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6話 森の会議



 * * *

 


 ――門を抜けた先は別世界であった。


 

 灰の匂いに慣れた鼻腔が、急に透きとおった香気を吸い込んで驚く。園香(そのか)たちが木々の連なる門をくぐった瞬間、空気がまるで別の世界に入れ替わったのだ。

 陽光が濃い翠のヴェールを透かし、幾万もの光粒が宙を舞う。枝と枝が絡み合い、そこに流れる魔力の筋が星座のようにきらめいている。

 足元では、泉から溢れた水が細い糸のように道を縫い、踏みしめるたびに微かな音を立てた。


「……これが、エルフの里」

 

 思わず園香(そのか)が呟く。声に宿った熱は、抑えきれない敬意だった。

 マルカとエルシェに導かれ、彼女たちは静まり返った回廊を進む。道の両脇には、樹木と一体化した住居が連なり、壁は生きた蔦と花で覆われていた。

 風鈴のような音を立てる実が枝に吊るされ、どこか懐かしい旋律を響かせる。だが――美しさの奥には、警戒の色も見えた。

 すれ違うエルフたちが目を細め、見慣れぬ来訪者を遠巻きに観察している。当然だろう。彼らは焼け払われた森の生き残り……外の人間を信用できるはずがない。

 それでもマルカは構わず、胸を張って先を歩いた。


「皆の者、恐れるな! この方々は我らの恩人、勇者殿とその一行だ!」


 その声にざわめきが広がり、いくつもの視線が警戒から僅かな好奇心へと変わっていく。無論のこと全ての疑念が払われたわけではないが。

 道はやがて開け、そこにそびえていたのは――里の中央に根を張り、天を貫くほどの巨木。


 これが、神樹と呼ばれる彼らの守り神。

 

 幹の表面は淡く金色に光り、脈のように魔力が流れている。葉の一枚一枚が光を宿し、風に揺れるたびに祈りのような音を奏でた。この大樹を中心に、エルフたちは暮らしているのだ。

 その根元では、数名の長老が集まり、円卓のような苔石を囲んで議論の最中だった。

 マルカが近づき跪くと、年長と思しき白髪の長がゆるりと顔を上げる。

 

「……戻ったか、マルカよ。して、その者たちは?」

 

「はい。戦場跡で我らを救ってくださった恩人にございます」

 

「ほう……恩人とな」


 長老の視線が園香(そのか)に向けられた。胸に手を当てて頭を低くする動作。彼らの礼にあたるものだということは理解できる。

 彼女は短く頷き、なんとなく、同じよように礼を返してみた。


「ほほっ、若いのに礼儀がなっておるの。

 詳しくは後で聞くとして、まずは礼を。マルカやエルシェを救ってくれたようで、感謝申し上げる。ありがとう」


「ま、ついでよ。ついで」


「ほほっ、そうかそうか。いずれにしても礼はせねばな。

 しかし、今は会議中なのでな。もう暫し、お待ちくださるかな?」


「ええ、私たちも疲れたし。そのあたりで適当に休んでおくわ」

 

 場の空気が整うと、長老たちは再び言葉を交わし始めた。園香(そのか)とミミアたちは少し離れた場所で腰掛けて、静かに耳を傾ける。


 ――会議の内容は、重苦しいものだった。


 現在、セリアルネは北のメドリアン領と同盟を結び、コルペリオン軍の侵略を防ぐため、互いに防衛線を築いている。だが両地の境には険しい山脈が横たわり、連携は困難を極めていた。

 さらに最悪なことに、その山頂には“猛る白獅子”――ヴォルニク・エリュドールが陣を構えているという。彼は飛龍兵を率い、上空からの奇襲で森の一帯を焦土に変えた張本人だった。

 神樹を取り囲む森を焼いた炎の主。いまやその名は、里の民にとって“天罰”の象徴に等しい。


「奴らは山を登る者を許さぬ。空を制されている以上、反撃の糸口も掴めん」

 

「通信魔法も妨害されておる。術で干渉を受けるだけならまだしも、敢えて見逃された上で傍受されては困る」

 

「ならば物理的に突破を……!」

 

「無理だ。山腹は今や焼け落ちた。我々を守る木々は失われた、残されたのは灰と土のみ」


 議論の声は次第に掠れ、沈黙が落ちた。

 唯一残された策は、山を大きく迂回してメドリアン領へ抜け、伝令を直接届けること。だが、それには日数がかかりすぎる。その間に再び白獅子が飛来すれば――この里は、跡形もなく焼かてしまうだろう。


「……すでに籠城してひと月。食料の備蓄も底を尽きかけておる」

 

「子らに与える穀粉も、あと二日分がやっとじゃ」

 

「このままでは、神樹の加護すら尽きよう。里を覆う結界も日に日に弱くなる一方じゃ」


 長老の声には疲労が滲んでいた。

 結界があるとはいえ、それも無限ではない。侵攻を耐え続ければ、いずれ神樹ごと犯される。

 沈鬱な空気の中、マルカが一歩前に出た。

 

