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11話 聖剣 ①


 * * *

 


 ――それは数刻前の出来事。

 ドリンク売り場の列に並ぶ園香(そのか)。手持ち鞄の中から振動を感じ取り、スマホを取り出して確認する。

 画面には『(かたる)ちゃん♡』と表示されており、慌てて通話を繋げる。

 そして、会話の途中。


『り、リリアさんが……リリアさんが攫わ――』


「ちょ、ちょっと、(かたる)ちゃん?

 ……え、嘘でしょ? (かたる)ちゃん?」


 ぷつり、と通話が途切れる。

 園香(そのか)はしばしスマホを見つめて、それから額に手を当てた。


「あの子……また充電し忘れたのね」


 呆れを含んだ吐息が漏れる。だが同時に、胸の奥にじわじわと不安が広がっていく。

 唐突で切羽詰まった声色。そして言いかけた言葉は恐らく「リリアが攫われた」ということ。冗談や勘違いでは済まされない響きがあった。


「はぁ……まったく。今どこに居るのかしら」


 園香(そのか)は視線を列の先に送る。あと少しで順番が来るはずだったドリンク売り場。

 だが、もはや待っている余裕はない。彼女は小さく舌打ちをして、列を抜け出した。胸の内で高鳴る鼓動を抑えきれずに。

 

 そして――駆ける。

 

 胸を焦がす不安に突き動かされるまま、人波を押し分けて走った。息が切れるよりも早く、胸の奥で警鐘が鳴り響いている。速く、速く……!



 * * *


 

 ようやく辿り着いたのは、つい先ほどまで(かたる)やリリアが腰掛けていたベンチの側。


「……いない」


 吐息のような言葉が零れる。

 視線を巡らせても、二人の姿はどこにも見当たらない。


(なにがあったの……(かたる)ちゃん)


 思考が鋭く胸を抉る。

 もしも彼女たちに危難が迫っているのなら、それは目を離した自分の過失だ。責任、という薄い言葉では覆い隠せない。

 大切な友達を守るべき時に、その傍にいなかった――ただそれだけで、悔恨が脳を締めつける。

 けれども、挫けている暇などなかった。深く唇を噛み、心に沈む怯懦を押し殺す。持ち前の胆力だけを支えに立ち直り、次にすべきことを考える。


(……そうよ)


 脳裏に閃いたのは、あの時、部屋で口にした言葉。

 魔力に念を込め、言葉を声なき声として放つ――。範囲を遊園地全体に絞れば、他の魔力持ちに聞かれる心配も薄く、そして近くに居るだろうリリアには届くはず。

 今この瞬間こそ、試すべき時。思考はすぐに行動へと変わる。

 園香(そのか)は掌を胸の前で組み、静かに息を整えた。そうして魔力の流れを研ぎ澄ませてゆく。世界に己の声を溶かすようにして、言葉を乗せようとした――だが、その時。


「……う、うそ……」


 掠れた声が、背後から落ちてきた。

 じわりと背筋を這う嫌な予感に、反射のように振り返る。そして見つめた先――そこに立っていたのは、金の髪をおさげにして、ふたつ、風に揺らす痩身の女性。

 蒼白な顔を震わせ、驚愕と不安をない交ぜにした瞳で、こちらを射抜いている。


 ――忘れもしない。

 

 ゴールデンウィーク中、山での探索時。園香(そのか)の能力を全て打ち消して、挙げ句の果て銃口を突きつけてきた、得体の知れぬ存在。

 園香(そのか)はまだ彼女の名を知らない。その者の名は“リーナ・クローネ“という。リンケージ所属の超能力者がひとり。最悪の時に、最悪の相手。悪夢のような再会が、眼前に立ちはだかっていた。


