第19話:若返りの秘湯
ある日のこと。
冒険者ギルドの酒場で、モアが興奮気味に一枚の張り紙を持ってきた。
「アスク! 大変だよ! 南の森に若返りの秘湯があるんだって!」
「秘湯?」
俺は眉をひそめた。
南の森と言えば、有毒ガスが発生する危険地帯として有名だ。
そんな場所に温泉なんてあるわけがない。
「怪しいな。どうせガセネタだろ」
「でも、古文書にも記されている幻の泉らしい……」
マホが淡々と補足する。
「その湯に浸かれば、肌は真珠のように輝き、あらゆる皮膚トラブルが解消されるとか」
「……不老不死の薬みたいな話だな」
ほぼ裸のビキニアーマーで戦う彼女たちにとって、肌のコンディションは死活問題らしい。
「行こうよアスク! たまには温泉旅行もいいじゃん!」
「……はあ。わかったよ」
俺は溜息交じりに承諾した。
まあ、最近働き詰めだったし、たまには慰安旅行も悪くないかもしれない。
***
「……どう見ても毒の沼じゃねーか!!」
現地に到着した俺は、全力でツッコミを入れた。
目の前に広がっているのは、不気味な紫色をした泥沼だ。
ポコ、ポコ、と粘着質な気泡が弾け、鼻を突く刺激臭が漂っている。
周囲の植物は枯れ果て、地面には動物の骨が転がっていた。
「アスク、これが秘湯だよ! 効きそう!」
モアは目を輝かせる。
感覚が麻痺しているのか、それともバカなのか。
「バカなこと言うな! 入ったら死ぬぞ!」
「大丈夫だって。良薬口に苦し、美肌湯は肌に痛しってね!」
俺の制止など聞く耳持たず、彼女たちはビキニ姿で沼へと入っていった。
「うひょー! ピリピリするー!」
「これは……結構強めの泉質……」
二人は首まで毒沼に浸かり、気持ちよさそうに声を上げている。
見ているだけで肌が粟立つ光景だ。
その時だった。
「愚かな……我が毒の沼に入るとは、自殺志願者か?」
沼の中央から、女が現れた。
毒々しい紫色のローブを纏い、顔半分をヴェールで隠している。
その体からは、凄まじい瘴気が立ち上っていた。
「貴様ら、ここが魔王軍四天王である猛毒の女王の処刑場と知っての狼藉か?」
「え? ここ温泉じゃないの?」
「処刑場? ……まあ、効能があればどっちでもいいけど」
モアとマホの反応に、女王がピクリと眉を動かす。
「舐めた口を……。いいでしょう、その肌、私の毒でドロドロに溶かして差し上げよう!」
女王が両手を広げる。
空から、緑色の雨が降り注いだ。
酸性雨だ。しかも、岩をも溶かす強力な溶解液の集中豪雨である。
「きゃあああ! 溶けるぅぅぅ!」
「くそっ、やっぱりこうなるのか!」
俺は慌てて杖を構え、回復魔法を発動した。
『エリア・ヒール』。酸によってただれた皮膚が一瞬で再生する。
問題は、毒が降り続けている限り再生も続けなければならないことだ。
これは回復というより、水を汲み続けながら穴の開いたバケツを持っているのに近い。
普段の戦闘の何倍もの消耗だ。
「あ……あれ?」
マホが自分の腕を見て、驚きの声を上げた。
「見て! 溶けた皮膚の下から、新しい皮膚が!」
「これは……強力な酸で古い角質を強制的に除去する、究極の肌ケア……!」
「なん……だと……?」
女王が絶句した。
狂人二人によって、自分の最強の攻撃が美容施術扱いされている。
「すごい! ニキビ跡も消えた!」
「もっと強いのを希望する……」
二人が欲望に満ちた目で、女王に詰め寄る。美への執着だ。
「ひぃっ!? く、来るな!」
女王は後ずさり、別の魔法を放った。
「これならどうだ! 神経毒の霧!」
