TargeT.9 ヒーローショー!
* * *
「おぉぉ……なんと……これは魔法の門じゃ!」
遊園地の入口に立った瞬間、ミミアの目が爛々と輝いた。
巨大なアーチが青空を背にそびえ立ち、カラフルな装飾が風にはためく旗とともに来園者を迎えている。それを見上げて両手を広げるミミアの姿は、まるで異界の城門に立つ旅人そのものだった。
「お嬢様。あれは入場ゲートだそうです。この迷宮の入り口のようです」
いつの間にかパンフレットを広げながら、セイチェがそう付け加える。
「ほほう、なかなかに良い趣じゃ……」
ミミアは満足げに頷きながら、先頭を歩き始めた。
その後ろでリーナが人の多さに顔をしかめ、目の端を泳がせている。
「ひ、人が……人が多すぎます……。こ、こんな所に本当に入るのですか……?」
「何言ってんだよ、リーナちゃん!」
拓未が両手を広げ、サングラスの奥で瞳をギラつかせる。
「ここからが本番だぜ! さぁ行こう、夢と冒険と絶叫の王国へ!」
やたらテンションの高い拓未たちが子供みたいに走り出し、仕方なくといった風に、リーナがその後に続いた。
* * *
「ほぅぅ……! 駿馬が整然と並んでおるのじゃ!」
最初に目に飛び込んできたのは、陽光を反射してきらびやかに回るメリーゴーランドだった。色とりどりの木馬が円環の中で優雅に上下し、オルガンの軽快な音楽が場を包み込む。
ミミアは目を輝かせ、我先にと駆け出していった。
「お嬢様、走ってはなりません!」
「セイチェよ、見よ! この駿馬はまるで我が故郷の王城を守る騎獣のようじゃ!」
鼻息も荒く、今にも木馬の上で立ち乗りをしそうな勢いだ。慌ててセイチェが彼女の腕を掴む。
「お嬢様、立ってはなりません! 昔、翼竜に立ち乗りして落下したではございませんか……」
「む、むぅ……分かったのじゃ!」
嬉々として鞍に跨るミミア。その隣に座らされたセイチェは、終始見張り役のように背筋を伸ばしている。
一方でリーナは、ぐるぐる回る様子を遠巻きに眺め、顔を青くしていた。
「こ、こんな……目が回る装置……無理です……何が面白いんですか……」
拓未が大声で笑う。
「はっはっは! じゃあ俺が一緒に乗ってやるよ、リーナちゃん! 大丈夫、手ぇつないで回れば楽しくなるから!」
「ひ、ひぃぃ……や、やめてください……!」
結局、リーナは観覧エリアのベンチに避難し、ミミアのはしゃぐ声を遠くで聞きながら、スマートフォンで漫画を読み始めた。
そんなこんなの内に、メリーゴーランドは回転を止める。最終的に馬の上に立ち上がったミミアがスタッフに怒られていたが、リーナは他人のフリをしてやり過ごした。
だが、災難はまだ終わらない。
「――むむっ……あれは、なんじゃ?」
リーナの元へ戻って来たミミアが、くるりと視線を巡らせる。ピンク色のツインテールを揺らしながら指差した先にあるのは、古びた洋館のような建物。扉の上には黒々とした文字で『お化け屋敷』と書かれ、怪しい霧の演出がもくもくと立ちのぼっていた。
「ほぅ……あれは“魔物の棲家”かの?」
「ほとんど正解だ、ミミア!」
拓未が鼻息荒く、サングラスを押し上げながら頷く。
「ここはお化け屋敷。遊園地といえば定番だろ! 非日常を体験できる最高のアトラクションなんだぜ!」
「ふふん、我は王族ぞ。魔物退治は得意中の得意じゃ!
