表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/67

2話 勇者召喚


 * * * * * *


 

 炭火のような匂いに混じり、油を焦がした匂い――そして、血の匂いが濃密に辺りを満たしていた。

 

 この匂いを、知っている。


 これは『死』の匂いだ。

 人も、獣も、草木さえも――“生”あるものすべてが無慈悲に焼かれ、絶えていく時の残滓。

 兄である魔王ティリムに追われ、王都から逃げ延びた先。匿ってくれた地方貴族の街が焼かれた――あの日と、同じ匂いだった。

 ミミアは直感的にそれを理解し、飛び上がるようにして目を覚ました。


「こ、ここは……どういうことじゃ! リリアお姉様は、いったい……」


 目の前に広がるのは焼け野原。いや、野原ではない。

 焼けて朽ちた木々の残骸があちらこちらに転がり、クレーターのような破壊痕が点在している。これは森が焼き尽くされた……この世界では、ありふれた“戦場の跡”だ。


「我はいったい……なぜ、こちらの世界にいるのじゃ」


 ミミアの呟きが示す“こちらの世界”とは、すなわち――彼女の故郷、アルトリネアのこと。

 しかも荘厳な街並みや豊かな緑の中ではなく、戦火の中心。悪夢のような光景の真っただ中である。


「そ、そうか……さてはセイチェが、我らを逃すために魔法を使ったのじゃな」


 直前の記憶が蘇る。

 リリアを捕らえた悪魔の如き強さを持つ男に、手も足も出ず、最後には脇腹を撃ち抜かれた感触。

 はっとして脇腹に手を当てるも、そこに傷跡はなく、痛みも感じなかった。


(ふむ……どうやら彼奴(あやつ)の攻撃で、纏っていた魔力の層を撃ち剥がされ、魔力切れで意識を失うたようじゃな)


 身体を貫かれたと錯覚するほどの衝撃――だがそれは、防御に使った魔力が砕かれた反動だったのだろう。どうやら、肉体そのものには損傷はないようだ。


「さて、と」


 ミミアは立ち上がり、周囲の状況を確認しようとした。

 そのとき、背後に気配を感じ、反射的に振り返る。


「――何者じゃ!」


「――っと、と。待て待て、ミミア。俺だよ」


「ッ……た、拓未(たくみ)じゃったか。すまぬ」


 ミミアが攻撃しかけた手を止める。

 拓未(たくみ)はふぅと息を吐き、疲れを滲ませた声で言った。


「ようやく見つけた。これで三人目だ」


「三人目?」


 ミミアが首を傾げると、拓未(たくみ)は重苦しい表情を浮かべた。


「ああ。どうやら俺たちは、この世界にバラバラに転移したらしい」


「バラバラ……じゃと?」


「ああ。今はリーナちゃんと、怒り心頭で口を利いてくれない嬢ちゃん、そしてミミア……これで三人目だ。

 残りはセイチェさんと、(かたる)ちゃんがまだ見つかってない」


 ミミアが小さく息を呑む。


「待て、待つのじゃ。リリアお姉様は……お姉様は、どうなったのじゃ」


「あ? ――いや、そうか。お前は気絶してたから見てないよな」


 拓未(たくみ)は目を逸らし、罰が悪そうに口を尖らせた。その仕草を見て、ミミアは嫌な予感を覚える。

 そして――その予感は、的中した。


「捕らわれていたお前の姉さんだけどな。残念ながら一緒に逃げることはできず、今どうなってるのか……俺たちにも分からん」


「そ、そんな……いや、じゃが……」


 セイチェがその決断を下したのか?

 ミミアはほんの一瞬、己の側仕えを疑った。

 だがすぐに、その決断を迫らせた自分の不甲斐なさを呪い、唇を噛む。


(そうか……セイチェよ……すまぬ。我は其方(そなた)に、このような決断を委ねてしもうたのか……)


 咄嗟のこと、魔力の制御もままならない状態での“異界渡り“だ。特定の者を指定して発動するのではなく、魔法陣の範囲内で効果をもたらす魔法。リリアに魔法をかけたくば、金倉(かねくら)を範囲外に追いやらなければならない。だが、それができる程の余裕はなかった。

 きっと、苦しい判断だったに違いない。それでも最後に、主である自分を選び、守ってくれた――そのおかげで、今の“生”がある。


(すまぬのじゃ……すまぬのじゃ……)


 自然と、頬を伝う雫。

 拓未(たくみ)がそれに気づき、見ないふりをして背を向ける。

 ミミアは、その背中にわずかに身を預けた。


(我は、またしても……負けてしもうたのじゃ。

 またしても、逃げてしもうたのじゃ。

 我は、我は弱い。弱いゆえに、何も守れたことがないのじゃ……)

 

 敗北者。

 それが、己の人生に与えられた役割――そうに違いないと、思わず拳を握りしめる。

 これは遊びでも、鍛錬でもない。本気の戦争。本気の奪い合い。本気の勝負。そのすべてにおいて、ミミアは一度として“本物の勝利”を掴んだことがなかった。


(もっと、もっと強くなりたいのじゃ……お父様。

 我は、どうすれば良いのじゃ……)


