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好きだと言えなかった私が、彼の結婚式の日に選んだ嘘

作者: 猫又ノ猫助
掲載日:2026/03/18

アルヴィン様は、いつも私の少し前を歩いていた。

子どもの頃から、ずっとそうだった。

転びそうになれば手を伸ばし、道に迷えば立ち止まり、振り返ってくれる。

でも決して、私の隣には並ばない。

その距離が、彼と私の身分差なのだと、幼いながらに理解していた。

私はリィナ。

平民の家に生まれ、魔道具師を志していた。

けれど両親を事故で亡くし、行き場を失った私を引き取ったのが、名門貴族であるアルヴィン様の家だった。

「困ったことがあれば、遠慮なく言いなさい」

そう言ってくれた彼は、私より三つ年上で、すでに“貴族の跡取り”として教育を受けていた。

優しくて、聡明で、誰に対しても公平。

――そして、私にだけは少しだけ、甘かった。

それが特別だと気づいたのは、いつ頃だっただろう。

勉強につまずいたとき、夜遅くまで付き合ってくれたこと。

魔道具の失敗で泣いた夜、黙って温かい飲み物を差し出してくれたこと。

「君は、よく頑張っている」

そう静かに言われるたび、胸の奥が熱くなった。

けれど、その感情に名前をつける勇気はなかった。

だって彼は貴族で、私は平民。

彼にはいつか、家同士で決められた婚約者が現れる。

それは、この国では当たり前の未来だった。

「妹みたいなものだから」

アルヴィン様がそう言って笑うたび、私はその言葉にしがみついた。

それは、拒絶ではない。

でも、許可でもなかった。

だから私は、自分に嘘をついた。

この気持ちは、家族への感謝。

尊敬。

依存。

そう言い聞かせて、「恋」という言葉を心の奥に押し込めた。

成長するにつれて、彼はますます遠い存在になっていった。

社交界に出るようになり、貴族の令嬢たちに囲まれる姿を見るたび、胸が締めつけられる。

それでも私は、笑顔で彼を見送った。

平民の私が、貴族の未来を縛るわけにはいかない。

それが“正しい”と、信じていたから。

――そんな私のもとに、ある日、一通の知らせが届いた。

アルヴィン様の、結婚が決まったという。

公爵家の令嬢。

血筋も魔力も申し分なく、王都でも評判の女性だと聞いた。

頭の中が真っ白になり、息が詰まる。

それでも不思議と、涙は出なかった。

「やっぱりね」

小さく呟いたその言葉は、諦めなのか、納得なのか、自分でもわからなかった。

言えなかった想い。

選ばなかった未来。

私はずっと、正しい選択をしてきたはずだった。

それなのにこの胸の痛みは、

どうしてこんなにも、消えてくれないのだろう。

――まだこのときの私は知らなかった。

この恋が、

「嘘」を選ぶことで、ようやく終わり、

そして始まることを。



アルヴィン様の結婚が決まった――その知らせは、噂という形で、静かに私の耳に届いた。

使用人たちのひそひそとした声。

「いよいよらしいわよ」

「お相手は公爵家のご令嬢ですって」

聞き間違いだと思いたかった。

でも、皆が同じ名前を口にするのを聞いて、逃げ場はなくなった。

私はその日、仕事場である工房にこもったまま、誰とも話さなかった。

魔道具の部品を手に取っても、集中できず、何度も同じ工程をやり直す。

頭の中で、ただ一つの言葉だけが繰り返されていた。

――結婚。

この国で、貴族が結婚する理由は一つだ。

家と家を結ぶため。

