【短編】『未来の私たちが、過去の私を溺愛しにやってきました』 ~追放された令嬢は、最強の戦乙女と最恐の魔女に挟まれて、甘々生活をはじめます~
第1話 『愛しい過去へ、血塗れの口づけを』
「インフィ、貴様ぁ! お前のような疫病神、もはや当家の娘ではない! この、家の恥さらしが! 貴様ももはや成人。これを機に修道院に……」
金髪を振り乱すお父様に罵倒され、涙を浮かべる私。
不貞の子、忌み子、悪魔憑き。そんな風にいつも疎まれる薄紫の髪が、うつむいた視界に映る。
不貞の言葉をそのまま名前にされた女の子、それが私。
その時、背後から冷たい手が伸びてきて、私の耳を塞いだ。
『聞かなくていいわ。あんなゴミの言葉』
耳元で囁く声は、私と同じ、けれどずっと艶やかで傲慢な声。
『貴女は私。世界を震え上がらせる災厄の魔女の器。……さあ、一緒に滅ぼしましょうか? 貴女を泣かせる悪い子たちを』
同時。
「――カハッ!」
憤怒の形相で喚き散らし、手の文鎮を今にも私に投げつけようとしていたお父様が、執務椅子ごと真横に吹き飛んで行った。
ついでとばかりに、私にとってお父様の権威そのものだった威圧的な黒檀の執務机が真っ二つに割られた。
そんないきなりの凶行を成したドレスアーマーに大剣を担う戦乙女が、ニコニコの笑顔で私を見る。
ぱくぱく、ぱくぱく。
「……?」
何かを言ってくれているみたいだけれど、なんにも聞こえない。
そういえば、お父様の体は壁一面を覆う、公爵家の紋章が織り込まれた重厚なタペストリーへと叩きつけられている。
本来なら、この筋肉だるまが壁にぶつかる、激しい衝突音が聞こえるはず。
けれど、世界は静寂に満ちている。
耳を抑えていた、ひんやりと気持ちの良い手が、そっと離れる。
「あ~、あ~。聞こえる?」
正面の戦乙女の少し幼い、甘い声が、聞こえるようになった。
「とりあえず、トル物トッテ、ずらかりましょう♪」
『貴女ね、もう少し淑女らしい言葉遣いをなさい、恥ずかしい』
しっとりとした艶を含んだ声が、いさめる……って、あれ? この声、もしかして頭の中に直接届いてる?
てくてくと、執務室の中を歩き回って、ずんばずんば、大剣を器用に振り回し。
あ、それ、国王陛下に先々代公爵が賜った『魔法の収納腕輪』。
あぁぁ、それは、領内のダンジョンで発見された至宝、『箱庭の城塞』。
って、どうして、執務室の引き出しなんかにしまわれていたの……
『あぁ、それね。戦時拠点として使うために献上させたのに、この無能男が鑑賞用にするって懐にしまい込んだのよ』
「おかげで~、死ななくてよい兵達にどれほどの犠牲が出た事か」
ひょい、収納の腕輪に吸い込ませ。
『クレマ、これも。いただいちゃいましょ』
と言って、いつの間にか私の背後から移動していた濃い紫のゴシックドレスに身を包んだ小柄な魔女が、棚から取り出したのは、『時の雫』。若返りの秘薬とも言われる、王都のオークションで白金貨が数百枚は飛ぶ超高級酒。
「いいですね! オーキス、せっかくですからこの場で、やっちゃってくださいな」
『そうね、ただ味見するだけではもったいないわね。この子なら、受け入れられるでしょ』
よく見たら二人とも双子みたいにうり二つの顔立ち。
薄紫色の瞳、すっと通った鼻筋、少し薄めの、けれど艶々と潤いに満ちた唇。
薄紫色の髪もすごく綺麗。魔女さん? は緩くウェーブさせたロング。戦乙女さんは大きな白いリボンでまとめたハーフアップ。
あ、よく見たら二人とも私と同じ瞳と髪の色だ。社交界で公爵家の恥にならないようにって、見た目だけは整えさせられていた、膝裏まであるストレートロングの髪をそっと手に取る。
魔女さんの指先に灯る、蒼白い炎。軽くボトルの注ぎ口の付け根をあぶると、キンッ。
炎が氷に変わったと思ったら、ボトルの口が綺麗に割れて取れちゃった。
棚にあったワイングラスに注いで二人が乾杯。え、私にも? じゃ、じゃあ、いただきます。
思わず受け取って、こくり。
うわぁ、ふわっと広がる芳醇な薫り。喉を通るルビー色の液体がじんわりと体中に染みわたっていく。
ワインって呼ばれているけれど、全然お味は違うのね。
「きゃっ」
思わず上げてしまった悲鳴。だって、いきなり目の前に魔法陣が! し、しかも私の発展途上の胸にスーッと沈み込むみたいに。何事かと思ったら魔女さんが指を私に向けてる? 彼女がやったの?
