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第四幕:新たな宇宙

 デイビッドの意識と融合したマリアは、もはやただの人間ではなかった。彼女は、時間を俯瞰する守護者の視点と、愛する者を守るというデイビッドの強い意志、そして、彼女自身の科学的知性を併せ持つ、超越的な存在となっていた。


 さらに、デイビッドの機械の目が持っていた、時空を直接知覚する能力も、彼女に受け継がれた。マリアには今、宇宙の全ての時間軸が、色彩豊かな光の網として見えていた。


 彼女の前で繰り広げられる時空大戦は、もはや無意味な足掻きにしか見えなかった。ループを続けようと、時間を元に戻そうと、現状を維持しようと、そのどれもが、宇宙の死という根本的な問題から目を背けているだけだ。


『終わりにするわ』


 マリアの声は、戦場にいる全ての存在の意識に、同時に響き渡った。その声には、判決を下す神のような威厳と、慈悲深い母のような温かさが同居していた。


 彼女は、時間の守護者(未来の自分)に向き合った。


『あなたは、諦めてしまったのね。愛する者を永遠に失い続ける苦痛から逃れるために、宇宙ごと、記憶のない牢獄に閉じこもることを選んだ』


 守護者の顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。それは、深い哀しみだった。


『他に、どんな選択があったというの……?』


『愛とは、記憶することよ』マリアは優しく答えた。『愛する者を永遠に記憶し続けることが、真の愛なの。忘れることで苦痛から逃れるのは、愛ではない』


 次に、マリアはテンポラル・ガードに視線を向けた。


『あなたたちは、秩序を信じるあまり、変化を恐れた。死という自然の摂理さえ、過ちだと断定した』


 別の時間軸のデイビッドが、怒りを込めて反論した。


「変化が、無数の命を奪ったのだ! あなたの実験が、どれだけの人々を苦しめたか――」


『その苦しみも、生きている証拠よ』マリアは静かに答えた。『完全な秩序は、完全な死と同じ。生きることは、変化すること。変化には、苦痛も伴う』


 そして、エリナ司令官を、哀れむように見つめた。


『あなたは、恐怖に負けた。自分の有限な命を守るために、無限の可能性を犠牲にした』


 エリナが艦橋から通信で応答した。


「可能性など、絵空事だ! 現実を生きる者の苦痛を、あなたは理解していない!」


『現実の苦痛を理解しているからこそ、私は新しい道を選ぶの』


 マリアは、全方位に展開するクロノス・ゲートのエネルギーフィールドを、その手の中に収束させていく。しかし、それは破壊のためではなく、創造のためだった。


 彼女には、究極の選択肢が見えていた。


 一つは、時間ループを継続させること。宇宙は熱的死を免れるが、デイビッドの犠牲も、彼女の苦しみも、全てが無意味な繰り返しの中に埋没する。


 二つ目は、時間軸を修復し、正常な流れに戻すこと。ループは解けるが、宇宙の熱的死は避けられない。それは、先延ばしにされた、敗北だ。


 そして、三つ目。最も傲慢で、最も危険で、しかし、唯一の希望に満ちた選択。


 この宇宙を一度終わらせ、全く新しい物理法則を持つ宇宙を、自らの手で創造すること。


『デイビッド……あなたの愛を、無駄にはしない』


 マリアの意識の中で、デイビッドの声が応答した。


『君なら、きっと素晴らしい宇宙を創れる。僕は、君を信じている』


 マリアは、最後の逆行を開始した。目標は、100年前でも、1万年前でもない。


 宇宙の始まり。ビッグバンが起こる、その直前の、無と有が揺らいでいた、始まりの前へ。


 しかし、今回の逆行は、これまでとは根本的に異なっていた。彼女は、過去に戻って干渉するのではなく、時間そのものの基盤を作り直そうとしていた。


 彼女の意識は、時間の川を、光よりも速く遡っていく。文明の誕生、生命の覚醒、星々の形成、銀河の渦巻き、素粒子の舞踊――あらゆる歴史を逆再生で目撃しながら、彼女は、すべての原因である、特異点へと到達した。


 そこには、時間も空間も存在しなかった。ただ、無限の可能性を秘めた、純粋なエネルギーの点があるだけ。それは、「神の思考」とでも呼ぶべき、創造の源泉だった。


 マリアは、その点に手を触れた。瞬間、宇宙の全情報が、彼女の意識に流れ込んできた。


 物理法則の設計図。時空の構造パターン。生命の進化アルゴリズム。意識の発生メカニズム。全てが、数式として、詩として、音楽として、彼女の中に響いた。


 そして、マリアは理解した。宇宙は、誰かによって設計されたものではない。それは、あらゆる可能性の中から、最も美しく、最も意味深い組み合わせが、偶然にも必然的に選択された結果なのだ。


 だが、その選択は、完璧ではなかった。エントロピー増大の法則、時間の一方向性、意識の孤独――様々な不完全さが、そこには含まれていた。


 マリアは、デイビッドの愛と、自らの知識を注ぎ込み、この宇宙を規定する物理定数を書き換え始めた。


 まず、エントロピー増大の法則に、わずかな「例外」を設ける。生命の持つ意識の働きが、局所的にエントロピーを減少させられるように。愛や、希望や、創造性といった、ポジティブな思念が、周囲の秩序を高める効果を持つように。


 次に、時間の流れを、一方通行の直線ではなく、成長し、進化する、螺旋状の構造に変更した。過去は消え去るのではなく、未来の土台として、重なり続けていく。記憶は、時間と共に薄れるのではなく、時間と共に深まっていく。


 そして、最も重要な書き換え。意識同士が、直接的に共鳴できるメカニズムを追加した。愛する者同士は、物理的に離れていても、心の深いレベルでつながり続けることができる。死は、存在の終わりではなく、より高次元の意識状態への移行となる。


 さらに、マリアは時間そのものに「自己修復機能」を組み込んだ。時間軸に重大な損傷が生じた場合、宇宙自体がそれを検出し、最も調和的な状態へと自動修正する仕組みを。


 それは、神の御業だった。かつて夫と娘を奪った、冷酷で無慈悲な宇宙への、彼女からのアンサー。科学と、愛によって、より良き宇宙を創造すること。


 全ての書き換えを終えたマリアは、最後に、新しい宇宙への「種」を植え付けた。それは、デイビッドの意識の核心部分だった。新しい宇宙では、彼の愛と献身が、根本的な物理法則の一部となる。


 すべてを終えたマリアの意識は、新しい宇宙の誕生と共に、その光の中に溶けていった。しかし、それは消失ではなく、拡散だった。彼女の愛と知識は、新宇宙の全ての時空に浸透し、永遠に残り続ける。


 そして、新しい宇宙が、誕生した。


 それは、爆発的な「ビッグバン」ではなく、優雅な「創造の舞踊」だった。エネルギーは破壊的に拡散するのではなく、美しい螺旋を描きながら、調和的に展開していく。時空の織り目は、まるで音楽のように響き合い、生命の誕生を祝福するように輝いた。



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