血と魔力を守るため。

恋や感情は、その次か、あるいは最初から考慮されない。

「わかっていたはずなのに……」

独りごちた声は、工房の壁に吸い込まれて消えた。

数日後、正式な招待状が届いた。

厚手の紙に、王都の紋章。

アルヴィン様の名前と、結婚式の日取り。

それを見た瞬間、胸がきゅっと縮んだ。

招待状を寄越したということは、

彼は私を“家族同然の存在”として扱っているのだろう。

祝福してほしい。

当たり前のように、そう思っているのだ。

「……行かない、という選択もある」

そう呟いてみる。

招待を断り、王都から離れた町へ移ればいい。

仕事なら、どこにでもある。

彼の幸せを、遠くから祈ることもできる。

それが一番、穏やかな結末のはずだった。

けれど、どうしても心がそれを許さなかった。

逃げたままでは、きっと私は、

この恋を一生引きずって生きる。

「ちゃんと、終わらせないと……」

祝福するためじゃない。

諦めるためでもない。

自分自身に、区切りをつけるために。

私は、結婚式に出席することを決めた。

準備を進める中で、

私はある言葉を、何度も心の中で繰り返した。

結婚式の日、彼にかける言葉。

祝福の言葉。

そして、嘘。

「おめでとうございます」

「幸せになってください」

その先に続く、

一番大切で、一番残酷な嘘。

――あなたのことを、恋だなんて思ったことはありません。

それを口にできるようになるまで、

私は何度も鏡の前で笑顔を練習した。

大丈夫。

私は、ずっと正しい選択をしてきた。

今回も、そうするだけ。

そう言い聞かせながら、

私は王都行きの馬車に乗り込んだ。

その先で待っているのが、

祝福なのか、終わりなのか――

そのときの私は、まだ知らなかった。



王都の大聖堂は、朝から祝福の光に満ちていた。

白い石造りの壁に反射する陽光。

高く掲げられた旗と花飾り。

鐘の音が、街全体を包み込むように鳴り響いている。

その中心に、私は立っていた。

場違いだとは思わなかった。

平民である私も、正式な招待を受けた“客人”なのだから。

けれど、胸の奥に沈んだ重さだけは、どうしても誤魔化せなかった。

大聖堂の扉が開き、人々がざわめく。

純白の衣に身を包んだ花嫁が、ゆっくりと歩みを進める。

その隣で、アルヴィン様が微笑んでいた。

――ああ。

その表情を見た瞬間、私ははっきりと理解してしまった。

彼は、幸せなのだ。

少なくとも、この場に立つ彼は、

貴族として、跡取りとして、

“正しい選択”をした顔をしていた。

胸が、きしむように痛んだ。

視線を逸らそうとしても、どうしても目が離れない。

いつもより整えられた髪。

凛とした立ち姿。

誓いの言葉を口にする声。

それらすべてが、

私の知らない彼であり、

それでも、間違いなく私の好きだった人だった。

式が終わり、祝福の拍手が響く。

私はようやく息を吐いた。

終わった。

そう思ったのに。

「リィナ」

背後から、聞き慣れた声がした。

振り返ると、アルヴィン様が立っていた。

式の緊張を解いたのか、少し柔らいだ表情で。

「来てくれて、ありがとう」

その一言で、胸の奥が大きく揺れる。

――今だ。

私は、何度も練習した笑顔を浮かべた。

「ご結婚、おめでとうございます」

声が震えないよう、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「あなたの幸せを、心から願っています」