『”時の雫”はね、秘めたる才能の覚醒を齎す(もたらす)秘薬なのよ。正しい秘術も知らずに、若返りの秘薬だなんて。馬鹿な貴族共はもてはやしているけれど、ね。莫大な魔力がこもっているから、そりゃ美肌効果に体内活性効果位、呑んだだけでもあるでしょうけれど。まったく、もったいない。まさに、”オークにアメジスト”ね』
ぶんぶん、また大剣で執務室をぶった斬る作業に戻っていた戦乙女、クレマさん? が。
「これは、どうしましょうかね~」
あわわ、隣の金庫室の壁をくりぬいちゃった。
整然と収められた山積みの金貨、白金貨。金塊にミスリルのインゴット。権利書に証書、特に大切な取引記録。
ダンジョンや戦争で得た戦利品に、下賜された宝物。
『そのままにしておきましょう。あの男やこの屑公爵家がどうなろうと知った事ではないけれど、奉公に来ている子達や領民が路頭に迷うのは見たくないでしょう?』
「役職付きの屑たちは路頭に迷って野垂れ死んだ方が良いと思うけど~……下の子達は、そうね~。じゃぁ、これだけ!」
大剣を虚空にしまって、空いた手で取り上げたのは『玻璃の細剣』。
剣身が透き通るクリスタル……公爵家の伝手で鑑定をしてもらっても、素材が一切わからなかったらしい……で、できた、ミスリル銀の美麗な薔薇細工が柄に施されたレイピア。
「これならこの子にちょうどいいでしょ」
『あら、そうね。それ、まだここにあったのよね』
◇ ◇ ◇
第2話 『断末魔なんて聞きたくない』
「こ、公爵閣下ぁ!? 貴様ら、何をしている!」
この耳障りな癇癪声は、お父様が雇っている専属護衛のバラキスね。
昔の王都剣術大会準優勝の猛者。鍛え上げられた、引き締まった肉体は残念ながら本物。
剣一本で、王国とは長年の紛争状態にある、隣の帝国の歩兵師団1個小隊を撃退できるほど。
でも、少年愛好家をこじらせすぎて、違法奴隷に手を出して。
処刑されかけていたところをお父様が腕を見込んで拾い上げた、札付きの悪。
声を聴くだけで、全身ががくがく震えて、やだ……おもらし……もう立派なレディなお年頃なのに。
のっそりと、あの男が扉を開け、入ってくる。
じろり。真っ先に私に注がれる視線。女嫌いの男の視線が突き刺さる。
情けなさと哀しさ、それに体中に残るドレス越しには見えないところの醜い傷痕が、じくじくと熱を発する。
事あるごとに、お父様の命令で私を打擲する拷問官でもある、最悪の男。
“少年たちをかどわかしおって、この魔女が!” なんて、興奮すると叫びながら、焼き鏝を私にあてた男。
何の事かもわからない、無茶苦茶な責め。
「やだ、やだよ……」
地下室には連れて行かないで。いい子にするから、いやぁ……。
内心で悲鳴を上げながら、尻込みしちゃう私。染みついた反射の動き。
ぽんぽんって、頭をなでる温かな手。手の甲だけを金属で覆ったガントレットに包まれた戦乙女の手。
そっと肩に添えられる、相変わらずの冷たい、けれどとっても柔らかくて気持ちのいい、レースの長手袋に包まれた魔女の手。
全身を露わにしたバラキス。
きっとまた、私よりはるかに豪華な……そもそも私に与えられているお部屋は上級使用人室にすぎないのだけれど……自室でナニカしていたのね。乙女の前に出てくるなんて言語道断な格好。ズボンだけをはいて、雑にコートを羽織ったほとんど裸みたいな細マッチョが、公爵家の紋章入りの騎士剣を片手に、のっそりと部屋の中央に歩み入る。
その時にはもう、不思議と私の気持ちは大分落ち着いていたの。
『ちょうどいい的じゃない』
「そうですね、ほらほら、剣をもって。大丈夫、”時の雫“と魔女のおまじないは本物よ?」
