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4話 スペシャリスト


 * * *


 

 灰色の大地。

 燃え尽くされた森の残骸の上を、四人の影が風に溶けるように歩いていく。焼けた木は黒い針のように空へ突き出し、踏みしめる度に灰が舞い、靴裏に鈍い音が残った。

 先頭を行くミミアが、振り向きざまに園香(そのか)へ問う。


「ふむ、確認じゃ。園香(そのか)自身は、こちらの世界に来たことはない――で合っておるのか?」


「そうよ。父の話だと、ひいお爺様がこっちに“召喚”されて戦ったことはあるらしいけどね」


「なるほどの。そのお方が二百年前の戦にて、竜王ヴェルニスを破ったとされる勇者……そなたは、その血を継いでおるのじゃな」


「まあ、当時の力に比べると、代を重ねるほど薄まってるみたい。だから今の私が同じように“竜王”とかいうのに勝てるわけじゃないわ」


 彼女たちは、これまでの経緯と置かれた現状を確かめ合うように言葉を交わしながら、道なき道を進む。

 ミミアは語った――王家を追われ、セイチェとともに異界へ逃れ、拓未(たくみ)たちに匿われたこと。王位を奪還するため、伝説の勇者を探して地球を彷徨ったこと。

 園香は語った――勇者の力を継いだが故に、日常的にトラブルに呑み込まれてきたこと。やがて(かたる)と出会い、リリアを守るに至ったこと。

 それぞれが語り、傾聴し、頷き合う。そして、互いを認め、手を取り合うと約束した。

 全ては、この世界で生き延び、リリアを救いに戻るために。


「ところで――闇雲に歩いてるわけじゃないんでしょうけど。どこを目指してるの?」


「うむ。地平の端に見える大いなる神樹、エルフの里じゃ。ここはかつて巨大な森林であったが……今は戦地となり焼き尽くされておる。じゃが、あの通り――神樹はまだ生きておる」


 園香(そのか)は視線を上げる。遠く、霞の向こうに緑の大木が輪郭を見せていた。周囲の灰燼とは対照的に、その一点だけが微光を宿して揺れている。


「にわかには信じ難いけど……こんな広大な森を焼き払う戦争って、何? あなたたち、どんな争いをしてるの」


「……我は異界に逃げ延びた身。詳細は推測に過ぎぬが――おそらく、リリアお姉様が消えたのち、エルフの里とコルペリア軍が衝突し、大規模な戦に至ったのじゃろう」


 言葉にすると軽い。だが、目の前の現実が雄弁だった。

 焼けた木々、陥没した地形、斬り裂かれた大地――人の戦争というより、無数の怪物が暴れ回った爪痕の様だ。

 園香(そのか)は後方へ視線を移した。

 拓未(たくみ)が無言で歩いている。背に負われているのは、まだ目を開けないリーナ。熱は下がらず、時折うわ言のように息が漏れている。白布で巻かれた両肩の断面は、見ているだけで心を冷たく締めつけた。


「疲れたら代わるから。言ってちょうだい」


「ああ、大丈夫だ。リーナちゃんは俺の大事な同期だからな。俺がこの手で守るよ」


「……そう」


 園香(そのか)の短い返事に、拓未(たくみ)はサングラスを押し上げた。悔しさの色は隠しきれない。


「ごめんなさい。私が最初から前に出てれば、ここまで酷いことには――」


「馬鹿言うなよ。そんなこと言ったら、俺だって、もっと早くにあいつのヤバさを察してれば――って堂々巡りだ。誰のせいでもねぇ。けど、次はしくじらない」


 言い切る声に、灰の風が絡んだ。

 ミミアが空を仰ぎ、ぽつりと漏らす。


「セイチェと(かたる)は無事かのぅ? 早く二人に会いたいのじゃ」


「さっきも言ってたけど、本当にあの二人が、私たちと同じように“里”を目指すと思う?」


「間違いない。そう遠くへは飛ばされておらぬはず――そして同じセリアルネの地におるなら、向かう先はひとつじゃ」


「……あなたたちに味方してくれる勢力が、限られてるから?」


「うむ。その通りじゃ。表立って我らに手を貸す者は、実は多くない。故に“安心して迎えを受けられる場所”も限られる」


 言葉が地表に落ち、灰に吸われた。

 正直に言えば、不安は残る。

 この広大な大地と、果てしなく続く焦土と森の中から、わずか二人の人間を探し出す――その困難さを思えば、まずは拠点を確保することが先決だ。そういう意味でも、エルフの里を目指す判断は妥当だった。

 重苦しい空気を抱えながらも、一同は歩みを止めなかった。


 

 * * *


 

 しばらく進むと、前方から轟音が響く。

 風を切るような金属音と、焦げた匂い――戦闘の気配だ。視線を向ければ、甲冑を纏った兵士が五人。そして、その先を必死に逃げる二人の男女――長い耳が特徴とされるエルフ族。

