9話 ヒーローショー?
* * *
それからの私たちは、計画通りに転移可能地点を巡る日々を始めた。
休日や講義のない日を縫っての小旅行。行き先は山奥の樹海に始まり、苔むす古寺、海風が吹き込む洞窟と、多岐にわたる。
どの場所も手応えはなく、結果は空振りばかりだった。けれども、旅そのものは決して無駄ではなかった。
初めて目にする光景に、リリアがきらきらと目を輝かせるからだ。
見知らぬ森を前にしては子どものように首を巡らせ、波音の轟く断崖に立てば裾を押さえてはしゃぐ。
――その眼差しには、純粋な好奇心と、どこか焦燥の色が同居していた。
妹ミミアへと繋がる手掛かりを求めている。けれど一向に成果は得られず、微笑ましさと痛ましさが同時に胸を掠めた。
その日の探索も例に漏れず、古びた山中の神社を前に肩を落とす結果となった。
社の奥に足を踏み入れても、竜脈の痕跡は見当たらない。わずかに漏れたリリアのため息を、園香は見逃さなかった。
「ねぇ、良かったらこの後、近くの遊園地に行かない?」
不意に口にされた提案に、私とリリアは目を瞬かせる。
「遊園地、ですか?」
問い返すリリアに、園香は肩を竦めて頷いた。
「ええ。今日はどのみち、これ以上探せそうな場所もないもの。せっかく遠出したんだし、遊園地くらい寄っていってもバチは当たらないわ。気晴らしに、どう?」
リリアは視線を揺らし、ためらいを見せた。
この転移可能地点巡り――最初こそ珍しげに楽しんでいた彼女だが、繰り返しても結果を得られずに、焦りが募っているのだろう。
私は園香に助け舟を出すべく、リリアの手をとりながら笑顔を向けた。
「そうですよ、リリアさん。たまには息抜きしないと、頭が煮詰まっちゃって、良いアイデアも浮かばないです!」
「……ですが、良いのでしょうか。こんなことをしていても」
まだ迷う彼女のもう片方の手を、今度は園香が引いた。溜息交じりの声は、しかしどこか優しかった。
「あなた、家ではゲームばかりしてるくせに、今さら何言ってるのよ。まだ手掛かりを探し始めて一ヶ月。そんなに焦らなくても、あなたの妹なら逞しく生きてるわよ。……あなたみたいにね」
「……だと、良いのですが。けれど心配なのはそれだけではありません。向こうの世界に残してきた者たちにも、迷惑や心配を……」
「ふーん、あっそ。じゃあ、あなたを心配して息抜きさせようって言う私たちの誘いは受けられないってわけ?」
わざと突き放すような声音。
けれどそれがリリアの胸に火を灯したらしい。驚いたように目を見開いた彼女は、慌てて首を振った。
「い、いえいえ。そんな、そんなつもりでは!
行きましょう、遊園地! ……遊園地って、何ですか?」
「そうよ、それで良いの。あと、遊園地が何かっていうのは、着いてからのお楽しみ」
「ふふっ……分かりました。お二人とも、ご心配をおかけして申し訳ございません。……いえ、ありがとうございます」
その微笑みは、ほんの少し肩の荷を降ろしたように見えた。木漏れ日の差す参道を後にしながら、私たちの小さな寄り道が始まろうとしていた。
* * *
「――ここが遊園地ですか。なんだか凄い賑わいですね。ですが、ここはいったい何の施設なのでしょう?」
リリアがきらきらとした瞳で人波を見渡し、思わず問いかける。
軽食の香ばしい匂い、あちこちから響く音楽、風船片手に歓声を上げる子どもたち。異世界の王女には、すべてが新鮮な驚きなのだろう。
「ここは、言ってしまえばただの遊び場よ」
園香が淡々と答える。
「色々なアトラクションや施設、ショーなんかが開かれていて、私たちは好きな場所を選んで体験する。すこし贅沢で、大規模な公園だと思えばいいわ」
「なるほど……ではあの、凄い速度で落ちてゆく滑り台は、何かの拷問器具ではなく遊具ということでよろしいのでしょうか……?」
リリアの指差す先には、青空を突き抜けるようにそびえ立ち、えぐい角度で落下していくトロッコ。風を切る絶叫が、空気を震わせる。
「……あれはジェットコースターよ。遊園地では人気のアトラクションなの」
「え……」
リリアの顔が引き攣った。乗客たちの悲鳴が、彼女には断末魔にしか聞こえなかったのだろう。
「リリアさん、乗ってみます?」
私はつい悪戯心から提案してみた。するとリリアは両手をぶんぶん振って拒む。
「え、いや、私はその……もう少し落ち着いた遊具の方が良いかなと……思いますけれど」
「――だめよ。乗るわよ」
園香が冷ややかに言い放つ。
「遊園地に来てジェットコースターに乗らないなんて選択肢はないわ」
「そ、そんなぁ……」
リリアは涙目で抵抗したが、園香に有無を言わせぬ力で腕を引かれ、結局三人で列に並ぶことになった。
「ほ、本当に……こんなものに乗るのですか?」
「大丈夫よ。最初は怖いけど、降りた後は爽快感の方が強いから」
園香は自信満々だ。しかし、その台詞はジェットコースターが苦手なものに対しては、嘘以外の何物でもない。
そして、私もある事実を思い出す。
