5話 ドジっ娘vs勇者
* * *
その後は何事もなくお昼休みに入るまでの時間が過ぎた。いや、正確には例の【ドジっ娘】のせいか、少しだけトラブルがあった。
講義中に羽虫が顔の周りの飛び回るものだから、思い切って振り払おうとした。その拍子に、手に持っていたシャーペンがすっぽ抜けて空を飛び、前の席の男子学生の頭に墜落した。
(めちゃくちゃ怒られたし、めちゃくちゃ恥をかいた……これも全てチケ・シュタールのせい)
次に会ったら許さない。
勝手に役力を奪っておいて、我ながら酷い言い草である。
とはいえ、このまま【ドジっ娘】を保持していては日常生活に支障がある。どうしたものかと考えていると、頭の中にアナウンスのような声が聞こえてきた。
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役力【ドジっ娘】の機能をOFFにしますか?
(※機能のON/OFFはいつでも切替可能です)
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神よ、ありがとう。
私は速攻で【ドジっ娘】をOFFにした。
(チケとの接触で、こうした機能も分かったことだし、そんなに悪くない滑り出し……のはず)
この力の使い方はまだまだ不明点が多いが、検証あるのみだ。今後の自分に期待しつつ、今は休息に移ろう。
(さて、お昼ご飯の時間!)
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(さっきの子と話してから、なんだか調子がいいなぁ。今日は何もないところで転んでないし!
このままカリスタ先輩も見つかって、怒られずに済むかも!)
チケ・シュタールは鼻歌混じりにスキップまでしながら、いまだに大学の裏庭を彷徨いていた。
大学の裏手に広がるその裏庭は、表の賑わいとは別世界のように静かだった。
煉瓦を敷き詰めた小道が、くすんだベンチや古びた温室の脇を通って、くるりと回るように奥へと続いている。
背の高い垣根と生い茂った木々に囲まれて、陽の光も斑にしか差し込まない。昼間でさえどこか薄暗く、時間の流れが緩やかに感じられる。
風が吹くたび、木漏れ日が葉の影とともに地面を揺らし、足元を淡く彩る。
少し離れた場所には、小さな噴水と、何に使われているのか分からない石造りの台座がある。学生もほとんど足を踏み入れないこの場所には、どこか異国めいた、あるいは別世界の残り香のような空気が漂っていた。
まるで、現実と非現実の狭間に浮かぶ秘密の庭――そんな言葉が似合う場所だった。
そこでチケは花を愛でていた。
知らない地で迷子になっていながら、なんとも、まぁ見通しの甘いことである。
(任務内容、あんまりしっかりと確認してなかったけど……たしか、この時代でもう直ぐ起きるっている『厄災』を止めないといけないんだよね)
実は、この世界よりおよそ七十年後の未来においてはタイムマシンが開発されている。これまでの科学技術にはなかった『未知のエネルギー』が発見されたことにより技術革新が起こり、時間遡行の技術が確立したのだ。
(七十年前はこんなに長閑な学舎があったんだ。機械まみれのわたし達の時代とは大違いだなぁ)
チケは、少しだけこの時代の住民が羨ましいと感じた。こんなに自然豊かな大地の上で、機械音に悩まされることもなく、静かに学びたいことを学べる彼等が羨ましい。
しかし、チケはこの長閑な時間が長く続かないことを知っている。
先ほど述べた未知のエネルギーを発見するに至った事件――彼女が言うところの『厄災』により、世界は半壊するのだ。
(『厄災』についてはトップシークレット。調査員のわたし達の権限ではその詳細は分からない……
先輩ならもう少し詳しく知っているかもだけど)
チケ達に開示されている情報によると、『厄災』は“魔力“と呼ばれるエネルギーが爆発的に増大して起きた自然災害らしい。
そして『厄災』の後、被害の少なかった日本国に世界中の人々が集まり、技術を持ち寄って創り上げたのが人類の叡智の結晶『T-Vector』――所謂タイムマシンだ。
その開発目的は『厄災』を未然に防ぐこと。
様々なデータを検証した結果、この時代において『厄災』の根源となる膨大な“魔力“の反応を見つけたのだ。
(信じられないなぁ、この世界がそんな爆弾を抱えているなんて……)
蒼いアゲハ蝶が花の蜜を吸いにやってきた。チケはこの蝶を、いつだったか図鑑で見たことがある。だが、本物を見たのは初めてだ。夢中になって観察してしまう。
(わたし達より先に調査に出た人たち、通信が途絶えて帰ってこなかった人もいるって聞いたけど。案外、この世界が気に入って住み着いちゃったのかもね!)