 兵士たちは魔法を連発し、一方的に彼らを追い詰めていた。


「待つのじゃ……誰か、戦っておる」


 ミミアが手を上げて、一行を制する。

 園香(そのか)は視線を細め、前方を見やった。


「見たら分かるわよ。あれが、あなたの言っていたエルフね。物語に出てくる通りの姿……昔、私たちの世界と交流でもあったのかしら?」


 そんな呟きを置いて、半歩前へ出る。

 後方では拓未(たくみ)が険しい目つきを向けていた。


「加勢した方がいいんじゃないか? 恩を売れるし、里まで案内してくれるかもしれない。……まあ、俺には彼らの言葉が分からないけどな」


「それもそうじゃな」


 ミミアは「よし」とばかりに拳を握った。だが、園香(そのか)がその腕をそっと押さえる。


「ここは私に任せて。ちょうど、ストレス解消のために身体を動かしたかったところなの」


「う、うむ……」


 ミミアが少し苦笑しながら引き下がる。

 園香(そのか)は静かに息を吸い、右手を前に突き出した。指先を二本立てて、銃の形を作る。


「――狂え」


 その囁きが届いた瞬間、敵兵の一人が構えていた魔法陣が歪む。描かれた術式が崩壊し、光の紋が暴走。次いで――爆ぜる!


「ぐあっ――!」


 轟音とともに兵士が吹き飛ぶ。

 他の兵士たちが驚き、ようやく園香(そのか)たちの存在に気づいた。


「な、なんだ貴様らは! 我らコルペリオン兵に逆らうとは……ただで済むと思うなよ!」


 剣が一斉に抜かれ、残る兵士が魔法を展開する。

 園香(そのか)はそれを冷ややかに見つめながら、軽く手を叩いた。


「ああ、忘れてたけど――そういえば、私、リリアから言語理解の魔法を分けてもらってたんだった」


「お姉様から?」


 ミミアが目を瞬かせる。


「ええ、念のためにね。まさか役立つ日が来るとは思わなかったわ」


 言語理解の魔法――それは精神を媒介に、話し手の言葉を共有する魔法。リリアがかつて地球で、園香の父・宗弥(そうや)から日本語を教わったときの応用だった。興味本意でアルトリネアの言葉を教わったのだ。

 不思議な感覚。聞き慣れぬ言葉のはずなのに、耳にした瞬間から意味が“わかる”。脳が勝手に理解を補っていく。そして、返しの言葉すらはっきりと口から出る。


「ええと、とりあえず――全員まとめてかかってきなさい。その方が早く済むし」


「な、なんだとっ! 舐めた口を……楽に死ねると思うな!」


 怒号とともに、兵士の一人が突進した。剣に風を纏い、勢いを乗せる。

 だが、園香(そのか)は小さく溜息を吐くのみ。


「あのねぇ。今の、見てなかったの? 私の前で半端な魔法を使えば――」


 言葉の途中、指先がわずかに滑る。照準を合わせる仕草。兵士の動きが一瞬止まり――。


「なっ……!?」


「こうなるのよ」


 再び、魔法が暴発。

 剣が砕け、爆炎が花のように咲き乱れる。兵士は吹き飛び、煙の中に沈んだ。


「おお……渡代(わたしろ)さん、そんなに強かったのか」


 拓未(たくみ)が感嘆の声を漏らす。いつでも加勢できるようにと気を張っていたが、杞憂だったと悟る。

 

 残る兵士は三人。

 

 互いに目配せをして、一人ずつでは勝てないと察して魔法陣を連結させ始めた。渦を巻く光――三人分の魔力が束ねられ、地を震わせる。


「そ、園香(そのか)よ。これは流石に不味いのではないか?」


「あなた、私にコテンパンに負けておきながら、まだ私の“本質”を理解していないのね」


「ほ、本質じゃと?」


 ミミアの問いに、園香(そのか)は薄く笑んだ。

 右手にはいつの間にか、“見えない剣”が握られている。

 そっと刃を構え。見据えるは敵方、魔力の流れ……。


 ――キィィィン。


 金属とも水晶ともつかぬ高音が、空気を裂いた。

 その瞬間、敵兵の大魔法に注がれていた魔力が、すべて彼女の剣へと吸い込まれていく。


虚神天穿(うろがみのあまうがち)――(しるべ)


 その声に応じ、光が形を変えた。

 魔力は巨大な炎の鳥となり、地表を滑るように走り抜ける。爆風が大地を抉り、五人の兵士を薙ぎ払った。

 殺しはしない。殺しは、彼女の主義に反する。だが、立っていられる者もいない。残るのは、焼け焦げた砂地と、衣服も鎧も炭と化した兵士たちだけ。

 沈黙を破って、ミミアが呆然と呟く。


「……園香(そのか)、恐ろしい娘じゃ……」


 畏怖を向けられた当人――園香(そのか)は、満足げに息を吐き、手にした剣を霧のように消した。


「勘違いしてるなら教えてあげるけど――私の専門は“魔法”よ。いいえ、正確に言うなら――『対魔法戦』のスペシャリスト、ってところかしら」


 照れ隠しのように笑いながら、彼女は髪をかき上げる。

 ミミアも拓未(たくみ)も言葉を失い、ただ呆然とその背中を見送るしかなかった。


 そして、焼け焦げた灰の中で――。

 