「また、厄介ごとがひとつ……」


 園香(そのか)の視線を鋭くして。

 溜息に次いで、低く鋭い声で問いかけた。


「あなた、こんなところまで……まさか私のことを追ってきたの?」


 問いは糾弾のようであり、同時に確かめるような響きでもあった。向かい合う女性――金髪を揺らすリーナが、慌てて首を振る。


「い、いえ……そんなつもりでは。いや……あ、あなたのことを探していたのは事実ですが……ここで会ったのは、偶然で……」


 その言葉を受けても、園香(そのか)の瞳は揺れなかった。むしろ氷のように透きとおり、なおも疑念を深めていく。


「本当かしら? そんな偶然がある?」


 ひと呼吸。

 彼女の声がさらに深く、疑念を掘り下げる刃となる。


「……まさか。リリアを攫ったのは、あなたか。あるいは――その仲間かしら」


 リーナは一瞬、目を瞬かせる。理解の及ばぬ言葉に戸惑い、唇を震わせた。


「な、何の……お話か、私には……」


「へぇ……まぁ、いいわ」


 園香(そのか)の声音は、まるで真相をすでに見抜いた者のように淡々としていた。

 その疑いは彼女の勘違いであるのだが、リーナはそれを直ぐに反論できるほど、他人との会話に慣れていない。むしろ、彼女の視線が圧迫感となってリーナに覆いかぶさるばかり。何も返答できずにいた。

 その沈黙を受け、園香(そのか)が肩をすくめながら、冗談を口にする。


「偶然会ったのだと言うなら――私のことは、見逃してくれるのかしら?」


 リーナは視線を泳がせ、やがて、か細い声で答える。


「そ、それは……その……む、無理です」


 言葉と同時に、彼女の手が腰へと伸びた。

 だが――そこにあるはずの拳銃は、この日は携帯していない。当たり前だが、休暇に銃を持ち歩くことは許されていないのだ。

 しかし、その事実を知るのは彼女自身だけ。園香(そのか)にとっては、再び銃口を突きつけられる悪夢の予感に他ならなかった。あの時の光景を思い出して、肩が微かに強張る。


「あなたの目的は何? 私を拘束して――いったい、何をするつもり?」


 その問いは、棘を極限まで尖らせたかのように、鋭くリーナへと刺さる。彼女は俯きかけ、しかし絞り出すように答えた。


「い、いや……その。拘束というか……以前は……その……あのような怪しい場面で出会ってしまったからで……」


 言葉は途切れ途切れ。迷いの渦に呑まれたかのようだ。


「本来は……保護した上で、わ、私たちの管理下に置く――そういう、決まり……なのです」


 言い切ったことに、ほっとするリーナ。

 一方で、園香(そのか)の唇には冷ややかな笑みが浮かんだ。それは優しさの影すら宿さない、鋭い刃の笑みだった。


「それで――いきなり銃? そんな人たちを、どうして信用できると思うの? ほいほいと従うとでも?」


 静かな声。けれど、それは嵐よりも強い拒絶を孕んでいた。

 リーナは言葉を失う。事実として、あの時の自分の行動は浅はかそのもので、とにかく怪しい人間を捕まえなければという先走った考えで動いてしまったのだから。

 言い訳なら思い付く。金倉組の策略に嵌った――リンケージ始まって以来の大失態のあと、間も無くして与えられた任務ゆえ。だが、目の前で怒りを顕にしている少女に、その言い訳は通じない。銃を突きつけた事実は変わらないから。

 だからこそ、彼女の口から洩れたのは、曖昧な吐息だけだった。


「……それは……その……」


 沈黙が二人を隔てる。

 互いの呼吸だけが、やけに大きく響いていた。


 ――その時。


 呑気な声と共にリーナへと近付く二人の声が聞こえてくる。両手いっぱいにドリンクと、山のようなフードを抱えてやってきたのはピンク髪ツインテールの少女と、その傍に金髪のメイド。園香(そのか)が知る由もないが、ミミアとセイチェだ。

 ポテトの香ばしい匂いと、油紙に染みた唐揚げの匂いが、空気をさらに賑やかにする。


「大量じゃ、大量じゃ! ジェットコースターも楽しかったし、我は満足じゃ!」


 ミミアは頬を上気させ、意気揚々と宣言する。

 その隣で、トレイを器用に抱えたセイチェが控えめに微笑みながら言った。


「結局、拓未(たくみ)様はお手洗いに行かれたきりでしたね」


「うむ、さてはジェットコースターが怖かったのじゃろう。恥ずかしくて言えなかったとみた」


 くすくすと笑いながら近づいてくる二人。

 けれども、その笑みはすぐに凍りつく。


 ――リーナの強張った横顔に気づいたからだ。

 