 脳裏に浮かぶのは、父の姿。

 何者をも力でねじ伏せ、しかし義に厚く、歴代で最も偉大な王と謳われた男――その背中。


(お父様は……どうして我に、短剣を授けたのじゃ……どうして……)


 その問いに答える声は、どこにもなかった。

 ミミアは、涙が枯れるまで自問を繰り返した。

 


 * * *

 


 しばらく戦場跡を進むと、ようやくまだ焼けていない森が見えてくる。

 焦げた風の中に、かすかに木々の息づかいを感じて――ミミアは思わず駆け出した。


「リーナ……リーナは、どこじゃ……」


 ただ、生きていてほしかった。

 もうこれ以上、仲間の死を見たくない。

 その一心で木々の間を抜け――そして、見つけた。


「リーナ!」


 しかし、足が止まる。

 地面に横たわるリーナは、苦しそうな寝息を立てていた。額には大粒の汗……頭の下には衣服で作った簡易的な枕。短くなった腕には包帯が巻かれている。治癒魔法で止血は済んでいるはずだが、誰かが丁寧に応急処置を施したのだろう。


「………………」


 言葉が出ない。

 そんなミミアの頭に、拓未(たくみ)がぽん、と手を置いた。


「ミミア、お前のせいじゃない。俺たち全員で挑んだ結果だ。お前だけが痛みを背負うな」


「……………………うむ」


「それでいい」


 また泣き出しそうな顔をしていたミミアだが、拓未(たくみ)の言葉に、ぐっと唇を噛みしめて頷く。

 その時、リーナの側の木陰から、黒髪の少女が姿を現した。


「遅かったじゃない」


「すまない、園香(そのか)ちゃん」


「……それ、気持ち悪いからやめて。呼ぶなら苗字にして」


「そ、そうか。わかった、渡代(わたしろ)の嬢ちゃん」


「妙な呼び方もやめて」


「お、おう……」


 拓未(たくみ)が渋々呼び方を変えると、少女――渡代(わたしろ)園香(そのか)が溜息まじりに会話を続ける。


「それで、(かたる)ちゃんと、あのメイドはまだ見つかりそうにないの?」


「ああ、さっぱりだ。セイチェさんがいないと、俺たちは元の世界に戻ることすらできない。

 (かたる)ちゃんも一人だと心配だ……何としても二人を探し出さないとな」


 拓未(たくみ)がそう思案していると、ミミアが俯きながらも言葉を紡ぐ。


「すまぬが、一つだけ我から告げねばならぬことがあるのじゃ」


「あなたは……確かミミアって言ったわね。どうしたのよ?」


「うむ……実は、セイチェの“異界渡り”の術なのじゃが――一度使うと、次の使用までに数ヶ月は魔力を溜め続けねば発動できぬのじゃ。

 まして今回は、六人を対象とした無理な転移。次に発動できるのは……半年後か、一年後かもしれぬ」


 その言葉に、場の空気が凍りついた。

 園香(そのか)が険しい顔になり、ミミアの側まで歩み寄る。


「……私の魔力をあげても、どうにもならない?」


「うむ。あの術は、ある程度の月日をかけてゆっくりと魔法陣に魔力を注ぎ込み、発動させる大魔法。そう設計されてある以上、外部から余剰な魔力を授かったとしても、発動用の魔力としては使用できぬのじゃ」


 ミミアが首を振ると、園香(そのか)はますます眉間に皺を寄せた。


「そう……それじゃ、他の術者はいないの?」


「ほ、他かの……居ないこともないのじゃが、急がねばならぬ理由があるのか?」


「――当たり前じゃない! リリアが待っているんだからっ!」


 園香(そのか)が怒りに任せて声を張る。

 その言葉の意味を一瞬理解できず、ミミアは呆然とした。


「…………お、お姉様が?」


「そうよ。あなたの家族が、向こうの世界で私たちの助けを待っているはず。だから、こんなところに長居している場合じゃない」


「そ、それは、どういうことなのじゃ?」


 ミミアが困惑していると、拓未(たくみ)が助け舟を出すように補足する。


「ミミア……お前の姉さんだが、どうやら渡代(わたしろ)の嬢ちゃん曰く、まだ生きているらしい。

 あの男――金倉(かねくら)の気まぐれなのか、何か生かされている理由があるのか、さっぱりだが……」


「なっ……! いや、しかし、なぜそのようなことが分かるのじゃ?」


「そこの嬢ちゃ……渡代(わたしろ)さんが、リリアさんに魔法で加護を与えていたらしい。その加護の繋がりがまだ存在している――だから、生きているのは間違いないそうだ」