――いざ行かん!」
「お、お嬢様……これは演出ですから、本当に攻撃してはいけませんよ……」
セイチェが控えめに声をかけるが、ミミアは聞く耳を持たない。足取り軽く入り口へと進んでいく。
一方、リーナは青ざめていた。
「……む、む、無理です。あの、わ、私……ほんとにこういうの、ダメで……」
「リーナちゃん」
拓未が肩に手を置き、満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。俺が隣にいる。何かあっても守ってやるから!」
「な、何かって……! だって、中にいるのは“幽霊”なんでしょう!? 無理です、死んでしまいます……!」
「お化け屋敷で死んだ人間はいねぇよ!」
そんな押し問答を繰り返すうちに、いつの間にかセイチェがリーナの背中を軽く押していた。
「リーナ様……お嬢様があそこまで楽しそうにしておられるのに、付き合わぬわけにはまいりません」
「う、うぅ……セ、セイチェさんまで……!」
……と、まあ、気付けばお化け屋敷内部。
中は薄暗く、壁にはびっしりと血の手形のペイント。廊下の奥からは不気味な呻き声が響いてくる。
先頭を行くのはもちろんミミア。好奇心の塊のようにきょろきょろと辺りを見回し、時折「ほぅ……これはなかなか凝っておるな!」と感心の声を上げている。
その後ろで拓未は堂々と胸を張り、ポケットに手を入れながら歩く。
一方のリーナはというと――
「ひっ、ひぃっ……や、やっぱり無理ぃ……! 帰りたいですぅ……!」
両手で顔を覆いながら、今にも泣き出しそうな様子でセイチェにしがみついていた。
「リーナ様、落ち着いてください。これは全て演出です。魔物ではなく、ただの“見世物”にございます」
「で、でも! あそこから何か出てきます! きっと出てきますぅ!」
「それが分かっているのなら、大丈夫でしょう?」
「だ、大丈夫じゃないですぅぅ!」
リーナの絶叫が館内に響き渡る。
その瞬間、暗がりから飛び出した骸骨役のスタッフに、ミミアが無邪気に声を上げた。
「ぬっ!? お主、なかなかの迫力じゃな! 褒美に、我は最大の奥義をくれてやろう!」
そう言って握り拳を作るものだから、拓未が慌てて止めに入ろうとするが。しかし広げた拳に飴玉を乗せて、骸骨に差し出す王女。
スタッフもさすがに戸惑ったようで、思わず受け取ってしまう。骸骨が首をかしげる様子に、拓未が大笑いした。
「はははっ! やっぱりミミアはすげぇな! 幽霊相手にも物怖じしねぇ!」
「当然じゃ! 王の器たる者、幽霊ごときに怯むものか! むしろ懐柔してこその王であるのじゃ!」
「ひぃぃ……! で、でも私は無理ですぅぅ!」
リーナは涙目で絶叫し、セイチェの背後に完全に隠れてしまった。
こうして四人は、笑いと悲鳴が入り混じるお化け屋敷を進んでいくのだった。
* * *
お化け屋敷を出ると、眩しい日差しと共に、人いきれと香ばしい匂いが押し寄せてきた。
軒を連ねる出店からは、鉄板で焼けるソースの匂い、甘いクレープの香り、そして炭火で炙られる肉の香りが漂ってくる。
「ふむ……これは……!」
ミミアの鼻先がぴくりと動いた。次の瞬間、王女の瞳は獲物を狙う猛禽のように輝き、屋台の方へと突進していった。
「お、お嬢様!? あまり離れては危険です!」
セイチェが慌てて追いかける。弱ったリーナを引き摺りながら。
「ふむふむ」
ミミアが最初に手にしたのは――牛タン串。
香ばしく焼き上げられた肉を見た瞬間、彼女の目がきらりと光った。
「ほほう! なんと柔らかそうな肉じゃ!」
かぶりついた瞬間、肉汁が弾ける。ミミアは天を仰いで歓喜の声をあげた。
