5話 恋の予感
* * *
ひどい気分だ。なのに、不思議と快感を覚えている。
初めての友人であるミミア。その側仕えとして、ずっと彼女を支えてきただろう存在。
名前はセイチェ・エドリアス。毅然とした立ち居振る舞いと、どこか主君への盲信――いや、信頼と言い換えるべき温かい心を併せ持つ、愛嬌のあるメイドさん。
リリアのことも慕っていて、金倉と対峙した時は誰より先に一歩を踏み出した人。彼に敗れ、皆が折れかけたとき――私たちをこの世界へ逃がしてくれた、命の恩人でもある。
そんな彼女の、首が――。
どうして、私の足元に転がっているのだろう。
手の中には、紅い短剣。滴る血が刃の色をさらに鮮やかに飾る。視界の隅で土が黒ずみ、死の匂いが濃くなる。
「セイチェさん……ごめんね。でも、仕方ないよね」
声は驚くほど静かだった。
ここで二人とも終わるより、どちらかが意思を継いで、物語を前に進めるべきだ。そして私の終幕は、ここではない。
だから――続きは、私が歩く。
私は彼女を視界の外へと追いやる。
代わりに巨木の森と、その根を揺らし庭のごとく闊歩する巨人を、正面から見据える。
そもそも、こいつが悪い。こいつさえいなければ、私はセイチェさんを“喰らう”必要なんてなかった。
だから私は悪くない。全滅を避けるために。セイチェさんの代わりにミミアやリリアを守るために。生き延びて、園香の背を支えるために――仕方なく命をいただいたのだ。
「あぁ、なんだろう。……美味しい」
舌にチョコレートのような甘さが広がる。喉の奥が熱く、心臓は鳴りやまない。
これが、物語の要人を喰らった味なのか。こんなものを一度でも知ってしまえば、その他大勢のモブキャラなんて霞んでしまう。
「……次は、誰を食べようかな」
喉の奥が蕩け、涎がにじむ。
だめ。こんな顔、園香に見られたら嫌われる。私は、きゅっと歯を噛んで飲み込んだ。
「――っと、その前に。こいつを片付けないと」
すっかり忘れかけていたが、巨人が拳を掲げたままこちらに迫っている。さっき切り裂いた腕はすでに再生しており、またしても振り出し。けれども――。
「セイチェさんのお陰で、魔力は満ちてる」
まぁ、身体能力が跳ね上がったわけじゃない。
力量差は、相変わらず向こうが上。でも、魔力が増えた分、選べる手が増えた。
「一点狙いが駄目なら――乱れ打ち」
私はずっと、視覚と【危険予知】に頼って拳の軌道に一点集中で合わせてきた。追いつけない速度を“狙う”から遅れるのだ。なら、狙わなければいい。
「ヴェルニス・スケイル――乱舞」
シンプルながらに技名を付けてみたりして。
刃に意識を集める。短剣に魔力を注ぎ込むと、奔流が“斬撃”の性質を得て形を持ち、私の体を中心に渦を巻いた。空気が裂け、光が千々に散る。それは刃の嵐。触れたものを等しく断ち割る強制断裂の渦。刃が空気の綻びを撫で、世界の縫い目が解けていくのを感じた。
巨人の拳が、渦へ触れる。触れた分だけ、肉が、骨が、空間ごと削ぎ落ちていく。
「……ッ、魔力の減りが、すごいっ!
でも――いける」
いつの間にか、周囲は通常サイズの“蒼き死者”で埋まっていた。呻きと足音と腐臭が寄せてくる。けれど、もう慌てたりしない。
私はただ、歩く。歩いて、歩いて、迫るものすべてを斬り伏せる。私に触れようとするたびに、骸は粉砕され、蒼黒い飛沫が風に霧散する。台風の目に立つみたいに、私の周りだけが静かで、外周が暴れている。
「あーあ。何も考えず突っ込んでくるから」
巨人が鳴動し、そして――爆ぜた。
さっきまで私を圧殺しかけた拳も脚も、嵐に入った端から輪切りの残滓になっていく。再生が追いつく前に、構造そのものが崩れていく。
これが短剣の力。王族に伝えられた宝剣――ヴェルニス・スケイルの素顔。
初めて触れた夜にミミアが言った「相性が良い」という言葉。剣と人に相性なんて、とあの時は疑ったけれど――たぶん、本当のことなのだろう。
私は今、短剣の力“だけ”で、格上を葬った。
大仰な策も、複雑な詠唱もいらない。ただ、魔力を注ぎ、刃を舞わせる。それだけで、世界の形が変わる。
嵐が、ぴたりと止んだ。残ったのは、灰の匂いと、静寂と、紅い短剣の重み。私は柄を握り直し、ゆっくりと息を吐いた。
「……さあ。続きだよ、セイチェさん」
視線の届かない場所に、彼女の名をそっと落として。
森に向けて足を進める。
* * *
しばらく歩くと、巨木の隙間からかすかな光が覗き、ようやく視界が開けた。
調子に乗りすぎたのだろう。魔力はすっからかんで、息をするたびに体の芯が空洞になるような感覚があった。これ以上の戦闘はもう無理だ。少しでも何かあれば、また死の間際に立つことだろう。
