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ふわっち配信をすることは、私にとってちょうどいいボランティアだ。

作者: ココ
掲載日:2026/01/27

ふわっち配信を終えて、家に帰る途中、

これはボランティアに近いのかもしれない、と思った。


世間でよく言われる、

「応援しています」

「推しのためなら」

「この人を支えたい」

そういう綺麗な言葉とは、たぶん別物のやつだ。


かつての私は、推し活という名の下で、

金と感情と時間を差し出していた。

いや、差し出していたつもりで、

実際には搾取される側に自分から並んでいただけかもしれない。


払った金額が多いほど、

苦しかった期間が長いほど、

「私は特別だ」と思いたくなる。


その特別感を失うくらいなら、

自分が壊れていることには目をつぶった。


――ずいぶん、都合のいい“応援”だ。


今日のふわっちは、まるで違った。


私は主役じゃない。

救世主でもない。

いなくても回る場所に、

決められた時間だけ、ただ居ただけだ。


未来を背負わない。

人生を預からない。

相手の機嫌に、責任を持たない。


それなのに、疲れたけど、後味がいい。


たぶんこれは、

「誰かの物語に巻き込まれた」体験ではなく、

「同じ時間に存在した」だけの体験だからだ。


推し活は、

「あなたがいないとダメだ」と言われる麻薬だった。


ふわっちは、

「別に、いなくても大丈夫」という健全さがある。


与えすぎない。

期待しすぎない。

感謝も、見返りも、なくていい。


それでも、人と関わったという実感だけは残る。


もしボランティアに条件があるとしたら、

それは

自分が壊れないこと

ただそれだけだと思う。


そういう意味で、

ふわっち配信をすることは、

今の私にとって、ちょうどいいボランティアだ。

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