 助けられた二人のエルフが、怯えたように、しかし確かにその“勇者”を見つめていた。

 かつて、この魔力満ちたる世界に召喚されて、伝説の竜をも破った勇者――その子孫の姿を。魔法あるいは魔術と呼ばれる領域において、彼女ほど頼れる存在はいないだろう。



 * * *



「本当に、先ほどは助けていただき、ありがとうございました」


 追い詰められていたエルフ族の一人――マルカと名乗る男が、胸に手を当てて深々と礼を述べた。

 かなり歩いたが……あたりは未だ一面の灰色。焼け落ちた森の残骸と、崩れた大地が果てしなく続いている。

 それでも、彼らが辿り着いたこの場所には、奇跡のように二本の木が残っていた。互いに枝を絡ませ、アーチ状の門を形づくっている。

 幹は黒焦げで、ところどころ炭のように脆くなっていたが――根元には、小さな芽が顔を出していた。


「――いいのよ。こうして里の入り口まで案内してもらったんだし。お互い様ってやつ」


 園香(そのか)が軽く笑うと、マルカはさらに感激したように頭を下げる。


「このマルカ、感銘いたしました。勇者様に助けていただけなければ、この命、とうに尽きていたことでしょう。このくらいの助力であれば、いつでも馳せ参じますので、どうぞ遠慮なくお申し付けください!」


「そんなに畏まらなくていいってば」


 園香(そのか)少し呆れたように笑い、首を振る。その目には、優しさが滲んでいた。

 マルカの隣では、娘のエルシェが頬をふくらませている。


「パパばっかりずるいわ! 勇者様、私からもお礼を……本当にありがとうございました!」


 声の張りや仕草はまるで人間の少女――女子高生のようだが、長命種のエルフに年齢の感覚は通じない。

 園香(そのか)は少し戸惑いつつも、結局はいつも通りの調子で応じた。


「だから、いいってば。何回言えば気が済むのよ」


「だ、だって。まさか伝説の勇者様にお会いできるだなんて、夢にも思いませんでしたから!」


「正確には、その血を引いてるだけ。私はこの世界を救ったりなんてしてないわよ」


「それも時間の問題です! これから魔王を討ち取ってくださるんですよね? かつて竜王を討ち取ってくれたお方のように」


「……簡単に言ってくれるわね。その通りだけれど」


 園香(そのか)は苦笑しながら視線を逸らした。

 この過剰なまでの崇敬の眼差し。その原因は、他でもないミミアにある。

 先刻――兵士を撃退した後、エルフの親子が怯えと疑念を抱く中、ミミアは胸を張ってこう宣言したのだ。


『我はミミア・コルペリオン! この世界を手中に収めんがため舞い戻りし者。伝説の勇者・園香(そのか)を仲間とし、魔王を討ち取る旅の途中なのじゃ!』


 その一言で、親子は目を丸くし――次の瞬間には感涙の面持ちで園香(そのか)に詰め寄ったのだ。

 それ以来、彼らはことあるごとに礼を述べ続けている。


「やりにくいわね……もう、いいから。早くエルフの里に連れて行ってちょうだい」


「は、はい! ただいま!」


 マルカが頷き、アーチの根元にある芽へと手を伸ばす。

 指先から流れた魔力が芽に吸い込まれ、次の瞬間――黒焦げの木々が淡い光を帯びて震えた。焦げついた皮の下から新しい命が脈打ち、アーチの内側に薄膜が生まれる。

 シャボン玉のように淡く光る膜だ。それが、ふっと風に揺れた瞬間に空気が一変した。乾いた灰の匂いが消え、代わりに青葉の香りが漂う。


「こちらが、我々エルフにのみ伝えられし秘密の抜け道。エルフの里まで、ひとっ飛びですよっ!」


 エルシェが誇らしげに笑い、園香(そのか)の背中を押す。


「我……王族なのに、全然相手にしてもらえぬのじゃ……」


 少し離れたところで、ミミアが肩を落とした。

 その様子を見て、拓未(たくみ)が苦笑しながら肩を叩く。彼は先ほど、園香(そのか)に魔法をかけてもらったため、会話の内容は理解していた。


「まあ、いいじゃねえか。怪しまれずに済んだだけでも御の字だろ? リーナちゃんも安全な場所で休ませてやれるし」


「う、うむ……そうじゃな」


 そうしている間に、園香(そのか)とエルシェは膜をくぐり、その姿を消した。

 マルカも後に続き、振り返って一同に声をかける。


「敵に見つかってはなりません。早くお通りを!」


「が、合点なのじゃ!」


 ミミアは慌てて返事をし、裾を押さえながら駆け込んでいく。対応が全然違うのじゃ、と呟きながら。

 その小さな背中を見送りつつ、拓未(たくみ)がぽつりと溢した。


「やれやれ……こいつ、本当に魔王になれるのかね」


 灰に沈む世界の片隅で、その声だけが穏やかに響いた。





 

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