まだかすかに震える手に、鞘から抜き放たれた『玻璃の細剣』をそっと握らせる、クレマさん。
「あぁん? 公爵はぶっ倒れて、金庫室ががら空きじゃねぇか。へへ、こりゃいい」
女の子三人組なんてもう目にも入っていないのか、ずかずかと金庫に向かって、歩を進めるバラキス。
「や、やめなさい! それはお屋敷で働いてくれている人たちと、領民のためのものよ!」
思わず声を上げてしまった私に、「ちっ」 汚い舌打ち一つ。
イライラの気配がびりびり伝わってくる。いつも私を蹂躙する暴力の気配。
やだ……怖い……。
そんな私の背中をトントン。優しく撫でるように、軽くたたいてくれる、二人の手。
ドンッ!
轟音、魔法で身体強化までした、実力者の本気の踏切。床の石材が粉砕されて穴が開く。
きっと、ドラゴンみたいにすごい速さで突っ込んできている……んだと思う。だって、そんな怖い目にあった事ないから知らないもの。
限界まで引き絞り、捻じられた腰。
床を蹴り砕いた左の軸足は、つま先まで一直線に伸び切っている。
右足の深い踏み込み。一回り膨れ上がって見える、上半身。
あれ? 全部、視えてる。ゆーっくり、ゆーっくりと動いていくバラキスの身体。
武の心得も、魔法のお勉強もさせてもらえなかった私にも見える。
首筋には太い血管が脈打ち、筋肉の筋が露わになる。
大上段に構えた剣先は背後に隠れるほど深く振りかぶられ、極限までしなる背中から腕にかけてのライン。
事細かに、筋肉の一筋ごとの動きまで。おふざけ? って思うくらいゆっくりと。
天井すれすれの弧を描いて振り下ろされる、騎士剣の剛撃。
でも。ゆっくりと、まるで泥のように重く感じる空気の中をそっと横に動いていた私はもう、そこにいない。
それでも、慣れない剣の威圧に晒された私は怖くなって、思わず目をつむって。
持たされたレイピアを握ったまま、頭を護るように丸まってしまったの。
手には何の抵抗もなかったわ。ただ、頭を抱えて、弱々しくしゃがみこんでしまっただけ。
『あらあら、困った子ね。それじゃあ汚れちゃうわ』
ふわ~。身体が温かな風に包まれる。ふんわりふわふわ、びっくりして目を開いた私。
脚は床を離れて、執務室の中、空中に浮かび上がってる!
ふと横を見ると……。
「うそ」
大きく目を見開いて、一瞬何が起きたのかわからない。でも、すぐに理解がじわじわと這い上がってきて。
「えぅ……」
胃の奥からすっぱいものが。
そこにあったのは真っ赤な血を吹き出して……いや、いやいやいや。
見るのも怖くて、いやいやするみたいに、浮かんだまま体を丸めて殻に閉じこもるみたいに。
「ん~。ちょ~っとまだ早かったかな」
『そうね。けれど、嫌でもその内慣れるわ。だって、私ですもの』
「そだね~、私だもん。いきなりすぎただけ」
鉄錆の匂いが満ちるお部屋で暢気に、お天気の話でもするみたいに軽い調子で話し合ってる二人。
なに、なにがなんなの。
し、死んでた。ううん、私がやっちゃったんだ。
頭を庇って丸まった時に、レイピアが、すーって。
何の感触も無かったのに。
付け根で断ち切られた騎士剣、二の腕で断ち斬られて転がる腕、斜めに断ち割られた上半身。
『んーこのままじゃ落ち着けないわね』
ぼっ。
紫色の焔が広がる。床の絨毯には焦げ跡一つなく、消える惨劇の痕跡。
全部きれいさっぱり消えちゃった……。
思わずぽかんとする私に、「こんなの入ってたよ~」。なんて気楽な声がかけられる。
収納の腕輪から取り出した、細かく切ったレモンのはちみつ漬けを。
「ふにゅ!?」
き、ききき、きす!?