「……ゆえに、私とエルシェが、戦場跡に残された資源がないかを探しに行ったのです。――が、運悪くコルペリオン兵に見つかり……」

 

「なるほど、それでその者らと遭遇したというわけか」

 

「はい。ここにいらっしゃる渡代(わたしろ)園香(そのか)殿が、五人の兵士を瞬く間に倒してしまいました。命を救われた恩は、決して忘れません」


「なんと、この可憐な少女が……」


 会議の輪の向こうで、園香(そのか)は腕を組みながら、静かに状況を整理していた。

 敵は空を取り、森は焼け、食糧は尽きかけている――。

 そして、眼前に聳える神樹の輝きだけが、この地の命を辛うじて繋ぎとめていた。

 マルカの期待するような目つき。そして隣から感じるエルシェの眩い憧れの視線。園香(そのか)はひとつ息を吐き、呟いた。


「……やっぱり、私たちが動くしかなさそうね」


 その声に、ミミアの耳がぴくりと動いた。

 神樹の葉が鳴り、遠くで鳥の影が舞い上がる。沈んだ会議の場に、かすかな風の音が差し込んだ気がする。


「……恩人に、厚かましい願いとはわかっております。けれども、どうか――」

 

 沈黙の続く円卓に、やがてマルカが両手を握りしめて立ち上がった。その顔には、救われた者としての遠慮と、里を背負う者としての焦燥が交錯している。

 彼は深く頭を下げた。

 

「どうか、このセリアルネを救うため、力を貸してはいただけませんか。わずかでも、戦える力がほしいのです。今の我らだけでは、いずれ結界も破られましょう……」


 長老たちは顔を見合わせ、重々しく眉を寄せる。

 そのとき、隣にいた幼いエルシェが一歩前へ進み、震える声で言った。


「ま、魔王を倒して……勇者さま!」


 その一言に、場の空気が凍る。

 円卓の奥で、長老たちがざわめいた。


「ゆ、勇者……? 今、何と?」

 

「まさか――言い伝えに聞く、あの勇者のことか?」

 

「だが、その血脈は二百年前に途絶えたはず……」


 驚愕と疑念が渦を巻く中、園香(そのか)は肩をすくめ、面倒そうに息を吐いた。

 

「だから誤解を生む言い方はやめて。私はあなた達の言うところの勇者――その“子孫”よ」


 その言葉に、会議の場は一瞬で静まり返る。

 長老たちは目を見開き、次の瞬間には、まるで長年探し続けていた光を見つけたかのようにざわめいた。


「勇者の……血を継ぐ者……」

 

「神樹よ、ついに導かれたのか……!」

 

「ならば、この闇にもまだ希望が――」


 光の粒が神樹の枝を滑り落ち、わずかに空気が柔らかくなる。

 しかしその中で、ミミアだけは周囲を見渡して落ち着かぬ様子だった。そして、円卓の端に座る一人の老エルフに声をかける。


「のう、長老殿。ここにはトゥレイヤ殿はおらぬのか?」


 問いかけられた老エルフは、一瞬きょとんとし、すぐに答えようとしたが……。ミミアの顔をしっかりと見た瞬間、目を見開いて立ち上がった。


「なっ――こ、これは……ミミア殿下ではございませんか!」


「……我、そんなに存在感が薄いのじゃろうか」


 がっくりと肩を落とすミミア。

 その隣で拓未(たくみ)が思わず吹き出しそうになるが、すぐに口を押さえた。

 ミミアが気を取り直して声を張る。


「そんなことよりも! トゥレイヤ殿は、なぜこの場に居らぬのじゃ! リリアお姉様について伝えねばならぬことがあるのじゃ!」


 その名が出た瞬間、長老たちの表情が一様に曇る。

 老エルフは重く唇を結び、やがて小さく頭を垂れた。


「……リリア様について、ですか。誠に申し上げにくいのですが……」

 

 声が震えていた。

 

「ミミア殿下は、まだご存知なかったのですね。

 ――リリア様は、神樹に導かれるまま、大地へと還られました」


 まるで時間を止められたように硬直する表情。

 そのまま長老が続ける。


「トゥレイヤ様はその後、深く悲しみに沈み、部屋に籠もられたまま……我々が代理としてこの里をまとめております」


 沈痛な声が、森の奥の静けさに吸い込まれた。

 ミミアは唇を噛み、拳を震わせる。


「なんじゃと……! それでは、直ぐにトゥレイヤ殿のもとへ案内するのじゃ!」


 長老が慌てて手を上げた。

 

