14話 氷点下③
* * *
彰人は瞠目した。
――この女は危険だ。根本から何かが違う。
そう理解した時には、すでに次の攻撃が眼前に迫っていた。
「くっ……!」
紅い閃光が視界を染める。
少女の振るった一撃を、上体を逸らしてかろうじて躱す。反撃に転じようとしたが、しかし咄嗟に身を引いて距離を取った。
「チッ……危ねぇな。適当に振り回してんじゃねぇよ」
舌打ち混じりの悪態。
しかし少女は何も答えず、ただ静かに紅い短剣を構えている。
――あの刃は危険だ。
直感で避けた初撃は正しかった。もし受けていれば、一瞬で命を落としていたに違いない。
彰人の能力は【透過】。あらゆる物を透過し、攻撃を無効化できる。それゆえ“避ける“という行為を、彼はほとんど必要とせずに生きてきた。
だが――この刃だけは違う。透過の理を超えて迫ってくる……明らかに異質な存在。身体が、血が、彼に受け継がれたものが反応したのだ。
「いったい何なんだ、その短剣は」
「これ? これは私の大切な友達から託された剣。そして……あなたを斬るための剣だよ」
「んな、大事なもんを当てずっぽうで振り回すなよ」
「ん? でも、そうしたら無闇に近づけないでしょ?」
こてん、と首を傾げてみせる少女。その言葉に、苛立ちが募る。確かに彼女の言う通りだ。あの刃がある限り、容易には踏み込めない。
(……くそっ。姉貴といい、この女といい。俺をどこまでも見下しやがって)
脳裏に姉――園香の姿が浮かぶ。
それは母を犠牲にした、許しがたい存在。たとえ『多くを救うため』であったとしても、あの選択を決して許すことはできない。
(母さんの無念は、俺が晴らす。……そのためなら、何を犠牲にしたって構わねぇ)
憎悪を燃料にして、再び敵を見据える。
身体能力はこちらが上。少女も何らかの能力で強化されているようだが、勇者の血を継ぐ自分の動作と反射速度には遠く及ばない。
(問題は、あの紅い短剣だけだ……)
致命的な脅威。それさえ潜り抜ければ、自分の一撃で勝負を決められる。だが、少女の振るう短剣の軌跡は、勘頼りで狙いをつけていない分、かえって読み切れない。
ならば、一度は安全策を取るべきか。そう結論づけかけた、その時。
――スンッ!
紅い斬撃が、今度は空を滑るように“飛んできた”。
中距離を狙った必殺の一閃。短剣を媒介に放たれた魔力の斬撃が、通路を裂いて迫り来る。
「ッ! ふざっけんなよッ!」
彰人は身体を捻り、横転するように飛び上がってそれを躱す。
しかし、着地と同時に鳴った床の音――それが、次の狙いを呼んでしまった。
「そこっ……!」
少女の放つ紅い三日月が、耳元をかすめて通り過ぎる。
冷たい汗が背を伝った。反応できなかった。
彼女の殺意が、確かな“死”を突き付けてくる。
「んー、また外しちゃったか。……主人公補正でも効いてるのかな。しぶといなぁ」
無邪気によく分からないことを呟く少女の姿は、次第に得体の知れぬ怪物に見えてきた。このままでは恐怖に呑まれる。
(落ち着け、落ち着け……)
こんなことでは己が目的を――復讐は果たせない。
彰人は自身を叱咤し、ナイフを構え直した。
「好き勝手しやがって……ここからが本番だ。もう言い訳も、油断もしねぇ。お前は危険だ。ここで必ず仕留める」
「ふーん。私はどっちでもいいよ? あなたのやる気なんて関係ない。最初からやることは変わらないし」
「そう言っていられるのも、今のうちだ」
ここからは全力で、冷静に、確実に、ことを成す。
事実として、彼は油断と動揺により実力を出しきれていない。その自覚があるからこそ、改めて仕切り直しの言葉を告げたのだ。