森の端に出たからか、ゾンビたちの姿もとうに消えていた。蒼色の森は背後に遠ざかり、湿った土の感触が、さらさらとした砂の感触へと変わる。
「……砂浜?」
足元を見下ろして、思わず声が漏れた。
セイチェさんが言っていた『カカルテットの森は、セリアルネ地方の南端にある』という言葉――なるほど、“南端”というのは大陸の果て、つまり海のほとりのことだったらしい。
眼前には、青。
どこまでも続く水面が光を弾き、潮風が頬を撫でていく。地球の海とそう違わない――ただ、遥か上空に、飛龍のような巨大な影が滑る以外は。
「……変な木の実が落ちてる」
視線を落とすと、砂の上にヤシの実に似た丸い果実が点々と転がっていた。だが、見渡す限り、それを実らせるような木はどこにもない。
「海から流れ着いたのかな?」
半ば独り言のように呟いて、しゃがみ込む。
恐る恐る手を伸ばした――その瞬間。
砂がうねり、何かが下から膨れ上がった。
木の実だと思っていたものが跳ね上がり、砂ごと破裂するように巨大な魚の頭が現れる。どうやら木の実の正体はこの魚の頭部に付いた瘤のようなものだったらしい。
人の胴ほどもある顎が開き、鋭い牙が陽光を弾いた。
「――えっ」
反応する暇もなかった。
魔力は残っていない。刃を振るう力もない。
顎の軌道が迫り、腕を挟み潰そうとする。
(嘘っ、こんな終わり方……!?)
巨人を倒した直後にこれ?
そんな間抜けな死に方、納得できない。
少しでも被害を抑えようと反射的に腕を引こうとする。
だが、影が速い。
逃げきれない――そう思った瞬間。
世界が、弾けた。
目の前で、魚の怪物が爆ぜたように微塵切りになった。
何が起きたのか理解する前に、風圧が頬を打つ。残骸が砂の上に降り注ぎ、血と潮の臭いが入り混じる。
遅れて、一筋の疾風が頬を掠めて過ぎ去った。砂が舞い、視界が一瞬、白に染まる。私は目を細めながら、その向こうを見た。
――そこに、少年が立っていた。
潮風に髪を揺らす。黒髪は少し長く、左目を覆い隠している。物腰は柔らかいのに、距離の詰め方がやけに近い。
そして、こちらを覗き込むようにして、口の端を上げた。
「やあ、大丈夫だった?」
涼しげな声。
同じ年頃……けれど、どこか“温度”の違う笑み。
私は反射的に一歩、身を引いた。
その瞳には、遠慮と傲慢が奇妙に混ざっている。まるで自分を見ているような、陰気な空気を孕んだ少年。それでいて力強い自己肯定感の象徴――所謂、『余裕』というものを醸し出している。
「……あれ? どこか、怪我でもしたの?」
「あ、いえ。大丈夫です」
答えながら、息を整える。
さっきまで戦場に晒されていた心臓の動きが、今も速いままだ。脈打つたびに頭に響く。
彼は私の返事に小さく頷くと、目を細めた。
「そう。よかった。この辺りは僕も初めて来たけれど、危ないらしいからね。君みたいな子が、一人で歩いてるのを見たら……放っておけなかったんだ」
優しい言葉の裏に、何かねっとりとした視線を感じる。
潮風の中、少年の影が長く伸びて、私の影と重なっていく。
「歩ける?」
「あ……はい」
差し伸ばされた手に戸惑っていると、彼が少し眉尻を下げながら、慌てて手を引っ込める。
「ごめんっ、僕としたことが。まだ自己紹介もしていないのに、唐突過ぎたよね……」
その通りなのだが、警戒の理由はそれだけではない。
彼は随分と流暢な日本語を話している。見た目もこの世界の住民らしからぬ、見慣れた日本人らしき顔。つまり――。
「僕は絵杜剣矢、この世界とは違う……日本って国から来たんだ」
私の予想通りに、彼は自分の背景を語った。
名乗られたからには、こちらも返さざるを得ない。なにせ助けられた身であるのだから。
「……私も、日本から来ました。その、未綴語です。その、先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
「――え、ほんとっ? それじゃ、君も女神様の手違いで、この世界に来たの?」
「……? め、女神様?」
「あれ、違うのか……? いや、それにしても同じ日本人に、こっちの世界で会えるなんて思わなかった! 会えて嬉しいよ! よろしくね!」
よく分からない発言が多いが、心から嬉しそうに目を細める彼。
私は少しでも情報を得るために、彼の役力を覗くことにする。
――――――――――――――
絵杜 剣矢
【主人公】20rp
:あらゆる行動に対して運命力にプラス補正
【異世界転移】20rp(発動後のためOFF)