「じゅわっと広がる旨味! この歯ごたえ、王宮の料理長も真っ青の、素晴らしい出来じゃ!」
串を平らげるや否や、今度は焼きそばに手を伸ばす。
ソースの香りに包まれながら、箸を器用に操り、ずるずると啜る。
「な、なんと……! 以前食べた、ざるそばの仲間かと思いきや。これはなんとも香しいのじゃ!」
「お嬢様、落ち着いてくださいませ……!」
ソースだらけの口元。セイチェが慌てて紙ナプキンを差し出すが、ミミアはすでに次の屋台に視線を向けていた。
目に入ったのはクレープ。たっぷりのクリームに苺がのせられ、色鮮やかに包まれている。
「ぬぅっ! 今度は甘味か! 我を誘惑するとは罪深い……!」
もはや躊躇はない。両手でクレープを抱え込み、豪快にかぶりつく。鼻にクリームをつけながらも、うっとりとした笑みを浮かべるミミア。
「甘味と酸味の調和……これぞ至高! 戦の疲れも吹き飛ぶとはこのことじゃな!」
「わ、私は今が、一番疲れてます……」
リーナが青ざめたまま突っ込む。さっきのお化け屋敷で泣きすぎて、まだ目元が赤い。
そんな彼女に見向きもせず、ミミアが最後に手に取ったのは、カップに山盛りのフルーツジュース。ストローを勢いよく啜り上げると――ごくん、と一息。
「ぷはぁっ! この清涼感! 甘露とはまさにこのことよ! 我が王国でも導入すべきじゃ!」
牛タン串、焼きそば、クレープ、フルーツジュース。
わずか数分で見事に平らげてしまった王女は、胸を張って言い放った。
「ふむ……満足じゃ!」
その隣で、ようやく追いついた拓未が財布を押さえながら、顔を引きつらせる。
「……お、おかしいな。俺の財布って、こんなに軽かったっけ?」
「ははっ、所詮は王に仕える従者よ。せいぜい働くのじゃ、拓未よ!」
口元にクリームとソースをつけたまま、ミミアが得意げに笑う。その姿はどう見ても“王女”ではなく、ただの無邪気で食いしん坊な少女だった。
* * *
「さて――次はあれじゃな!」
ソフトクリームを舐め終えたばかりのミミアが、元気いっぱいに指を差す。
視線の先にそびえるのは、鋼鉄のレールが空に向かってうねり上がる巨大な絶叫マシン。先ほどから何度も轟音を響かせながら人々を空へと打ち上げ、悲鳴と歓声を同時に吐き出している。
「お嬢様、おそらくあれがジェットコースターと呼ばれる乗り物です。パンフレットにはそう記されております」
「ふむ、翼竜に並ぶ凄まじい速度の乗り物じゃ。これは挑戦せねばならぬ!」
「お願いですから、立ち乗りはおやめくださいね?」
王女の闘志は燃え盛るばかり。セイチェがミミアの口を拭きながら注意するが、果たしてその耳に届いているのか、いないのか。その傍でリーナが真っ青になって俯いていた。
――その時だった。
ブルルルッ、と拓未のポケットが震えた。
「……ん?」
取り出したスマートフォンの画面には『所長』の二文字。眉をひそめつつ通話に応じる。
『……聞こえるか、真鍋。状況が変わった』
「どうしたんです、所長?」
『調査班からの報告だ。――金倉組の構成員を追跡中、その一人が、お前たちの居る遊園地に逃げ込んだらしい』
「なっ……!」
短い沈黙。所長の声がさらに低く響く。
『先ほど顔写真を送信した。確認しろ。対象は危険人物だ。一般人に気付かれる前に所在を把握しろ。可能ならばお前が捕縛してくれてもいい』
「……了解」
通話を切った瞬間、スマホの画面に通知が届く。
開けば、荒れた風貌の青年の顔写真。鋭い目つきに、口元には薄笑い。どう見ても善人のそれではなかった。
拓未は反射的に辺りを見回す。これだけの客が入り乱れる中で、そんな簡単に見つかるとは思わないが。