(よく考えたら、私もそんなに得意じゃなかった……)
だが、もう遅い。ここで逃げたら、園香から一生ネチネチ言われるに決まっている。
(……こうなったら、腹を括るしかない)
私は自分を奮い立たせて、いよいよ迫る順番を前に、息を整えた。
――そして、私たちの順番が回ってくる。
リリアの隣に腰を下ろすと、次いで安全バーが下ろされる。金属音とともにカタカタと上昇していく車両。視界がぐんぐん開け、眼下に広がる街並み。風が強まり、鼓動が速まっていく。
「ひ、ひぃい……!」
リリアの手が私の腕にぎゅっと絡みつく。
必死すぎて痛い。
「だ、大丈夫です、リリアさん……こいうのは力を入れるんじゃなくて、むしろ勢いに身を任せるんですよ!」
私は得意げにそんなことを言ってみたが、
「あ、あれ、やっぱり大丈夫じゃないかも……!」
途端に怖くなり、気付けば彼女にしがみつき返していた。冷静さなどとうに吹き飛んでいる。
――そして、落下。
轟音と共に胃が浮き、視界が反転する。
声にならない悲鳴をあげながら、私とリリアはただ互いに抱き合い、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらコースターに振り回された。
* * *
数分後。
フラフラの足取りで降車口に出てきた私たちは、そのままベンチに崩れ落ちた。
顔色は青く、肩で息をし、涙の跡もまだ乾いていない。
「……む、無理です……二度と……乗りたくありません……」
「うぅ……私も……です……」
地獄を共にした戦友のように、互いに手を握り合っていた。一方の園香は、涼しい顔で髪を整えながら見下ろす。
「まったく……情けないわね。あれくらいで泣くなんて」
「ひどいです、園香さん。嘘を吐きましたね!」
「そーだ! そーだ!」
私とリリアは同時に抗議の声をあげたが、園香は「ふぅ」と溜息を吐くだけ。そのままチラリとマップを確認して、
「もういいわ。あなたたち、そこで休んでなさい。飲み物を買ってくるから」
そう言い残し、彼女は足早にドリンク屋さんの方へと歩き去っていった。
残された私とリリアは、ベンチにぐったりともたれかかりながら、ただ互いに生存を確認するように視線を交わした。
「……生きてますか……?」
「……なんとか……」
弱々しい声に、二人して笑い合った。
見上げた青空は、どこまでも高く澄んでいた。
私たちはあの空に少しだけ近づいて、次の瞬間には急降下して――終わってみればぐったりと力を失っていた。けれど、不思議と心は軽い。
友達と過ごす時間が、こんなにも幸せなのだと、素直に思えた。
「ありがとうございます。本当に」
不意に、リリアが小さく口を開いた。
横顔はまだ青ざめているのに、その瞳だけはまっすぐで、澄んでいた。
「どうしたんです? 急に……」
私が問い返すと、リリアは柔らかく微笑んだ。
「いえ、私が今もこうして笑って過ごせているのは、間違いなく園香さんと、そして語さんのお陰ですから。きちんとお礼を言っておきたくて」
「……そう、ですか。なら、園香にも後で伝えてあげてくださいね」
「はい! もちろんです!」
短い言葉のやりとりだった。けれどその奥には、互いを大切に思う気持ちが確かに宿っている。
これまで“友達”という存在を知らなかった私にも、リリアの素直な言葉ならば、本心を簡単に感じ取ることができた。
だからこそ、改めて胸に誓う。彼女を守ろうと。
ミミアを探す道のりの中で、どんな障害や、あるいは敵と遭遇するかは分からない。けれど私は強くなり、この子を守り抜きたい――。
そんな決意を新たにした瞬間。
「わっ! あれは、なんでしょうか?」
リリアが唐突に声をあげた。
彼女の指差す方を見やれば、噴水のある広場の真ん中で、ひとりの男が鉄パイプを振り回していた。その周囲を野次馬が取り囲み、ざわめきが波のように広がっていく。
そして――男の対面に立ちはだかるのは、何と言うべきか、絵に描いたような“ヒーロー”だった。
主人公カラーの鮮やかな赤いスーツ。白いラインが走り、胸には大きな紋章。まるで子ども向けの戦隊番組から抜け出してきたかのような姿だ。
「もしや、これが園香さんの言っていたショーですかね? つまりは……ヒーローショー!」
リリアは妙に納得したように頷き、まだ震える足取りのままヨロヨロと近づいていく。
なんでも興味を示す彼女らしい。
私は足を引きずりながらも、その後を追った。
* * *
「おいおい! こんな可愛い子どもたちの前で、そんな物騒なもん振り回すなって! まずは話から、頼むよ!」
ヒーローが声を張り上げる。その響きは場を安心させようとするものだったが、鉄パイプを握る男は逆に怒りを燃え上がらせた。
「ざけんじゃねぇ! どこで俺らのこと嗅ぎつけたか知らねぇが……テメーら政府の犬に捕まる訳にはいかねーんだよ!」
怒号。
観客のざわめき。
赤いヒーローと、鉄パイプを振り回す男。
――これは本当に“ヒーローショー”なのだろうか?