 彼女が真っ直ぐに向き合っている先には、ただならぬ気配を纏う少女――園香(そのか)の存在。

 その場の空気は一瞬で冷え込み、陽光の下でありながら、薄暗い影が差し込んだようにさえ思えた。


「……お嬢様」


 セイチェが一歩進み出て、声を落とす。

 リーナの硬い表情を確認し、続けてミミアが低く問いかけた。


「あれは……何じゃ? 何か良からぬ存在か?」


「い、いえ……そういう訳ではないのですが」

 

 リーナは唇を噛みしめ、震える声で答える。

 

「未登録の能力者でして。立場上、彼女を一度拘束して、管理下に置かなければ……でも、わ、私が……怒らせてしまい……」


「ほう」


 ミミアの目が楽しげに、しかし鋭く細められる。

 翡翠とルビーの双眸が、園香(そのか)とリーナの間をきらきらと揺らめいた。


「それであの形相か。……我は、どうするべきじゃ?」


 問いかける声音には、ただの好奇心以上の色があった。

 王族としての矜持。力ある者が決断を問う響き。


「わ、私が……彼女の能力を抑え込みますので」

 

 リーナが必死に言葉を紡ぎ出す。

 

「無力になったところを……取り押さえてください。け、けれど……どうか、丁重に、お願いします」


 ミミアの口元が、ぱっと笑みに綻んだ。

 快活な響きが場を打ち鳴らす。


「合点、なのじゃ!」


 その一言で、空気がぴんと張り詰めた。

 とてとて、とリーナの前へと躍り出るミミア。

 園香(そのか)は悟っていた。――目の前の、このピンク髪の少女はただ者ではない。

 じりじりと後退して距離を測る。しかし逃げ切れる算段は立たないと、すぐに理解する。ならばいっそ腹を括るしかない。


「はぁ……ほんっと、面倒くさいわね」


 深く、深く吐息を落とす。その声音は苛立ちよりも、冷え切った覚悟の色が濃かった。

 鞄を足元に置き、ゆっくりと背筋を伸ばす。そして、対峙する三人を見据えて宣告するように言い放った。


「あなた達がどうしてもこの場でやり合いたいって言うのなら――私、今から本気を出すけれど。

 死ぬより酷い目に遭う覚悟は、できているのかしら?」


 瞬間、空気が変わった。

 少女の身体から、死神の吐息のようなドス黒い圧がじわじわと滲み出し、辺りを覆い尽くす。

 見えぬはずの影が実体を持ち、冷たい指先で首を撫でるような錯覚。


「ひっ……!」


 リーナが耐えきれず、尻餅をついた。

 一方のミミアもごくりと唾を呑んだが、それでもなお、王女としての威を崩さず、不敵に唇を歪めてみせる。


「ふむ、良い威勢じゃ。しかし――こちらにはリーナの能力による打ち消しがある。

 それに、この我も居る。さて、如何様に我らを打ち負かすつもりか、見せてもらおうかの!」


 胸を張り、腰に手を当てる。王者のごとき気配を真正面からぶつけてくる王女と、死神のごとき少女が対峙する。

 セイチェはその姿に「さすがお嬢様」と感動を覚えつつ、手に抱えていた大量のフードをそっとベンチに置き、前へと進み出た。


「お嬢様、私が認識阻害の結界を張りましょう。

 これで他の方々からは、我らの姿は認識されません。……どうぞ、思う存分に」


「ふむ、それでは軽い食後の運動じゃな」


 ミミアは肩を回し、軽く屈伸をする。まるでストレッチ、まるで遊び。

 そのふざけた様子に、園香(そのか)の瞼が半ばまで下がり、冷笑が口元を掠めた。


「……さっさと始めてくれない? 私、急いでるんだけど」


「ふむ、それもそうじゃな。――リーナよ、あやつの能力を打ち消すのじゃ。その間に、さくっと捕まえてやるのじゃ!」


 王女の命令に従い、リーナは震える唇を開こうとする。

 けれど、その瞳は大きく揺らぎ、顔色は蒼白だった。


「ど、どうしたのじゃ、リーナよ。何をしておる?」


「い……いえ……そ、それが……」


 リーナの声は今にも消え入りそうで、それでも絞り出すように答えた。


「も、もう……打ち消しているんです」


「ふむ? ……じゃが」


 ミミアはきらりと目を細め、園香(そのか)から溢れ出す気配を凝視する。

 その声には、戦慄と驚きとが入り混じっていた。


「――あやつからは、凄まじい魔力が溢れ出しておるぞ」







 

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