第15話:幻惑の将軍
俺たちは再び、冒険者ギルドのギルドマスター室に呼び出されていた。
いつもは豪快なギルドマスターが、今日は重苦しい表情で机の上の地図を睨んでいる。
「単刀直入に言おう。東の森で異常事態が起きている」
マスターは地図の一点を指差した。
「数日前から、森全体が異様な濃霧に包まれている。調査に向かったベテランの冒険者たちも、誰一人としてまともな状態で帰還していない」
「まともな状態じゃない?」
俺が眉をひそめると、マスターは重々しく頷いた。
「ああ。外傷は一切ないにもかかわらず、皆一様に虚ろな目をしてうわ言を呟き続ける廃人になってしまった。極度の恐慌状態にあって泣き叫ぶ者もいれば、逆に不気味なほど恍惚とした笑みを浮かべて動かない者もいる」
精神攻撃か。
物理的な怪我なら俺の回復魔法でどうにでもなるが、心までは治せない。厄介な相手だ。
「おそらく、ただの魔物の仕業ではない。……魔王軍四天王の一角、幻惑の将軍が潜んでいるとの情報がある」
不壊の将軍に続き、また魔王軍の幹部か。
「そういうわけだ。四天王を撃破した実績のある君たちにしか、この事態は解決できまい。頼めるか?」
「……わかりました。引き受けましょう」
俺は重いため息を一つ吐き、依頼を承諾した。
こうして俺たちは、不気味な濃霧に包まれた迷いの森へと足を踏み入れたのだった。
***
森の中を進んでいるとき、ふと何かの気配を感じた。
霧だ。奥まで見通せていたはずの森が、いつの間にか濃い霧に包まれている。
俺は杖を握りしめ、周囲を警戒した。
ただの霧ではない。
まとわりつくような、不快な湿り気。
肌の感覚から、魔力を帯びていることがわかる。
だが、その不気味な静寂を破るように、森の奥から嘲るような声が響いた。
「ふふふ……よく来たわね、人間たち」
「誰だ!?」
「私は魔王軍四天王が一人、幻惑の将軍。お前たちの精神を、この霧でズタズタにしてあげるわ」
霧の奥から、ローブの着込んだ女の影が見える。
「……見たところ、女の子二人は簡単に片付きそうだわ」
なんだ? うちの二人の格好はふざけているが、戦闘力は本物だ。
それをこの敵は簡単に片付きそうだと言ったのだ。俺は警戒を更に強めた。
「となると、一番厄介なのは貴方ねボウヤ」
将軍の気配が、俺に集中した。
「貴方は後でゆっくりと嬲り殺してあげる。だからそれまでは……貴方の心の奥底にある理想の世界で、幸せな夢でも見ていなさい! 『希望の霧』!」
淡いピンク色の霧が、俺の鼻腔をくすぐる。
甘い……花の香りだ。
意識が遠のき、視界が白く染まっていく。
「ま……ずい……」
俺は膝をついた。
抵抗できない。強烈な睡魔と、逃れがたい多幸感が俺を包み込む。
……気がつくと、俺は草原に立っていた。
目の前には、フルプレートメイルを着たモアがいる。
分厚いローブ姿のマホもだ。
露出のない、普通の冒険者パーティー。
「アスク! 行くよ!」
「何ぼーっとしてるの……?」
「あぁ……悪い」
そうだ、俺は草原でモンスターを倒す依頼を受けてるんだった。
***
「よし、邪魔な男は落ちたわね」
現実世界で、将軍がほくそ笑む。
アスクは完全に無力化されていた。幸せな幻覚に囚われ、床に寝転がりながらうわ言を呟いている。
「さて……次は貴方たちよ、可哀想な娘たち」
将軍が、モアとマホに向き直る。
そしてそのまま哀れむような声色で続けた。
「……それにしても、不憫な娘たちね」
「んー?」
モアが眉をひそめる。
「その格好……心の中では泣いているんでしょう?」
将軍の言葉に、モアたちは顔を見合わせた。
何を言っているんだ?
