13話 氷点下②
* * *
同時刻。休止中のアイスワールド館内にて。
私は尻餅をついたまま、目の前に立つ二人の男を見上げていた。
一人は――中村和佐。
持ち前の超能力【危険予知】で、私の接近をいち早く悟り、こうして不意を突いてきた張本人だ。
そして、もう一人は、
(……真鍋さんが言っていた、【透明化】の能力者……?)
そうだ。ここまでリリアと中村を伴い、姿を隠して移動してきたのは、この男に違いない。
今この場で最も脅威となる存在。私は直ぐにでもその役力を確認しようと視線を向け――だが、それよりも速く、中村がこちらへと手を伸ばしてきた。
「っ!」
反射的に後方へ転がり、受け身を取る。そのまま立ち上がって駆け出す。まずは距離を取らなければ、何をされるか分からない。
「うわっ……なんだあれ、人間の動きか? 速すぎるだろ……」
掴み損ねた中村が、訝しげな顔で私を見てきた。
無理もない。私の身体能力は、園香から受けた【加護・勇者の子分】によって底上げされている。
肉体性能だけで言えば、彼らと互角以上に渡り合えるはず。
……だが、問題は。
「彰人、頼むぜ……」
「おっさんには厳しいか。俺に任せとけ」
「まだおっさんって言われる年齢じゃねーよ」
彰人――中村がそう呼んだ男。
痩身ながらしなやかな筋肉を備え、金剛のような光を宿す瞳でこちらを見据える。黒髪を気怠そうにかき上げる仕草の裏に、どこか獰猛な気配が滲ませた――若い男。
今ここで再び透明化されてしまえば、相手の能力を分析する機会を失う。
ならば――確認するのは今しかない。
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渡代 彰人
【主人公】15rp
:あらゆる行動に対して運命力にプラス補正
【巻き込まれ体質】20rp
:様々な物語に巻き込まれやすくなる体質
【勇者】10rp
:全ての能力においてプラス補正
【超能力・透過】30rp
:実体の有無に関わらず、あらゆるものを透過する能力
【復讐者】10rp
:物語を復讐ルートへ進行させる補正。
※復讐相手に対して能力面でのプラス補正あり。
【悪役】10rp
:悪事を働く際に、運命力にプラス補正
――――――――――――――
……。
…………………………。
は?
…………………………。
……………………。
え……?
ぽかん、と。脳内で何かが弾ける。
そして。
私の脳裏で、いくつもの点が一気に繋がっていく。
渡代という姓。
【勇者】の称号。
血液が逆流するように――蘇る記憶。
初めて園香の家に上がった時。
二階の奥の扉に掛けられていた、あの札。そこには確かに――『彰人』と記されていた。
そして、あまり家族のことを話したがらない園香の顔が浮かび。続いて、大きな屋敷に一人で住んでいる宗弥さんの、少し寂し気な表情を思い出した。
私は、目の前の男――渡代彰人を凝視する。
なるほど、整った顔立ちは渡代家の血を示すものだろう。
やや吊り目がちで、苛立ちを纏ったような表情は、確かに園香を思わせなくもない。
……だからこそ。
私の混乱は、極点に達した。
まさか――。
まさか、園香の家族が。
こんな場所で、こんなよく分からない犯罪に手を染めているなんて。
「なん……で……」
自然と口から漏れた疑問符に、園香の家族と思しき男――彰人が顔を顰める。
しかし、獰猛な笑みは崩さぬまま、一歩、また一歩とこちらへ寄ってくる。その手には、冷たく光るナイフを提げて。
「チッ……面倒だな。お前も何かの能力者か? 身体機能を底上げする類いの……」
「…………なん、で」
ダメだ。
状況は理解できる。
脳も冷静に働いている。
だが――心が追いつかない。
「なんで。なんで……?