奪われちゃった、私の初めて。
とっても甘くて、ほんのり酸っぱい味が口の中に広がる。
こみあげてきていたモノが、すっと落ち着いていく。
歯茎の裏を、そっと撫でる舌の感触。くちゅり、脳髄に響く甘い音。
とろん、と私の目が蕩けるのが分かっちゃう。
『あ、こら! 何を先に』
「いいじゃない♪ この子が元気になるなら」
さらに言いつのろうとしたオーキスさんの、頭に届く声を遮るみたいに。
「バラキス様、何事でございま……いやぁぁぁぁ」
メイド長の悲鳴がお屋敷中に響き渡った。
捻じ曲がった手脚のお父様が転がったままだったわ。
◇ ◇ ◇
第3話 『三人寄らば、ベヒモスも消し飛ぶ』
『面倒ね、行きましょう』
「は~い。ってまだ腰が抜けてるね。抱っこしてあげる♪」
ひょいって私をお姫様抱っこしてくれる戦乙女のクレマさん。まるで羽根を摘んで運ぶような軽やかさで、彼女は駆け出した。
てってって、軽快な足取りに、公爵邸の情景が目まぐるしく移り変わる。
お庭を見下ろす鏡張りの長い廊下。毎日毎日、私が雑巾がけさせられた場所。
清掃用の魔導人形がお掃除してくれるのに、”人の手で一つ一つ拭き清めるからこそ、公爵邸としての品格を保てるのです“。なんてメイド長に罵られながら、膝が擦り剝けるまで磨いた、冷たい床。
――がしゃ、がっしゃーん!!
通り抜けざまに、クレマさんが楽しそうに蹴り砕いた王都の工房製の鏡の破片が、キラキラ。綺麗な輝きを背後に残していった。
見下ろすお庭の裏手に隠された物置小屋。
毎日納品される最高級な魔石燃料の、出がらし。貴族の家では捨てられるだけのそれを、わざわざ分解して、再処理業者に引き渡して小銭を受け取る毎日。汚れた魔素を吸い込んで肺が痛くなる、今では人手でやることは禁じられた作業。
お金は全部、メイド長に没収されるのだけれど。
――ずどぉーん!!
魔女のオーキスさんが放った濃い紫色の焔が、小屋を跡形もなく消し飛ばした。さらに紅蓮の炎が飛び散る。引火した魔石燃料の残りかすの散る、綺麗な花火。
昏い思い出が、心に刺さる棘ごと破壊されていく。
未練なんて、欠片もない。あるのは胸のすくような破壊音だけ。
煌びやかなダイニング。
公爵の娘……のはずなんだけどな。私が入った事のないお部屋。
兄さま、姉さまは、いつもきらきら美味しそうなお食事を召し上がっていたの。
ほんわか優しい眼差しを鋭くとがらせて、クレマさんが一睨み。
ゴーレム騎士甲冑に護られた正面エントランス。
地下を通る配管にもぐりこんでは、お掃除したな……緊急時の経路くらい知らなくて何が貴族の娘か。
これも躾。そう言っていた家令のお爺さん。社交界では他家のおば様方にとても人気。
処理スライムがこなしてくれるから、誰もやる必要もないはずの……お勉強。
魔女オーキスさんの妖艶な笑みが、絶対零度の氷河みたいに凍り付く。
正面に見えてきたのは、お屋敷の正門。
頑丈な鉄柵と、上級使用人たちの冷たい眼差しとともに、私をこの地獄に閉じ込めていた檻。
「邪魔~」
クレマさんが、私を抱いたまま跳躍する。
いつの間にか片腕で私を抱きなおして、右手に握られた大剣が、素早く振り抜かれる。
十三回。
ほんの一歩の間に振られた神速の斬撃が、やっぱり私には全部見えていた。
すっと膝裏に回され直す右手。
今の私の視界にも、いつの間に大剣をしまったのか見えなかった。
音も置き去り。
分厚い鉄の門が、ばらばらと崩れ落ちて。
風が、頬を打つ。
「あ……」