「おいおい、マジかよ……」
――偶然にも、すぐにその人物を見つけた。
ベンチに腰掛け、新聞を広げるふりをしながら、人の流れをじっと観察する男。写真と寸分違わぬ顔がそこにあった。
(……ビンゴか)
思わず息を呑む。
しかし後ろを振り返れば、期待に目を輝かせるミミアとセイチェ、そして今にも泣き出しそうなリーナ。
「よーし! いざ、ジェットコースターじゃ!」
ミミアが小さな拳を掲げる。
その姿に拓未はほんの一瞬、迷った。
だがすぐに結論を出す。
「悪いな、みんな」
笑みを作り、軽い調子で言う。
「ちょっとトイレに行ってくる。
お前らは先に並んでてくれ」
リーナが眉をひそめる。何かを察した様子だが、しかし問い詰めてはこない。彼女なりに気を遣ってのことだろう。
拓未は手をひらひらと振り、背を向けた。
「心配すんなって。俺もすぐ追いつくから!」
その声を残し、人混みへと紛れ込む。
サングラスの奥で視線を鋭く尖らせ、獲物を捉える狩人の目へと切り替わっていた。
(さて……お楽しみの最中に乗り気はしねぇが、こっからは仕事の時間だ)
* * *
人々の笑い声と歓声が渦巻く遊園地。
ベンチに腰掛けていた男が、突如ぴくりと肩を揺らした。次の瞬間には新聞を畳み、鋭い目で周囲を一瞥し――立ち上がる。
「……ッ」
その挙動に気付いた拓未は、舌打ちをひとつ。
男は足早に人混みをかき分け、園内の奥へと歩み去っていく。
「こりゃあ、完全に“勘づいた”な……」
拓未もすぐさま足を動かす。
だが無闇に急げば相手に追跡を悟られる。
小走りで――けれど適切な距離を保ちながら、観客を縫うように進んでいった。
ちらり、ちらり。
逃げる男の視線が、何度も背後を掠める。
だがそれは、拓未を特定して見ているというより、得体の知れぬ“追っ手の気配”に怯えているような挙動だった。
(妙に勘が鋭いようだな。……俺を認識しているわけじゃない。だが、誰かに追われているという感覚を確かに掴んでいる……なるほど、これが奴の能力ってことか)
唇の端を吊り上げ、走りながらも考えを巡らせる。
このまま真正面から追えば、逃げられるのは時間の問題だ。それだけならマシだが、周りの人間を危険に晒す恐れもある。
そんな時、ふと視界の端に入ったのは、とあるステージ裏の光景だった。観客席に背を向け、赤いヒーロースーツを脱ぎかけたスタッフが、汗を拭いながらうちわで体を仰いでいる。覆面も外し、すっかり気を抜いたその姿。
「……はっ、これは渡りに船だな」
拓未の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
そうして足を止め、スタッフへと駆け寄る。
「すんません――」
声をかけられた青年が振り返るより早く、拓未は言葉を畳みかけた。
「俺ってば警察の端くれなんですけどもね、ちょっと調査に協力していただけません? 具体的には、そのスーツを俺に貸してください」
「え、あ、いや、ちょ、ちょっと……!」
スタッフが戸惑いを見せた時には、すで拓未の手が伸びており。半ば強引にスーツを奪い取り、素早く腕を通していく。
赤い布地が体を覆い、マスクを被れば――
そこに立っているのは、どこからどう見ても“正義のヒーロー”そのもの。彼はマスクの下でにやりと笑った。
「よし。目立ちはするが……これで完全に遊園地のスタッフだ。一般人の目も誤魔化せるし、何より――奴に警戒されずに近付けるはずだ」
背筋を伸ばし、ヒーローらしく胸を張る。
サングラスの代わりに被った仮面が、彼の表情を隠していた。
――新手の“ヒーロー”が、ここに誕生する。