紫色の霧が彼女たちを包む。
触れれば神経が麻痺し、激痛と共に呼吸が止まるはずの毒だ。
俺は額の汗を袖で拭いた。
さっきから連続で回復魔法を撃ち続けて、杖を持つ手が微かに震え始めている。
追加の毒が来るなら追加のヒールを撃つしかない。無いMP残量を絞り出し、回復を続けた。
「んんっ! 痺れるぅぅ!」
「ぎぃっ……! い、痛……いや、これ……肩甲骨の裏に……効く……!」
彼女たちは恍惚の表情を浮かべていた。
俺のヒールが神経の損傷を即座に修復するため、単なる「強めの電気マッサージ」と化しているのだ。
二人が気持ちよくなっている裏で、俺が全力で魔力を消耗しているという事実は、誰の口にも登らない。
「な、なぜ死なない!? なぜ気持ちよさそうなの!?」
女王がパニックに陥る。
無理もない。
自分の致死毒を浴びて、「あー極楽極楽」と言っている連中など、見たことがないだろう。
「もっと毒ちょうだい! すべての不調が治りそうなの!」
「その毒針、ちょうどいいツボ押しになりそう……!」
モアたちが毒に侵されたはずの体で迫る。
あいつら今、四天王の処刑場でエステの追加オプションを注文しているのだ。
その全ての追加オプションの請求書は、俺のMPに来る。いい加減にしてくれ……限界が近い。
視界が少し白くなってきた。
呼吸が荒くなる。毒そのものではなく、ヒールを過剰に維持することによる魔力酔いと極度の疲労だ。俺は杖を震える手で握りしめ、地面に膝をつきそうになった。
「いやぁぁぁ! 健康優良児は嫌いよぉぉぉ!」
女王がパニックになり、捨て身の特大魔法を練り上げようと両手を空に掲げた。
沼中の毒素が渦を巻き、さらなる猛毒の塊が集束していく。これが落ちてくれば、俺のヒールではもう相殺しきれないかもしれない。
「……そろそろ、アスクのMPが限界」
マホが、魔法の形成を観察しながら淡々と呟いた。彼女の視線が、女王の魔法ではなく、青ざめて息を切らす俺の方に向いていた。
「名残惜しいけど……終わらせる」
マホが静かに杖を構えた。
「『エクストラ・ファイアボール』」
特大魔法を完成させようとしていた女王の足元に、マホの魔法が炸裂した。
爆風が沼を割り、集束していた毒の塊ごと女王が丸ごと吹き飛ぶ。近くの岸壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
同時に、爆発で巻き上げられた紫色の毒液が、スコールのように岸辺に降り注ぐ。
「ぶふっ!?」
俺は全身で強酸の雨を被った。
服が猛烈な勢いで溶け、肌が焼け爛れる激痛が走る。
「痛ってぇ!! 『ハイ・ヒール』!!」
残り少ないMPの底を削り出し、俺は必死で自分を回復した。
「モア、拘束して……」
「りょーかい!」
モアが大剣の腹を女王の背に当てて膝で押さえた。女王はぐったりしたまま抵抗しない。
「……縛ってギルドに引き渡す。四天王なら懸賞金が出ると思う……」
マホが縄を取り出しながら、また俺を見た。
「アスク。もう回復は止めていい……ご苦労だった」
俺は杖を地面に突き立てて、ようやく息をついた。
あまりの消耗に膝が笑い、額の汗が顎先まで伝って落ちる程に脂汗をかいている。
おまけに服が所々溶けていて、風通しが無駄に良い。
「アスク、大丈夫?」
モアが女王を押さえたまま首をかしげた。
「ちょっと……今回は、やりすぎだろ……」
そうしてその場には肌が若返った二人と、極度のMP消費で老け込んだ俺だけが残ったのだった。