:いずれ異世界に召喚される運命にあり。
※発動条件(女神の手違いにより死亡)
【勇者】10rp
:全ての能力において大きなプラス補正
【ギフト:神具図鑑】28rp
:女神からの寵愛。
己が空想し、ノートに描いたことのある神具を、
この世に顕現させる能力。
※現在のページ解放数(14/30ページ)
【ハーレム】30rp
:己の恋愛対象者から向けられる思考にプラス補正
ヒロイン格との出会いにもプラス補正
※現在の対象人数(10人以下)
【鈍感】10rp
:他人の心情を理解する能力にマイナス補正
――――――――――――――
ふむ、ますます分からない。
この断片的な情報と彼の発言を踏まえて解釈するならば――彼は何かしらのトラブル、曰く『女神の手違い』とやらでこの世界に飛ばされてきたらしい。私たちとは全く違う過程を辿り、ここに着いたと見える。
「ん? どうしたの?」
「や、その……」
私が黙っていると、彼が首を傾げながら問うてくる。咄嗟に誤魔化そうとしたが言葉が出ず。しかし彼は直ぐに切り替えて、気にした様子もなく続ける。
「僕は、向こうでは普通の高校生だったんだ。それがちょっとした事故で、こっちの世界に来てしまって。もう誕生日を迎えてしまったから、今は十八歳だね」
「あ、そうなんですね。あの……私は大学生。二十歳です……」
「え」
「…………」
やはり、彼は私が歳下であると勘違いしていたらしい。最初からこの馴れ馴れしい態度だ。さしずめ、自分が庇護すべきか弱い歳下の女の子だと思っていたのだろう。その表情が微妙に歪んでいた。
「あー……その。すみません。てっきり歳下かと思っていて」
「いえ、大丈夫ですよ」
そんなに正直な反応をされても困るのだが。
まぁ、いいだろう。その正直さは嫌いではない。
私は改めて頭を下げる。
「あの、本当にありがとうございます。怪物に食べられるところでした」
「あ、いや、それは全然。大丈夫だから……だ、大丈夫ですから!」
慌てて両手を振る彼に、つい口元が緩む。
「ふふっ……いいですよ、無理に敬語を使わなくても」
「ほんと? なんか敬語だと調子が狂うから、そっちの方が助かるよ!」
切り替えが早過ぎやしないだろうか。
あっという間に打ち解けるその軽さ。けれど、不思議と悪い気はしなかった。
「それで、絵杜さんはどうしてこの世界に?」
「絵杜さんか……ここでは皆、僕のことを剣矢って呼ぶから、未綴さんもそうしてくれると嬉しいな」
早く質問に答えろ。と思いつつも、お言葉に甘えて私も切り替えることにする。
「そ、それじゃ、剣矢さんは、どうしてこちらに?」
「うん、それなんだけれど。長い立ち話もどうかと思うし。近くに拠点があるから、よければそっちで話さない?」
「……あ、はい」
全く話が進まない。彼のペースに巻き込まれつつ、いつ間にか、なんとなく居心地の良さを感じるのは何故だろう。彼を見ていると、少しずつ心が侵食されていくような気がする。これは……?
(――いや、これって【ハーレム】の役力が働いてるんじゃ)
ふと、彼の役力を思い出して背筋が凍る。彼のような男に心惹かれるはずがない。失礼な態度もさながら、顔も好みでなければ、そもそも彼のことを全く知らなさ過ぎる。
だと言うのにこの湧き上がる感情は、おそらく彼の役力による補正が私を侵食しているため。こんな男に惚れるだなんて、あり得ない。……そうであってほしい。
(ないない! ほんと、ない! 私はこんな奴を好きにならない。そもそも私が好きなのは――)
好きなのは……?
それを考え始めた時。ズキリ、と大きく脈打つ心臓。
今までに感じたことのない胸の高鳴り。
(な、なに……?)
咄嗟に浮かんだのは――園香の顔。
なぜ、今、彼女の姿が脳裏に浮かんだのか。友達としての好きを脳が錯覚した?
(き、気のせい……だよね?)
そもそも女の子同士だ。これが恋愛感情であるはずもない。私はブンブンと首を大きくふって、感情を鎮める。
「そ、そうですね! 立ち話もなんですし、よければ案内してください!」
「うん、よかった! それじゃ、着いてきて!」
剣矢が笑みを浮かべて、前を行く。
ふと、潮風が頬を撫で、空の彼方で飛龍が弧を描いた。
海は静かで。穏やかで。
それでいて、何かを孕んだように光っていた。
…………………………。
園香は今、どうしているだろうか。
2025.11.14現在
数日前からインフルエンザにかかり、ベッドとお友達中です。長時間、画面を見ていると気分が悪くなるため執筆はお休み中。次の更新も間に合うか否か……申し訳ございません……