「高い防御力や魔法効果を得るための代償……。そう、それは呪われた装備。あるいは、肌を晒すことで性能を発揮するマジックアイテム……。違う?」
将軍は勝手に推理を披露し始めた。
どうやらモアたちがビキニアーマーを自ら着ているのではなく、「やむを得ず着ている悲劇のヒロイン」だと思い込んでいるらしい。
「乙女としての恥じらいを捨て、性能のために肌を晒す……。なんて健気で、そして哀れなことでしょう。表面上は気丈に振る舞っていても、その心の奥底には、消えることのない羞恥心が重く沈殿しているはず」
「さあその心、私が解放しよう! 奥底に封じ込めた羞恥心という感情を極限まで増幅し、精神を崩壊させてあげるわ! 『深層の霧』!」
どす黒い紫色の霧が、二人を包み込んだ。
甘く、そして腐敗したような香りが漂う。
「この霧は心の奥底の感情を何倍にも増幅させる! さあ、自らの姿を恥じ、顔を覆って泣き叫ぶがいい!」
***
場所は変わり、草原のフィールド。
かつて駆け出しの頃によく通った、懐かしい狩り場だ。
そこに、俺たちはいた。
「アスク、回復!」
「了解! 『ヒール』!」
俺の前で、フルプレートメイルを着込んだ騎士が戦っている。モアだ。
全身を分厚い鋼鉄の鎧で守り、盾を構え、堅実に敵の攻撃を防いでいる。肌の露出など1ミリもない。
機能美に溢れた、正統派の重騎士の姿だ。
「……『ファイアーボール』!」
後衛には、ローブに身を包んだマホがいる。
灰色の地味なローブで全身を隠し、フードを目深にかぶっている。
杖を掲げ、魔法を放つ。当然自爆覚悟の距離ではなく、遠距離からの支援だ。
敵はゴブリンの群れだ。
モアが攻撃を受け、よろめく。鎧が凹む。
マホがMP切れで息を切らす。
俺が必死に回復魔法をかける。
「くそっ、キツいな……!」
「でも、みんなで力を合わせれば勝てる!」
「援護は任せて……!」
泥臭い戦い。
傷つき、汗を流し、協力し合う。
時には笑い、時には泣き、苦難を乗り越えていく。
これだ。これこそが、俺の求めていた冒険者としての日常だ。
***
「な、なぜ!? なぜ平気なの!?」
将軍の狼狽する声だ。
「貴様、今まさに何倍にも増幅された羞恥心を感じているはずでしょう!? 私の霧は理性を破壊するほどの羞恥心を与えているはずなのに! なぜ顔色ひとつ変えず立っていられるの!?」
それに対し、モアの能天気な声が響く。
「羞恥心?」
「そうよ! そのビキニアーマー……本当は恥ずかしくてたまらないんでしょう!? 私がその感情を無理やり引きずり出してあげたのに!」
「何言ってるの? このビキニ、動きやすくて最高だよ?」
モアがきっぱりと言い切った。
一点の曇りもない声で。
「そう、合理的……。恥じる要素がどこにある……?」
マホも淡々と続く。
二人の反応は異常だった。
羞恥心という概念が、もはや常人とはズレてしまっているのだ。
「下着じゃないから恥ずかしくない」を超越した、「ビキニこそ正義」という揺るぎない信念。
それがある限り、羞恥心の増幅など意味をなさない。
将軍の精神攻撃は、完全なノーダメージだった。
「ば、馬鹿な……貴様ら、女としての恥じらいはないのか!?」
「ある! お腹が空きすぎてアスクの分のご飯まで勝手に食べてたら、隣に座ってた子供にだめだよって言われた時は少し恥ずかしかった!」
「そういうことではない!!」
将軍の絶叫がこだまする。
「というか、そっちの攻撃終わり? そろそろこっちも攻撃し始めようかな」
「待って。将軍が死んだ後アスクがどうなるか不明……。半殺しで」
モアがあっけらかんと言った。
「え? ちょっ……話を聞きなさい! まだ私は……!」
「『エクストラ・ファイアーボール』」
マホの無慈悲な詠唱。爆炎が将軍を吹き飛ばした。
「ぎゃあっ!?」
「よし、追撃!」
モアが駆け出す。将軍が体勢を立て直す前に、剣の柄で顔面を殴りつけた。鈍い音が響く。
「がはっ……!? ま、待て! 私の霧はまだ……!」
***
ゴブリンを倒し、一息ついた頃。
俺は心地よい疲労感に包まれていた。
「アスク、回復お願い!」
フルプレートメイルのモアが呼びかける。
美しい。これこそ理想の……。
「あはぁ……最高だなぁ……」
だが、次の瞬間。
モアの鎧が、一瞬だけビキニに変わった。
布面積の極端に少ない、ふざけた下着のような姿に。
「……え?」
俺は目を擦った。
なんだ今の?