それは本心だった。

嘘ではない。

でも、その先に続けた言葉は――

「ずっと、あなたのこと……

兄のように思っていました」

その瞬間、

私の中で何かが、音を立てて崩れた。

アルヴィン様は、何も言わなかった。

ただ一瞬だけ、

とても小さく、目を見開いた気がした。

けれどすぐに、穏やかな微笑みに戻る。

「そうか」

短く、それだけ。

それでいい。

それで終わり。

私は深く一礼し、彼から距離を取った。

背中を向けた瞬間、

視界が滲んだ。

泣いてはいけない。

ここで泣く資格なんて、私にはない。

嘘をついたのは、私自身なのだから。

そう思いながら歩き出した私の耳に、

再び鐘の音が響いた。

祝福の音色。

それがまるで、

私の恋に弔鐘を打ち鳴らしているように聞こえた。

――私はまだ知らなかった。

あの嘘が、

彼の心に、どれほど深く突き刺さったのかを。



夜の大聖堂は、昼間とはまるで別の顔をしていた。

祝福の喧騒が去り、

残されたのは、静けさと淡い灯りだけ。

私は回廊の柱にもたれ、

深く息を吐いた。

これで終わり。

ちゃんと嘘もついた。

もう、彼に近づく理由はない。

そう思っていたのに――

「リィナ」

背後から呼ばれ、

心臓が跳ねた。

振り返ると、

そこにいたのはアルヴィン様だった。

式の衣装のまま。

けれど昼間のような完璧な微笑はなく、

どこか疲れた、静かな表情をしている。

「少し、話せるか」

断る理由は、いくらでもあった。

でも、身体は勝手に頷いていた。

人気のない回廊の奥。

私たちは、一定の距離を保ったまま立ち止まる。

沈黙が、重く落ちた。

「さっきの言葉だが」

アルヴィン様が、先に口を開いた。

「――あれは、嘘だな」

心臓が、音を立てて凍りついた。

「な、何を……」

「君が俺を、兄のように思っていた、という話だ」

淡々とした声。

責める調子でも、怒りでもない。

だからこそ、逃げ場がなかった。

「……そんなこと、ありません」

そう言いかけて、

言葉が続かなくなる。

アルヴィン様は、私を真っ直ぐに見ていた。

昔から変わらない、

嘘を許さない視線で。

「君は、嘘をつくとき、少しだけ目を伏せる」

小さく息を吐き、

彼は続ける。

「昔からだ。

俺に内緒で怪我をしたときも、

魔道具の失敗を隠したときも」

そんな細かいことまで、覚えているなんて。

「……それに」

一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、

彼は静かに言った。

「兄に向ける目じゃなかった」

胸が、ぎゅっと締めつけられた。

「どうして……今さら、そんなことを言うんですか」

声が、かすれる。

「今日は、あなたの結婚式です。

私は、祝福したんです。

それでいいじゃないですか」

必死にそう言い切る私に、

アルヴィン様は首を横に振った。

「よくない」

低く、はっきりと。

「君が、そんな顔をしてまでつく嘘を、

俺は受け取れない」

その言葉に、

積み上げてきたものが、音を立てて崩れた。

「……じゃあ、どうすればよかったんですか」

気づけば、涙が溢れていた。

「平民の私が、

名門貴族のあなたに、

好きだなんて言って、何になるんですか」

「重荷になるだけです。

困らせるだけです」

「だから、言わなかった。

ずっと……言えなかった」

初めて、口に出した本音。

アルヴィン様は、しばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと口を開く。

「……それは、俺も同じだ」

顔を上げると、

彼は自嘲するように微笑んでいた。

「跡取りとして育てられ、

家の期待を背負い、

正しい選択をすることだけを求められてきた」

「君を想うことは、

そのどれにも当てはまらなかった」

「だから、気づかないふりをした。

妹だと、言い聞かせた」

「……臆病だった」

その言葉が、胸に深く刺さる。

「でも」

彼は一歩、こちらに近づいた。

「君が嘘をついた瞬間、

それだけは、どうしても耐えられなかった」

「君の想いを、

なかったことにされるのは……」

言葉は、そこで途切れた。

夜の回廊に、静寂が落ちる。

私たちはただ、

互いの本心を知ってしまったまま、立ち尽くしていた。

――もう、後戻りはできない。

そう、はっきりと分かっていた。



沈黙を破ったのは、私だった。

「……それでも」

震える声で、必死に言葉を探す。

「あなたは、結婚したんです。

今日、この場所で、

別の女性と誓いを交わした」

それは事実だ。

どれだけ想いがあっても、

覆してはいけない現実。

「私は、その邪魔をするつもりはありません」

自分に言い聞かせるように続ける。

「だから……今さら、

こんな話をする必要なんて……」

「ある」

アルヴィン様は、即座に言った。

迷いのない声だった。

「俺にとっては、ある」

彼は一度、視線を伏せ、

ゆっくりと言葉を選ぶ。

「確かに、式は終えた。