なんで園香のことを、裏切るの……?」
分からないのは、彼の行動原理について。
目の前にいるこの男は、裏切ったのだ。
私の大切で、大好きな友人を。
勇敢で、優しくて、時に意地悪で――でもその意地悪は照れ隠しに過ぎず、本当は誰よりも他人想いな少女を。
可愛くて、綺麗で、格好良い――勇者という役割が全く似合わない少女、園香を。
その彼女を裏切ったのだ。よりにもよって、彼女の家族が。
「なんで、裏切るの……園香のこと」
そんな酷い話があっていいはずがない。目の前の男は、それを平然とやってのけ、挙げ句にはリリアをも殺そうとしている。許されるわけがない。許してはならない。
その言葉に、男――彰人の表情がわずかに揺らいだ。
「さっきからブツブツと……お前、まさか姉貴の仲間か?」
姉貴――つまり、この“男”は園香の弟ということだ。嫌悪を露わにしたその顔つきは、彼女への憎しみで満ちていた。他人の感情に疎い私でさえ、読み取れるほどに。
いったい彼に何があったのか。なぜ園香の弟がこのような状態にあるのか。何一つ理解できない。
ただ、目の前にあるのは事実として、彼が今現在――園香を裏切るような行動に出ているということ。それを私は、許容できない。
「仲間……じゃない。私は、園香の友達……」
「はっ、友達ねぇ。どうせあいつのことだ、お前のことを子分扱いして、引きずり回してんだろ?」
「そんなんじゃ、ない! 園香は照れ屋さんだから言い方が乱暴なだけ……あなたは弟なのに、そんなことも分からないの?」
「あ? 知るかよ。
――御託はもういい。お前はここで消す。それだけだ」
冷酷な宣告と共に、彰人の輪郭がじわじわと透けていく。空気に溶け込むように、その姿が薄れていく。ナイフを握る手だけが、なおも不気味に残像を引いた。
「中村。部屋で縛ってある妙な女も始末しろ。このガキみたいな女は、俺がやる」
「おう、任せたぞ。……ところで、ゆっくり楽しんでから殺してもいいのか?」
「……手早く済ませろ。ここを発つまでの時間は、あまり残されちゃいない」
「わかった、ひゃっほ〜い!」
中村の下卑た笑いが響き渡り、私の心臓を鷲掴みにした。
私の胸の奥で、何かがきしむ。
――話にならない。この男は、園香を何ひとつ理解していない。彼女の想いを、温もりを、勇気を。欠片すら掬おうとせず、ただ己の快楽のために人を傷つける。リリアに手を伸ばすその行為は、彼女が守ろうとした世界を踏みにじる背信にほかならない。
握った拳に、血のような怒りが滲む。
「させない……私があなたたちを、止める」
「そうか。だが俺にゃ関係ねぇ。
時間が惜しいんだ――直ぐに楽にしてやるよ」
その声と同時に、彰人の姿が完全に掻き消えた。
空気に溶けたわけではない。そこに確かにあるはずの存在が、輪郭を失って消え去る。視覚の秩序を裏切るその現象に、心臓が一拍遅れて跳ね上がった。
* * *
(聞いて、リリア! そっちに一人向かった! 私は目の前の敵に集中する! なんとか、自衛できる?)
『か、語さん……本当に、大丈夫なのですか?
わ、私は攻撃はできませんが、防護結界なら張れます。少しの間なら……耐えられます』
(そう……よかった。もう少しだけ頑張って)
安堵が胸に広がる。
役力を見た限り、中村は大した戦闘力を持たない。ならばリリアの魔力が続く限り、直ちに命を奪われることはないだろう。
けれど、それ以上に私を奮い立たせる感情があった。
――これで、心おきなく。
渡代彰人を。
この怒りで打ち据えられる。
私は深く息を吸い、胸奥に熱を集める。
魔力が渦を巻き、白い息とともに結晶化していく。
戦闘開始からまだ一分も経っていない。しかし状況は圧倒的な不利。なんせ敵の姿が視認できず、この狭い通路の中で逃げながら戦うしかないのだから。
「……燃え広がって」
吐き出す言葉は呪文のように通路へ解き放たれ、炎が波のように広がった。赤い奔流は壁を舐め、床を染め、闇を追い払う。その熱量は、触れれば皮膚が炭に変わるほど。
だが――応えたのは沈黙。
炎の海に悲鳴はなかった。足音も、動揺の影さえもなかった。そこにあるのは不気味な虚無だけ。燃え盛るはずの赤が、まるで“すり抜けて”虚空へと消え去っていった。
(……やっぱり、そういうこと……)
理解した。
彼の力は、単なる『透明化』ではない。
役力を確認した通り――【透過】の力。
あらゆるものを透過する力。
即ち、光を透過すれば姿をガラスのように透明にし、炎を透過すれば無傷のままに歩み寄れる。物理的な透過のみならず、光や熱といったエネルギーそのものをすり抜ける能力。それは自然の理を嘲笑う、理不尽の権化。
(卑怯者……こんな能力を持っていながら、園香を裏切ったの……?)