胸の奥に、嫌なざわめきが広がっていった。
鉄パイプを振り回す男は、どう見ても配役で言うところの“怪人”などではない。ただの危ない不審者にしか見えなかった。
一方のヒーローも、赤いスーツに身を包み格好だけは様になっているものの、その立ち居振る舞いや声音は、子どもたちが夢見る『正義の象徴』とはかけ離れていた。
「わかった、君のことは見逃してもいい。だからここでは暴れないでくれ。俺はこのまま立ち去るから、な?」
「はっ……そう言って油断させておいて、こっそり尾行して捕まえる気だろ? そうはさせねぇよ!」
ヒーローらしからぬ弱気な提案。
男はその言葉を嘲笑い、真っ向から否定。そして手にした鉄パイプを勢いよく投げ付けた。
ヒーローはそれを咄嗟にキャッチしてみせるが――その刹那、男の懐からギラリと光るものが覗く。
銀に輝くそれは、ナイフ。
刃渡りは短いが、十分に人を傷つけ得る凶器。
スーツ越しにも、赤いヒーローが息を呑んだ気配が伝わってきた。
(……これ、本当にヒーローショーじゃなくて……ただの犯罪現場なんじゃ……)
私の額に冷や汗が伝った。
そんな時だった。男の目がちらりとこちらへと向く。見られた――そう思った瞬間、しかし彼の視線は私を素通りし、隣に立つリリアへと突き刺さった。
「お前、こっちに来い!」
ナイフを突き出したまま、男がこちらに迫ってくる。
それを舞台の演出の一幕だとでも思ったのか、リリアは一瞬、嬉しそうに目を輝かせ――、
「は、はい!」
――そのまま素直に歩み寄って、いとも簡単に男の腕の中に収まってしまった。
「あらあら、大変です、語さん!」
頬を紅潮させ、まるでお遊戯の役を任されたかのように誇らしげに叫ぶリリア。
一方の私はといえば――
「え、あ、はい?」
……いやいやいや。
大変だ。本当に大変だ。演出でも芝居でもない、現実の問題として、これは大変なことになった。
本当に危ない、本当にやばい、どうしようもなく、明らかに、謎の事件に巻き込まれた。その事実に頭が追いつかず、思考が空転する。
必死に自分を再起動させるようにして、私は“目”に力を込めた。状況を整理しなければ。まずは、この“ヒーロー”と“犯罪者”。彼らの役力を確認するところから始める。
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真鍋 拓未
【主人公】15rp
:あらゆる行動に対して運命力にプラス補正
【魔法使い】5rp
:魔法の構築と行使する能力が向上
【超能力・エネルギスト】25rp
:あらゆる物体、そして現象の源であるエネルギーの強弱を自在に『増減』できる。
※自分以外の生物種には無効
※自分への能力行使には制限あり(一時的な身体強化のみ)
【アッパー】15rp
:場の空気にプラス補正、積極性にプラス補正
【巻き込まれ体質】15rp
:様々な物語に巻き込まれやすくなる体質
【正義】25rp
:自分の信じる正義を行う際に発動。
行動力と運命力にプラス補正
――――――――――――――
なるほど。
いかにも“主人公カラー”と“ヒーロー”が似合う役力だ。
けれど気になるのは、やはり三つ目――【超能力・エネルギスト】だ。
その説明を読む限り、この真鍋拓未という男は間違いなく“超能力者”だ。
勇者、未来人、異界人、魔法使いときて、そして今度は超能力者。私の理解を軽々と超えていく存在に、眩暈すら覚えながらも、今は驚嘆よりも先に確認しなければならない対象がいる。
――リリアを捕らえた男。
彼女の首筋にナイフを押し付けて、じりじりと後退している……その危険人物の方を。
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中村 和佐
【悪役】5rp
:悪事を働く際に、運命力にプラス補正
【モブキャラ】3rp
:物語の端っこの方に存在を許される。
【超能力・危険予知】5rp
:ある程度の身の危険を予め感じ取ることができる。
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……要するに、これはあれだ。
異能バトルに巻き込まれた。
いや、もっと言えば、やばい犯罪に巻き込まれた。それも最悪な形で。なんと、守るべきリリアが、自分から捕まってしまったのだ。
私はその現実を前に、ただただ唖然と立ち尽くすしかなかった。