だが、それは“終わり”じゃない」

胸が、ざわつく。

「今日の結婚は、

家と家の約束だ」

「互いに、

役割と責任を果たすためのもの」

冷静な説明。

貴族として、誠実な言葉。

「だが」

彼は顔を上げ、

真っ直ぐに私を見た。

「誰かを欺いて、

誰かの想いを踏みにじってまで、

俺は未来を選ばない」

「君の気持ちを知ったまま、

何もなかった顔で生きていくことは……

俺にはできない」

その言葉に、

胸の奥が熱くなった。

「……ずるいです」

思わず、そう漏れた。

「そんなふうに言われたら、

諦めきれなくなるじゃないですか」

涙が、頬を伝う。

「私は、

あなたの足を引っ張りたくなかった」

「あなたの未来を、

平民の私が汚す権利なんてないと、

ずっと思っていました」

「だから、

好きだって言わなかった」

初めて、はっきりと口にする。

「……好きでした」

胸が張り裂けそうになる。

「ずっと、ずっと……

あなたが好きでした」

声を殺して泣く私の前で、

アルヴィン様は静かに息を吐いた。

そして、一歩近づく。

「それは、俺の台詞だ」

低く、優しい声。

「君は、俺の未来を汚す存在なんかじゃない」

「選ばなかったのは、

君じゃない」

「俺だ」

その言葉に、

時間が止まったような気がした。

「臆病だった俺が、

“選ばない”という選択をし続けただけだ」

「だが、もう――」

彼は、そこで言葉を切り、

まっすぐに告げた。

「もう一度、選び直したい」

胸が、大きく脈打つ。

それが、

どれほど重い言葉なのか、

私にも分かっていた。

だからこそ、

簡単に答えてはいけない。

けれど。

「……私も」

涙を拭い、顔を上げる。

「嘘のまま終わらせるのは、

嫌です」

それが、

私の出した答えだった。

夜の大聖堂に、

二人分の呼吸音だけが残る。

私たちは今、

“選ばなかった未来”の前に立っている。

その先へ進む覚悟が、

あるかどうかを試されながら。


結婚式から、しばらくの時間が流れた。

王都の喧騒は少し落ち着き、

季節は、ゆっくりと次へ向かっていた。

私は以前と変わらず、

魔道具工房で働いている。

ただ一つ違うのは、

心の奥にあった重さが、

嘘のように消えていたことだった。

あの日、私は嘘をやめた。

それだけで、

世界の見え方が、少し変わった気がした。

「リィナ」

工房の扉が叩かれ、

聞き慣れた声がする。

振り返ると、

そこに立っていたのはアルヴィンだった。

式の日とは違う、

いつもの簡素な服装。

けれど、その表情は、

どこか晴れやかだった。

「待たせてしまって、すまない」

そう言って、彼は一歩近づく。

「立場も、責任も、

簡単に捨てられるものじゃない」

「でも、

逃げたまま生きることも、

もうできなかった」

彼の言葉は、

誠実で、慎重で、

それでも、はっきりとしていた。

「すぐに答えを出せとは言わない」

「君が、

嘘をつかずにいられる場所を、

俺は選びたい」

その言葉に、

胸の奥が静かに温かくなる。

私は、ゆっくりと息を吸った。

「……私も」

「ずっと、

誰かに合わせて生きるのが正しいと、

そう思っていました」

「でも、

嘘をつき続けるほうが、

よほど残酷だと知りました」

視線を上げ、

彼を見る。

「今度は、

ちゃんと自分の言葉で話したい」

「逃げないで、

選びたい」

アルヴィンは、

少し驚いたように目を瞬かせたあと、

静かに微笑んだ。

「それでこそ、

俺の知っているリィナだ」

差し出された手。

迷いは、もうなかった。

私はその手を取る。

それは、

身分でも、義務でもない。

ただ、

互いに嘘をつかないと決めた、

小さな約束だった。

工房の外で、

風が花を揺らす。

私は思う。

好きだと言えなかった過去も、

嘘をついたあの日も、

きっと、無駄じゃなかった。

だって今、

私はちゃんと、自分の気持ちを知っている。

――好きだ。

もう、嘘じゃない。

この恋は、

結婚式の日に終わった。

そして同時に、

本当の意味で、

始まったのだ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

このお話は、「好きだと言えなかった恋」に区切りをつける瞬間を書きたい、という思いから生まれました。

異世界恋愛ではありますが、

派手なざまぁや奇跡ではなく、

嘘をついてしまった気持ちと、

それでも本当を選び直す勇気を大切にしています。

身分や立場の違い、

言葉にしなかった想い。

どちらも、誰にでも覚えのあるものだと思います。

少しでも共感していただけたり、

読み終えたあとに、

静かな余韻が残っていれば嬉しいです。

よろしければ、評価やブックマークで応援していただけると励みになります。

また次の物語で、お会いできたら幸いです。

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