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09.咆哮と群れ

 バァァァァァァア!


 逃げるルーを見て鬼熊が吠える。

 咆哮と同時に走って来たその巨体は、近づくほどに巨大で、一歩踏み出すたびに地響きを起こしていた。

 

 「俺を無視するつもりか?」

 ルーに気を取られている鬼熊にシンが声をかける。

 

 シンは回復薬の空き瓶を収納すると、レイピアを構えて刀身を出した。その白い光を見て、鬼熊がシンに標的を変えた。


 「ミドビル。今敵を討つぞ」


 

 勢いよく突進して来た鬼熊は、背中から生えた前足にそのスピードを乗せて叩きつけた。凄まじい衝撃音と共に地面が縦に揺れる。


 シンはその一撃を躱して上空に飛び上がり、なんと鬼熊の顔よりも高い位置にいる。そこから物理法則を無視した空中軌道変化で顔めがけて一直線。つぶらな右眼を串刺しにした。



 後方では激しい衝撃音と咆哮が響く。

 だがルーは振り返らない、というよりは振り返れない。もう一度あの化け物を視界に入れたら、次こそ腰が抜けてしまうからだ。ひたすらに走った。


 (ごめんなさいシンさん、でも俺には何もできないよ)


 罪悪感と恐怖でいっぱいのルーを、さらに背中を内側から掻きむしるような感覚が襲う。初めてシンと会った日に似た感覚。だが今回は明確に痛みを伴っていた。


 「なんなんだよこれ!」


 いろんなものを抱えたルーが逃げていると、前方に多数の人影が見えた。無論ゾンビ共だ。その数は増えに増えて五十を優に超えている。


 ルーがゾンビの集団を避けるために、右折して民家と民家の間の路地に入った。これが命取りとなる。


 路地を抜ける寸前で、前方からゾンビが押し寄せて来たのだ。引き返そうとするが、後方もいつのまにか来ていたゾンビで埋め尽くされている。ならばと、民家を登ろうとジャンプして屋根部分を掴むが、うろこ屋根のうろこが剥がれて、背中から地面に叩きつけられ、万事休す。ルーは左右から来たゾンビの波に呑まれた。


 

 シンは鬼熊の右の眼玉を刺した後、即座に跳躍。ふわりと着地。レイピアを構え直して戦闘態勢。敵の様子を伺う。

 鬼熊は刺された痛みで呻き声をあげながら仰け反った。その勢いで直立二足。立ち上がった。その巨体は隣にある二階建ての民家よりも大きい。もはや魔物というより怪獣。


 怪獣は右眼のあたりを押さえて苦しんでいる。しかし残った左眼でシンを発見。体勢を立て直す。胸を張り、六本の腕を折り曲げて、胴体いっぱいに空気を吸い込み、身体を怒張させた。


 大咆哮。


 その声は怒り一色。言葉が無くとも分かり合えるとはこのことか。鬼熊の隣りにあった民家が、咆哮を受けて半壊した。


 横の民家でこのダメージ、真正面にいたシンはモロに喰らって吹き飛ばされ、目と耳と鼻と口から血を流して倒れた。



 

 一方路地では、ルーがゾンビに食べられている。

 どれだけ跳ね除けようとしても、数十体が重なり合いびくともしない。どんどん噛まれる。


 遂に首を噛まれて血が吹き出し、失神した。


 




 ルーは夢を見る



 教会にいる夢


 暖かくてふわふわしている


 (あれ?俺ゾンビに噛まれて…)


 (何で教会にいるんだ?)


 (そうか、死んだのか)


 目の前には人が寝そべっている


 (子供?)


 近づくと、それは幼い頃のルーだった


 (俺だ、何で?じゃあ俺は?)

 

 誰かの会話が聞こえてくる。



 「ごめんな、こんな最後で。ルーを助けてやってくれ」


 「                」


 「ああ、わかってる。でもたのむ、俺の命より大切な、たった一人の息子なんだ」


 「                  」


 「ありがとう、俺もだよ。…ウル」


 

 

 

 いつのまにかルーの身体は、ゾンビにつけられた噛み傷が無くなっていた。


 ルーが怪力でゾンビ共を跳ね除ける。さっきまでは出来なかったことだ。だがまた周りのゾンビが掴みかかってくる。



 その瞬間ルーの背中から、服を突き破って獣のような一本の腕が飛び出した。それがゾンビを掴み、胴体を握りつぶす。


 背中から生えた腕は、ルーの腕よりも二倍は太く長く爪も鋭い。


 その腕が暴れ回り、近くにいたゾンビ達を蹴散らすと、ルーの体はとぼとぼと何処かへ歩き出した。


 