「お、落ち着きを。失礼ながら、ミミア殿下のお言葉であっても、今のトゥレイヤ様を立ち直らせることは……到底不可能かと」


「違う! 違うのじゃ!」


 ミミアの叫びが神樹の根に反響する。枝葉が微かに揺れ、光が滴る。その声には、震えではなく覚悟が宿っていた。


「お主らは勘違いしておる! リリアお姉様は――まだ、生きておるのじゃ!」


 神樹の上空を渡る風が、一瞬だけ凪いだ。

 ミミアの瞳には涙ではなく、烈火のような光が宿っている。それを見た長老たちが息を呑む。


「な、なんと……それは誠でございますか、ミミア殿下……?」


 長老の声は震えていた。

 ミミアは髪を揺らして、ぴしゃりと眉を吊り上げる。


「我がお姉様のことで嘘を吐く理由があるとでも?」


「む、そ、それも……確かに……」


 一瞬でも疑った自分を恥じるように、長老は深く頭を垂れた。それほどまでに、ミミアの声音には揺るぎない確信があった。

 他の長老たちも目を見交わすと、ひとりが席を立ち、ミミアに向き直った。


「ミミア殿下、トゥレイヤ様のもとへ案内いたしましょう。殿下のご到着を、きっと喜ばれるはずです」


「うむ、よろしく頼む」

 

 短いやり取りの末、動き始めるミミア。

 そのとき、


「すまない、俺とリーナちゃんは……どこか、もう少し休めるところへ案内してくれないか?」


 拓未(たくみ)が軽く手を挙げながら、背中に背負った女性――リーナを見遣る。空気の澄んだ場所に来て尚、呼吸は浅いまま。見るたび胸が締めつけられるほど痛々しかった。


「ここじゃ……彼女の体に障る。少しでも静かな場所がほしい」


「それもそうでございますな。お客人を広間に座らせたままなど、本来礼を失する行い……ご無礼をお許しください。すぐにご案内いたします」


 長老が手を叩くと、控えていた若いエルフの女性がすっと進み出る。森の雫を映したような瞳で、拓未(たくみ)に頭を下げた。


「こちらへどうぞ。静かで治療に適した場所へお連れします」


「助かる。……ありがとう」


 拓未(たくみ)園香(そのか)に一度だけ目配せする。

 

『任せるわ』

 

 そう言いたげな雰囲気が彼女の仕草に滲んでいた。

 彼は安心して頷き、女性の後に続いていく。

 エルフたちが静かに道を開けると、円卓には再び沈黙が落ちた。

 残された長老の一人が、深く息を吸いながら園香(そのか)に向き直る。一番初めに話しかけてきた白髭のエルフだ。


「さて……落ち着いたところで、勇者殿。どうか詳しくお話を伺いたい」


「しょうがないわね。乗りかかった船だし」


 園香(そのか)は歩みを進め、円卓の中央――神樹の根が浮かび上がる神聖な場所へと立った。

 長老たちは全員、蓄積された疲労を隠せない顔をしている。衰弱した里の政治が、そのまま老人たちの疲弊へと反映されているようだった。


「あなたたちの置かれている状況は把握したわ」


「お恥ずかしい限りです。正直なところ、我らではもうどうにも……。勇者殿のお立場という視点から、何か妙案があればと……」


 まさかの丸投げに、園香(そのか)は肩を竦めた。

 呆れを隠すように、目を細めてため息を飲み込む。


「妙案なんて必要ないわ。

 どうしたって向こうの方が戦力も地の利も上なんだから。こっちは少数精鋭で正面突破するしかない」


「し、正面……!? いや、しかし――」


「心配する必要なんてないわ」

 

 軽やかに言い捨て、彼女は自身の右手に魔力を集める。それは己の力を示すための、ほんの一握りの余波のようなもの。されど、その魔力の濃さに一同が息を呑む。

 

「……最悪、私とミミアだけでもなんとかできる。

 山を登って、飛龍を撃ち落として、ヴォルニクとかいうのを叩き伏せる。……簡単でしょ?」


 あまりに常識外れの発言に、長老たちは声もなく固まった。やがて、白髭の老人が震える手を挙げた。雪花を散らしたような長い髭を撫で、慎重に言葉を紡ぐ。


「……失礼ながら、勇者殿。

 我らの命運を託すにあたって、ひとつ……試させてはいただけませぬか?」


 里の未来を担う老人の声が、神樹の葉に吸い込まれる。

 その場にいたエルフたちの視線が、ひとつ、またひとつと園香(そのか)に集まっていった。

 彼女の返答ひとつで――セリアルネの運命は大きく変わろうとしていた。



 


 


申し訳ございません。

この一週間、インフルエンザにより撃沈しておりました。更新も約束の土曜日、この時間、ギリギリでのものとなりました。


ほんとは週2〜3話を維持したかったのですが、お休みした分の仕事も溜まっているので、来週も微妙……もっと時間を割きたいのですが。


いつも応援してくださる方、本当にありがとうございます。なるべくご期待に添えるよう、執筆を進めてまいりますので。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。




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