もう一度見ると、そこにはいつものフルプレートアーマー姿のモアがいた。
そうだ。気のせいだ。
疲れているせいで、ありもしない幻覚を見てしまったに違いない。
「アスク、大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫……」
***
「おのれ……貴様ら、ちょ!?」
「アスクを元に戻せー!」
モアが将軍の腹に蹴りを入れた。
「ごふっ……!」
「うるさい……静かにして……」
マホが将軍の頭を杖で叩く。
***
「次はこっちの敵を倒そう!」
ローブ姿のマホが杖を構える。
だが、一瞬だけ、そのローブが消えた。
際どい布面積の、あられもない姿が視界をよぎる。
「……は、はい?」
俺は自分の頬をつねった。
おかしい。
さっきから、視界にノイズが走る。
改めて見てみたら、マホは地味なローブを着こんでいる。さっきのは見間違いだな。うん。
あんな恥ずかしい格好をしたマホなんて、この世にいるわけがない。
「アスク、どうしたの? 顔色悪いよ?」
「い、いや……なんでもない……」
会話中、またモアの鎧が揺らいだ。ビキニが一瞬見えて、すぐ消える。
俺は必死に首を横に振った。
「……う、うん。大丈夫だ。きっと疲れてるだけだ……」
***
現実では、将軍が追い詰められていた。
「ま、待ってくれ……! 許して……!」
「許さない!」
モアが将軍の背後に回り込む。
怪力の両腕が、将軍の首に絡みついた。
「がはっ!? く、くるし……!」
「幻覚をやめろー!」
モアが優しく、しかし確実に頸動脈を締め上げる。
「ぐ、ぐぐぅ……! ギブ! ギブだから! 降参!!」
「聞こえない!」
締め付けがさらに強まる。
「き、霧を! 霧を晴らすから! 解除してあげるからぁッ!」
将軍が必死に叫ぶ。だが、モアの抱擁は解けない。
「解除……解除する……ぐふッ……!」
ついに将軍の意識が落ち、両手がだらりと垂れ下がった。
それと同時に、アスクの幻覚も解除されるのだった。
***
……ハッ!
俺は目を覚ました。
そこは薄暗い森の中だった。
霧は完全に晴れている。
目の前ではローブを着こんだ女――幻惑の将軍が、ボロ雑巾のように伸びていた。白目を剥いて泡を吹いている。
当然、二人はビキニアーマーだ。
「気絶しちゃった……」
「魔法は解除されたみたいだから、問題ない」
いつものビキニアーマー姿の二人が、満足げに立っている。
現実だ。
さっきまでの美しい普通の冒険者パーティーは、もうどこにもない。
あるのは、露出狂の変態たちと、胃の痛む現実だけ。
「ぐはぁぁぁっ!?」
俺は胃の痛みを思い出し、盛大に吐血した。
精神的ダメージが大きすぎる。
そうだ、あれこそが俺のなりたかった姿だ。
今の「ビキニアーマーを侍らせた変態回復術師」とのギャップが、心臓をえぐる。
俺はその場に崩れ落ち、絶望に打ちひしがれていた。
「アスク!? どうしたの!?」
モアが心配そうに駆け寄ってくる。
その豊満な胸が揺れる。
だが、今の俺には毒でしかない。
「……夢を、見ていたんだ」
俺は口元の血を拭いながら、遠い目をした。
二度と戻らない、美しき幻想を思って。
幻惑の将軍よ。お前は確かに強敵だった。俺の精神に、完治不能な傷跡を残していきやがったのだから。