 咆哮を喰らったシンは倒れたまま動かない、いや動けない。そこに迫る大きな影。鬼熊はシンにトドメを刺そうとして、その巨大な腕を持ち上げると大きな握り拳を作った。

 

 シンはそれに気づいているが、身体に力が入らない。


 鬼熊がもう、ほとんど足しか見えない距離まで来ていた。

 

 目を瞑り、死を覚悟する。


 「すまない。…リリサ」


 シンが誰かに謝った。


 ・・・


 だがなかなか拳は振り下ろされない。

 目を開けて上を見ると、鬼熊は既に腕を下ろして何かに備えている。


 シンは朦朧とする意識の中で、背後から足音が聞こえてきた。身体が動かないため確認はできないが、音からして二足歩行、歩幅からして人間。


 だが背中越しに感じるそれの気配はおぞましいもので、明らかに人では無い。


 憎しみ 孤独 不安 怒り 絶望。

 負の感情そのものが近づいてきているのがわかる。鬼熊もその圧倒的な不快感で、足元の死に損ないなどどうでもよくなったのだ。


 シンは強烈な睡魔と闘いながら考える。

 ルーは逃げ切れただろうか、大変なことに巻き込んでしまった。仮に魔物が現れたとしても、土鬼程度なら始末できるとたかを括っていた。まさかこんな化け物が出るとは。


 目撃証言、潰された魔狼、去年の事件、ミドビルの死。手がかりはあったのに見通しが甘かった。


 ダメ押しに背後からは、邪悪な何かが迫っている。


 後悔の渦の中、シンが意識を手放した。


 


 足音の正体はルー。


 だが様子がおかしい。背中から大きな獣の腕が生えている。目も半開きだ。

 

 躙り寄るルーに嫌悪感を露わにした鬼熊は、六本の腕を大きく広げて唸り声で威嚇する。


 しかし全く引き下がらない。それどころかさらに一本腕が生えてきた。これでルーが四本、鬼熊が六本。合わせて十本の多腕対決が始まる。


 かと思いきや、それを見た鬼熊は後退りする。


 片目が無くとも、こんな雑魚一匹簡単に踏み潰せるはずだ。なら何故後退りするのか。


 鬼熊は今、人がゴキブリを見た時と同じ感情になっていた。


 近づくのも気持ち悪い。踏むなどもっての外だった。それほどに忌々しい、邪気とも呼べるような何かをルーは放っていた。


 ここじゃないどこか遠くへ行きたくなった鬼熊は、踵を返してその巨大な後ろ姿が見えなくなるまで走っていった。


 

 

 それを見送ると、ルーの背中の腕が徐々に身体に戻っていく。全て収まりきった時、叫んだ。


 「うわぁ!なんじゃこりゃ!」


 まず壊れた民家に気づき、その次に血を流して倒れているシンに気がついた。

 

 どうやら今までルーには意識がなかったらしい。


 「シンさん生きてますか!」


 倒れているシンを抱き抱える。


 「大丈夫…みたいだな」

 顔の全ての穴から血が流れているが、安定した呼吸をしている。


 「でも教会に連れてかないと」

 シンを担いで村の入り口に向かう。


 「あの熊はどこいったんだ?っていうかゾンビは?」


 状況を飲み込めないルーが辺りを見渡すが、周りにそれらしき姿は無く、ゾンビにつけられた自身の怪我も治っていた。


 「わけわかんないな。変な夢見たし…」


 ルーには何が起こったのか全く見当もつかない。何か変な夢を見ていたが、内容もあまり覚えていない。


 村の入り口に向かう途中、ひっくり返った荷車を見つけた。シンを地面に寝かせて荷車を起こす。すると下から石棺も出てきた。巻き付けていた縄のおかげで棺の中身は出ていない。


 「これも持って帰らないと」


 石棺をなんとか持ち上げて荷車に乗せ、その隣にシンも並べる。村を出た頃には、夜が明けようとしていた。


 白んだ空を見て体の力が抜ける。



 「お腹すいた。生きてる。よかった」



 悪夢を乗り切ったルーは、シンとその友人を連れて街へ戻る。その背中は、服が破れて剥き出しになっていた。

 


 


 

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