胸が苦しくなる哀しい思い出ばっかり思い出すお屋敷を、疾風の速さで駆け抜けて。
さんさんと降り注ぐ陽光の下。
『持っていくモノもないでしょう?』
「え?」
いきなりのオーキスさんの言葉に、きょとん。
「貴女は私たちと、外の世界に行くんだよ~」
ふわふわ弾むような声で言うクレマさん。
「な、なんで」
飛ぶように後ろに流れていく、領都の街並み。あ、これ本当に外壁、それも魔の森方面の誰も使わない北門に向かってる。
『私たちは未来の貴女』
「もしかしたらの未来の貴女」
『あんな腐った家を捨てた……けれど、遅すぎた、未来の貴女』
「だからもう間違えないの~。今、この瞬間に、貴女は自由になるべきなのよ」
『それしかないの。幸せを、手にするには』
「だから、嫌もダメも無しね♪ というわけで、いっくよ~」
ぐっと沈み込む視界。
お姫様抱っこされたまま地面が近づく。
それから、ぽーーん。
青空に向かって天高く、領都を囲む王国でも随一の高さと堅牢さの城壁を遥か眼下に見下ろして。
てってってー。
気が付けば三人の姿はもう、怖い怖い、魔の森の中。
――魔の森の深層部……だと思う。だって、あんなに早いクレマさんの足で走り続けたのに、もう夜だもの。
途中で現れた、騎士団長だって、宮廷魔術師だって、ぷちってひねり潰されちゃいそうな恐ろしい四本足の巨大なモンスターを、戦乙女の蹴りと魔女の炎弾で、薙ぎ払い。
やってきました、巨大な湖のほとり。
こんな場所があるなんて、私知らない……。
大きく開けたそこに、そびえたつ白亜のお城。お父様のお屋敷はもちろん、王都にそびえる王城よりも美しい、白亜の城塞。
ええ、お父様の執務室から持ち去った『箱庭の城塞』を、展開したんです。
「さ、入りましょ~。今日からしばらくここが私たちのお家ですよ」
『そして、この子の鍛錬拠点ね』
え? 鍛錬って?
ちょっと不穏な言葉が聞こえた気がするけれど、気のせいよね?
――きっとこれはただの夢。だけど、覚めてほしくない、夢。
こんな豪華なお風呂、見た事……はお掃除であるけれど、初めて自分のために入る、大広間みたいな広さのお風呂。
桶の中の冷めかけじゃない、魔導具から無限に湧き出る暖かなお湯。ぴかぴか輝く明るい魔導灯。
甘い香油の香りが湯気に混ざって、慣れない私はちょっとだけ、くしゅんって、くしゃみをしてしまった。
「さ、脱いで~?」
『綺麗にしてあげる』
抵抗する気力もなく。表は素敵、でも、裏地は補修の縫い跡だらけの、実はボロボロなドレスを脱がされる。
露わになった私の体は、明るい光の下で見たら、あまりにも無惨だった。
痩せこけた肋骨。折檻のたびについた青あざ。火傷の痕。消えない切り傷。
けれど、二人は顔をしかめなかった。
それどころか、熱っぽい瞳で、私の傷跡を見つめている。
ちゃぷん。
温かいお湯に、三人の体が沈む。
「可哀想に……痛かったね」
クレマさんが、吸い付くみたいな瑞々しい手のひらで私の背中を優しく撫でる。
『許せないわよね。こんなに綺麗な娘を、傷物にするなんて』
オーキスさんの、お風呂に浸かっているのに冷たい指先が、私の脇腹の火傷痕をなぞる。
不思議と、彼女が触れた場所にじんわりと熱がしみ込んで、痛みが引いていく。
見る見るうちに、傷跡が薄れ、滑らかな肌が蘇っていく。
魔法の治療……ううん、でも、古傷を消す治癒魔法は高位の神官様でもないと。
こんな、なんでもない事みたいに次々、そっと慈しむように触れるだけで!