チケ達によりも前に、すでに何度か調査の手が入っている。だが、未だに『厄災』の根源には辿り着けていない。それどころか、過去に渡った調査員は定期報告が途絶えてしまい、そのまま帰ってこなかった者もいたようだ。彼らは“死亡“したとして扱われている。
(わたし達、腕が立つからって次の調査隊に選ばれたけど、さっそくピンチだよ。『T-Vector』の作動中にエラーが発生するなんて。
うぅ……カリスタ先輩、どこで迷子になっているんですか?)
機械技術と正しい知識を持つものは、人口が激減した未来の世界において非常に貴重な存在だ。チケはこう見えて、組織から認められた正式な『T-Vector』の搭乗者だ。実はエリートなのである。
花の蜜を吸い終わりヒラヒラと移動を始めた蝶々。チケがその後を追う。
――そんな彼女は先刻、未来の世界において一つの失敗を働いていた。
それは数時間前のこと。
今まさに過去に跳ばんと作動中の『T-Vector』の中で、チケは喉を潤すために炭酸飲料を開封した。それが不幸の始まりだ。彼女の手元から吹き出した炭酸飲料が、マシンの排熱部に直撃してしまったのだ。
そうして排熱機能に不具合をきたしたマシンは、熱暴走を起こしてエラー表記に塗れながら時間遡行を始めてしまったのだ。
同乗していた彼女の上司である“カリスタ・エバーハート“の鋭い睨みを最後の光景に、気付けばこの時代に飛ばされていた。
そして一緒に時間を跳躍したはずのカリスタとは、どういうわけかはぐれてしまったのだ。最悪の場合は別の時間軸に飛ばされている可能性もある。
(あ……やっぱり怒られるな、わたし)
不時着のような形で今の時間に飛ばされたものだから、手元の装備や通信装置は故障している。現在の時刻すら分からない状況だ。
(それよりも先輩と合流できない可能性の方が高いよね。どうしよう……)
現在、使用可能な装備はたったの一つのみ。
魔力を測定して、その方角と距離を知るための機能である『魔力レーダー』だけだ。
(これじゃ、先輩は見つけられないよ)
先ほどまでの浮かれた少女はどこに行ったのやら。そこには途方に暮れて外階段に座り込む少女がいた。繰り返しになるが、彼女は技能技術者のエリートとである。
(もう、この近くに魔力反応があって、問題を全部パーッと解決できたら良いのに!)
チケは試しにレーダーを発動する。
繰り返しになるが、彼女はエリートだ。
そしてアホの子でもある。
――そんな彼女に一つの転機が訪れる。
ピピッ、と甲高い音と共に、腕の装置が赤く点滅した。
『警告:高濃度魔力反応 検出』
(え、うそ。すごい魔力反応、見つけちゃったんですけど……)
未来の基準において、規定値を超える魔力反応を見つけたのだ。それはすなわち『厄災』の根源である可能性が高いということだ。
(え、待って待って、わたしのすぐ……
――後ろッ?!)
チケはレーダーの反応に愕然としながら、後ろを見やる。そこには綺麗な黒髪をたなびかせた少女がいて、階段の上から彼女を見下ろしていた。
「こんにちは、妙な探索魔法を使うおバカさん?」
「え、と……こ、こんにちは?」
眩い太陽を背に、渡代園香が薄く微笑んでいた。
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