怒りは炎よりも熱く、胸の奥で咆哮する。
燃え尽きぬ焔が、私自身を焼くように広がり、やがて鎮まった。
(……どうする)
もっと冷静になれ。
透過の力を破る術は思いつかない。
ただ、圧のような気配だけがじわじわと近づいてくる。
私は打開策を探すべく後退しようとした――その瞬間。
確かな“死”の気配に、思わず屈み込んだ。
シュン、と頭上をかすめる刃の軌跡。
見えはしない。だが確かにそこに鋼が走った。
背筋を冷たい汗が伝う。
驚愕に囚われた刹那、今度は左肩に衝撃が奔った。
「ぐぇ……!」
喉奥から押し出されるように短い声が落ちる。
視界がぐらりと揺れ、身体は勝手に転がっていた。
蹴り飛ばされたのだと理解した時には、すでに追撃。
私は転がる勢いのまま横へと身を投げ出す。
次の瞬間、先ほどまでいた床に“見えない刃“が突き立ち、金属音が鋭く響いた。
「へぇ、よく逃げるじゃねーか」
誰もいないはずの空間から、彰人の声が降る。
「もう理解したろ? 俺はあらゆる物を透過できる。だから、お前の攻撃はすべて空を切る。できることは、せいぜい逃げ回ることくらいだな」
「……それは、どうかな」
彼の言うことは、事実だ。
だが、私はわざと煽るように微笑む。
沈黙。苛立ちが空気を震わせる。
そこに、再び一撃が来たる――。
私はそれを直感で悟り、後退しようとして……
逆に踏み込んだ!
透けゆく気配の懐に、あえて潜り込み――“彼と重なる位置”へと逃げる。
無論、私と彼の身体は接触しない。なぜなら、彼は私の攻撃を透過しているのだから、ゆえに私の突進は彼をすり抜け、その背後へと回り込める。
「ッ!」
息を呑む音。
不意を突かれたのは、彼の方だった。
光も炎も透過する――ならば実体ごと突っ切ってみせればいい。その賭けが、確かに通じた。
「凍つけ……!」
一瞬の隙を逃さず、魔力を解き放つ。
彰人の足元――彼が透過せず、確かに踏んでいた床――歩いているのだから当然、透過の対象から外しているその床に。彼がこちらを振り向くよりも速く、氷の膜を走らせる。
「なっ!」
短く、呆気ない声。
氷に足を取られ、彼の身体が無様に崩れる。
どしりと落ちた音が、確かにその存在を告げた。
「そこ……ッ!」
私は躊躇わなかった。
鞄を放り投げて、紅い刃を呼び覚ます。
――ヴェルニス・スケイル。
それを手にした瞬間、細胞の隅々までが歓喜に震えた。
恐怖と興奮が溶け合い、心臓が熱に焦がされる。
短剣を構える度、世界そのものが脈打つように感じられる。それが、戦いと私を繋ぐ――。
「死ね」
光が紅に裂け、世界を断つ轟音が響いた。
透過? そんな概念は意味をなさない。
この刃は空間そのものを斬り裂く。彼がそこに存在している限り、空間ごと、その全てを貫くのだから。
――だが。
「…………………………お、お前、なんなんだ」
少し離れた位置から、呆然とした声が洩れる。どうやら外してしまったらしい。
私の足元には深々と抉られた通路の床が口を開けていた。そこに期待した血飛沫は一滴たりとも落ちてはいない。
「……何だ、外しちゃったか」
思わず吐き出した独り言。
流石は【勇者】の称号を背負う者――凡百の反射神経では避けられまい。
私はにっこりと微笑み、彼がいるだろう空間に向かって告げる。
「次は当てるからね」
宣告は穏やかに、しかし絶対の確信を帯びて。
透明な勇者に向けた、次なる死神の一閃――その前触れとなった。