そして、息を吸い込み、呟く。
「調律せよ――《風の加護》」
風が、彼の体を包み込む。空気の層が生まれ、足が床から浮かぶ。動きは羽のように軽やかに変わり、空気抵抗を削ぎ、滑るように空中を舞えるようになった。地との接触がなくなったため、足音はもう無い。
透過の力と魔法を組み合わせた切り札。敵の『魔力探知の魔法』すら透過対象としているため、視覚、聴覚、魔法――あらゆる術を用いても、彼を捉えることはできない。
複雑な力を二つ制御しなければならないため、長時間の使用ができないのが欠点だが。
(これで決める。こんな奴に勝てないようなら、姉貴を超えるなんて、できねぇ)
すでに覚悟は決まった。
この少女を生かしてはおけない。己の敵と認め、その上で確実に息の根を止める。それだけの脅威であると判断した。ならば、
「名乗れ。せめて殺す相手の名前は覚えておきたい」
その問いかけに、少女がむっと眉を寄せたのが分かった。
「……未綴……語……」
嫌々名乗ったであろうその響きを胸のうちにしっかりと刻み、彰人も改めて自分の名を告げる。
「俺は……渡代彰人。
短い付き合いになると思うが、せいぜい名前を覚えてからくたばってくれ……」
それだけ言うと、少女の首を掻き切らん勢いで飛び出した。その姿は視認できないが、剥き出しの殺意を浴びた少女がたじろぐ。
もう余計な言葉はいらない。お互いの殺意をぶつけ合い、より優った方が相手を喰らう。言葉通りの殺し合いが今――再開する。
* * *
(――なんて、本気で思ってるのかな?)
どうして正面から渡り合う必要がある。
私は、渡代彰人が迫ってくる気配を探りつつ、意識の端を背後へと割いた。
そして部屋の中に向けて念を飛ばす。
(リリア、聞こえる? まだ無事?)
『――か、語さん? そ、その。この人、椅子を振り回して、私の防護結界を壊そうとしていて、あまり余裕がございません!』
(わ、分かった。難しいかもしれないけれど、その男の首のあたりに魔力を集積させて、位置が分かるようにして!)
『そ、それにどのうような意味が?』
(いいから、早く!)
『は、はい! 承知いたしました!』
私は言いながらも通路を駆けて、彰人の攻撃からなんとか逃れる。先ほどまで己の身体があった位置に、空を斬り裂く音が響き渡った。
その時、リリアが私の指示に従い、中村の首の辺りに魔力を集めてくれたらしい。彼女の魔力が流れ込み、中村の首元に光点のような気配が宿る。これで壁を隔てても、どこに彼の首があるのかがよく分かった。
(リリア、目を閉じていて)
私はそれだけ忠告して、また短剣に魔力を集めた。
少し距離がある。先ほどまでよりも多くの魔力を練り、リリアがマーキングしてくれた“それ“目掛けて、刃を振り放つ。
「……一匹、駆除完了」
刃先から紅蓮の魔力が一直線に突き進み、壁を貫いて、その向こう側へと軌道を伸ばす。
「きゃぁぁぁあッ!」
リリアの叫び声が聞こえた。
どうやら、私の狙いは上手くいったらしい。彼女の悲鳴が成功を告げてくれた。
脳内にアナウンスが流れてくる。
――――――――――――――
対象への強い接触(殺害)を確認
剽窃を発動。
※一撃での絶命を確認(獲得率100%)
【悪役】2→7rp
:悪事を働く際に、運命力にプラス補正
【モブキャラ】6→9rp
:物語の端っこの方に存在を許される。
【超能力・危険予知】0→5rp
:ある程度の身の危険を予め感じ取ることができる。
――――――――――――――