「どうして……?」
私は震える声で尋ねた。
「どうして、私なんかに、こんなに優しくしてくれるの?」
不貞の子。忌み子。
そう呼ばれ続けてきた私に、生きる価値なんてないはずなのに。
二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。
濡れた薄紫の髪が、肌に張り付いて艶めかしい。
鏡を覗いているみたい。
けれど、鏡の中の私よりもずっと自信に満ちていて、美しい二人。
『言ったでしょう? 私は貴女だと』
オーキスさんが、私の顎を指ですくい上げ、顔を近づける。
薄紫色の瞳が、とろりと潤んでいる。
ちゅっ。そっと触れるだけの接吻。
『私たちは、貴女を愛しているの。だって貴女だけが、たった一人だけの。かつての私にも、どんな私にも、届かなかった。全てを変えられる存在なのだもの』
「そうだよ。貴女はね、これから強くなるの。最高に可愛い、最強の女の子になるの」
クレマさんが、私の首筋に顔を埋め、甘えるようにすり寄ってくる。
『だから、その名前はもう捨てなさい』
インフィ……不貞。
お父様が私に焼き付けた、呪いの名前。
『新しい名前をあげる』
「私たちが、一番大好きなお花の名前!」
二人の唇が、左右から私の耳に触れる。
こしょばゆい吐息と共に、その言葉は紡がれた。
「「リラ」」
リラ……ライラックの花。薄紫色の、私の髪と同じ色の小さくて可愛いお花。
「リラ……」
二人はやっぱり私なんだ……私も大好きなお花。
りら、りら……口の中で何度も転がすと。優しい微笑みで私を見つめる、もしかしたらの、未来の私。
胸の奥に長い年月の中、溜まっていた泥が、涙となって溢れ出す。
「リラ……うん、私、リラになるぅ!」
泣きじゃくる私を、二人は左右からきつく抱きしめた。
柔らかい胸の感触と、お湯の温かさ。
ここは夢の中なんかじゃない、きっと天国ね。あるいは、地獄の底に神様がお創りになった、楽園なのかも。
ところで、私、おっきくなってもお胸は控えめなのね? それに背も……全然伸びてないね?
幸い余計な一言は口に出てはいなかったみたいで、和やかに触れ合って。やわやわ、さわさわ、二人掛かりで隅々まで磨き上げられた私。
今までみたいに、外面のために形だけ整えられるんじゃない。
そっと優しく、慈しむように櫛を通してくれた、クレマさん。
スキンケアも大事よって、『魔女の秘薬』って言って、にゅるにゅるする薄ピンク色の液体をくれた、オーキスさん。
お風呂から上がって、これもなぜか収納の腕輪に入ってた最高級シルクのネグリジェに身を包む、私たち。
ふかふかのソファーに、真っ白な大理石の机。
暖かい毛足の長い絨毯に、優しい灯りで照らしてくれる魔導灯。
目の前には二人がどこからか取り出した……いえ、分かっています。
道中薙ぎ払った、王侯貴族ですらきっと食べたことがない、国を滅ぼしそうなモンスター達のお肉…ですよね? そのステーキ。
それに、これもやっぱり道中でオーキスさんが、風の魔法で集めていた名前も分からない果物。
あのままなら私は、外聞を気にするお父様に修道院に閉じ込められて、生涯を終えていた。
ううん、二人が未来の私なら。
きっと何かがあって。変わったのかな?
でも。私の転換点は、今日この日。
ソファーに寄りかかって、身を寄せ合って座る三人で。
うん、これからどんなことをしていこう♪
お花の香りがする私達の薄紫の髪が、ちょっとだけ、勇気を私にくれる気がするの。