「ま、まことか!」


 思わず目を見開き、園香(そのか)へとしがみつくミミア。希望と困惑が入り混じるその瞳は、ルビーとエメラルドの光を宿して輝いた。


「お、お姉様は、まだ、生きておるのか!」


「そうよ。いつまで生かされているかは分からないけれどね。だから、私たちは一刻も早く助けに戻らなきゃいけない……」


 園香(そのか)の言い分はもっともだ。

 だが、現状に潜む絶望が、それだけではないとミミアは理解していた。


「わ、分かったのじゃ。しかし、セイチェが術を使えないとなると……エドリアス家の当主、ベギアンに頼むしかあるまい」


「へぇ……それじゃ、さっさとそいつのところに案内してくれる?」


「そ、それは……無理なのじゃ。ベギアンはおそらく、我の兄であり、魔王である――ティリムに捕らえられておる。奴を倒さねば、ベギアンに会うことは不可能じゃ……」


 それは、魔王を撃ち破るということ。

 今のミミアには、玉座に君臨する兄を地に引き摺り落とす未来が想像できなかった。

 だが、園香(そのか)がその不安を一蹴してみせる。


「それがどうして無理になるのよ。どのみちリリアを助けるためには、その方法しかないんでしょ? だったら、やるしかないじゃない」


「そ、そんな簡単なことではないのじゃ……兄上は、その実力の底が見えぬお方なのじゃ……! もしや、あの金倉(かねくら)という男よりも、強いやもしれぬ」


「はぁ? あの男も抹殺しようって話してるのに、その男より少し強いかもしれない奴にビビってどうするのよ。どっちも火炙りにして、地獄を見せてやるんだから……」


 力強く宣言する園香(そのか)

 その言葉に、ミミアははっと息を呑んだ。


(そ、そうじゃ……その通りじゃ、何を弱気になっておる、ミミア・コルペリオン! 我は、我は魔王になるのじゃぞ!)


 幼き日の誓いが脳裏に蘇る。

 こんなところで怯えていては、父に顔向けできない。

 一度や二度の敗北で、挫けてたまるものか。

 そこに希望がある限り、そこに大義がある限り、己の命ある限り――全てを賭して貫かねばならぬ。


「……わ、分かったのじゃ! 我も戦う……戦って、兄上を討ち、我が手で魔王の座を取り戻す!」


 熱を帯びた決意表明。

 しかし、園香(そのか)が冷めた目で応じる。


「はぁ? 魔王を討ち取るのは勇者の役目よ。つまり私。ちびっ子は大人しく絵本でも読んでなさいよ」


「なっ、ち、ちびっ子じゃと?! 言わせておけば、この鬼ダルマめ!」


「へぇ、私が鬼みたいな“可愛いもの”に見えているのね?

 もっと恐ろしい存在であることを、あなたの身体に刻みつけてあげようかしら?」


 そんな応酬が始まったところで、拓未(たくみ)が慌てて割って入る。


「待て待て、何を喧嘩してんだよ……とりあえず今後の方針が決まったんだから、それでいいだろ」


「と、止めるでない、拓未(たくみ)よ!」


「ちびっ子は事実だろ。止めるよ、お前が殺されたら困るし」


「な、なんじゃと……」


 ミミアがショックを受けて固まり、園香(そのか)が満足げに微笑む。


「それで、今後の方針だが――俺から改めてまとめさせてもらうぜ?」


 そう言って拓未(たくみ)が三本の指を立て、ニヤリと笑う。


「ひとつ、セイチェさんと(かたる)ちゃんを見つけて合流すること。

 ふたつ、魔王ティリムを打ち取り、彼に捕らわれたベギアンという人物を奪還。

 みっつ、地球に帰って金倉(かねくら)をぶっ飛ばす。――それでリリアさんを取り戻して、ハッピーエンドだ!」


 口に出せば簡単。

 だが、その実、恐ろしく無謀な挑戦である。

 それでも――この場に、否定する者は一人もいなかった。


「や、やってやるのじゃ……我が、この世界を取り戻し、リリアお姉様を必ず救う……!」


 ミミアの再誓に、拓未(たくみ)が力強く頷く。

 だが、ふと何かを思い出したように、園香(そのか)へと振り向いた。


「……ところで渡代(わたしろ)さん。あんた、さっき自分のことを“勇者”って言ったか?」


「ん? 言ったけど、それがどうかした?」


「…………マ、マジか。そうか。そうなのか」


 拓未(たくみ)は、乾いた笑みを浮かべた。

 その横で、ミミアが目を見開いたかと思えば、がっくりとうなだれる。


「う、嘘じゃ……嫌なのじゃ……まさかこんな形で、ずっと探しておった勇者に出会うなんて……我は、我は絶対に認めんのじゃ……」


 そういえば――ミミアは地球で、勇者の協力を求めて彼女を探していたのだった。その話の中では勇者の名を『綿次郎』と呼んでいたが、なるほど『渡代(わたしろ)』の間違いであったらしい。

 拓未(たくみ)は今さらながらその事実を思い出し、数奇な巡り合わせに天を仰ぐ。


「……ダメだ、こいつら……」



 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