視覚、聴覚による認識は不可能。魔法も通用しない。
ならば、第六感に頼ればいい。
私は、中村の首を刎ねた。そして彼の力を引き継いだ。
「あ? 何したんだ、お前……」
状況が分からないらしい彰人が、そんな惚けた声を漏らす。だが、尚も攻撃の手は止めない。
右から、上から、正面から、矢継ぎ早にナイフを突き出してくる。だが、
「――ッ! お、お前、なんで避けれるんだよ」
その問いが、答えであった。
彰人の攻撃はもう、見えない刃ではない。私は中村から奪った【危険予知】により、その攻撃の軌道を正確に読み取ることが出来るようになっていた。
「くそっ、どうなってやがる。これじゃ、まるで」
「あなたのお仲間の中村さん? そいつの能力みたいでしょ?」
「な、なんで、それを……」
「なんでって? 分かるでしょ? 私がもらったんだよ、その能力を……」
「――は?」
呆然と声を洩らす彰人。
私の手に握られた短剣の紅が、より深く脈打つのを感じた。
「嘘だろ……」
と短い驚愕の声。
どうやら壁に穿たれたオーバル状の隙間から部屋の中を覗き見たらしい。そこに広がっているのは、無残な惨劇。
「お前、姉貴の友達なんだろ……? へ、平気で人を殺すのか、何考えてんだよ……」
「え、でもこれって、正当防衛だよね?」
心外だ。私やリリアを殺そうとしたくせに、いざ自分たちが同じ目に遭えば情に訴えるとは。浅はかにも程がある。
私は通路をゆったりと歩き、少し奥まった扉の前に立つ。そして短剣を突き立てると、その扉は音もなく掻き消えた。
「そんなことよりもさ、こっちで続きをしようよ」
開かれた先は、この施設――『アイスワールド』のアトラクションエリア。
本来ならば館内を氷点下三十度まで冷やし込み、来場者に極寒体験を与える場所だ。今は稼働していないものの、吹き抜けのように開けた空間が広がっている。
私はそこへと彰人を誘い込んだ。
「狭い通路じゃ、私の短剣を避けにくいでしょ? だから、ハンデをあげる」
「ハンデ……だと? 仮にお前が中村の力を奪っていたとしても、俺はまだ負けちゃいねぇ……!」
挑発は見事に刺さった。怒りに任せ、一直線の一撃が迫る。
私は身を捻ってそれをかわし、そのまま彼と共にアトラクションエリアへと足を踏み入れる。
「便利だね、この能力。見えない攻撃が、どこから来るのか直感的に分かる」
「だからどうした。俺の方が速いんだ。お前が避けきれない速度で攻撃を続ければどうなるか……想像できるだろ?
それに、攻撃を予知したところで俺の正確な位置を把握できる訳でもねぇ。お前の攻撃は、相変わらず当たらない」
「うん、そうだね。――でも、こういうのはどうかな?」
確かに彼の言う通りだ。
危険予知があっても、それはあくまで“刃が来る軌道”が分かるに過ぎない。彼の正確な座標までは絞れない。防戦はできても、攻め手には転じにくい。
だが、私には別の目論見があった。
「凍てつけ――《アイス・ワールド》」
私はこの施設に因んで、今から使う魔法にそう名付けた。
足元から氷の膜が広がり、床を、壁を、天井を伝って一気に空間を支配していく。瞬く間に身体の節々にツンとした痛みをもたらし、鼻腔を刺す冷気が満ちていく。
「やっぱり寒いね。……手が悴む前に、決着を付けようか」
「何がしたいんだ。俺はもう、足を滑らせたりしない……」
「あれ? 分からない?」
どうやら彰人はまだ、気づいていない。
互いに言葉を交わす、その吐息が白く染まっていることを。
私の視線の先、彼の声が響いたあたりに、淡く広がる靄――冷気に晒され白く浮かび上がった呼気の残滓が漂っていた。
