数なのだ。

 ぼくはドアに凭れながら、指の隙間を慎重に慎重に縮めてみる。

 一ミリの半分。三分のいや五分の一──。指が震える。目が寄ってくる。十分の一。百分の一。千万分の一。それってあり? 離れているのに、指同士がお互いの存在に気づいてくる。いくつの数が指の間で駆り出されたことだろう。もうすぐ指同士がくっつく。数字よ。壮大な宇宙の遣いよ。準備はいいのか。早くしないと間に合わない。ああもう……。

 電車がコクンと揺れる。

 あ、くっついちゃった。

 その瞬間、ぼくの指と指の間には、電車の中には、この世には、幾万幾億幾兆の、さらに無限の数の数字が一瞬で踊り狂ったんだ。

 ぼくは自分で自分をすごいと思った。一瞬だけど、自分のこの指で、この世の全部の数字を動員したんだからね。だから魔法使い。

 ぼくはすっかり満足して、伊勢若松の駅で乗り換えた。

 接していたふたつの指先が、数たちの名残のように、じわんじわんしていた。

 習字の先生は上機嫌で朱色の二重丸をくれた。調子いいね、落ち着いた字だよ、ってね。

 先生ごめんなさい。でもぼくは、百分の一の輪郭を追いかけるよりも、百分の一という数を考える方が性にあっている気がするんです──。


 ぼくはおとなになる前から嘘つきだった。

 嘘じゃない。

 嘘。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] どうも! 「ひそか」なんて言わずにという気持ちでこちらからも読ませていただきました。 以前、二百文字小説の方に感想を頂いた時にも感じたのですが、中川さまは感性が私などよりもとても豊かですね…
[一言] こんにちは。 えっと少し感想を書かせてください(ちょいと長め?の^^;)。 まず出だし三行、とても好きです。わくわくする始まりですよね。 そしてそのまま心地よく進んでいく、「ぼく」の、身近…
2012/11/26 15:49 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