そうだ。その直下に、首がある。
「見つけた……」
私は紅い短剣を構え、静かに微笑んだ。
当然だが、彰人は透明化の最中にも呼吸をしている。つまり、呼吸に用いる空気だけは透過の対象外。さらに遠距離攻撃を仕掛けてこない以上、触れていないものには透過の力を及ぼせないことも分かる。
ならば――彼の吐息に混じる水蒸気こそが、唯一の“痕跡”だった。彼はそれを隠すことができない。
「で、何だっけ? 私の攻撃は当たらないんだよね? ……避けるの、頑張ってね?」
私はそこにいるはずの彼へ向けて変わらず笑みを浮かべると、短剣を振り抜いた。
紅い斬撃を飛ばす、飛ばす、飛ばし続ける。
己の最高速度をもって、彰人が反撃に転じる暇を与えず、攻め続ける。紅い三日月が縦横無尽に駆け巡り、壁を刻み、床を裂き、天井を抉る。氷点下の空間に閃光が乱舞し、その中で白い吐息だけがウサギのように飛び回り、ぎりぎりで斬撃を逃れていた。
「あははっ、防戦一方なのは、あなたの方みたいだね!」
楽しい。これはもう、まるで的当てだ。ゲーム感覚でウサギを追い詰め、逃げ場を奪っていく。隅に追いやったその瞬間、決定打を放たんと魔力を練った。
勇者の力を持っていようと、所詮は園香に及ばない。呆気ない最後――そう思ったが。
「……ま、そうだよね。息を止めるって選択をするよね」
ウサギの痕跡が突如、消えた。
当然だが、この戦術は彼が呼吸していることを前提に組み上げたもの。ならば息を止められれば、追跡は困難になる。ようやく気づいたらしい彰人が、息を止めて対応してきたのだ。
私は即座に攻めを引き、守りに徹した。四方八方に注意を巡らせ、気配を探る。
「そこっ!」
背後から迫る気配。前屈で紙一重に避ける。
――ここからは我慢比べ。彰人が息を止め続けられる限り、私はその刃を避け続ける。だが彼が呼吸を再開した瞬間が、私の勝ち筋となる。
私は魔力を身体強化に回し、足の速度を引き上げた。踊るようにステップを踏み、慣れないながらも斬撃をかわし続ける。
(なんだろう。この短剣を握っていると、不思議と怖くない……)
氷点下の寒気の中にあって、刃を握る手だけは異様に温かかった。その熱が全身に巡り、脳を冴え渡らせ、次に取るべき行動を導いてくれる。
(大丈夫……そろそろ息が切れる頃合い……)
繰り返される斬撃を躱わすうちに、攻撃の勢いがほんの一瞬、鈍った。――その刹那を見逃さなさい。
私は身体強化を解き、別の魔法を組み上げる。
――ぷはっ!
待ち望んだ呼吸音。
それは彰人が肺を開いた瞬間だ。
「焼き尽くせ――《フレイム・ワールド》!」
焔が迸った。私を中心に紅蓮の渦が巻き上がり、氷点下の空間を一気に熱へと転じる。氷は溶け、蒸発し、白煙が立ち込める。
その蒸気を――彼の肺が、勝手に吸い込んだ。
「ぐっ……ぬぅぐ……ぅぅえ……!」
透過の力は呼気に付与していない。
我慢して、我慢して、我慢して。空気を求め続けた肺が、呼吸を望んだ本能が、彼が状況を理解するよりも早くに、勝手に呼吸筋を動かしてしまったのだ。
そして――押し入った熱が、喉を焼き、気管を焦がし、肺胞を炙る潰す。
その苦しみに耐えきれず、透明化が剥がれ落ちたらしい。姿を晒した彰人が、呻きながら膝をついた。
「……ぁ……ぁ……がっ……!」
さぞ、地獄のような苦しみを味わっていることだろう。
ようやく。その歪んだ顔を、この目で見ることができた。私は満面の笑みを浮かべ、声を突きつける。
「残念だったね。出来損ないの勇者さん?」
楽しいウサギ狩りの時間は、終わりだ。




